インド・フランス・ドイツ合作映画『めぐり逢わせのお弁当』を見てきた。


合作だけど、監督・脚本のリテーシュ・バトラはボンベイ生まれの新鋭のボリウッド映画人。


俳優陣は基本ボリウッドスターで言語もヒンディー語の映画です。


インド映画にとってはヨーロッパは本来は市場ではないにもかかわらず、フランス、ドイツ、スイス、イタリア、オランダで異例の大ヒットをした作品だそうだ。

公式サイトによると、この五カ国で4億7千460万ルピーを稼いだらしい。ざっと8億円以上。単館上映では絶対に行かない数字だ。





この映画、合作になっているということもあるけれど、本作はまったくインド映画っぽくない。

一にダンスがないし、二に歌がない。


たんたんとしたフランス映画のような雰囲気なのだ。だからヨーロッパで受け入れられたのかもしれない。


でもインドでしか実現しない話でもある。

なぜなら、題材になったお弁当の集配システム「ダッバーワーラー」が生むめぐり逢わせの話だから。


ではダッバーワーラーとはなにか?


公式サイトによると、「弁当配達人」を意味するヒンディー語で、家庭の台所から"できたての"お弁当を集荷してオフィスに届けるという仕組みで、ムンバイに実在するお弁当配達サービスに携わる人々のことを指すのだそうな。


そんで、劇中の台詞にも出てくるのだけれど、ハーバード大学の偉い先生がこの集配システムの研究をまとめたところによると、「5千人のダッバーワーラーが1日20万個のお弁当を手に往復しているが、誤配送の確率はたったの【600万分の1】」なんだって。








これがダッバーワーラーの弁当集配風景

(写真は公式サイトより。松岡環さん撮影のもの)


私もムンバイに数日滞在したことあるけれど、たしかにこんな風景を見たような。

そんときは何なのか、よくわからんかったけれど。


でストーリーは単純。


子どもが一人いる倦怠期の夫婦。奥様のイラは、お弁当に愛情を込めて旦那の愛を取り戻そうと奮闘を始める。いつもどおりにダッバーワーラーに旦那の会社へのお弁当の配達を頼むのだが、戻ってきたお弁当箱がまるで“舐めた”みたいに綺麗に平らげられているのを見て、喜ぶ。





ところが、旦那に今日のお弁当の感想を聞くと、「カリフラワーが良かった」などと、献立にないおかずの感想を言ってくる有様。

まさか誤配送?

はい、劇中では、独身男のための弁当屋さんから配達されているはずの男やもめのところに、イラのお弁当が届いていたんですな。





前述のようにハーバード大学の研究者もお墨付きを与えるくらいの集配システムだから、イラは、誤配がおこっているかどうかも半信半疑。

そこで、お弁当箱のなかにそっと手紙を忍ばせて様子を探ってみるという行動に出る。


と、こんな感じで、間違って届いていた先の男やもめのサージャンとの間にお弁当箱を通した文通が始まるってわけ。


こんな仕組み、インドのムンバイが舞台でなかったら、確かにあり得ないよね。

だって、インターネットEメールのご配送からロマンスが生まれても、ドラマチックじゃないもの。出会い系の新手のやり口みたいで疑っちゃうだろうし。


なにはともあれ、間違っているということは理解しつつも、手紙のやりとりが面白くて、イラはそのままダッバーワーラーを使い続ける。

イラとサージャンの距離は、手紙だけの関係ながら、徐々に進展し始め。。。


感想です。

ムンバイの通勤電車の風景の名物ともいえる、ドアなし列車に半身乗り出して電車に乗っているシーンが出て、私もこんな状態のところに乗ったことがある(怖かった)から、ちょっと懐かしかった。



朝の通勤列車シーン(ドアがなく、混んでいるから皆身をのり出して乗っている)


お弁当って、日本人みたいに冷えたご飯を食べる民族はむしろ少なくて、それでインドではほっかほっかの料理を昼の時間帯に届けるという、ダッバーワーラーみたいなビジネスが出てきたわけですよね。

さすがに普通の都市では成立できないビジネスだけれど、ムンバイみたいな超大都市なら成立するという。そういったメガシティだからこその物語とも言えるので、やっぱインド映画なんだなぁ、とそこでは納得する。

でも、雰囲気はインド映画ではない。インド映画の伝統をことごとく無視して、歌なし踊りなし、そして上映時間は105分(短い!)。


だから鑑賞後の感想も、辛いカレーをたらふく食べて汗びっちょりになっちゃったようなインド映画を見終わったときの心地よい疲れではなく、ヨーロッパの都会派作品を見たような感じ。


エンティングもクライマックスというほどのこともなく、インド映画的大団円とは無縁でくどくどとしてなくて、あくまであっさりしているんです。


なんというか、ほんとにインド映画っぽくない。でも、新しいインド映画の誕生を予感させもする。


ヒロインのイラを演じたニムラト・カウルは地味顔で、ボリウッド女優特有の絢爛豪華さはない。けれどもそこがまた、フランス映画のアンニュイ女優のようで、魅力でもある。

相手役の熟年の渋みを出したイルファーン・カーンは、ライフ・オブ・パイでも主演だし、スラムドッグ・ミリオネアにもでていた人なので、ボリウッドだけでなく海外資本映画でも名が通っている人。でも、ボリウッド映画では悪役賞をとったりしているから主役男優ではないのだろうね。でも、だからこそ男やもめの悲哀がでていた。


インド映画の新しい流れとして定着するかどうかは、本作だけではわからないけれど、私がいままで見たインド映画のなかではほんとに例外中の例外として、しみじみ感の残る映画。


インド特有のスパイスを求めてこの映画を観たら、ものたりないけれど、違ったインドも味わいたいなら、絶対にみ観るべき作品なんでしょうね~。

なんと、今年になって興味深い本が翻訳出版されていた。


『ブルース・リーの実像: 彼らの語ったヒーローの記憶』。



背景は「ドラゴンへの道」のローマ・コロッセウムだね。

画像はAmazonさんより


著者は書籍のなかでインタビュアーをしているチャップリン・チャン(張欽鵬)。

あの「燃えよドラゴン」の助監督である。


で、この本、チャップリン・チャンだけでなく「燃えドラ」監督のロバート・クローズともに、生前ブルースと交流があった人へのインタビューに歩いた記録となっている。


本によると、もともとチャップリンは、ロバート・クローズが出そうとしていた著書『ブルース・リーの燃えよドラゴン完全ガイド』と『Bruce Lee The Biography』の取材インタビューの協力者として、現地コーディネートをしていたようだ。


取材は1987年1月の一週間程度。

クローズが旅行感覚で滞在した一週間に集中して、あのロー・ウェイ(険悪だった「危機一発」&「怒りの」二作の監督)だのベティ・ティンペイ(死の間際に一緒にいた愛人)だの、ボロ・ヤン(燃えドラのキン肉マン)、トン・ワイ(燃えドラで「考えるな、感じろ!」と言われてた少年)といった人々にインタビューしている。

これはなかなか貴重な証言集だ。


クローズは広東語ができないし、香港俳優とのつきあいも残っていないから、チャップリンはクローズのインタビューにつきあっていたということらしい。


だけれど、クローズは英語版の版権はとったが、彼らの約束では中国語版を出版するなら、版権および取材データはチャップリンが使ってイイということだったらしい。


それで、チャップリンが長らくほっぽらかしにしていた原稿とノートを、ロジャー・ローというブルース研究家が、没後40年目の節目の年だった昨年、チャップリンの保持していたデータを監修し直して、中国語版で出版したというわけだ。




香港の出版社から2013年に出た原著

(直訳すると、「彼らの知るブルース・リー」)

背景はやはり「ドラ道」のコロッセウム。


ブルース・ファンの執念たるやスゴイですね~。


ロジャー・ローって人は、ブルース本をたくさん書いていて、直近では『ブルース・リー哲理解析』なんてのも出している(訳書は今年の三月に出てます)。



監修者紹介の帯写真。

スポーツ科学哲学博士ってPh.D Sports Scienceの直訳かな?

