2012年の東京国際映画祭(TIFF)に出品されたが、「製作者側の事情により上映を中止」された『浮城』。

ようやく6月21日から日本公開されています。


なんで中止になったのか、をうんぬんするのは難しいのだけれど、2012年は香港の活動家が尖閣諸島に上陸(中国では魚釣島と呼ぶ)。当然、日本の警察に活動家が逮捕・強制送還。そして、日本政府による尖閣の国有化。となると、中国での反日報道加熱―という流れになって、日本との文化交流にまでヒビが入ったというもの。


こういうときこそ、文化交流は続けなきゃダメでしょ! と私は思ったもの。

それに、『浮城』はここ数年ではホントに珍しくなった大陸資本がほとんど入っていない純・香港映画だし、上映して欲しかったなぁ。


なんにせよ遅くはなったけれど、『浮城』公開されましたよ。



画像はTIFFサイトより


巨匠イム・ホー(厳浩)の7年ぶりの作品、と映画チラシには書かれています。

イム・ホー監督はいわゆる<香港新浪潮>=香港ニュー・ウェーブ監督の一人。


香港ニューウェーブは1970年代末から1990年代初頭にかけて、それまでのショウ・ブラザーズなどの大型スタジオシステムから生まれた映画監督ではない、主にテレビ出身の映画監督によって、形成された香港映画の新しい波のこと。アメリカやイギリスで映画技術を学んだ監督も多いので、それまでの香港映画とは撮影スタイルが異なることも特徴の一つ。

そして、北京語映画を撮らなかったことも特筆すべき特徴かな。広東語映画の増加にも貢献しました。


ツイ・ハーク、アン・ホイなどが日本では有名ですが、イム・ホー監督もニュー・ウェーブの初期に『茄喱啡』(1978)という映画を撮っていて、これが香港最初のニュー・ウェーブ映画と言われている(別の説ではレオン・ポーチ監督の『跳灰』(1976)が先駆ともある)ほどのひと。


香港映画の新しい波は、ベトナム戦争を題材にした作品をいくつか生みだし、アン・ホイは『獣たちの暑い夜:ある帰還兵の記録』、『望郷』はベトナム難民の話。

ちなみにニューウェーブのなかでは作風が突出して異なる(SFとかリメイクに関心を持つ)ツイ・ハーク自身もベトナム難民です。


ベトナムに限らず、ニューウェーブ流の抗日映画とも言えるレオン・ポーチ監督『風の輝く朝に』(1984)など戦争映画も多い。

つまり社会派映画が多いんですね。


そして、上に上げた作品のいくつかでチョウ・ユンファが主演をつとめている。

ユンファはニューウェーブの申し子でもあるわけ。


イム・ホーもご多分に漏れずロンドン映画学校出身で、TVBの脚本家・演出家からキャリアをスタートしています。

初期の代表作は『ホームカミング』(1984)、『レッド・ダスト/滾滾紅塵』(1990)


さて、映画『浮城』に話をもどそう。


映画のストーリーは、


1940年代末、イギリス兵の子を身ごもった少女が男児を出産したが育てることができず、子宝に恵まれなかった水上生活者の漁民夫婦に売る。


やがてその子は成長し、育ての両親には感謝しつつも、漁民になるのではなく、勤め人になることを目指す。(このハーフの子が主人公・華泉)


華泉は、カトリック牧師に励まされて働きながら学び、イギリス系企業である東インド会社の入社試験を受け、雑用係として入社することに成功する。



自分の出自に悩み、自分の国籍やアイデンティティに悩みつつも必死の努力で、東インド会社で重役にまでのぼりつめていく華泉。

香港返還をはさむ50年間の主人公の軌跡を追う。


という感じ。


ここでいう漁民は香港を象徴する水上生活者のことで「蛋民(たんみん)」のこと。


蛋民は漢民族なのですが、日本流に言うと被差別民にあたります。

地上に土地を持っていないので、船上で暮らします。ただ、その舟も自分のものではなく、親方と呼ばれる元締めに借金をして借りているので、その関係に縛られています。

このあたりの事情がわからないと映画の中でアーロン・クォック演じる主人公が差別されることの本質が見えてこないと思われます。


主人公は実在の人物二人(梁華安と蘆金泉)を掛け合わせて、一人の人物(華泉)に造形したそうです。


イギリス兵とのハーフという設定なので、アーロンのエキゾチックな容貌が活かされています。


たしかに龍虎も、アーロンを最初に見たとき(たしか『アンディ・ラウの神鳥伝説』で初見)はハーフかと思ったよ。


映画の見所は、差別や偏見にまけず、雑用係として入社した東インド会社で重役にまで出世していくサクセス・ストーリーにある。


けれど、チャーリー・ヤン演じる妻と、アニー・リウ演じる仕事上のパートナーとなる建築会社の女性幹部フィオン(菲安)という、二人の女性との関係を描くところも映画の主軸。


チャーリー・ヤンとアーロン

画像はTIFFサイトより


アニー・リウとアーロン

画像はTIFFサイトより


下流社会出身のアーロン=華泉が出世するにあたって、上流階級出身で華泉にその社会での所作やマナーを伝授していくアニー・リウ=フィオンの存在は不可欠で、フィオンは華泉に好意を持っているけれども。。。


続きはどうぞ映画館で。


私個人は、この映画を観て、東インド会社が香港返還まで力を持っていて、香港社会とどう関わり合ってきたかに関心を持ちました。東インド会社がこんなに長く残っていたなんて知らなかったから、ちゃんと折りを見て歴史を勉強しなおさなきゃ、って思いましたよ。


そして、蛋民の存在のクローズアップ。


もともと香港映画の片隅に常に映り込んでいた水上生活者だけれど、最近はめったに見なくなっていた。

単に都市化の波に押され、水上生活する場所がなくなったんだって思ってたけれど、そう単純でもない。

実際、現在の中国・香港ではかなり減った水上生活者だけれど、なんと五世紀から存在する歴史のある存在で、その昔は科挙の受験資格もなかっという被差別民としても長い歴史を持つ存在。

水上生活は彼らのアインディティに根ざすわけで、単に住む場所がなくなったでは済まされないはずで、いま彼らがどうなってしまったのかはとても気になる。


そして映画のなかで、アーロンとチャーリーは必死で蛋民の方言である「蛋家話」をマスターしたとチラシにあり、私はまったくそれは聞き取れなかったけれど、どんな方言なのかも興味を持ちました。


映画そのものもまぁ面白かったけれど、さらなる香港への興味を駆り立ててくれたという点で、私にとって別の意味で心に残る映画だったので、久しぶりに記事としてアップしておくことにしました。