akyoonの異端の医学と不思議な情報 -103ページ目

akyoonの異端の医学と不思議な情報

医学や健康医療の【トンデモ論】を主としています・
本人はいたってまじめ。 しかし自分で自分を検証できないので、眉唾と取捨選択が必要。

 《 危ない!?漢方薬神話の崩壊  》    
     ひのもと異学、1996、12、12 初版

ひまあり異学



“漢方薬は自然の生薬だから害がない”とお考えの人があまりにも多いのでここに一筆啓上。

走者は二人で仲良く並んで走っていたのだが、片一方が急に速く走りだしてしまって、ほとんどの観客がそちらの早い方を応援してしまった。

だが、その走者がまもなくゴールにたどり着こうとしたら、そこは、あまりにも、想像とは違った事に気が付いてしまったからなのだろうか、、、ふたたび遅い方の走者の方に応援をおくりはじめた観客たちなのか?つまり、いまから200年くらい前までは西洋医学は東洋医学と並んで走っていたのが、西洋の医学が急速に進歩し始めてから、東洋(漢方)をしりめにして、独壇場の観があった。

“人類から病気を激減して、ついには撲滅を、、”という目標どころか、病気氾濫、薬害事件の増大というあまりにも理想とは違うゴールが見えて来てしまったので、一般大衆や患者は、またもとに逆戻りして、旧態依然としてのろのろとマイペースで走っている漢方にまた色目を使い始めたというわけか。

しかし、両者とも同じコースを走って来たものだから、めざすゴールはやはり同じところ。

いまさら後戻りしたとて、江戸時代に戻るようなもの。

だいたいあのころから漢方の大家、杉田玄白は言っていた。

「ほんらい薬は毒だ。

毒を持って毒を制するのが薬である」と。

「漢方薬には副作用がない」などという考えは、痴人の夢?。

いまだにこのような考えは、未開人の信仰のような気がするのだが、、これはまた!  現代医学に飽き足らず、こんどは漢方にまでいちゃもんをつけに来たか!まあ、カッカしてそう言われる前に次の参考文も読んでみて高橋晄正先生の書いた本当を市立図書館で見つけましたのでちょっと抜粋させていただき、【危ない漢方薬】もしくは【漢方薬は危ない】という題名だったと思うのだが、、☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(抜き書きより) はじめに「漢方薬は自然物だから害作用はない」と信じている人が少なくない。

だが、ブシ(トリカブトの根)を含んだ漢方薬を、自分でつくって試しに自分で飲んでみて亡くなった薬学者の話は有名である。

「薬は本質的に毒である」という先人の言葉を忘れるわけにはいかない。

今、我が国の漢方ブームのなかで漢方薬の副作用が続出している。

(抜き書きより)しかし、我が国では、漢方薬の生殖・胎児毒性(およびガン原性)については、ほとんど系統的な研究をしていないことを注意しておきたい。



いまもってそんなこととは知らない一般の国民は、「漢方薬は自然物だから、安心だ」という考えからだろうが、「健康保険で飲める」という条伴をつくってくれた人たちに感謝しながら、ドッとなだれこんだのである。

しかし、自然物は安全だ」という”常識”はほんとうなのだろうか。




(抜き書き)「漢方薬は危ない」という本書の書名は、瞑眩二〇〇〇年の扉を開き、その副作用の実態を明らかにする意味とともに、「つくられたバブル医療としての漢方の基礎は、科学のメスによってまさに崩壊に瀕しているという意味をも含んでいる。

信仰の問題を論理によって批判するのは容易なことではないが、ここではその信仰を支えているいくつかの基本的な認識の誤りを解きほぐすことを試みてみようと思う。

すなわち、ヨーロッパの医療を支えていた薬物は一八世紀までは、中国が古来二〇〇〇年の問使用してきた生薬群のそれと本質的に異なるものではなかったのである。

P110古代中国人にとって、先賢の英知の結晶である漢方薬に害作用などというものは、ありうべからざることであった。

治療中に病人に好ましくない症状があらわれたとき、それは瞑眩(めんげん)すなわち体内に潜在していた病変が回復の途中で一時的に燃えあがるものであり、それを乗り切ることによって回復に向かうものであるとされた。