普通は哲学の部分(Ph.=Philosophy)は訳さないんだけどね。

(画像はAmazonさんより)



で、実際に本書をひもといてみると、いっぱしのブルース研究者気取りでいた私・龍虎が、まさか!ってくらい、しらない情報がざくざく出てくる!


例えばね、ドラ道でチャック・ノリスがアメリカからドラゴン退治のために呼ばれ、ローマ空港に降り立つシーンがあるでしょ。

あれって、チャックがほんとにイタリアに来る飛行機を待ち構えて撮ったんだって。



いまはなきトランス・ワールド航空(TWA)のロゴが見える


ってことは、後ろにいる客室乗務員とか客とか、エキストラじゃなくって本物じゃないの。

これだからいいよね。昔の香港映画は。


いやいやそんなことよりも、驚いたのは、ブルースが日本酒と刺身が好きだったって証言。


刺身については逸話があって、ショウ・ブラザーズで1968年から馬乗りスタントをこなしていた日本人・染野行雄さん(その後は俳優、アクション指導者、プロデューサーとして香港で40年も活躍)が以下のように証言している。




若かりし1970年代初頭の頃の染野さん(映画『一網打尽』(1974)より)


(ちなみにこの証言だけは、2013年に翻訳者である鮑智行によって加えられたものだから原著にはないものみたい。)


ある日(龍虎注:おそらく1971年はじめ)、染野さんはかねてから知り合いだったユニコーン・チャンと、ショウブラのスタジオ近くでばったり合ったという。

そこにユニコーンと幼なじみのブルースもいて、今まさにショウブラとの契約交渉に失敗したところだったそうな(龍虎注:ブルースはゴールデン・ハーベストと契約する前に、まずはショウ・ブラザーズと交渉したが、契約額がブルースの希望に満たずに決裂した)。


幼なじみユニコーンはドラ道で共演したこの新沼健治みたいな人



で、飯でも食うか、ってことになって、染野さんが二人を連れて行ったのが、ネイザンロードのハイアットホテル地下にあった“名古屋レストラン”だった。


染野さんはそこで、マグロの刺身を頼み、「食べてみなよ」とブルースの膳においたけれど、ブルースは「食べない」という。なんでもアメリカのリトル・トーキョーでカツオの刺身を頼んだら虫がついていて、それ以来、刺身はだめらしい。

でも、ユニコーンにもカツオとマグロは違うから食べてみろとすすめられ、いやいや食べたのだそうな。


以来、刺身が好きになったようで、別のインタビューでは、チャールス・ロック(陸正)が、「ブルースとは日本料理屋“大和レストラン”でよく一緒に刺身を食べた」「彼は刺身が好きで、寿司では手巻き寿司を好んだ」「彼は日本酒なら10本から20本飲めた」だって!


ブルースと言えばお酒は飲まない、たばこもやらない、ってのが定説ですが、どうも味の問題だったらしく、日本酒は好きっていう驚きの事実が発覚。


いやぁ、ベティ・ティンペイの前にはノラ・ミャオと関係があったとか証言しちゃっている人もいるし、1987年あたりはまだノラもカナダ移住前か行ったり来たりしている頃で、こんなこと証言しちゃってイイのかしら? ただ、中国語では2013年まで出版されなかったから、いいのかもしんないけれど。

というように、ヒーローとしてだけでなく、人間ブルースとして、いいこともわるいこともそのまま書き起こしているのがこの『ブルース・リーの実像』。


ファンとしては、こんな多面性のあるブルースも知りたかったから大満足。

いやぁ、こんな本が翻訳出版されちゃうなんて、ブルース研究者の層が日本はやっぱ厚いんですね。

すげぇよブルース。やっぱスゲー。

香港、台湾を中心としたアジア映画ブログであるはずの本サイトだが、この映画だけはレビューしたい!


だって、香港映画界で活躍する日本人スタントマンにして武術指導家で(尊敬している)谷垣健治師父が殺陣とアクションを振り付けている映画だからね。



さて、一昨年に劇場版第一作が公開され、反響を呼んだ「るろうに剣心」シリーズ。


第一作『るろうに剣心』についてのレビューは、以下の過去記事を見て下さい。

邦画『るろうに剣心』観ちゃった


今回は『京都大火編』と『伝説の最後編』が連続公開される二部作構成。


「京都大火編」は8/1から公開され、私もさっそく見てきました!


「伝説の最後編」は9/13から公開ですので、京都大火を見るのは伝説の最後が始まる直前でもいいかもしれない。それくらい、えーーー「つづく」ですか! という鑑賞後に続きを見たいっていう感想が出ること必至の京都大火編でした。


まぁね、ストーリーはいいの。いやつまらないって意味では決してなくて、面白いんだけれど、ストーリーそのものはもとより、私はこれを日本娯楽映画界の可能性を示す映画だと思ってみているのね。


もともと日本映画もアクション映画では世界に誇るものを撮っていて、クロサワの「七人のサムライ」だの勝新太郎の「座頭市」シリーズなんて、香港映画にも多大なる影響を与えているじゃないすか。


香港の剣戟映画のほとんどは、日本のチャンバラ映画からインスパイアされたって多くの人が証言しているしね。


例えば、武侠映画の名匠であるキン・フーもそう言っています。

彼の「大酔侠」でチェン・ペイペイ(鄭佩佩)が演じた主役の斬り方は座頭市研究の成果だと撮影にあたった西本正さんも(確か)言っているもんね。


そう、往年の日本映画にあったチャンバラ活劇のどきどき・わくわく・なんじゃーこりゃ(by 松田優作 but テレビドラマの台詞だったね)的な驚きをもう一度日本映画に取り戻したい、ってわけ。


それをしてくれる最有力候補なのが、香港仕込みの武術指導家・アクション監督の谷垣健治さんって私・龍虎は思っているのです。

谷垣さんは前作の「るろ剣」でも武術指導をやっていて、香港流のスタントに慣れていないはずの日本人俳優を使いながらも、素晴らしいアクションシーンをつくってくれてました。


そして、私も驚いたが、主演の佐藤健クンの素晴らし~身体能力。


今回の撮影初日に、谷垣氏が佐藤健に再会してそうそう「彼は、会った瞬間から剣心でした」と言わせるくらいの気のはいりよう。


では、さっそく今回の「京都大火」のアクションシーンから。









屋根にのぼって追っ手を追いかけ、邪魔する輩に斬りかかる所


どうすか?


タケルの何がいいって(一作目にファンになったから佐藤健をタケル扱い)、走るシーンが力強くって素晴らしいのよ。


それでもって、どこを走っているかっつったら屋根の上ですよ。

谷垣健治氏が数多くの作品でペアを組んでいるドニーさんも「捜査官X(武侠)」で屋根の上を走っていたけれど、あのシーンをほうふつとさせ、かつ素晴らしいダッシュだからタケルのほうが美しいとすら思える。


なぜか鶴のポーズで屋根の上を逃げるドニーさん(「捜査官X」より)



それからこのシーンもいいよ!





