10月25日を最後に3か月を越すブログの空白を作ってしまった。


定年退職を結節点に、より現場へ、より現実へ、そして真実へと社会派行政書士たらんと開業してから3年を経過し、自己の人生における2013年の意味づけと、位置づけに、今一つ締りを与えられなっかたが故か、また、総選挙・都知事選の結果に表れた政治情勢の後戻り現象の前にブログに着手できないでいた。


ブログを綴ると、2時間の時間を要してしまう。また、外出先で綴ることが困難なこともあって、頭を過ること、備忘録的メモとしてとtwitterを多用した。


https://twitter.com/alucky491112


10月7日に消費生活アドバイザー第1次試験を母校明治大学和泉校舎で受け、第1次合格通知書が届いたのが11月8日だったと記憶している。それまで第2次試験となる論文対策、面接対策に具体的に取り組むこともなかった。


11月24日に赤坂ツインタワーカンファレンスセンターで、午前に2つの論文、夕方あたりに面接を受けるまで残された約2週間は、被後見人の母親の49日に埋葬の手続きに寺に同伴したり、入院間近なご婦人の遺言書作成等の相談にご自宅に出向いて応じたりといった案件や被後見人の施設訪問と青山学院大学相模原校舎での行政書士試験の監督員、コスモス成年後見電話相談員、地元区役所での無料相談員の業務が重なり、その上家族信託や薬事法の行政書士会研修も加わった。


また、日弁連の生活保護シンポジウム、国際交流基金の創立40周年記念シンポジウム、元東京入管局長による移民問題の講演会にも足を運んだ。



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試験に集中する時間が取れたのは試験日前3日間であった。その時に論文試験用の文章を書き殴った。


とりわけ、消費者市民社会が実現されることの重要性と、消費者市民社会の実現に向けて消費生活アドバイザーが果たすべき役割について持論の整理に当て、地球環境とエネルギー問題への洞察を深めることにした。


論文試験は、想定した問題とは違ったが、消費者市民社会における消費生活アドバイザーの果たすべき役割を念頭に置いて、問題の問いに応じながら、自己の考え方を展開したのだった。


面接には、自身の考えるところを素直に表白した。面接の内容についてはシークレットにし、面接を待機しているときに別室からアンジャッシュの渡部くんの相棒児島くんが出てきた。


アンジャッシュの児島くんは、最近バラエティにも単独で出演するなど、TVの露出度が高まっているが

園子温監督作品「恋の罪」でオンナ刑事役の水野美紀の浮気の相手役を演じたことが思い出された。


この日から合格発表まで2か月余りが経過した。


この間に、2013年1月15日の森まさこ内閣府特命担当大臣が出席された第110回消費者委員会を傍聴した程度で、消費者問題に直接に関わる機会はなかった。



民主党政権は、その性格からして消費者問題にもっともっと力を入れて取り上げなければならないのに

軽視した感は否めない。


鳩山内閣の時に、福島社民党党首が担当し、新しい風が吹いたように見えたが、市民運動出という菅内閣の時には、担当した大臣の名前も思い出されない。


山岡某なる大臣の時は最悪で、消費者行政を落とし込める役割を果たした。


その際、参院の委員会で舌鋒鋭く、山岡某大臣を糾弾されたのが現森大臣であった。


森大臣は、消費者行政のパラダイム転換を果たすべく、消費者庁、消費者委員会、国民生活センター等の位置づけに奮闘されたと聞く。また、弁護士時代も消費者問題への造詣が深く、米国留学でも研究され消費者問題のプロともいえる存在だ・


是非とも、野田聖子自民党総務会長ともども消費者市民社会実現に邁進していただきたいと思う次第だ。



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余談だが、第110回消費者委員会は森大臣との懇談に加え、消費者庁から特定商取引についての説明

がなされたのだが、担当官は神宮司審議官であった。


その後、神宮司審議官が、配偶者ともどもマンションからの投身自殺の報道が伝わり、驚愕したものだ。


まったく無関係な位置関係であった者同士であっても、人生が交錯することによって近しく思い、当事者意識が高まる。


人と人の出会いのミステリアスは、次々と縁の広がりがもたらされることだ。


定年退職を経て3年の月日が経過した。当然企業時代の人脈とは画され、日々新しい人々との出会いが生じる。


新しい人々との出会いが、また新しい自己のポジションを提供する。


主体的市民として社会派行政書士たらんとし、多文化共生・多世代交流による「居場所:と「出番」を提供する地域コミュニティづくりの一翼を担うための3年に亘る活動にも、決して十分ではないもの着実に厚みが加わってきたと自己評価しているところだ。


今回の、消費生活アドバイザー試験の合格により、新たなネットワークに参画することで、さらに厚みを加えていきたいと思う。


前期高齢者の分類に入れられるには、2年を切った。


体力、気力が保てるうちに、もうひと頑張りできればと願いつつ、進んで行きたいと思う。









蒲田には住んだこともなく、当然生を受けた場所でもない。

されど、とてつもなく近しいものを感じている。

大学4年のときに、教育研修の実施校となった中学校が東蒲田であった
こともそうだが、

それ以前に学生運動を高揚させた「羽田闘争」などは蒲田駅を起点として
つながっていたように記憶している。

70年安保闘争に絡んで、ノンセクトであった同級生数人が蒲田駅から乗り込み
京急羽田線のいずこかの駅で他のセクトの学生たちと共に一網打尽に逮捕された
ことが懐かしさを伴って思い出すのだ。