だが、瞑眩二〇〇〇年の歴史が空虚な思弁の産物に過ぎないものであることは、またしても現代科学の実証するところとなった。

そのひとつは、全く健康な動物でもそれが起こることが証明されたことであり、他のひとつは、免疫化学の進歩によってその大部分のものが漢方薬またはその現材料である 薬成分に対する薬アレルギーであることが証明されるようになったことである。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆以上、




私にとって重要と思われる所を抜いて参考してみたが、高橋先生は他にも西洋薬についても批判論を書いている。

批判は単なる非難ではないから、個々の薬については正確な判断を下していると思うのだが、西洋医学そのものについては大まかには信頼しているようだ。

だから、ジェンナーの種痘法が天然痘を撲滅したというような“アヤシイ事実”を正しいと評価されているようだが、、この“アヤシイ事実”というのは、これも市立図書館で見つけた本で、


☆危ないぞ予防接種すべての親が知るべきこと   【 危 な い ぞ 予 防 接 種 】             イギリスからのメッセージ  レオン・チャイトー著   毛利子来監修  藤井俊介訳社団法人  農山漁村文化協会  発行


  で、詳しく出ているのでこっちの方は別の掲示にて紹介したいと思う。

いま、漢方薬のブームに私自身も17年前ごろには信じて、自然の生薬だと言って飲んだり、材料を買って作ったこともあるのだが、、しかし、薬の大基本である、【薬は毒】という原則に東西の変わりもなく、必ず害があると言う事を知ってやめた。

さらに漢方薬と西洋の薬用植物(これらをハーブと呼ぶのかどうかは知らないが)は違うと思っている人もいるようだが、これは多少に地域的な植物の相違はあるだろうが、共通点の方が大きいということが分かった。

そう、西洋も漢方薬と同じ土俵に上がっているのである。

ただその害作用(毒物だから当たり前)の現れるのが早いか遅いかという違い、ただ飲む量からいうとずっと漢方薬の方が多いのだから、実質的には漢方薬の方が恐ろしいと言ってもよいのだろう。

杉田玄白先生もすでにそれを、「薬というものは、毒で毒を制するものだ」と喝破している。

漢方薬にかぎらず、和薬の中にも安全と思われている生薬もある。

その代表ががゲンノショウコであるが、これの蓄積されたものが浄化作用によって排泄されるときには次から次へと出てくるので、体力が持たないことがあるから、大変恐ろしいものと聞いている。

次に毒だめ、、じゃない、ドクダミもそうであるという。

歴史的に見ると、日本人は漢方薬が入って来てから寿命が短くなってきたようだ。

 漢方薬(西洋の生薬類も同様)の特徴は毎日毎日飲み続けることにある。

薬の成分としては西洋合成薬(これとても自然の生薬の有効成分を抽出したり、合成したりしたものだから、本質的にはおなじ有効成分を薬としている)よりも少なくても、飲み続けることによって大量に接種したと同じことになるのだから。

