蒲田には住んだこともなく、当然生を受けた場所でもない。

されど、とてつもなく近しいものを感じている。

大学4年のときに、教育研修の実施校となった中学校が東蒲田であった
こともそうだが、

それ以前に学生運動を高揚させた「羽田闘争」などは蒲田駅を起点として
つながっていたように記憶している。

70年安保闘争に絡んで、ノンセクトであった同級生数人が蒲田駅から乗り込み
京急羽田線のいずこかの駅で他のセクトの学生たちと共に一網打尽に逮捕された
ことが懐かしさを伴って思い出すのだ。

これらも蒲田での出来事として残像する。

飛行機が飛び交う街である蒲田。

羽田のハブ空港化を契機に国際都市を目指す太田区の中核地区蒲田に
あっては商店街に活気を与え、外国人が絶えず降り立つ街たらんと望むのは
解らないでもない。

しかし、私の中には庶民の殿堂・蒲田であり、中小企業発信の地蒲田であり、
反権力の拠点・蒲田として映っている。

京急蒲田駅からJR蒲田駅までの商店街を沿いながらの景観は、
決して、高級感が漂う訳ではないし、下駄履きで行く店ばかりである。

毎日曜の夕方に、多文化共生劇団「セロウアチパ」の稽古場として利用している
蒲田教会への駅からの道のりでも多文化共生の匂いと共に、GDP世界第3位
である日本経済の陰画といえる、とてつもなく不穏な趣さえ伺えるのだ。

詩人・吉増剛造の「下北沢不吉・・・」のフレーズを借りるならば
「蒲田不吉、蒲田不穏、蒲田不気味・・・」とさえなるのだ。

それは、負の国際都市としての極まりない魅力を潜在させている。
日本の行方を先取りしているのかも知れないのだ。

映画「商店街の人」では、「蒲田を元気にするぞ」と発して、大手商社に
辞表をたたきつけた青年とその恋人が、「蒲田のブランド化を図ろうとする計画」
に参画し、多様なタイプの仲間を得ながら、映画製作を通じて蒲田商店街や
街工場の様々な様子を描き捉えていくストーリ仕立てとなっている。

登場人物は、蒲田の潜む秘められた魅力を拾い上げるというよりは
「ちさな企業未来会議」に参加されている方々のような乗りで、コトを発信される。

何故か、誰しも彼しも、かつての自民党青年部というか、青年会議所的な乗りに
しか見えてこない。

地域課題を映画製作で解決しようと臨んだ手法は興味深い。映画でまちづくり、
すべて市民の協働によってなされたことも、未来へ可能性を広げる。

しかし、上っ面の商店街賞賛に終わっては、化けの皮はすぐに剥がれてしまうだろう。

思えばこの夏、劇団「セロウアチパ」の稽古に向う途中に、出会った神輿の一団は
蒲田商店街に因んだ人々だった。文字通り「商店街の人々」であった。


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「商店街な人」であることを、「主体的市民」の観点、「多文化共生型・多世代交流型
地域コミュニティ」づくりの観点から、もう少し考えてみたいと思う。