これらも蒲田での出来事として残像する。

飛行機が飛び交う街である蒲田。

羽田のハブ空港化を契機に国際都市を目指す太田区の中核地区蒲田に
あっては商店街に活気を与え、外国人が絶えず降り立つ街たらんと望むのは
解らないでもない。

しかし、私の中には庶民の殿堂・蒲田であり、中小企業発信の地蒲田であり、
反権力の拠点・蒲田として映っている。

京急蒲田駅からJR蒲田駅までの商店街を沿いながらの景観は、
決して、高級感が漂う訳ではないし、下駄履きで行く店ばかりである。

毎日曜の夕方に、多文化共生劇団「セロウアチパ」の稽古場として利用している
蒲田教会への駅からの道のりでも多文化共生の匂いと共に、GDP世界第3位
である日本経済の陰画といえる、とてつもなく不穏な趣さえ伺えるのだ。

詩人・吉増剛造の「下北沢不吉・・・」のフレーズを借りるならば
「蒲田不吉、蒲田不穏、蒲田不気味・・・」とさえなるのだ。

それは、負の国際都市としての極まりない魅力を潜在させている。
日本の行方を先取りしているのかも知れないのだ。

映画「商店街の人」では、「蒲田を元気にするぞ」と発して、大手商社に
辞表をたたきつけた青年とその恋人が、「蒲田のブランド化を図ろうとする計画」
に参画し、多様なタイプの仲間を得ながら、映画製作を通じて蒲田商店街や
街工場の様々な様子を描き捉えていくストーリ仕立てとなっている。

登場人物は、蒲田の潜む秘められた魅力を拾い上げるというよりは
「ちさな企業未来会議」に参加されている方々のような乗りで、コトを発信される。

何故か、誰しも彼しも、かつての自民党青年部というか、青年会議所的な乗りに
しか見えてこない。

地域課題を映画製作で解決しようと臨んだ手法は興味深い。映画でまちづくり、
すべて市民の協働によってなされたことも、未来へ可能性を広げる。

しかし、上っ面の商店街賞賛に終わっては、化けの皮はすぐに剥がれてしまうだろう。

思えばこの夏、劇団「セロウアチパ」の稽古に向う途中に、出会った神輿の一団は
蒲田商店街に因んだ人々だった。文字通り「商店街の人々」であった。


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「商店街な人」であることを、「主体的市民」の観点、「多文化共生型・多世代交流型
地域コミュニティ」づくりの観点から、もう少し考えてみたいと思う。




Twitterは出先の乗物から呟けるので、手軽にできる。一方、ブログは字数の制限が
ない上に、写真使いや傍証する資料の引用などもあって、とても時間がかかる。
1回のブログ平均して2時間ぐらいを要してしまうのだ。時に、これが苦痛になる。

しかし、これほどの時間を空けてしまっていたとは、自分でも驚きだ。

この間の備忘録は Twitterをご覧ください。

https://twitter.com/alucky491112


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連休の狭間の昨日は、母校明大和泉校舎に出向き、その帰りに7周年を迎えた代田橋
にある和泉明店街に立ち寄る。


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7年の月日を顧みながら、田町の一新塾の事務所で、一部の塾生(卒塾生含む)を
対象に、 一新塾1期生で杉並区会議員であったとかしきなおみ氏が、
杉並のはずれのシャッター通り商店街を活性化するために、区の助成金を活用して
沖縄タウン構想なるものをぶち上げたことが甦るのであった。

○とがしきなおみオフシャルサイト http://www.tokashiki.gr.jp/index.html
○とかしきなおみ日記  http://naomitokas.exblog.jp/


とがしき氏は、沖縄タウンが立ち上がった年の都議選に落選し、2005年の郵政
選挙に大阪7区から落下傘候補として自民党から立候補し、見事当選をされたのだ。

いわゆる小泉チルドレンであった。

民主党に政権交代した2009年選挙には落選しているが、氏の日記を拝見すると
次期総選挙へ捲土重来を期していることが伺える。


ところで、中田宏前横浜市長と山田宏前杉並区長が日本創新党を解党して日本維新の
会に合流したとの報道が昨日あった。当時、とかしき氏に連れられて山田宏氏のいる
区長室へ沖縄タウン構想の陳情に出向いたことを思い出す。

立候補には否定的な見解を表明していた、中田宏も「北極星の会」を始め、当人の
事務所も新横浜(港北区)に構えているなど、着々と横浜を地盤に政治活動を始動
させている。

こうした思い出をつなぎ合わせるだけで、7年の歳月が政治の景色を一変させたことが
知れる。そして人なりの生きざまが伺えるのであった。


先日、たまたま沖縄タウンを取材したテレビ番組を見、お笑いタレントが美味しそうに
ソーキそばやソフトクリームを食べていたシーンが印象深く、昼食もおにぎり一つ
だったので、首里製麺に真っ先に入り、大振りの具ののったソーキそばを注文した。
飲み物は泡盛にしようと思ったが、オリオンビ―ルの生にする。


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窓越しには、若いカップルが隣の店の縁台に座りながら紫芋のソフトクリームを舐め
ながら談笑している。

「杉並区の小さな沖縄風商店街、おさいふ片手にサンダル履きでおでかけしましょ。
ご近所感覚の『沖縄』です。」のコメントが和泉明店街沖縄タウンマップに刷り込ま
れている。