薬草辞典を見ても、山野の樹木や草花の多くがが薬としての成分を含んでいる。

この事実から言うと、漢方薬と呼ばれるもの以外にもたくさんの自然の薬があるということだ。

そしてその薬成分とは、言い変えれば、“毒”成分のことだ。

あえて漢方薬を使わなくても自然の中には多くの自然の生薬が存在していたのだから、一般人はそれらを薬として使っていたのだろう。

よく言われている、『瞑眩作用』とは、良くなる前に生体が起こす“好転反応”である」という説明も間違っていたと言うのだ。

これは、飲んだ薬物の毒性に対して体が浄化作用を起こしたものなのだろう。

西洋的に言えば、“薬物アレルギー”ということになるだろうか。

薬にする材料にも毒が少ないものもあるだろうが、配合される時の主役はやはり毒性の強い方が薬としての価値がある。

またそうでなければ薬にはならないのだ。

やはり薬は食べ物ではないのだ。

食べ物はちょうどよいほど食べられるように自然の味がある。

いくらニンニクがよいと言っても、そんなには食べられないような味がついている。

ましてや、薬草と言われるものはそのまま食用になるような味はついていない。

人間には味覚という食べ物を判定する器官が備わっているのだから、そうでないものを煎じたりすると、あの独特の臭みが鼻に付くのである。

『良薬くちに苦し』と言うのは、薬として使うのはほとんど食べ物にならないものだから、味が悪いにきまっている。

『食べ物でないのは口に入れてはならないよ』と自然が教えてくれているのである。

それらは異物であり、必ず排泄するための浄化作用が発生することになる。

世の中に本当に薬というものが存在するかというと、“否”である。

しいて言えば、米であるだろう。

西洋では麦になるかな。

とにかく、体によい薬というのは毎日たらふく食べ続けても害にならない食べ物のことであろう。

ビタミン剤でさえも、過ぎると体に害になると聞く。

こんなにくどくどしく言っても『信仰を論理によって崩すことは出来ない』のだろうか?それにしても、世の中は片側だけの情報がよく流され続けている。

それにも気が付かないで相変わらず“ウノミ”という動物があちこちではねている。

嗚呼ヤンヌルカナ、、
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 《  薬は賛成! 麻薬は反対?    》
                       1996、11、17 初版

ひまあり異学


薬は毒だと言うのはやはり間違っているんだろうなあ、、

薬は正しく使えば安全、デタラメで正しく使わなければ危険。
すると、
過去に出た多くの薬害患者は薬を正しく使わなかった為に起きた。

麻薬は正しく使えば有益、間違った使い方をすれば害毒
同じ薬でも全然違うのだ、使い方で。
使い方とは善に使えば良いもの、悪に使えば悪いもの
治療のために使えば安全。金儲けや犯罪のために使うと劇毒になる。

同じ薬でも、善良なものが使用するなら良いもの。悪人が使用すれ
ば悪いもの。
同じ原料から作られても、片方は「薬」だから、法律で守られてい
る。もう片方は「麻薬」だから法律違反。
良い目的で使ったが、害が出て死亡したが、動機が善いことなので
非難されない。悪い目的で使ったが、まだ害作用が出なくても非難
される。

僕が神様の面をかぶって舞台に出たら、拍手喝采で御祝儀が投げら
れた。今度は夜叉の面をかぶって舞台に出たら恐ろしがられて、石
を投げられた。同じ僕なのに、、

そうだ、薬ならどんなに使っても善いのだ。
もしそれを毒などと呼んだら最後、命も危ない、逮捕もされる。

薬というのは毒とは違うんだ。同じ材料で作られても使用目的が違
えばまったく違う物質になるんだ。

毒はたとえ微量に使っても体内に残存蓄積する。ちりも積もれば山
となる。だから昔の人は毒殺の目的で本人には分からないように、
少しづつ少しづつと微量を食べ物に混ぜて飲ませたのだ。
そして、ひそかにだれも分からないころに蓄積された毒が致死量に
達したときその効果が現れるのだ。

水俣病の患者もその原理なのだ。
川の魚が少しづつ水銀を蓄積していって、それを今度は人間がな何
匹も食べ続けて蓄積していったのだ。そしてその量がある程度になっ
てから中毒症状が現れた。
一度に水銀を飲んだように苦痛が出て来たら、だれもが気づいて魚
など食べなかっただろう。

ごく微量な毒でも排泄されずに体内に残るのだ。そしてそれが蓄積
される。何年たっても毒の効力は残っているから、蓄積量が多くな
ると一度に牙をむくようになる。

だが「くすり」は違う。同じ毒でも「薬」となれば違う。
少しでも多くでも「適量」と決められた量を飲んでいれば、体内に
残らない、蓄積もされない。体の外に出てしまうのだから。
だから、同じ物質でも麻薬は絶対いけないが、薬は良いのだ。

そこで悟ったのだが、、
僕は同じ芋でも、ジャガイモは大好きだが、馬鈴薯は嫌いだね。
ましてやニドイモなんて見たくもない

                        (コレシンケンデヨマナイデネ)

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 《 ベロ毒素は大腸菌のフン!? 》        
           1996、11、16初版