香港映画お家芸の壁歩きからの攻撃


いま、書店にいろんな形でこの映画の特集が組まれていて、タケルもインタビューに答えているけれど、基本的にはほとんどのスタントを自分でこなしているみたいです。

上の二つのシーンだと、屋根の上の方は、タケルの顔が視認しにくいけれど、タケル自らやるって言って取り込んだことが谷垣健治氏のコメントで明らかになっている雑誌もありました(『日本映画navi』vol.50)。

壁歩きの方は、見ての通り、タケルの顔がしっかり視認できるので、ワイヤーで吊ってもらいつつ自分でこなしていることが明らかですな。


いま書店で発売中の『日本映画navi』vol.50には、今回の出演者全てのアクションについて、そのそれぞれの出来映えについてアクション監督である谷垣さん自らがコメントを入れているから、コアな香港映画マニアあるいは日本映画の裏方ファンには必読だぜ。





今回、私が「京都大火編」を見ていて、アクション面や演技面で注目したのは、適のボス・志々雄を演じた藤原竜也ではなかった(ゴメン。あんた、伝説の最後編の方で見せ場あるんでしょ? いや、もちろん彼も上手かったけどね)。



全身包帯に巻かれて誰だかわからない藤原竜也


それよりも注目したのは、ボスの親衛隊的な位置づけにある“十本刀”の一人・瀬田宗次郎を演じた神木隆之介クン。





その優等生チックで青二才的な風貌が活かされるような、「剣の闘いに必死に挑むのではなく、ただ面白いから臨む」という不気味なキャラ・宗次郎を怪演。


剣心の技を完全に体得していて、剣心との最初の対決シーンでは、互角の腕前でありながら、平穏な暮らしを乱されていきり立つ剣心に対して、全く動じない胆力で闘いのペースをつかみ、剣心を圧倒します。




宗次郎の闘いを楽しんでいるシーンを見ていて、私は「死亡遊戯」でダニー・イノサントと武器対決をしているブルース・リーが、相手の技とのやりとりを楽しんでいるシーンを彷彿としましたよ。

この映画のなかで、彼が剣を使いながらも、片足でケンケンしてバランスと間合いを整えるシーンが出てくるので、余計にブルース・リーのあのステップを思い出し、そういう認識を持ったかもしれないです。


神木クンを見て思い出したブルースのこの表情と片足ケンケン


このあたり神木クンのアクションで実際にブルースが意識されたかどうかは、『日本映画navi』vol.5の神木隆之介クンのアクションに対する谷垣健治コメントからは確認できず。


っていうか、神木クン、あんたブルースを意識しているでしょ!?(私の考え過ぎかな?)

ただ、あの片足ケンケンは、神木クンのアイデアだったと谷垣氏は述べています。


だとしたら、神木クン、あんた、アクション映画の才能あるよ!

「妖怪大戦争」で初めてあんたを見たときは、ほんの坊やだったのに、成長したね~。


ただ、アクション面でブルースとの共通点を見いだしたといっても、リーさんのマッチョぶりと、神木隆之介クンではやっぱりキャラが違いすぎるので、彼の演技面のほうでは、私は香港映画界を背負ってたつニコラス・ツェー(謝霆鋒)とのキャラや演技傾向が近いのでは、という感想を持ちました。




「PROMISE 無極」での悪役が印象に残るニコラス・ツェー


ま、そんなことはともかく、神木クンは美少年悪役という彼らしいジャンルが開拓できるのではないか!なんていうお節介なことまで想像してしまいました。

将来がますます楽しみな俳優ですな。


おっと、「京都大火編」から話がそれてきてしまった。


本作、アクションがとにかくスゴイよ。

そして、アクションが見栄えする俳優がたくさんでとります!


伊勢谷さんは「あしたのジョー」の力石役で作った筋肉がまだ落ちていない感じで、キレがよかった。



もうね、伊勢谷さんはね、その日本人離れした凛々しいお顔と恵まれた四肢。ついでにニューヨーク仕込みの英語力を活かして、国際的にアクション映画で頑張ってくれないかな、と思うのよね。


そして、新発見だったのが若手女優・土屋太鳳ちゃん。

全然私は誰だか知らなかったのですが、主に剣ではなく格闘系のアクションを披露していたのですが、技のキレがはんぱなく、そして足が軽々とあがるあがる。



これは絶対に武術経験者でしょ!と思って、この土屋ちゃんを調べたら、さにあらず。

どうやら武道は未経験者で、テレビドラマ「鈴木先生」で優等生を演じていたような女優&モデル経歴の人でした。


ただ、日本女子体育大学で舞踏学を専攻しているとwikiに書いてあるので、運動神経はいいのだと思う。

こちらも優等生役やモデルではなく、アクションで頑張って欲しいと思わせる人でしたね。


というわけで、日本映画のアクション水準を軽々と凌駕した「るろ剣」シリーズ最新作。

9月の「伝説の最後編」も待ち遠しいよ。


最後に本記事でフォーカスした谷垣健治さんのことが知りたかったら、下記を読もう!



谷垣健治さん自らが書いた『アクション映画バカ一代』。

無名時代のジャッキーとの出会いと、スタントマンとして実績が出てきてからの再会のところが泣かせる。

それから、ドニー・イェンは見た目通り俺様な人であることもよくわかる!

チャウ・シンチー監督作品『西遊記 はじまりのはじまり(原題:西游・降魔篇)』がいよいよ11月に公開されます。


シンチーは今月22日、配給先となる日活および東宝東和の両長と都内で会見。

そのときのニュースがようやく映画サイトなどで報じられるようになってきました。


今回、配給する日活と東宝東和は、新レーベル「GOLDEN ASIA」を設立するそうで、その第1配給作品がシンチー版『西遊記』。


中国語圏・英語圏ではとっくにDVD化されてしまった作品で内容等も漏れ聞こえてしまっているわけですが、日本では満を持しての公開ということで、まずはティーザー広告っぽい、映画の雰囲気とかは内緒のポスターが発表されています。




キャッチコピーは「とんでもねー! 妖怪娯楽エンターティンメント開幕」とのこと。


このキャッチ、明らかに『カンフー・ハッスル』のときの「ありえねー。」を意識。

うーん、まったく別の作品なんだし、ちょっとどうかしら。


もともと、内容を覆面にしたティーザー広告は中国公開版でも行われていた。

それは、秘密主義のシンチーが、公開の一年前の未完成状態に、期待だけをあおるためにCGとサントラのみのビジュアル映像を動画サイトなどにアップしていたもので、すでにビジュアルが知れ渡ってしまっている日本市場では隠す意味があるのかは、ちょっと疑問だ。




華語圏市場向けの本家ティーザーポスター(孫悟空の背中です)


日本の場合、11月の公開まですでに四ヶ月しかないのだから、日本市場でも知名度のある主演のスー・チーを全面に出したメインビジュアルを、ばんばん広告にして、見る人に「お!」って思わせるべきなんだけどね。




華語市場向けメインビジュアル入りポスター



さて、今回の配給元レーベルとなるGOLDEN ASIAは、「アジア各国の第一級作品を日本の映画ファンに提供していく新プロジェクト」(以上、映画.comの7/22記事から引用)だそうで、本作のあとは、12月にインドの『チェイス!』、翌年には同じくインドの『Bhaag Milkha Bhaag(原題のまま)』を公開する予定だとか。


こういうレーベルができるって、アジア映画ファンにとって、ものすごく嬉しいことですよ!


最近、日活はインド映画をばんばん配給してくれてたし、東宝東和はブルース・リー映画時代からジャッキーのゴールデンハーベスト作品全般を配給してきた、アジア映画ファンにとっては頼もしい会社。


その二社が、儲かる仕事として「アジア映画」というジャンルで特別なレーベルを立ち上げるってのは我々にとってグッドニュースではありませんか!!