立ち上げ当時の様子を知るものにとって、沖縄を求めて来街してきた人々の表情を
見つめながら、複雑な気持ちに陥るが、一方では、街を変えていくエネルギーの
在り処に頼もしくも感じるのだ。

メディアに取材を受ければ受けるほど、来街者が増えれば増えるほど街は進化して
いくのだろう。

よくぞ7年の歳月に耐え、動きは遅くあれど確実に変貌していく沖縄タウンに幸あれと
思わずにはいられない。

沖縄タウンのオープンには間に合わなかったが、とがしき議員が力を入れたという
甲州街道沿いにあるエレベーター付きの歩道橋は道行く人から評判がいい。


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絶えず手が加わっている、沖縄の風情が満ちている「めんそーれ大都市場」をスル―
しながら、若干の酔いを伴いながら帰途につくのであった。




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故あって両国に立ち寄り、連れとイタ飯屋でランチをした後、ひとり東京スカイツリーへ

向かった。


大江戸線の両国駅からではなく半蔵門線の押上駅から乗れば、田園都市線青葉台駅

へは直通で行けるという判断からだった。それに東京スカイツリーがすぐそばに位置し

ていると見えたことも、お気楽にさせたのだが意外と道のりは遠かったのが実感だ。


下町の町工場が続く街並みをすり抜けながら業平橋へ到着。見下ろす川沿いの公園が

草花に彩られ5月の季節を宣言している趣にしばし注視。




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人びとが列をなし、一方ではひとびとがせわしなく行きかう。

開業前の風情と全く違う動きが、周辺をそして自身を高揚させる。



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すみだ水族館の表示が鮮明に見えるハナミ坂方面から、TVキャラクターのショップが

集積しているWest Yardの4階から入り、EVで3階へ降り、ソラマチタベテラスを経由して

再び、4階へ。East Yardのジャパンスーベニアを潜りながら、途中のエスカレーターで下の階へ。


余りの人ごみに辟易して、ショップを一店一店回遊するのを断念し、当初の目的であった

押上駅方面へ向かう。



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単に、人ごみにまぎれながら人をかき分け前に進み、ショップの賑わいと、施設の雰囲気、

そして訪れている人びとの風体に目をやるだけだ。


お台場のショッピングアーケードへ初めて訪れたときと同じような印象を抱きながら、

観光客目当てのスーベニア商業施設であることを追認するのだった。


あのサバンサ・タバサでさえ土産物用にスィ―ツのコ―ナ―を、ファッション雑貨売場の

一角に通路に沿って割いていた。



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渋谷のヒカリエの感度とは違う、観光客にターゲットを置いていることは手に取るように

解るのだが、簡単な飲食を体験消費することには納得できても、やや高めのファッションを

買い求めようとする購買動機については理解がいかない。


ソラマチまで辿り着くのに、いささか疲れてしまったためかショップを回遊する持久力も

失せ、そこそこにして退散した。


但し、商業施設として集客力を高めるためには単独であるよりも、マルチコンプレックス型

である方が分がいいのは至極当然である。東京スカイツリーフィバーは当面続くであろう

からナショナルチェーンの店は、チェーンの中でも成績のいい部類になることは自明だ。


ところで、ヒカリエに東急百貨店、、ソラマチには東武百貨店が新業態と名を打って出店

している。ヒカリエの中の東急百貨店は、店舗編集や商品編集にそれなりのトライを感じたが、

新業態とする百貨店の範囲が何処までなのか区別ができなかったし、東武百貨店は、

単なる土産物屋だろうと店の前を通り過ぎてしまった。後で見たパンフには、新業態と記さ

れていた。次の機会に検証してみたいと思う。


日経新聞朝刊によると、スカイツリー(312点)の収益モデルは、初年度の収入を201億円

と見込み、東京ソラマチ、水族館、オフィスの賃料収入、を95億、ツリー本体では電波塔と

しての施設利用料が30億前後、入場料収入を70億円台と見込んでいるそうだ。人件費、

広告宣伝費等費用を引くと8億円の営業利益が出ると踏んでいるようである。


東武鉄道によると東京スカイツリーと東京ソラマチを合わせた年間入場者を3200万人と見込

み、東京ディズニーランドより700万人多いそうだ。


確かに世界一高いテレビ塔だ。「世界一」の物体の動員力は国内にとどまらず、世界の人々

を招き呼ぶだろう。当日も、外国人観光客と思しきカップルやグループが目に付いた。


新しい施設は、東京デズニ―ランドを除いて、ややもすると開業時がピークで、その後集客が

減少していくのが常だが、東京スカイツリーには、ツリー本体はもとより周辺施設が進化・拡大

しながら発展するのを願うばかりだ。


東京スカイツリーには「下町の太陽」として、いつまでも輝き続けてもらいと思う。




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金環日食を観ることなど眼中になかった私は、いつものように早朝に目が覚めたものの