 見ました。

とっても不思議な事実を書いた新聞を、、、                         平成8年11月10日日曜   読売新聞  《 O157の抗生物質 》    

         《  容 体 悪 化 さ せ た 可 能 性 も 》病原性大腸菌O-157による食中毒の治療で最も多く使用された抗生物質「ホスホマイシン(FOM)」は菌の作る毒素を外部に大量放出させることを、大阪大微生物病研究所細菌感染分野の本田武司教授らが実験で突き止め、九日、奈良市で開かれた日本惑染症学会中日本地方会で発表した。この抗生物質は厚生省の治療マニュアルにも紹介され、乳幼児を中心に広く使用されたが、効果がなかったばかりか逆に容体を悪化させていた可能性も出てきた。FOMは国内メーカーが開発、細胞壁合成を阻害することで菌の増殖を控える。細菌性下痢などに幅広く使われ、副作用もないため五歳以下の乳幼児にも使用が認められている。 本田教授らは大阪府堺市で検出された菌株の培養液にFOMを加えて遠心分離し、その上澄み液中の毒素量を測定した結果、O―157の出す二種類のベロ毒素VT1とVT2のうち、VT2に変化はなかったが、VT1は八倍に増えているのを確認した。 臨床使用に近い状態で毒素量の変化を調べようと、菌増殖が止まる最も薄い濃度のFOMを菌培養開始二時間後に加えて観察。菌量は急速に減少したが、VT1量は逆に増加し、培養から七時間後にはFOMを加えない場合の一六倍にも達した。 FOMは厚生省が八月に出したO-157マニュアルでも、「これまでにもわが国においてはFOMの投与が多く実地されている」と紹介。同地方会がこの夏行ったO-157治療アンケートでも、患者の九五%に抗生物質が投与されていたが、うち七四%がFOMだった。この中で溶血性尿毒症症候群(HUS)にかかった患者は投与例中二五%あり、一般のHUS発症率よりやや高かった。 VT1は菌細胞外側の薄い膜と細胞壁の間すき間にため込まれるため、FOMが菌の細胞液を破壊することで大量に放出されると見られ、本田教授は「多くの殺菌性の抗生物質が同様の傾向を示し、中でもFOMが著しかった。 生体でも同じ反応を示すどうか現時点では分からないが、抗生物質の使い方は再考した方がいいのではないか」 と話している。 厚生省の治療マニュアル作成に携わった竹田美文・国立国際医療センター医療所長の話「実験でFOMが毒素放出を促進するのは事実のようだ。今後、症状を悪化させたという臨床データーが出てくることになれぼ、マニアル改正も検討しなければならないだろう。」《この抗生物質は厚生省の治療マニュアルにも紹介され、乳幼児を《中心に広く使用されたが、効果がなかったばかりか逆に容体を悪化させていた可能性も出てきた。


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ひまあり異学




 これは重大なことでしょう。

だって治療をしない方が良いという意味でしょう。

もしも、抗生物質を投与しなかったら、死亡者がもっと少なくて済んだかもしれないのです。 



《 臨床使用に近い状態で毒素量の変化を調べようと、菌増殖が止まる最も薄い濃度のFOMを菌培養開始二時間後に加えて観察。《菌量は急速に減少したが、VT1量は逆に増加し、培養から七時間後にはFOMを加えない場合の一六倍にも達した。》




 以上は、抗生物質を菌に加えるとベロ毒素が非常に増えたというのです。

するとやはり、菌は抗生物質という毒素を食べて繁殖するとともに、その食べた毒素を形を変えて放出したのが「ベロ毒素」なのでは?そうです、「ベロ毒素」とは「菌のフン」かも知れません。


菌の役目とは「毒素を食べるだけ食べて大きくなりそしてその役目を終えて死滅して行く」という原理からみると、[エサ(薬毒=抗生物質)を食べるだけ食べてしまった、O-157菌は、糞(ベロ毒素)を残して、死んで行った。



]と言う事になりませんか?


僕は

ーーーこのO-157大腸菌は人間の体内の毒素を食べる役目なのだから、自然に任せて薬などを入れない方が安全に治るーーー

というような掲示を発表していましたが、どうやら事実として現れて来たようです。


この菌に限らず、   

 [病原菌の役目は濁血の掃除夫である]毒素で汚れ切った血液(濁血)をきれいな血液(浄血)にしてくれるのだが、人間から嫌われものにされている微生物が病原菌たちです。菌によって食べ物(毒素)の種類が違っても、この原理がわかったなら、病原菌などと言ってもかえってありがたいものだと分かるのです。

