息子たちの救いとバプテスマ | 愛と希望と信仰で人生大逆転

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パン講師クリスチャンのプライベートブログ。


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こんにちは。

パン講師クリスチャンの平野宏子です。

このブログは、私が子供だった頃のことを思い出しながら、

クリスチャンとして生きる決心をし、

祝福された人生を喜んで歩む現在までを綴っています照れ

よろしくお願いします。






2007年は、



私がキリストと再会して、


(1)人間にとって最も大切な『罪』を理解し、


(2)聖なる神様が私の罪をお赦しくださるために私の代わりに苦しみを負ってくださり(十字架)、


(3)3日目によみがえられた


ということを信じて信仰告白をし、バプテスマを受けることができた、人生が大きく変わり始めた一年でした。



これによって、


(1)神が共にいて、歩むべき最善の道を示してくださるより良い人生


(2)神の子供として死んでも生きる永遠の命の約束

(天国の住人確定クラッカー)


が与えられました。



まず、家族の中で一番に私が救われましたので、次は当然家族の救いを祈るようになります。



それは、救いを受け取らないと滅びの道を進まねばならないと聖書に書いてあるからです。


先に自分が救われたのだから、次は家族や自分の友人知人、そして見知らぬ人たちが・・・、救われるようにできることをしなければと思うのが神のです。


神様はそのように教えておられます。
愛と信じる心ですね照れ


だから、クリスチャンは教会に所属し、奉仕をしたり伝道をするのです。






私は自分のパン教室で直接伝道するわけにはいきませんから、このブログで皆さんに語らせていただいています。


皆さんは神様に選ばれた方々です。
このブログを読んでくださっている方との出会いは奇跡です。
もの凄く大きな神の手を差し出されていますが、その手をつかむかつかまないかは自分の選択です照れ




三人の子供たちは、小学生のうちに信仰告白をしました。なので、みんな救いはいただくことができました。


バプテスマは、


長男はまだです。


次男は中二でした。
しかし、やはり部活を通してサタンの誘惑に合い、中三くらいから教会を離れています。
長男が教会に来るのは年に数回。
次男は一回くらいです。


三男は中一でバプテスマ。
彼は信仰を優先するためにサッカーのクラブチームを辞め、中二から中学の部活に変更しました。


部活だってもちろん日曜日に試合はありますが、それでも上手に教会の礼拝や奉仕を守っていました。
ご理解のある顧問の先生だったのも幸いでした。


これら全て本人が神のみこころに従って自分で決めたことでした。


まだ中学生だったのに、彼の信仰は大人の私がとても及ばないほどだといつも反省させられましたタラー


そんな三男の献身の姿勢を神様は喜んでおられました。教会を優先してもレギュラーとして部活動にも専念できましたし、漠然とした進路だったものが明確に示されていきました。



続く・・・






  今日のみことば



今、amazonのprime videoで韓国ドラマ

『百人力執事 願い、かなえます』というのを観ていますグラサン



主人公の女性がクリスチャンで、その叔父さんが神父です。 



もう一人の男性主人公キム・テヒは医者でした。2年前に小さな弟を交通事故で亡くしました。

飲酒運転でした。



その男は今も意識不明で、一緒にお酒を飲んでた警察官である弟が目を離した隙に車を走らせ事故を起こしました。



その警察官は、その後偶然にも男性主人公と出会い、主人公を兄のように慕っている親しい関係になっていました。



今日は、それが実は憎い弟をひき殺した男の弟とわかってしまったという場面。

韓国ドラマあるあるの状況に神父の叔父さんが言ったみことば。






    

[箴言 25:21,22]


 あなたを憎む者が飢えているなら、

 パンを食べさせ、

 渇いているなら、水を飲ませよ。

 なぜなら、あなたは彼の頭上に

 燃える炭火を積むことになり、

 主があなたに報いてくださるからだ。




私たちは、たとえ相手が憎むべき存在であっても愛するように教えられています。

人間にはすごく難しいことなんですけどね照れ



もし裁くべき相手であるならば、それは神がしてくださることなので、全て神にお任せするのです。

自分が憎んだり恨んだりしたら、それは自分が罪をおかすことになり、自分も神に裁かれる対象になってしまいます。