二度寝を決め込んで、7時半ごろは布団の中であった。


金環日食フィバーはテレビのニュースによってであった。家内は直接目にしたらしく、逆に

金環日食網膜症を心配して、どこの眼科医院へ行くべきか思案をしている。


テレビ画面を通じて見た金環日食の美しさに、いまさらながら25年振りのチャンスを逸した

ことに後悔するのだった。


今朝のNHKニュースでは、前日の全国的な金環日食フィバーの取材に余念がない。一方

では観察で目に異常を感じたら眼科に受診を勧めるなどのアナウンスが繰り返されている。


金環日食フィバーの次は、東京スカイツリーのオープニング取材。他局へチャンネルを変

えてもNHK同様に、金環日食フィバーの次は東京スカイツリー一辺倒となっている。


東京スカイツリーに並ぶ人、抽選で入場券を得た人、周辺の商店街、飲食店の動静に

スポットを当てた取材により、歴史的な一日をドラマチック仕立で放映している。


16年前に、当事者として迎えた「新宿タイムズスクエア」の開店が思い起こされる。当時も

連日メデアの取り上げが盛んで、新規開店する百貨店の裏側を取り上げたテレビの番組が

食品を担当する部長を涙と笑いありのドラマ仕立てで放映されたことがあった。このテレビ

手法は、今ではよく目にするが、素人でも役者顔負けの演技が求められるのだ。


パブリシテ―効果としては絶大なものがあると実感する。


金環日食フィバー、東京スカイツリーのオープニングフィバーの取材にはメデアも生き生き

しているように映るが、その背後で何かが隠され隠ぺいされていなければ良いのにと、若干

へその曲がっている私は、そう思わざるを得ない。


ここで、今までに撮った東京スカイツリーのスナップをオープン当日の記念に掲載しておき

たいと思う。




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路上演劇祭から1週間が過ぎた母の日。目黒区民センターに赴く。


5月の穏やかな日曜日を映し出す目黒川、区民センターはその川沿いの公園の一角に位置

する。


目黒区民センターでは、連合赤軍事件の全体像を残す会主催の「浅間山荘から40年 当事者

が語る連合赤軍」をテーマとするシンポジウムが午後1時30分から6時までの4時間30分間予定

されていた。



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私自身は、連合赤軍にシンパシーがある訳でもなく、深い関心を抱いている者でもない。

このシンポジウムの企画を知った時に、持ち前の好奇心が頭を擡(もた)げ、恐いもの見たさの

現場主義とやらを貫徹しようと思ったのだった。


戦後の事件史の中でも衝撃度の極めて高い「連合赤軍事件」。

私には、昭和の青春の系譜の中でも見逃すことのできない出来事としてあった。



第1部は、映像で60年安保から全共闘運動、連合赤軍に至るまでを映像で振り返った。


60年安保闘争での国会突入場面、佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争、佐藤栄作訪米

阻止羽田闘争、全国全共闘結成大会における赤軍派の登場、赤軍派大菩薩峠事件、

連合赤軍あさま山荘事件、日本赤軍のハイジャック事件等を映像で振り返りながら


樺美智子(安保闘争で死亡した東大生)、秋田明大日大全共闘議長、山本義隆ト東大全共闘

議長、重信房子(日本赤軍)などの顔が大写しで映し出される。


映像でしか見ることのなかった青春時代の偶像ともいえる人びとが、瞬(まばたき)きする瞬間を

走っていった。



第2部は、当事者世代が語るということで、当時の連合赤軍のメンバーを交えたパネルディスカス

が進められた。



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司会は、赤軍派経験をもち、中学受験のカリスマ講師でもある金 廣志さん(左)と元ブント戦旗

派の活動家で現在は本の編集者である椎野礼仁さん。

  


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当事者世代の先陣切って発現されたのは、元赤軍派議長・塩見孝也さん(写真左)。同士殺し

の原因を世界観の違う党派の野合に求め、スターリン主義が色濃く反映されていると解析した。

また、排除にあった者が犠牲者とも断じた。


連合赤軍は、闘う左翼のトラウマ、現在の反原発闘争も同様なトラウマを抱えているとの指摘が

加えられた。



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元叛旗派指導者・三上冶さん(写真右)は、同じブントの指導部時代に、蜂起戦争推進派で

あり武闘派の塩見さんとの論争を再現するような立場の発言を続けられ、連合赤軍事件は、

そうした蜂起戦争派の必然的な帰結と見做す発言となった。


また、同士殺しに至る経緯には、共同性の原理から、己の考えとは全く違う振る舞いが生じて

しまうことこともあり、連赤事件はそうした点も提起されているのではないかと指摘し、事件を

生じしめた精神的・心理的なことは解明されるのが難しいと結んだ。


民族派学生組織の初代委員長であり、現一水会顧問である鈴木邦男さんは、塩見、三上両氏

のコメントの晦渋さを揶揄して、左翼の人の話は難しいと切り返した後に、連赤事件についての

論評は警察サイドの見方に依拠したものが大半で、三島由紀夫や高橋和己が生きていたら、

連赤事件の評価も違っていたのではないかと解説された。


革命運動は楽しいものだ。映像フリィムは暗すぎるとの注文をいれ、浅間山荘が中国に買われ

てしまうので我々で買おうと」会場に呼びかけをされて話を〆られた。



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お三方のコメントを受けて、普段あまり意見を表にされていない青砥幹夫さんから発言が始まった。