もし、この病原菌の原理が世界中のトップレベルの医学者たちに理解されたなら、今後の人類は大きな恩恵に預かることになるでしょうね。

そのときこそ、この僕にはノーへル賞が授与されることでしょう。

ノーベル賞ではないですよ。


これは僕の新発見ではないんですから。

あくまでジッチャンからの聞き伝えですから。

僕の功績は、悪い頭をフリシボッテ、やっとの思いでこの文章を書いたことです。

つまり、ないあたまをシボッタから、脳が減ったんですよ。

それで「ノーヘル笑」ね、ハイ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



追記 2014年3月23日

小学生が書いているような文章だなあ・・(~_~;)

なに、いまでも同じだ と~ (+。+)アチャー。


ところで、その後判明したのは
この大腸菌の奥にはウイルスが関与していたそうですね。

ま、恐顔のダンナの陰には、もっと強顔の奥様が控えていたというような (*^ー゜)


ま、どちらにしても、ウイルスもそうですが、要らないものを捨て去り、要るものを育てるという大使命のもと、この地球上に数えることの出来ないほど地球創始以来、住み着いているものですからね。

ごくごく新参者の人間ごときが敵う相手ではないです。それに立ち向かおうというのですから、このダンナも奥様の実力を向こう見ずで怖れ知らずなんでしょうね

この場合、ダンナは医学。奥様は地上の守護神、ウイルスや細菌様です。


神棚に「ウイルスの神」とか「細菌権現様」とか書いてお祭りするとよいですよ。 (~Q~;)


それよりも、みずからまいた種を反省して、もう入れません、出し尽くします。

という誓いでもするか・・・
毒ーーーー薬、その他数え切れないほどの毒性物質。

毒まみれになったこの社会で生き抜くには、どうしてもこのような毒素分解排泄に強大なる力をもって、援助してくれる微生物様に感謝 m(._.)m (^∧^)、オ、ネ、ガ、イ。

最近でてきたノロウイルスも同様、すべては身の内にあり。
犯人はキミだ!

体内毒素のお掃除薬に文句を言ってもダメなのね。


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《 伝染病の予防接種が病気の予約接種とは!? 》  

  ひのもと異学 初版 1996、11、26


僕は異端の医学としての『ひのもと異学』と称して“正当な”現代医学に対して、“不当な”異学をもって批判して来た。

その批判の基準として来たものは医学者や科学者からの知識ではない。

専門家から見れば『シロウト筋』の論となるだろう。

しかし、真実は長屋の八っつぁんが言おうが、熊さんが言おうが湯川博士やアインシュタイン博士が言おうがなんら変わるはずもない。

ウソはウソ、真実は真実なのだ。

僕はその異端の説の出所を、聞いてもらいたいのではないのだ。

知ってもらいたいことはただひとつ、ウソと真実を見分ける、見極めるためのヒントになるような話を伝えておきたいだけだ。

そのために聞いたものは、『ジッチャン』や『オヤジサン』からということで伝えているのだが、この僕もその点ではまったくのシロウトであって、じゅうぶんな専門的知識などあるわけもなく、うさん臭いような点もあるだろう。

それが読んだ人の気持ちの中に科学的でないというような気を起こさせて、せっかくの重要な話も思うように伝わらないのではないかと心配しているのである。

だが、医学者の中にも真実を語る人達はいるのだ。

日本でも、故千島喜久雄氏や松下博士、それらは異端の新学説として発表されているはずなのだ。

だが、これら大勢を占める真実を恐れる医学屋さんたちによって無視、もしくは埋没させられる運命にあった。

しかし、外国でも医学者が医学批判をしているのである。

ただそれらの文献が一般の目になかなか触れることがないというだけのことである。

それでも気をつけていると発見できるのである。

ぼくが市立図書館で見つけた本を紹介しようと思う。

すべての親が知るべきこと【 危 な い ぞ 予 防 接 種 】      イギリスからのメッセージ  レオン・チャイトー著   毛利子来監修  藤井俊介訳
社団法人  農山漁村文化協会  発行  
 1992年9月30日 初版  