で、その第二作目以降にインド映画を選んだことも必然といえるかも。

だって、香港映画はもはや日本で全国ロードショーしてペイできる作品を質・量ともに作っていない。配給の狙い目は、中国映画あるいは中国・香港合作の大作映画(SFや歴史大作)になると予想されます。

けれど、インド映画は日本未公開の大作のストックが膨大な量だし、毎年毎年1000本規模の映画を作っていて、南アジア、東南アジア市場で話題になる作品が必ず出てくるはずだから。


気になるGOLDEN ASIAレーベルの第二作は、アーミル・カーン主演のインド映画『チェイス!』。


アーミル・カーンは長らく日本では無名だったけれど、インドのみならず南アジアでは三大カーン(アーミル、シャールク、サルマーンの三人)の筆頭と言われる超人気スター。

しかもアーミルについては、日活が昨年三大カーン主演作を立て続けに配給した「ボリウッド4 ザッツ・エンターテインドメント」でも、『きっと、うまくいく』で一番の興行収入を稼いでくれた、いわば注目株。



公開46日目に配給興収が1億円を超えた「きっと、うまくいく」


この『チェイス!』も当然、期待していいはずなんだよね。




『チェイス! (原題:DHOOM: 3)』のメインビジュアル


さて、続くGOLDEN ASIAレーベルの第三作の『Bhaag Milkha Bhaag』は、英語タイトルは「Run Milkha Run」。ラン・ローラ・ランみたいなタイトルですが、インドの実在のアスリート(中距離ランナー)であるミルカ・シンを描いた実話にもとづく伝記映画だそうです。

こちらもインドでの興行収入はもちろん、すでにアメリカでも公開され、最も米国でヒットしたボリウッド映画になるなど、話題作です。




「ラン・ミルカ・ラン」の主演はファラハーン·アクタル



GOLDEN ASIAは表紙一枚だけのホームページ ができていて、まだ現時点での情報は三作品のことしか書いてないのですが、これから配給する作品はここに告知されると思うのでアジア映画ファンは要注目ですよ。


『私の男』記事、連投です。


はじめに以下のチラシ(ポスター)。



映画や小説の面白みを左右するのはプロットの着眼点ですよね。とくにサスペンスやミステリーではプロットが全てで、いくら心理描写が上手くても、話の運びがヘタだったり、先がよめていたら駄作と言って良いと思う。


とはいえ、この映画&小説「私の男」のように、完全なミステリーではなく、最初から犯人がわかってしまっている作品では何が重要か?


それは物語の舞台だと思うのです。


で、あらためて上記の画像の流氷に着目。


「流氷での殺人事件が、すべてのはじまりだった―」


流氷は日本では北海道のオホーツク沿岸にしか来ない自然現象で、世界的にもそうそう見られるものではない。


オホーツクの流氷の場合、サハリンのアムール川から淡水が海水に流れ込み、塩分濃度が低い状態で凍って、そしてはるばる北海道のオホーツク沿岸までやってくる。


ここで殺人事件が起こるという設定だけでもドラマチックなのだが、「私の男」の主人公である少女・花は、北海道南西沖地震(1993年7月12日 夜10時頃発生に発生した現実の災害)によって引き起こされた津波に襲われた被災家族の、たった一人の生き残りであり、まさに北の海の申し子のような存在として描かれている。


だからこそ、流氷での殺人シーンは緊迫感がある。

映画版も小説版も。


映画版予告編を見ると、少女・花が流氷で「何か」を起こすことが示唆されている。
















実はこのシーン、小説版とは若干シチュエーションが異なる。映画版が映像の劇的効果を狙って翻案したクライマックスシーンだ。


流氷の中に飛び込む少女・花というシーンは小説版にはないが、海の申し子である花にとって、私の男つまり自分の大切な人との生活を守ることが、生死をかけた闘争に値するくらいのものであることが、映画的効果をともなって観客にずしんと感じられるシーンになっている。


原作の段階で、劇的効果をともなう流氷でのシーンだが、映画にもこういう新しい解釈でより劇的・映画的な表現を加えている点でも、本作はやはり並外れた映画だと思う。


物語のなかで流氷殺人が起こるのは2000年ということになっている。

その頃は実際に紋別の流氷は人が乗れる(歩ける)くらい分厚かった。

しかし、2010年代の今は薄っぺらい薄氷が接岸しているに過ぎない。


その数年前には拓銀の破綻があって、道内経済は信じられないほどに落ち込み、北海道の地方はみるみる廃れていく。

舞台となる紋別市もその例にもれない。

小説版ではさらに、現実には1989年に国鉄民営化二年後に廃駅となった紋別駅について触れ、数年前に廃止されたと語り手に言及させることで、地方経済の衰退ぶりが強調されている。


北海道南西沖地震1993年(花・9歳)→拓銀破綻1997年(花・13歳)→流氷殺人2000年(花・16歳)


時間軸としても、本作は絶妙の舞台設定を選んでいるのだ。



かつて実際の事件に材を得て、かつ北海道という舞台ならではの名作となった小説・映画には、水上勉の『飢餓海峡』(小説1963年、映画1965年)がある。



現実に同日に起こった事故・事件であるが、両者の間には直接の因果関係がない二つの出来事―1954年9月26日の青函連絡船転覆事故(洞爺丸事故)と北海道岩内町の大火事(岩内大火)―を結びつけた巧みなプロットを構成し、戦後間もない時期に時間軸を変更することで、日本人の中にあった飢餓の念を物語の通奏低音とした鬼気迫る作品であった。


本作はそれに次ぐくらいの、北海道という舞台を最大に活かしたロケ作品になった。


もともと流氷は近年、薄氷化が進んでいることで流氷上での撮影が危険極まりないことや、そして物語そのものが近親相姦というタブーに触れていることなどから上映が難しいのではないかとかで、本作の映像化は困難と言われてきた。


真冬の流氷での撮影は俳優の身の安全を守れないこともあって、確かに流氷のシーンでは特撮が使われていて、観ればそれとわかる現実離れした質感と色味をフィルムに及ぼしている。


とはいえ、それゆえにこの流氷シーンが、いっそう現実離れした劇的な事件に見え、さらに主人公の吹雪のように激しい心理をよく表す結果となった。

二階堂ふみに激情的な演技をさせたことで、より一層その効果が増していることも特筆しておきたい。


映画的表現という点では、小説との変更点のなかで、効果があがったと思われるのはいくつかの台詞の言い換えである。


主人公・花と義父・淳吾の関係を示す以下の台詞。


小説版の淳吾:「俺の、娘だ。もう俺のもんだぞ」


映画版の淳吾:「いまから俺は、おまえのもんだ。」


微妙に意志が異なってしまうのだが、これは主人公としての花に、主導権を持たせた物語とするために言い換えたのだろう。


映画版の予告編にも花による独白「ぜんぶ、私のもんだ」という言葉が強調されている。


小説版では、物語の語り手は、章ごとに異なる。

さらに、過去から現在に時間軸が進む映画と違い、小説では現在から過去に遡る構成になっている。


小説では、章ごとに語り手がかわる。そして時間もすこしずつ遡っていく。

花、花の婚約者となる美郎、淳吾、ふたたび花、淳吾の元恋人・小町、みたび花。


これだけの心理描写ができるので、まだ状況がつかめぬ子どものうちに、淳吾の意志で養子にされた受身的状況にありながら、全ての段階において花が主導権を持った物語であることがわかるけれど、映画は最小限の台詞でそれを表現しなければならないので、淳吾の意志のなかにも花を主体としていく意志があるような台詞にしたのだろう。

なぜ、花はこのような状況になることを望んだのか? という読者の疑問に、子ども帰りしながら答える小説に対し、映画は正方向の時間軸のなかで、花の意志と主導権がどんどん大人になるにしたがって強まる方向に進むことで説得力を持たせている。


映画と小説ではこのようにそれぞれの媒体が持つ限界を最大限に活かした台詞一言ひとことまでが緻密に練られた作品になっていると思えるのだ。


それにしても、原作を読んでみると、淳吾役は浅野忠信しかあり得ない、ということに気づく。


熊切監督はあるインタビューで、映画の構想に入る前、原作を読みながら、淳吾を浅野忠信に置き換えて読み進めた、と言っていた。


小説のこんな記述を読みながら、まさに浅野忠信のイメージしか考えられなかった。


<花の独白>

その流れるような動きは、傘盗人なのに落ちぶれ貴族のようにどこか優雅だった。

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私の男は、やっぱり、だらしなくてもうつくしかった。



――こういう雰囲気が出せる男優、ほかにいただろうか?