「人間として踏み応えられなかったので、他人に駄目だしをすることは避けているが、連赤は党派

の権力として、同士に死を突き付けた」「スターリン主義はそこにあるではなく、忍び寄ってくるもの」


前澤虎雄さんは「革命左派と赤軍派は現実の方針で一致し、最終的には銃をもって戦うことの

確認から交番を襲撃する戦いを始めた。」


植垣康博さんは「野合の話は、坂東さんから、党のためだからと説明され、思考停止に陥った。」

「武装闘争には死はつきものだから、他者の死に抵抗はなかった。」「また、全てが指導部からの

事後報告なので野合といわれても答える言葉が無い。」


山の総括に関わることのなかった雪野健作さんは、司会の金さんから責任論を質されると「武装

闘争をやろうと指示したこと、銃器を手配した責任はある。」と答えられた。


三上さんは、「武装闘争は、都心では無理。社会性への参加に身体を掛けるとしても理念上の

武装闘争に過ぎない」と口を挟まれた。


司会の金さんは「新左翼は身体の直接性を掛ける。社協は手をつないでデモするだけ」と新旧

左翼の違いを例える。塩見さんも加わって、前段階武装蜂起なるものを巡って丁々発止の

主張が交えられた。




第2部は連合赤軍が残したものについて、連合赤軍当事者はそのまま残ってメンバ―チェンジが

なされて開始。



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大津卓滋さんは、横浜国立大学時代に学生運動に参加し、植垣康博さんの弁護人であり、

よど号ハイジャック事件関連で柴田康弘、田中義三の弁護も担当されている弁護士。

「あの時代の感覚を知らない若い世代や普通に生活をしている人に、どんな教訓をもたらす

のか不明だが、連赤は誰もやってないことをしようとした。自分の命をかけて死ぬ覚悟をして、

何をしていいのか分からずに、手探りで時代のエネルギーに背中を押されたのだ。」と

「志は高かったが、プラグチックな技術が不足していた」ことを課題として挙げられた。



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オウム真理教を内部から記録した映画監督の森達也さんは、オウムと連赤との共通性を探り、

麻原が全てを決めていたのではなく、麻原と信者との相互作用が働いていたように、連赤も森、

永田だけでなく、その他のメンバーとの相互作用が働いていたことを指摘し、組織的犯罪がもつ

同質性への圧力を語られた。



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麻布高校の高校生運動に参加した経験を持つ東京新聞の田原牧さんは、連赤に市民権を

与えるような動きは好ましくないとの主張。若松孝二監督作品の実録・連合赤軍あさま山荘

への道程でも現れているように、メンバーの一人が寂しかったんだと口にする場面があった

が、日本的市民社会(ムラ構造)に回収されていくようなことはすべきでないと強調された。


各当事者からは、


永田洋子に対する雪野、前澤両氏の見方と、森恒夫に対する青砥、植垣両氏の見方には

微妙な点が伺えられたが、小なりといえども厳然とした組織のヒエラルキーの下では、

不満や疑問があっても受け入れてきたと異口同音に発言された。


田原さんは、当事者に向って止めろと云えなかったかと、市民社会に回収しない為の挑発で

あったのか、問い詰める。


前澤は逃げ、植垣、青砥は最後までいた。前澤さんは共産化なんて鼻から信じていなかっ

たと言い、植垣さんは3人が総括された後、自分の意識は遅れていると感じていた、理論

より行動を先行させる意識だったという。


青砥さんは、離脱したい気持ちは持ったが、縛られている2人がいたので放って置けなかった。

仲間を殺したことに迷い、ためらいはあったと語る。


どういう脈絡からの発言だったか記憶が定かではないのだが、植垣さんは「勇気がなかったの

ではなく、ありすぎたんだ。」と言い放ち、第3部を終えた。



第4部は若い世代にとっての連合赤軍




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連合赤軍事件を克明に追う「レッド」の著者である漫画家の山本直樹さんが登場。


私は、この漫画を見ても読んでもいないので、なんとも分りづらいのだが、司会者の金さん

の言によると会場に若い世代の人が参加しているのは、この漫画によるものとのコメントが

された。


また、

70年当時の高校生運動の精緻な記録を「高校生紛争」として上梓した教育ジャーナリスト

の小林哲夫さんもパネラーに。



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俳優のウエダタカキさんは、実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(2008年若松孝二監督

作品)に吉野雅邦役で出演。吉野本人に、手紙を書いて直接面会を求めたという。

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若い世代にとっての連赤の位置づけをを図るバージョンであり、参加している若い世代への

オマージュとなる場面なのだが、


生きづらく社会への回路が切断されている現状を憂い、何故、他国で繰り広げられる百万人

デモが日本で実現できないのかを嘆く、雨宮処凛さん。


韓国では、BSE一つでも百万規模のデモを行う。日本で韓国のようなデモが何故できない

のかと問うと、連合赤軍事件が影響しているのではないかと言われると話を切り出された。


青砥さんからは、40年前のことを引き合いに出されても困るとのコメントもあったが、それ以上

には話の盛り上がりにならなかった。


また、週刊金曜日で連赤事件を取り上げた赤岩友香さん。

政治意識について、世代的に捉えると、40代の人は興味を示さず、20代30代の方が関心が

高いといえるとの、取材報告を加えた。





なんとなく、噛み合わない中で、若い人にもてるという33歳年下の奥さんがいる植垣康博さん

ははしゃぐというには失礼だが、饒舌が止まらない場面となったのは確かである。




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これから出かける用があるので、中途半端だが、ここにて連赤のシンポジウムのレポートを

終えたいと思う。


時間が経ったら、昭和の青春についてさらに言及したいと思う。 


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千歳烏山区民センター前広場で開催されている路上演劇祭に参加すべく、渋谷で、田園都市

