路上演劇祭から1週間が過ぎた母の日。目黒区民センターに赴く。


5月の穏やかな日曜日を映し出す目黒川、区民センターはその川沿いの公園の一角に位置

する。


目黒区民センターでは、連合赤軍事件の全体像を残す会主催の「浅間山荘から40年 当事者

が語る連合赤軍」をテーマとするシンポジウムが午後1時30分から6時までの4時間30分間予定

されていた。



団塊のマーケッターのブログ


私自身は、連合赤軍にシンパシーがある訳でもなく、深い関心を抱いている者でもない。

このシンポジウムの企画を知った時に、持ち前の好奇心が頭を擡(もた)げ、恐いもの見たさの

現場主義とやらを貫徹しようと思ったのだった。


戦後の事件史の中でも衝撃度の極めて高い「連合赤軍事件」。

私には、昭和の青春の系譜の中でも見逃すことのできない出来事としてあった。



第1部は、映像で60年安保から全共闘運動、連合赤軍に至るまでを映像で振り返った。


60年安保闘争での国会突入場面、佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争、佐藤栄作訪米

阻止羽田闘争、全国全共闘結成大会における赤軍派の登場、赤軍派大菩薩峠事件、

連合赤軍あさま山荘事件、日本赤軍のハイジャック事件等を映像で振り返りながら


樺美智子(安保闘争で死亡した東大生)、秋田明大日大全共闘議長、山本義隆ト東大全共闘

議長、重信房子(日本赤軍)などの顔が大写しで映し出される。


映像でしか見ることのなかった青春時代の偶像ともいえる人びとが、瞬(まばたき)きする瞬間を

走っていった。



第2部は、当事者世代が語るということで、当時の連合赤軍のメンバーを交えたパネルディスカス

が進められた。



団塊のマーケッターのブログ



司会は、赤軍派経験をもち、中学受験のカリスマ講師でもある金 廣志さん(左)と元ブント戦旗

派の活動家で現在は本の編集者である椎野礼仁さん。

  