モスクワ国際映画祭で最優秀作品賞(グランプリ)を受賞した『私の男』。

主演の一人、浅野忠信は同映画祭で最優秀男優賞を受賞。


数日前に映画を観てきて、衝撃に打ちのめされ、小説版もいっきに読み切ってしまった。


それほどのショックを受けてしまった。

間違いなく今年度日本映画の最大の収穫だろう。





本ブログはアジア映画のレビューを中心にしているから、いつもは日本映画を観ても記事にすることは少ないのですが、この映画だけは、何かを書き残しておきたい、と強く感じさせる作品だった。

といったって、香港映画ほどには日本映画の知識があるわけではない私に、大した内容の記事が書けるはずもないのですが、まぁちょっとだけお付き合いくださいませ。


本作、モスクワ映画祭でグランプリにならなくても、いろんな人に観たい!と思わせる要素がそもそも満載だった。


一つは原作。


原作者の桜庭一樹(女性です)は本作で2008年に直木賞を受賞。


私は読書経験的に芥川賞受賞作はあまり信頼してないのですが、直木賞には気に入る作品が多いので、数年に一度は読むようにしています。

最近は本屋大賞のほうが面白いけれど、それでも直木賞は今でも毎期、気に掛かってはいる。


本作もその一つとして気にはなっていたけれど、きっかけがなくて今まで放置していた。

映画になるなら、ちょっと待って劇場に行って楽しもうと思っていた。

たぶん、そういう人は多かったはずだろう。


二つ目はキャスト。


ハリウッドや海外映画にも積極的に出演し、既に日本映画界にとっても大御所の位置づけにある浅野忠信の主演というのは、もちろん魅力だろうが、もう一方の主演である二階堂ふみのこのところの株の急騰ぶりはすごいものがある。


ここ一年で、ぐんと知名度が増した二階堂ふみ。

坂元裕二脚本のテレビドラマ「Woman」や、園子温監督の映画『地獄でなぜ悪い』のすごみのある存在感に、一発でやられてしまった人も多かったと思う。




三人の女優の演技バトルが印象に残った「Woman」



園子温流ハイテンション&血まみれ映画をなんなくこなした二階堂ふみ


そして、彼女の作品をいくつか観てきて、彼女の演技に潜む狂気と、思わず引き込まれる表現力のとりこになっている人もいるはず。

彼女の演技が直木賞受賞の話題性のあるストーリーを得て、本作でまた爆発する、と予感した観客は多かったと思うのだ。


三つ目は監督。


熊切和嘉監督も、まさに満を持して本作に取り組んだというタイミングでこの作品を得た感じだ。


熊切監督の前作は瀬戸内寂聴原作の『夏の終り』。




こちらも最近の演技巧者・満島ひかりを主演に迎えての話題作。



綾野剛、満島ひかり、小林薫という顔ぶれだけでも観たくなる「夏の終わり」


瀬戸内寂聴を一般的女流文学と言えるかどうかはさておき、モラルに反する恋愛をこの前作でも熊切監督は描いていた。


「私の男」はモラルどころかタブーに挑む作品。「夏の終わり」の次回作としては最適だった。


そしてなんと言っても最近の映画ファンの心に残った熊切作品と言えば、2010年の『海炭市叙景』だ。

函館市を模した架空の都市「海炭市」を、函館ロケにて撮り、もの悲しく救いのない世界として映し出していた。



函館を魅力的観光地ではなくもの悲しい寒村として描いた


竹原ピストルの演技というより存在感が心にのこった。

オムニバスに近いストーリーなので、彼が主役というわけでもないのだが、寂しげな笑顔が作品の印象そのものといった感じであった。



あえて有名俳優でなく竹原ピストルを使って木訥さをだした感もある

「私の男」も同じ北海道が舞台。熊切監督は北海道出身でもある。

流氷が接岸する紋別市を熊切監督がどう切り取って映画にするのか、興味をもって観に行った映画ファンもいることだろう。


――ということで、

モスクワ映画祭の受賞がなくても観にいったであろう本作「私の男」。


やっぱりスゴイ映画でした。あとから読んだ原作も凄かった。

何がスゴイのか? いままだ原作読んだばかりで興奮冷めやらぬので、ちょっと頭を冷やしてからまたいつか記事にしまっす。



インド映画というより、一つの女性映画、人間の成長映画、自分の尊厳を取り戻す映画、家族との関係を見つめ直す映画と思って観て欲しい、今年最も注目される新しいタイプのインド映画。


チラシに書かれた映画のサブタイトル的コピーは、


「初めてのニューヨーク 人生の輝きを取り戻す旅」


はい、その通り。下のチラシの上の方の画像は、主人公であるごく普通の主婦が、ニューヨークの英語学校でクラスメイトの仲間たち(国籍も年齢も様々)と語らうワンシーン。


このシーンのショットが、人生の輝きを取り戻すというところをうまく表現していると個人的には思います。





チラシの他のコピーには、「世界の幸せはちょっとのスパイスでできている」

うーん、これはどうかな。

インド映画のコピーとして、うまいようでいて、あんまり映画とは関係ないかも。


ざっとストーリーをおさらい。

(以下、シネマトゥディのストーリー欄から抜粋)


ビジネスマンの夫、2人の子供のために日々家事をこなす専業主婦シャシ(シュリーデヴィ)は、家族の中で唯一英語ができないことが悩みだった。ある日親戚の結婚式の手伝いを頼まれ単身渡米するも、英語が話せないためつらい思いをする。そんな時「4週間で英語が話せる」という英会話学校の広告を見つけた彼女は、身内に黙って学校に通い始めるが……。


はい。ニューヨークの英語学校に通っていたのはこういう背景があったわけです。


インドでは準公用語でもある英語は、一般的に出来る人が多いと思われていて、それは事実。

だけれど、それは都市部で教育をつつがなく受けた人や商売をしていて英語が必要な人の話。


この映画では階級的なことは一切描かれないのだけれど、ごく普通の主婦では苦手とする方も多いんですよ。


主人公の主婦シャシは、それだけだったらいいのですが、自分のほか家族全員が英語を話す環境のなかで、一人家族から馬鹿にされ、あたかも家事しか才能がないみたいな言われ方をされてしまう(ヒドイ!)。


英語を話すことで、家族を見返そうと考えたのではなく、一人置いて行かれないよう、英語を習得しようとしたと言った方がいいかもしれない。


これって、英語の問題だけではなく、家庭の主婦だったら、世界共通で悩むことなんですよね。

夫も、子どもも会社や学校という家とは別の社会を持っているけれど、家庭のお母さん・主婦・妻にはそれがない。

それでも家族のために一生懸命尽くしているのに、家族の誰からも感謝されない。。。うー切ない。


だから、この映画が全世界で感動を呼んだというわけです。


主役のシャシを演じるは、かつて70年代から90年代にかけて活躍した大女優シュリデヴィ。


調べてみたら、1960年生まれ(英語版wikiほかでは1963年という記述もあり)ですよ。本作は2012年作品なので、撮影は2011年頃(2011年11月クランクアップ)と考えると、50歳前後のお姿がカメラに納められているわけ。

若い!