線から井の頭線へ乗り換える為に、マイシティビルへ向かう途中にホラー映画「貞子」3Dの

のプロモーションに遭遇。


一度は素通りして、エスカレーターで上昇したのだが、何を思ったのか2階から下降し、貞子

に近づく。手にしたビラには


「呪いで日本を元気にする。」  とある。



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●貞子予告編

http://www.youtube.com/watch?v=YC4YiDffAdU



こんな洗礼を受けて、明大前で京王線に再び、乗り換える。


5日の晴天と違って、6日の天候は崩れるとの予想でであったが、今日も日差しも強く、快晴で

はある。



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風刺のきいた消費税や原発などの政治ネタを織り込みながら、歌い踊る月桃の花舞団



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貞子よりもおどろおどろしくも見えた「ささらほうさらの」の舞踏




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わたアメの販売に精を出すぬいぐるみの彼女


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里見のぞみさんのパントマイムの前に、私も端役で出演した劇団セロウアチパの雨にもマケズ

をモチーフにした「Quiero ser como El」を上演したのだが、後半部に強烈な雨に打たれ、

果たして、雨にもマケズであったのかと訝られるが、最後まで全員が演じ切ったのであった。



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片づけを終えて、簡単な打ち上げを済ませた後に、経由する渋谷で降りて、ヒカリエへ直行する。


渋谷ヒカリエは4月28日にオープンした東急文化会館の跡地に建てられた商業施設で、地上

34階地下4階のオフィス、ショッピング、カフェ&レストラン、劇場など多様な機能を掛け合わせた

高層複合施設で、渋谷の街とつながり、人、モノ、情報の活発なコミュニケーションエリアであると

いう。


渋谷ヒカリエ

http://www.hikarie.jp/

                            

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エレべーターにて、まずは11階のスカイロ―ビへ上って、渋谷の夜景を見渡しながら、各階を

順次下降して行く。


9階のホール、ミュージアムのアートなフロアを一巡し、


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7階からの本格的なカフェ&レストラン街へ突入。


開店景気の勢いもあるのだろうが、スノビッシュな若者が、居場所を得たりといった表情で盛り

上っている。



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レストラン街は昨今の百貨店のような重厚感はないものの、カジュアルで、健康的で、旬な

雰囲気が漂う。


次の機会には、ここでワインを飲みながら一時を過ごしてみるのもいいものだと思わせる佇まい

が好感度を与えている。



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ライフスタイルやファッションゾーンもカジュアルな雑貨主体の編集で、手を伸ばしてみたくなる

陳列となっている。


東急百貨店でお目にかかる、何処でもある商品やブランドといった既視観に襲われることもなく

どれもが新鮮に映る。 他でも見かける商品であっても、ヒカリエへの目が通っていて、ヒカリエ

流の臭いを感じてしまう。


みなとみらいのクイーンズイーストの東急百貨店も、開店当時はそうした店舗編集のアプローチ

をしていたが、十分こなし切れていなかった。


ヒカリエは、その点をクリアしている印象だ。


若干、打ち上げの際の酔いが残っていたこともあって、過大な評価をしているかもしれないが、

最近、新店を巡るときに感じるうんざり、げんなり感を抱くことはなく、編集、VP、照度、など

明るく、健康的で、下手なつっぱりやとがった点もなく、上品さを漂わせ、大人の商業施設然と

ある。


服が表に出ず、メンズ関連も見当たらない点が、視界を心地よくさせているのだろうか。


1996年の新宿の開店の時に、時の店長から、雑貨の時代を吹聴され、紳士服フロアの担当で

あった私に、エスカレーターの面前から紳士服を見えなくする配置にすることを強く求められた

ことを、何故か思い出すのだった。


そういえば、初代新宿の店長となられた方が、開店準備室時代に描かれたフロア構成を、真似た

ように再現されたのがクインズイーストの東急百貨店であったことも思い出す。



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バーニーズニューヨーク、エストネーションのオシャレさとは違う、明るく、健康的なおしゃれ感

が伝わってくる。


東急系としては、109の好対照として大人なのショッピングゾーンとして、文化施設やレストラン

街の相乗効果も手伝って大人用のショッピングゾーンとして、賑わいが断たれないのではない

かと想像された。



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瞬きのような一瞬の見立にすぎないが、ヒカリエの店舗編集力の進化を感じたのだ。


次に、表参道の東急プラザにも出向いてみたいと思うのだが、げんなり、うんざりしない商業

施設は、極めて貴重な存在となってきている。


貞子プロモーション、路上演劇祭、そして渋谷ヒカリエ、時は光のように動くのだ。




●路上演劇祭

http://rojo-engekisai.jp/image/2012/rojoengekisai2012yaruyochirashi.pdf




昨年の劇団セロウアチパの出し物は、ペルーの働く子どもたちを取り上げました。



        団塊のマーケッターのブログ  昨年の烏山区民センター前広場



今年は、本日、劇団セロウアチパのセサルさんとこーたさんがドンキホーテをモチーフにした

出し物を演じています。(15時25分から~55分頃)