団塊のマーケッターのブログ



当事者世代の先陣切って発現されたのは、元赤軍派議長・塩見孝也さん(写真左)。同士殺し

の原因を世界観の違う党派の野合に求め、スターリン主義が色濃く反映されていると解析した。

また、排除にあった者が犠牲者とも断じた。


連合赤軍は、闘う左翼のトラウマ、現在の反原発闘争も同様なトラウマを抱えているとの指摘が

加えられた。



団塊のマーケッターのブログ



元叛旗派指導者・三上冶さん(写真右)は、同じブントの指導部時代に、蜂起戦争推進派で

あり武闘派の塩見さんとの論争を再現するような立場の発言を続けられ、連合赤軍事件は、

そうした蜂起戦争派の必然的な帰結と見做す発言となった。


また、同士殺しに至る経緯には、共同性の原理から、己の考えとは全く違う振る舞いが生じて

しまうことこともあり、連赤事件はそうした点も提起されているのではないかと指摘し、事件を

生じしめた精神的・心理的なことは解明されるのが難しいと結んだ。


民族派学生組織の初代委員長であり、現一水会顧問である鈴木邦男さんは、塩見、三上両氏

のコメントの晦渋さを揶揄して、左翼の人の話は難しいと切り返した後に、連赤事件についての

論評は警察サイドの見方に依拠したものが大半で、三島由紀夫や高橋和己が生きていたら、

連赤事件の評価も違っていたのではないかと解説された。


革命運動は楽しいものだ。映像フリィムは暗すぎるとの注文をいれ、浅間山荘が中国に買われ

てしまうので我々で買おうと」会場に呼びかけをされて話を〆られた。



団塊のマーケッターのブログ



お三方のコメントを受けて、普段あまり意見を表にされていない青砥幹夫さんから発言が始まった。

「人間として踏み応えられなかったので、他人に駄目だしをすることは避けているが、連赤は党派

の権力として、同士に死を突き付けた」「スターリン主義はそこにあるではなく、忍び寄ってくるもの」


前澤虎雄さんは「革命左派と赤軍派は現実の方針で一致し、最終的には銃をもって戦うことの

確認から交番を襲撃する戦いを始めた。」


植垣康博さんは「野合の話は、坂東さんから、党のためだからと説明され、思考停止に陥った。」

「武装闘争には死はつきものだから、他者の死に抵抗はなかった。」「また、全てが指導部からの

事後報告なので野合といわれても答える言葉が無い。」


山の総括に関わることのなかった雪野健作さんは、司会の金さんから責任論を質されると「武装

闘争をやろうと指示したこと、銃器を手配した責任はある。」と答えられた。


三上さんは、「武装闘争は、都心では無理。社会性への参加に身体を掛けるとしても理念上の

武装闘争に過ぎない」と口を挟まれた。


司会の金さんは「新左翼は身体の直接性を掛ける。社協は手をつないでデモするだけ」と新旧

左翼の違いを例える。塩見さんも加わって、前段階武装蜂起なるものを巡って丁々発止の

主張が交えられた。




第2部は連合赤軍が残したものについて、連合赤軍当事者はそのまま残ってメンバ―チェンジが

なされて開始。



団塊のマーケッターのブログ



大津卓滋さんは、横浜国立大学時代に学生運動に参加し、植垣康博さんの弁護人であり、

よど号ハイジャック事件関連で柴田康弘、田中義三の弁護も担当されている弁護士。

「あの時代の感覚を知らない若い世代や普通に生活をしている人に、どんな教訓をもたらす

のか不明だが、連赤は誰もやってないことをしようとした。自分の命をかけて死ぬ覚悟をして、

何をしていいのか分からずに、手探りで時代のエネルギーに背中を押されたのだ。」と

「志は高かったが、プラグチックな技術が不足していた」ことを課題として挙げられた。



団塊のマーケッターのブログ



オウム真理教を内部から記録した映画監督の森達也さんは、オウムと連赤との共通性を探り、

麻原が全てを決めていたのではなく、麻原と信者との相互作用が働いていたように、連赤も森、

永田だけでなく、その他のメンバーとの相互作用が働いていたことを指摘し、組織的犯罪がもつ

同質性への圧力を語られた。



団塊のマーケッターのブログ


麻布高校の高校生運動に参加した経験を持つ東京新聞の田原牧さんは、連赤に市民権を

与えるような動きは好ましくないとの主張。若松孝二監督作品の実録・連合赤軍あさま山荘

への道程でも現れているように、メンバーの一人が寂しかったんだと口にする場面があった

が、日本的市民社会(ムラ構造)に回収されていくようなことはすべきでないと強調された。


各当事者からは、


永田洋子に対する雪野、前澤両氏の見方と、森恒夫に対する青砥、植垣両氏の見方には

微妙な点が伺えられたが、小なりといえども厳然とした組織のヒエラルキーの下では、

不満や疑問があっても受け入れてきたと異口同音に発言された。


田原さんは、当事者に向って止めろと云えなかったかと、市民社会に回収しない為の挑発で

あったのか、問い詰める。


前澤は逃げ、植垣、青砥は最後までいた。前澤さんは共産化なんて鼻から信じていなかっ

たと言い、植垣さんは3人が総括された後、自分の意識は遅れていると感じていた、理論

より行動を先行させる意識だったという。


青砥さんは、離脱したい気持ちは持ったが、縛られている2人がいたので放って置けなかった。

仲間を殺したことに迷い、ためらいはあったと語る。


どういう脈絡からの発言だったか記憶が定かではないのだが、植垣さんは「勇気がなかったの

ではなく、ありすぎたんだ。」と言い放ち、第3部を終えた。



第4部は若い世代にとっての連合赤軍




団塊のマーケッターのブログ



連合赤軍事件を克明に追う「レッド」の著者である漫画家の山本直樹さんが登場。


私は、この漫画を見ても読んでもいないので、なんとも分りづらいのだが、司会者の金さん

の言によると会場に若い世代の人が参加しているのは、この漫画によるものとのコメントが

された。


また、

70年当時の高校生運動の精緻な記録を「高校生紛争」として上梓した教育ジャーナリスト

の小林哲夫さんもパネラーに。



団塊のマーケッターのブログ



俳優のウエダタカキさんは、実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(2008年若松孝二監督

作品)に吉野雅邦役で出演。吉野本人に、手紙を書いて直接面会を求めたという。

団塊のマーケッターのブログ



若い世代にとっての連赤の位置づけをを図るバージョンであり、参加している若い世代への

オマージュとなる場面なのだが、


生きづらく社会への回路が切断されている現状を憂い、何故、他国で繰り広げられる百万人

デモが日本で実現できないのかを嘆く、雨宮処凛さん。


韓国では、BSE一つでも百万規模のデモを行う。日本で韓国のようなデモが何故できない

のかと問うと、連合赤軍事件が影響しているのではないかと言われると話を切り出された。


青砥さんからは、40年前のことを引き合いに出されても困るとのコメントもあったが、それ以上

には話の盛り上がりにならなかった。


また、週刊金曜日で連赤事件を取り上げた赤岩友香さん。

政治意識について、世代的に捉えると、40代の人は興味を示さず、20代30代の方が関心が

高いといえるとの、取材報告を加えた。





なんとなく、噛み合わない中で、若い人にもてるという33歳年下の奥さんがいる植垣康博さん

ははしゃぐというには失礼だが、饒舌が止まらない場面となったのは確かである。




団塊のマーケッターのブログ


これから出かける用があるので、中途半端だが、ここにて連赤のシンポジウムのレポートを

終えたいと思う。


時間が経ったら、昭和の青春についてさらに言及したいと思う。 


団塊のマーケッターのブログ