1970-1990年代のボリウッドでナンバーワン人気だったんだそうな。


あいにく、私・龍虎は往年(70-90年代)の彼女の映画を見ていないのですが、その頃の勇姿をネット検索してみました。


映画『Janbaaz』(1986)のシュリデヴィがこちら



変わってないので驚いた!


『アジアのハリウッド』(山下博司・岡光信子)という本によれば、シュリデヴィは南インドのタミル・ナードゥ出身。

つまり、いわゆるタミル語映画圏のご出身で子役から活躍している人なんだけれど、ヒンディー映画(ボリウッド映画)に進出する以前に整形手術をして均整の取れた顔立ちに直したとか。


どこを直したかはわかりませんが、タミルの顔立ちはお鼻がそれほど高くないので、そのあたりかな?



さてこの本では、彼女がタミル出身だということで、彼女の夫である俳優で映画プロデューサーのボニー・カプールが制作する映画はタミル語映画のリメイクが多いのではないか、という興味深い推測をたてていたよ。


ちなみに、このボニー・カプールの弟は、あのスラムドッグ$ミリオネアで司会者役をやっていたアニル・カプール(こちらもプロデューサーもこなす)。



右がアニル・カプールです



アニルとシュリデヴィは上記のJanbaazでも共演していました。

(ちなみに兄のボニーとシュリデヴィが結婚したのは1996年)


アニルの娘も最近女優になったそうで、まさに映画一家。

インドも日本も香港もみんなそうだけど、映画業界は家族全員が映画人というのが珍しくないのですよ。



おっと映画の本筋から話がそれてしまった。


本作は若い女性映画監督だるガウリ・シンデー(1974年生まれ)の脚本・監督作。

本作がなんと長編第一作だそうだが、本作によって2013年1月20日の「フィルムフェア賞」(インドのアカデミー賞とも呼ばれるそうな)で最優秀新人監督賞を受賞。


それも納得の仕上がりです。


この映画にはインド映画の魂とも言うべき歌や踊りのシーンは基本的にありません。

上映時間も134分と、インド映画にしては短め。

シンデー監督は、映画のサントラをそれまでのインド伝統のメインディッシュ的なものではなく、あくまでBGMとしておきたかったそうです。この点もインド映画に慣れた人には新しいし、インド映画に慣れてない人にはマサラ映画的な異質感を感じさせずに済むポイントかな。


最初から南アジア以外の国際マーケットも意識したつくりになっていると思う。

本作の日本語公式サイトによると、シンデー監督の好きな映画監督はウッディ・アレンだそうで、ニューヨークをロケ地に選んだのは、それゆえかも。


映画そのものの素晴らしさはインド映画というジャンルを超えるものなのですが、インド映画ならではの、インド映画俳優の実名が台詞に取り入れられていて、インド俳優の知識がある人はその点でも笑えます。

私はいくつかクスリとしましたよ。


本作は、映画としての出来もいいからなのか、全国で順次上映拡大中。

9月いっぱいまでは全国のどこかでやっているので、いろんな人が本作を見て、そしてインド映画そのものがもっとブームになってほしいな。

だって、今年下半期はインド映画の配給本数がすごく多いのですよ。


このブログも夏以降はインド映画レビューが増えそうです。


2012年の東京国際映画祭(TIFF)に出品されたが、「製作者側の事情により上映を中止」された『浮城』。

ようやく6月21日から日本公開されています。


なんで中止になったのか、をうんぬんするのは難しいのだけれど、2012年は香港の活動家が尖閣諸島に上陸(中国では魚釣島と呼ぶ)。当然、日本の警察に活動家が逮捕・強制送還。そして、日本政府による尖閣の国有化。となると、中国での反日報道加熱―という流れになって、日本との文化交流にまでヒビが入ったというもの。


こういうときこそ、文化交流は続けなきゃダメでしょ! と私は思ったもの。

それに、『浮城』はここ数年ではホントに珍しくなった大陸資本がほとんど入っていない純・香港映画だし、上映して欲しかったなぁ。


なんにせよ遅くはなったけれど、『浮城』公開されましたよ。



画像はTIFFサイトより


巨匠イム・ホー(厳浩)の7年ぶりの作品、と映画チラシには書かれています。

イム・ホー監督はいわゆる<香港新浪潮>=香港ニュー・ウェーブ監督の一人。


香港ニューウェーブは1970年代末から1990年代初頭にかけて、それまでのショウ・ブラザーズなどの大型スタジオシステムから生まれた映画監督ではない、主にテレビ出身の映画監督によって、形成された香港映画の新しい波のこと。アメリカやイギリスで映画技術を学んだ監督も多いので、それまでの香港映画とは撮影スタイルが異なることも特徴の一つ。

そして、北京語映画を撮らなかったことも特筆すべき特徴かな。広東語映画の増加にも貢献しました。


ツイ・ハーク、アン・ホイなどが日本では有名ですが、イム・ホー監督もニュー・ウェーブの初期に『茄喱啡』(1978)という映画を撮っていて、これが香港最初のニュー・ウェーブ映画と言われている(別の説ではレオン・ポーチ監督の『跳灰』(1976)が先駆ともある)ほどのひと。


香港映画の新しい波は、ベトナム戦争を題材にした作品をいくつか生みだし、アン・ホイは『獣たちの暑い夜:ある帰還兵の記録』、『望郷』はベトナム難民の話。

ちなみにニューウェーブのなかでは作風が突出して異なる(SFとかリメイクに関心を持つ)ツイ・ハーク自身もベトナム難民です。


ベトナムに限らず、ニューウェーブ流の抗日映画とも言えるレオン・ポーチ監督『風の輝く朝に』(1984)など戦争映画も多い。

つまり社会派映画が多いんですね。


そして、上に上げた作品のいくつかでチョウ・ユンファが主演をつとめている。

ユンファはニューウェーブの申し子でもあるわけ。


イム・ホーもご多分に漏れずロンドン映画学校出身で、TVBの脚本家・演出家からキャリアをスタートしています。

初期の代表作は『ホームカミング』(1984)、『レッド・ダスト/滾滾紅塵』(1990)


さて、映画『浮城』に話をもどそう。


映画のストーリーは、


1940年代末、イギリス兵の子を身ごもった少女が男児を出産したが育てることができず、子宝に恵まれなかった水上生活者の漁民夫婦に売る。


やがてその子は成長し、育ての両親には感謝しつつも、漁民になるのではなく、勤め人になることを目指す。(このハーフの子が主人公・華泉)


華泉は、カトリック牧師に励まされて働きながら学び、イギリス系企業である東インド会社の入社試験を受け、雑用係として入社することに成功する。



自分の出自に悩み、自分の国籍やアイデンティティに悩みつつも必死の努力で、東インド会社で重役にまでのぼりつめていく華泉。

香港返還をはさむ50年間の主人公の軌跡を追う。


という感じ。


ここでいう漁民は香港を象徴する水上生活者のことで「蛋民(たんみん)」のこと。


蛋民は漢民族なのですが、日本流に言うと被差別民にあたります。

地上に土地を持っていないので、船上で暮らします。ただ、その舟も自分のものではなく、親方と呼ばれる元締めに借金をして借りているので、その関係に縛られています。

このあたりの事情がわからないと映画の中でアーロン・クォック演じる主人公が差別されることの本質が見えてこないと思われます。


主人公は実在の人物二人(梁華安と蘆金泉)を掛け合わせて、一人の人物(華泉)に造形したそうです。


イギリス兵とのハーフという設定なので、アーロンのエキゾチックな容貌が活かされています。


たしかに龍虎も、アーロンを最初に見たとき(たしか『アンディ・ラウの神鳥伝説』で初見)はハーフかと思ったよ。


映画の見所は、差別や偏見にまけず、雑用係として入社した東インド会社で重役にまで出世していくサクセス・ストーリーにある。


けれど、チャーリー・ヤン演じる妻と、アニー・リウ演じる仕事上のパートナーとなる建築会社の女性幹部フィオン(菲安)という、二人の女性との関係を描くところも映画の主軸。