        団塊のマーケッターのブログ  蒲田教会での稽古風景




明日は、14時30分~15時00分辺りで上演されます。


お時間のある方は、どうぞお立ち寄り下さい。

4月22日の日曜日は、APFS改定入管法シンポジュウムを拝聴しに、池袋豊島区民センター

に足を運びました。http://apfs.jp/


これまで、日行連でも、3月5日に法務省入国管理局並びに東京入国管理局の実務担当者を

お招きした「新たな在留管理制度に関する」研修会を実施し、神奈川会でも横浜入管の担当官

による同様な研修会が開催されてきました。


しかし、直接に当事者を意識したものではなく、申請取次行政書士に対し新たな在留管理制度

を7月9日施行するにあたって、細部がどの程度固まってきたのかの中間報告的な意味合いが

強いものでした。


1月20日に、社会福祉法人さぽうと21がによる、当事者とその支援者を対象とする在留カード

説明会(講師・東京入国管理局総務課渉外調整官)に参加した際に、当事者からの率直な質問

を伺い、改定入管法に対する、自己の立ち位置に、反省を強いられる思いで一杯になりました。


そうした思いを抱く中で、今年のAPFSのシンポジウムが改定入管法について行う事を知り、

劇団セロウアチパの稽古の時間に遅刻してでも参加することにしました。



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司会は、多文化ソーシャルワーク実践者講座の同期生であり、基調演劇を伴に出演した仲の

博士課程で学ぶVさんでした。10か月振りの再会でした。



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成蹊大学法科大学院実務家教員であり、弁護士の関聡介氏は、基調報告として、外国人登録

証がなくなり、代わりに在留カードになるなどの大幅な変更について、日本政府の狙いを含めて

当事者にも優しく報告され、ビザのある人、ない人別で実施した2部の分科会でも個別の相談に

も応じられ、必要な注意事項を具体的にアドバイスされていました。



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皆川京子弁護士は、非正規滞在者を対象とする分科会を担当されました。




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 宮内博史弁護士は、中長期滞在者を対象とした分科会を担当されました。  



閉会に当って、主催者から制度の改定に対する日本政府の、当事者への不親切さが指摘され

ました。


「在留特別許可一斉出頭」などのアクションでも定評のあるAFPSへの信頼があってか、多様な

国の方々が集結し、改定入管法に対する、当事者としての関心の高さが伝わり、ややもすると、

単に言説を振り回しているだけの感も否めない、「多文化共生型」地域コミュニテ―の在り処に

ついても、より現実への照射をもって臨まなければならないことを痛感させられたのでした。


制度によって、この世に生を受けた同じ人間が排除され、苦しみを強いる仕組を前に、何をし、

何ができるのか、ある面では茫然自失に陥らざるをえません。


翌4月23日は、13時から15時30分まで経済産業省本館17階にて、小さな企業未来会議第2回

ワーキンググループを傍聴し、JR新橋駅経由で港未来のパシフィコ国際協力センター教養会議室

へと向かいました。


●CITYNET

http://www.citynet-ap.org/ja/



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Dr. Bernadia Irawati Tjandradewi (Indonesia)

Programme Director



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講師のキム・ギョンチョル博士


韓国交通研究員総裁。韓国都市交通の第一人者。


韓国での都市インフラ開発の歴史や当事者となって担われたソウルの都市再生プロジェクの

現況を報告されるとともに、ブラジルのクリチバ、コロンビアのボコタ、ロンドンの都市交通の改

善について、各市長の発揮した「リーダーシップ」が如何に多大な影響力を与えたかをポイント

をついた指摘が行われました。


こうした一方に、日本政府の決められない政冶の現状、先送りの政治決断の様相が照射される

のでした。


南米2都市もロンドンも、ソウルもバスなどの公共交通機関を利用し、自動車を減らし、CO2を

減らし、混雑を緩和させ、事故を減らす手法をもって、都市交通の改善を果たしていったという

ことでした。



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●清渓川 チョンゲチョン復元事業

http://www.mizuho-ir.co.jp/publication/report/2005/seoul050217.html



都市のど真ん中を走る高速道路を清流流れる河川にしたという都市再生プロジェクト




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27日(金)は鶴見で立ち上げた外国人と日本人がつなぐ「つるみ演劇WAYWAY」の招集に

立会い、

そして、29日の日曜日は、5月6日の路上演劇祭の二日目に上演する劇団セロウアチパの

「Quiero ser como El!!」の稽古に参加しました。。



4月7日に、宮沢賢治の雨ニモマケズをモチーフに「アメちゃんの一生」を蒲田教会にて公演し、

その流れで、6日当日に臨むことになっていたのだが、主役の二人(日本人と在日ペルー人)が

出演不可能となり、配役、一部セリフの変更などの修正が入ることになりました。


日本語のセリフがスペイン語に切り替わるのだ。スペイン語の全くといっていいほど分らない

当方にとっては、付け焼刃になるとはいえ、稽古を重ねる必要があったのだった。


乞うご期待です!


