インド・フランス・ドイツ合作映画『めぐり逢わせのお弁当』を見てきた。


合作だけど、監督・脚本のリテーシュ・バトラはボンベイ生まれの新鋭のボリウッド映画人。


俳優陣は基本ボリウッドスターで言語もヒンディー語の映画です。


インド映画にとってはヨーロッパは本来は市場ではないにもかかわらず、フランス、ドイツ、スイス、イタリア、オランダで異例の大ヒットをした作品だそうだ。

公式サイトによると、この五カ国で4億7千460万ルピーを稼いだらしい。ざっと8億円以上。単館上映では絶対に行かない数字だ。





この映画、合作になっているということもあるけれど、本作はまったくインド映画っぽくない。

一にダンスがないし、二に歌がない。


たんたんとしたフランス映画のような雰囲気なのだ。だからヨーロッパで受け入れられたのかもしれない。


でもインドでしか実現しない話でもある。

なぜなら、題材になったお弁当の集配システム「ダッバーワーラー」が生むめぐり逢わせの話だから。


ではダッバーワーラーとはなにか?


公式サイトによると、「弁当配達人」を意味するヒンディー語で、家庭の台所から"できたての"お弁当を集荷してオフィスに届けるという仕組みで、ムンバイに実在するお弁当配達サービスに携わる人々のことを指すのだそうな。


そんで、劇中の台詞にも出てくるのだけれど、ハーバード大学の偉い先生がこの集配システムの研究をまとめたところによると、「5千人のダッバーワーラーが1日20万個のお弁当を手に往復しているが、誤配送の確率はたったの【600万分の1】」なんだって。








これがダッバーワーラーの弁当集配風景

(写真は公式サイトより。松岡環さん撮影のもの)


私もムンバイに数日滞在したことあるけれど、たしかにこんな風景を見たような。

そんときは何なのか、よくわからんかったけれど。


でストーリーは単純。


子どもが一人いる倦怠期の夫婦。奥様のイラは、お弁当に愛情を込めて旦那の愛を取り戻そうと奮闘を始める。いつもどおりにダッバーワーラーに旦那の会社へのお弁当の配達を頼むのだが、戻ってきたお弁当箱がまるで“舐めた”みたいに綺麗に平らげられているのを見て、喜ぶ。





ところが、旦那に今日のお弁当の感想を聞くと、「カリフラワーが良かった」などと、献立にないおかずの感想を言ってくる有様。

まさか誤配送?

はい、劇中では、独身男のための弁当屋さんから配達されているはずの男やもめのところに、イラのお弁当が届いていたんですな。





前述のようにハーバード大学の研究者もお墨付きを与えるくらいの集配システムだから、イラは、誤配がおこっているかどうかも半信半疑。

そこで、お弁当箱のなかにそっと手紙を忍ばせて様子を探ってみるという行動に出る。


と、こんな感じで、間違って届いていた先の男やもめのサージャンとの間にお弁当箱を通した文通が始まるってわけ。


こんな仕組み、インドのムンバイが舞台でなかったら、確かにあり得ないよね。

だって、インターネットEメールのご配送からロマンスが生まれても、ドラマチックじゃないもの。出会い系の新手のやり口みたいで疑っちゃうだろうし。


なにはともあれ、間違っているということは理解しつつも、手紙のやりとりが面白くて、イラはそのままダッバーワーラーを使い続ける。

イラとサージャンの距離は、手紙だけの関係ながら、徐々に進展し始め。。。


感想です。

ムンバイの通勤電車の風景の名物ともいえる、ドアなし列車に半身乗り出して電車に乗っているシーンが出て、私もこんな状態のところに乗ったことがある(怖かった)から、ちょっと懐かしかった。



朝の通勤列車シーン(ドアがなく、混んでいるから皆身をのり出して乗っている)


お弁当って、日本人みたいに冷えたご飯を食べる民族はむしろ少なくて、それでインドではほっかほっかの料理を昼の時間帯に届けるという、ダッバーワーラーみたいなビジネスが出てきたわけですよね。

さすがに普通の都市では成立できないビジネスだけれど、ムンバイみたいな超大都市なら成立するという。そういったメガシティだからこその物語とも言えるので、やっぱインド映画なんだなぁ、とそこでは納得する。

でも、雰囲気はインド映画ではない。インド映画の伝統をことごとく無視して、歌なし踊りなし、そして上映時間は105分(短い!)。


だから鑑賞後の感想も、辛いカレーをたらふく食べて汗びっちょりになっちゃったようなインド映画を見終わったときの心地よい疲れではなく、ヨーロッパの都会派作品を見たような感じ。


エンティングもクライマックスというほどのこともなく、インド映画的大団円とは無縁でくどくどとしてなくて、あくまであっさりしているんです。


なんというか、ほんとにインド映画っぽくない。でも、新しいインド映画の誕生を予感させもする。


ヒロインのイラを演じたニムラト・カウルは地味顔で、ボリウッド女優特有の絢爛豪華さはない。けれどもそこがまた、フランス映画のアンニュイ女優のようで、魅力でもある。

相手役の熟年の渋みを出したイルファーン・カーンは、ライフ・オブ・パイでも主演だし、スラムドッグ・ミリオネアにもでていた人なので、ボリウッドだけでなく海外資本映画でも名が通っている人。でも、ボリウッド映画では悪役賞をとったりしているから主役男優ではないのだろうね。でも、だからこそ男やもめの悲哀がでていた。


インド映画の新しい流れとして定着するかどうかは、本作だけではわからないけれど、私がいままで見たインド映画のなかではほんとに例外中の例外として、しみじみ感の残る映画。


インド特有のスパイスを求めてこの映画を観たら、ものたりないけれど、違ったインドも味わいたいなら、絶対にみ観るべき作品なんでしょうね~。