チャーリー・ヤンとアーロン

画像はTIFFサイトより


アニー・リウとアーロン

画像はTIFFサイトより


下流社会出身のアーロン=華泉が出世するにあたって、上流階級出身で華泉にその社会での所作やマナーを伝授していくアニー・リウ=フィオンの存在は不可欠で、フィオンは華泉に好意を持っているけれども。。。


続きはどうぞ映画館で。


私個人は、この映画を観て、東インド会社が香港返還まで力を持っていて、香港社会とどう関わり合ってきたかに関心を持ちました。東インド会社がこんなに長く残っていたなんて知らなかったから、ちゃんと折りを見て歴史を勉強しなおさなきゃ、って思いましたよ。


そして、蛋民の存在のクローズアップ。


もともと香港映画の片隅に常に映り込んでいた水上生活者だけれど、最近はめったに見なくなっていた。

単に都市化の波に押され、水上生活する場所がなくなったんだって思ってたけれど、そう単純でもない。

実際、現在の中国・香港ではかなり減った水上生活者だけれど、なんと五世紀から存在する歴史のある存在で、その昔は科挙の受験資格もなかっという被差別民としても長い歴史を持つ存在。

水上生活は彼らのアインディティに根ざすわけで、単に住む場所がなくなったでは済まされないはずで、いま彼らがどうなってしまったのかはとても気になる。


そして映画のなかで、アーロンとチャーリーは必死で蛋民の方言である「蛋家話」をマスターしたとチラシにあり、私はまったくそれは聞き取れなかったけれど、どんな方言なのかも興味を持ちました。


映画そのものもまぁ面白かったけれど、さらなる香港への興味を駆り立ててくれたという点で、私にとって別の意味で心に残る映画だったので、久しぶりに記事としてアップしておくことにしました。


ジャッキー・チェン最新作『警察故事2013』が2014になっちゃった日本でも今日公開されました。龍虎はさっそく行ってきた!!



題名は原題の2013をそのまま使ってポリスストーリー2013にはしたくはなかったのか、ポリス・ストーリー・レジェンドというたいそうなものになってしまいました。









私もたいして調べて観に行かなかったのですが、観てすぐに気がついたのは、この作品は『ポリス・ストーリー 香港国際警察』のシリーズとは何の関係もない、ってこと。



ポリス・ストーリーの正規のシリーズ作品は以下の通り。


(『邦題(原題/英語題)』[香港公開・日本公開]の順です)




『ポリス・ストーリー 香港国際警察(警察故事/Police Story)』[1985・1985]



『ポリス・ストーリー2/九龍の眼(警察故事 續集/Police Story 2)』[1988・1988]


 *ただし劇場公開時は『九龍の眼/クーロンズ・アイ』の邦題で公開。ビデオ収録時に上記に。


『ポリス・ストーリー3(警察故事3超級警察/Police Story 3 Super Cop )[1992・1992]




『ファイナル・プロジェクト(警察故事4之簡單任務/First Strike)』[1996・1996]


で、ポリス・ストーリーのシリーズでないばかりか、ジャッキーの今までの作品のうち、日本ではヒット作である『ポリス・ストーリー 香港国際警察』とわざと混同されるようにして配給された以下の作品とも関係ありません。




『新ポリス・ストーリー(重案組/Crime Story)』[1993・1993]



『香港国際警察/NEW POLICE STORY(新警察故事/New Police Story)】(2004・2005)




まー、ジャッキーとしては1996年のファイナル・プロジェクトで警察故事シリーズには一段落つけたところだったんだろうね。


日本の配給会社が何を考えたのか「ファイナル」とつけたのがホントになっちゃった感じ。


しかし、プロジェクトAと混同させるような邦題を付けるなど、タチが悪かったですよ東宝東和さん。




さて、シリーズ作品やそれ以外の重案組や新警察故事との違いはなにか、というと、答えは簡単。




舞台が中国ってこと。




で、ポリス・ストーリー3で中国の公安警察官を演じたミシェール・ヨーみたいに、人事交流で中国に渡ったという設定ではありません。もちろんファイナル・プロジェクトで休暇中に世界各国を旅していたノリでもありません。




ジャッキーはこの警察故事2013で、れっきとした中国公安警察官として勤続20年、かつそれ以前には人民解放軍にも所属していたっていう、筋金入りの中国男を演じているんです。




映画自体も全編北京語。


ジャッキー自身が北京語でしゃべっていました。




そんな警察故事2014。ストーリーは日本公開版公式サイト
から引用しちゃいますね。


このリンクをクリックすると予告編になるんだけど、関係ないはずのポリス・ストーリーのテーマ音楽をバックに流しちゃっていますよ、やり過ぎだよ、配給のブロードメディア・スタジオさん。




 ベテラン刑事ジョン(ジャッキー・チェン)は、ひとり娘のミャオ(ジン・ティエン)に会うため、歓楽街の中心にある全面をコンクリートに覆われた巨大なナイトクラブ“ウー・バー”にやってきた。仕事に追われ半年ぶりに娘と顔を合わせたジョンは、娘との慣れない時間を過ごしていたところ、突然背後から何者かに襲撃されてしまう。気がつくと、クラブの出入り口は頑丈に閉鎖され、ジョン親子を含む十数人の客は無数の爆弾が仕掛けられた建物内に閉じ込められていた―。建物を包囲した警察も全く手を出せない中、事件の首謀者であるクラブの経営者ウー(リウ・イエ)は、警察にある取引を求める。この籠城事件の裏には、ウーが長年にわたって綿密に仕組んだ、ジョンの刑事人生の過去にも関わる恐るべき復讐計画が隠されていた…。




簡単にいっちゃうと、シチュエーションはダイ・ハードみたいな感じ。


ある建物に閉じ込められた刑事が娘を含む人質救出のために奮闘するっていう。




今回の映画にはロケーションは一切ありません。


ほぼ、この建物を再現したセットの中で撮影していると思われます。




その意味でも、他の警察故事作品とは一線を画しています。


全編バイオレンス要素が満載でシリアス一色。コメディ色調はなし。この点は重案組に近いかも。




ストーリーについては、あまり語らないでおこうと思うので、全体を観た率直な感想だけ言うと、うーん、なんというか、香港色が薄まったジャッキーは、魅力も薄まってしまうというか。




この映画の製作(出品)会社は、ジャッキーの制作会社である成龍影業有限公司(香港)は例外として、萬達影視(WANDA MEDIA)、星光燦爛影視(STARLIT FILM)、中国電影股份有限公司=北京電影製片廠(China Film)、CCTV 電影頻道(China movie channel)、西安龍年影視文化傳播有限公司(Xi'an Longnian Entertainment)まで中国大陸企業がずらり。




オープニングでの会社サウンドロゴのくだりが、たくさんすぎてびっくりこいた。




ジャッキーの会社は予算をほとんど出していないと思うので、ほぼ大陸官製の映画なんだよね。


というわけで、今回はブログカテゴリーも中国映画に分類してます。




で、映画としてつまらないわけでは決してない!