●路上演劇祭Japan

http://rojo-engekisai.jp/

  


二日がかりのブログになった上に、内容も日程の羅列の範囲を出るものになっていないのです

がこの一週間の動きが伝わればと念じます。それではこれにてジエンドに。


街路の桜も散り、緑の若い芽が噴き出す葉桜の時、開店1週間目に当る4月20日。


横浜商工会議所小売り部会の主催による先進商業施設「三井アウトレットパーク木更津」視察会に

便乗しながら、横浜駅西口天理ビル前から観光バスにて45分ほどで到着した。



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写真はメインゲートであるが、最初に潜ったゲートは真反対に位置するイーストゲートからである。


11時から1時間程、三井不動産の担当者から事業概要、施設概要と特徴見どころ、ショップ&

サービス、交通対策&観光連携と多岐に亘りながら簡潔な説明を受けた。


三井アウトレットパークとしては12施設目となる木更津。


これまで横浜ベイサイド、多摩南大沢、仙台港、入間の4店にと立ち寄った。幕張は素通りで

中には入らなかった。買物をしたのは、2年前の夏に、仙台の大学院に通っていた長女と一緒

に行き、長女の為にジャケットを購入した仙台港だけである。


木更津は171店舗が並び全て地上1階建てで駐車台数は周辺を含めて9400台だそうだ。


東京都心、川崎横浜からアクアラインを利用すると60分以内で来れるアクセスが一番の売り

のようで、館内の主要ゲート6ヵ所にはリアルタイムで高速道路情報が掲示されたボードが設置

されていた。


商圏人口は首都全域2200万人としているところから、こうしたアクセス環境を備えているのも

理解がいく。


開発コンセプトは BOSO CITY RESORT だそうで、それらしさはないではないがインパクト

には欠ける。


ショップも、関東地方初出店46店舗、日本初出店21店舗と謳ってはいるものの目新しさは

感じない。この手のアピールは、プレスが望むのか、上層部へのプレゼンのためか、新店の

常套手段として常にアピールされる。どれほどの意味を持っているのか疑わしく感じていた。


並ぶショップの建物環境は安普請で、これまで見てきた4つの三井アウトレットパークと特段の

違いは見いだせなかった。


開店景気を煽るためか、クーポン券による更なる割引が打ち出されていた。


但し、各店のプライスを眺め、元の価格との比較をしてみても大半が3割引き程度で、所謂

クリアランス価格並みであり、価格のインパクトも強くない。


思えば、かつてビックサイトでの大手アパレルの招待バーゲンなるものに参加した際に、販売員

の呼び込みの際に定価の4割引きを連呼していた。百貨店の納め価格と変わらず、アパレル

自体は百貨店との商売同様の利益をしっかり確保していることが明らかになっていた。



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平日の金曜日、所謂中高生の姿や若い会社員らしいい身なりは見られなかった。一方、シニア

層のグループ、カップル、バギー族グループ、ファミリーは多く散見される。背広を着たオジサン族は

視察組であろう。


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たまたま、商工会議所の小売り部会のメンバーに、定年退職した百貨店の現役の渉外担当

部長が参加しており、行動を伴にすることになった。


正午過ぎから、早めの昼食をフードコートで取り、ターリーズコ―ヒ―でお茶をし、会話を重ね

た後に、店舗巡りを開始した。



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171の店舗を内から外から目を遣りながら、ややげんなりしながら視察とやらを終えた。


パパスノンノのアウトレットは他に何処にあるか存じないが、店に入った瞬間、例え、アウト

レットストアであろうとデザイナー荒牧太郎の意匠が貫かれていると直感できたので、販売員に

聞くと、笑顔を添えて頷くのであった。


本来、アウトレットでの商売は在庫減らしに尽きるはずなのだが、アウトレット用商品の開発や、

百貨店への納め価格で販売していれば、顧客動員の高いアウトレットであれこそ、下手な都心の

百貨店で販売員経費、タイアップ、販促経費等のコストをかけるよりも、ずっと利益を確保できる

ことは理解ができる。


あるアパレルから、PB商品を取り扱わしてもらえば、在庫リスクを百貨店に負わせず、自分達

でアウトレットで処分をするとの提案を貰ったことがあった。今更ながらに彼らの意図が読める。


そんな昔の事を思い出しながら、若干疲れた体を癒す為に再び、フードコートに戻り、マザー

牧場のソフトクリームを頂戴した。


お薦めの房総で取れたイチゴがのったソフトにするつもりであったが、誰もかれもその木更津

だけのオリジナルなイチゴソフトを注文するので、生来の天邪鬼魂がむっくりと起き出し、直前

でチョコとバニラのミックスに変更した。



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16時バスは、横浜に向って出発、途中海ほたるに20分程停車。観光バス故、こうした土産物

の店に立ち寄ることになっているのだろうか。


かつて家族でHISを利用して、香港とシンガポールに旅行をしたときに、私自身が何度か訪ねて

いるので、市内観光をキャンセルしたいと申し出ると、それでしたら旅行料金が上りますとの

奇妙な返答を受けたことがあった。旅行会社には、土産物店からのキックバックがつきものなの

で、表向き料金は安くしてもこうしたキックバックで利益を確保しているのだろう。HIS商法の一面

を垣間見た思いであった。海ほたるねの停留も、同じ穴の狢であるように思う。


アウトレットでは、土産物を調達しなかったのだが、ここでは仕掛けられたように房総土産を買い

求めるはめと相成った。



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遠く遠く、曇天の房総の海原へ目を送る。 


2年目の、定年後ライフは多文化演劇、成年後見演劇という新しい分野に挑戦し、楽しくもあった。


3年目の今年は、横浜商工会議所活動に積極的に参加をし、37年間勤めた百貨店人生との

切結びを果たして見たいと思う。


何か着実と点と点が結び、そして人生が幾重にも広がりが、縁の連鎖が波紋となる。


今年も、そんな1年となることを目指していきたいと思うのだ。 



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