イツワリノメガミ。
最近、二十間坂の自由の女神が、様々な話題に上っているようなので、どんな感じなのか、実際に見てまいりました。
……確かに、「目立つ」と言えば、目立つんだろうけど、何か、方向が間違っている……、そんな風に思えました。
私は、現在は違いますが、生まれてから、約30年間は、函館の西部地区で育ちました。ですから、二十間坂の何だか、風情ある素晴らしい街並みが、たった1体のオブジェで、損なわれてしまう……、それは、どうかな? ……そう思えて、ならなくて。
まぁ、私のちっぽけな、このブログで言っても伝わらないかもしれないけれど、ただ、これだけは、言いたかったから。
二十間坂の、あの素晴らしい景色をいつか、再び取り戻せますように……。
……確かに、「目立つ」と言えば、目立つんだろうけど、何か、方向が間違っている……、そんな風に思えました。
私は、現在は違いますが、生まれてから、約30年間は、函館の西部地区で育ちました。ですから、二十間坂の何だか、風情ある素晴らしい街並みが、たった1体のオブジェで、損なわれてしまう……、それは、どうかな? ……そう思えて、ならなくて。
まぁ、私のちっぽけな、このブログで言っても伝わらないかもしれないけれど、ただ、これだけは、言いたかったから。
二十間坂の、あの素晴らしい景色をいつか、再び取り戻せますように……。
坂本龍馬記念館に行きました。
今日は、池田屋事件の日(詳しくは、調べてみて下さい。それと、明日の龍馬伝が、池田屋の話をやる…と、聞いたような?)ですが、そんな中、昨日、ついに、坂本龍馬記念館へ行ってまいりました!
行ってきたけれど、正面とか、資料の写真が、これといって無くて、申し訳ないけれど、幕末からの歴史を学ぶのに、とてもいい機会となりました
それで、龍馬は、かなり筆マメだったんですね。書簡の展示が多いような気がいたしました。
そして、愛用の品々や、肖像、ゆかりの人物、子孫の様々な龍馬の史料がありました。
龍馬は慶応3年に暗殺された為、北海道に足を踏み入れることは出来なかったけれど、子孫の方々は北海道に渡り、龍馬の意志を継いで、北海道の開拓と発展に尽力したようです。
ちなみに、菓子メーカー、“六花亭”の包装紙の絵の山岳画家、坂本直行氏は、龍馬の甥の孫です。
…ちなみに、ワタシは、昔、勉強が、あまり好きではなく、歴史も何かややこしくて、苦手だったりしたけれど、こうして改めて学び直すと、様々な発見がありますね
追記:坂本龍馬記念館の正面の写真、上げておきます。
行ってきたけれど、正面とか、資料の写真が、これといって無くて、申し訳ないけれど、幕末からの歴史を学ぶのに、とてもいい機会となりました
それで、龍馬は、かなり筆マメだったんですね。書簡の展示が多いような気がいたしました。
そして、愛用の品々や、肖像、ゆかりの人物、子孫の様々な龍馬の史料がありました。
龍馬は慶応3年に暗殺された為、北海道に足を踏み入れることは出来なかったけれど、子孫の方々は北海道に渡り、龍馬の意志を継いで、北海道の開拓と発展に尽力したようです。
ちなみに、菓子メーカー、“六花亭”の包装紙の絵の山岳画家、坂本直行氏は、龍馬の甥の孫です。
…ちなみに、ワタシは、昔、勉強が、あまり好きではなく、歴史も何かややこしくて、苦手だったりしたけれど、こうして改めて学び直すと、様々な発見がありますね
追記:坂本龍馬記念館の正面の写真、上げておきます。