しかし、配給会社の戦略にのって、まんまと今までの香港テイストを味わえると思って映画館に足を運んだファンも多いと思う(私も今回は迂闊にもそのクチ)ので、がっかりしちゃう人も多いと思う。




これから、観る人は、その点だけは注意かな。




それでは出演陣についても触れておこう。




まずは我らがジャッキー。60歳になった渋みが出ていますよ。


こんなに短髪にしたのは、サンダーアーム以来か?





画像は公式サイトより拝借




それから娘役のジン・ティエン。


この娘は、以前にクォン・サンウ&セシリア・チャン『7日間の恋人』
でもすごい美人の共演者として紹介済み。


そのときは、ジン・チェン(景甜)として表記していました。


しかし、今回は少々ビッチなバカ娘役です。







画像は公式サイトより拝借




そして、オールバックにしたら悪役が板についてますリウ・イエ。若干サイコがまじった犯人を演じてます。





画像は公式サイトより拝借






この他に客演という扱いでユー・ロングァン(出演時間は短いし、客串としてクレジットされていた)も出ていた。この人は地味に新警察故事にも出ていたほか、本家ポリスストーリーのスピンオフ作品であるミシェール・ヨー主演の『プロジェクトS(超級計画)』にも出るなど、ちょっとした常連。


他のジャッキー映画にもちょいちょい出ています。







画像は公式サイトより拝借




これでおわかりと思いますが、ここまで紹介した役者はジャッキーをのぞく全員が大陸中国人。


それ以外にも、グーリー・ナーザー、リュウ・ハイロン、ジョウ・シャオオウなどが公式サイトに紹介されてますが、いずれも大陸の役者です。


しつこいようですが、完全な中国映画で北京語映画なんですよ。




監督はジャッキーの『ラスト・ソルジャー』(2010)も撮ったディン・シェン。やっぱり大陸人。




内容はともかく、香港テイストがないことが残念だったのですが、最後のエンディングロールでジャッキー映画ではお馴染みのNGシーンがあって嬉しかった。


そして、このエンディングの歌を主唱もジャッキー本人。これも嬉しかった。




ジャッキーって京劇学校にいた子ども時代から、自分の歌に自信を持っているんですよ。


たしかにプロの歌手に比べたら歌唱技術とかあれだけど、私もジャッキーの歌は昔っから好き。




とくに日本公開版の『ファースト・ミッション』(1985)で流れていた「TOKYO SATURDAY NIGHT」ね。


子どもの頃になんどもなんども聴いたもんだ。ジャッキーの日本語曲。


なんと作詞作曲は美樹克彦さんという小林幸子の「もしかして」を書いた人。


そうそう、ジャッキーは語学力もすごいと思う。




最後に今回の警察故事2013のエンディング曲と、「TOKYO SATURDAY NIGHT」のyoutubeをはりつけておこう。どなたか知りませんが、貴重な音源と映像をありがとさん。






いよいよ6/7からシネマートさん他で『GF*BF』が上映されます。

私・龍虎のイチオシ台湾映画です。


この映画については、すでに昨年の大阪アジアン映画祭で観ていて、『GF*BF(女朋友、男朋友)』について という記事にアップしています。


で、再び記事にする理由は、つい先頃、女優・歯科医で一青窈さんのお姉さんでもある一青妙さんが、我らがアメブロに台湾映画~GF*BF(女朋友。男朋友)  なる記事をアップしてくれたから。


知っている人も多いと思うけれど、一青妙さんは(一青窈さんも)台湾人のお父さん、日本人のお母さんを持つ日台ハーフ。

お姉さんは11歳まで台湾に暮らしたということもあって、自らのルーツである台湾のことを勉強するために台湾映画を観まくったという、私ら映画マニアも見習うべき存在なんだよね。


で、私が一青妙さんを尊敬するきっかけになった本がこちら。


『新編 台湾映画~社会の変貌を告げる(台湾ニューシネマからの)30年』晃洋書房刊。



   画像はamazonより拝借



編者は、小山 三郎、牧野 格子、山下 未奈、 井上 欣儒さんらですが、一青妙さんは帯にも一文を寄せていて、かつこの本のなかに自ら、「台湾映画と顔家」という論文を書いているのです。

これが、自分のルーツを辿る映画鑑賞個人史になっているというわけ。


これを読んだあとに、ああこの方は私と同じように、映画で歴史を学んでらっしゃる、と親近感がわいたんですよね。


でも、それだけじゃない。

彼女は、この論文のタイトルにある顔家の血を引いているわけですが、この顔家こそ台湾史(映画史だけでなく産業史的にも)を語る上で避けられない重要人物。


顔家を説明するのに一番わかりやすいのがホウ・シャオシェンの映画『悲情城市』。


妹の一青窈さんの方のwikipediaをめくってみると、彼女の父が「九份の金鉱経営で成功し、台湾の5大財閥に数えられた顔一族の長男・顔恵民であった」とあります。

もちろん、お姉さんである妙さんの父も同じわけです。


はい、九份と言えば、映画・悲情城市の舞台ですよね。

当然、顔家もあの映画のモデルの一部になっています。


そんなことからもわかるように、一青妙さんは、父の故郷である九份が舞台になったホウ・シャオシェンの映画から自らのルーツを辿り、それ以外の台湾映画からも自身のルーツの糸口を見つけようとしてきたそうです。


そんな一青妙さんだからこそ書ける文章が、この『新編 台湾映画』に収録されていたわけですよ。

それを読んで、私は一青妙さんのことが俄然気になってしまったわけです。


というわけで、一青妙さんのブログ(こちらと同じアメブロ)も購読していたわけですが、つい先頃、私の好きな映画GF*BFについて書いてくださったわけです。


当然、気になりますよね。

台湾映画を通じて台湾を知ろうとしてきた方が、この映画を観てどう思ったか。


ブログ自体はリンク を張っておいたので、ご興味ある方は読んで下さいな。


ただし、ほぼネタバレしていますので、新鮮な気持ちで映画を観たい方は要注意。

妙さんはこの映画を二度観て、一度目はそう感動しなかったけれど、二度目は「とっても深い良い作品」だと感じたそうです。


おそらく、それには昨今の台湾で話題になった学生らが台湾の立法院を占拠した学生運動「ひまわり学運」と、この映画が一時の舞台とした戒厳令下の台湾の学生運動とがリンクするということもあるんだと思う。

妙さんもそんなようなことを示しています。


「特に3、40代の方にこの作品をおススメしたい」と記した妙さんの記事には、私も同感。


日本の3、40代の学生時代に、台湾の学生たちはどんな青春を送ったのか、民主化への希求とはどんなようなものだったのか、この映画を通じて知って欲しい。


私は台湾で暮らしたことはないけれど、台湾愛はかなり強い。そして、一青妙・一青窈さん姉妹のように自らのルーツがあるわけではないけれど、香港映画や台湾映画で育った(映画マニアを自任しているけれど、その鑑賞歴の9割は中華圏の映画である)私には、自分の一つの根っこが華人が作る映画にあることは認めざるを得ないわけ。


そんなわけで、このたびの一青妙さんのブログ記事は興味深く読みました。

人のブログを紹介するというのは、本ブログの趣旨ではないのですが、なんとなく感慨深かったのでつい書き込んでしまいました。


ともかく6/7からシネマートで始まる『GF*BF』はこれから遅れて地方でも公開されていきますが、オススメなんですよ。私だけでなく一青妙さんもすすめているということを知っていただきたかった。


私も地方公開を待って、もう一度観るぞ~!