 そのなかから、近代医学は病気についてはパスツールの細菌学説を基礎としている。

パスツールは医学者ではなく、実験化学者であった。

  彼の実験は自然の中では役立たない実験室での結果を無理やり当てはめたようなものである。

  そんなばかばかしい実験結果をいまだに信じて採用しているのが現代医学だと思うと、なるほど化け学の先生だから、うまく化かして来たなあ!と感心もするのだが。

さらに僕らが子供のころからジェンナー先生の伝記で教え込まれて来た天然痘予防の神話も崩壊するときが来たのだ。

この本に載っている事実は、「天然痘予防のための牛痘接種の効き目は完全にいつわりであるあることが明らかになった」ということだ。

ひまあり異学




《《《種痘をした、しないに関係なく天然痘はすべての地域で低下していったのである。》》》


ということは偉大な?ジェンナーの功績はどうなってんの?


《《《さらに結核、コレラ、赤痢、チフスは医療に頼ることなく自然に減少したのである。

それらの病因論が解明され、特効ある治療法?が確立される前の話である。
そのうえに、猩紅熱、ジフテリア、百日咳、麻疹などの減少も予防接種が普及する以前だったのである。》》》



これらを読むと、僕らが教科書で教え込まれたり、医学書などで信じて来た『医学の功績としての伝染病予防とその減少』は、人の手柄を勝手に自分のお手柄にしたというだけのおはなしであったようだ。

しかも予防法自体が、かえって人類に他の多くの危険な伝染病をも引き起こしているのではないかという疑惑も浮かぶのである。

伝染病でなくても予防接種が害を与えて来たことは事実として現れているのである。

パスツール以来、医学はほとんどの病気を伝染病菌のせいにして来たが、菌をたたこうとすると逆にもっと強力な菌が発生して来るということを知らなかったのである。

もがけばもがくほど深みにおちいるというのが細菌医学の矛盾点なのだから、当然その結果として、現代に至ってエイズを初めとする強力な病気を「生み出した」のである。

そればかりか、とうの昔に医学の輝かしい功績として(これは事実では無いのだが)、撲滅されたかに見えた幾多の伝染病が復活し始めているのである。

僕が時々掲示して来た『ウイルス、ばい菌の存在理由、発生原理』などがつぎの文でより真実に近くなって来たようだ。

《《《ロックフェラー大学デェボス教授は「ウイルスは細菌は、他の何かがないと、それ単独では感染症を引き起こさない」と述べている。

カロケリノス、デットマン両博士はそれに付け加えて「ウイルスや細菌だけが感染症の唯一の原因ではない。

他にも原因がある」と言っている。》》》


その『他の原因』とは何か?これはいつも言うように、体内の毒素である。

毒素の因とは『くすり』なのだから、予防接種という薬(毒素)体内に入れると、時を経て何時かは新種の伝染病発生となるのも自然の摂理で、ごく当たり前のことだろう。

まだ、読書経過中であるので、後日また要点を御紹介したい。

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2011年10月16日記事

古い転載記事で申し訳ありませんが非常に勉強になる記事ですので。
2012年は無事に過ぎ、2013年にどうにか過ぎ、いまは2014年。
まだまだこれからよ~♪ なんて楽しみな年だけど。
来年について2011年にあった予測話。
まあ、どうなるかは楽しみに、もうすぐだし
大根の輪切りみたいにきちっとは行かないだろうけど。

癌と免疫 HP様より

 

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

2015年問題

2011.2.24.


昨年末、NHKが2012年問題の特集番組を
やっていました。 ハリウッドのSF映画では、おそらく
もっとも数多くの作品のベースになっているのが
2012年問題でしょうが(形を変えて、随所に
出てきます)、日本では、「トンデモ話」としても
そんなに有名ではありませんでした。

2012年に人類が滅亡する、というお話が、
昔から、ざっとでいうとおよそ5000年ほど前から
あるのですが、もう来年なんですね。

でも、日本政府は2015年問題で騒いでいます。
ということは、人類は2012年を無事、過ごせる
という前提でいるんですね。


さて、2015年問題というのは、消費税を10%に
上げる口実にするため、財務省が大袈裟に言ってるんだ、
という見方もあるようですが、

根拠というのは、

年齢別のがん発生率と、人口動態統計により

団塊の世代が、がん多発年齢に達し、

がん患者が急増、医療費は50%アップし、

45兆円に達する、というものです。

 


今、大病院はどんどん、がん患者さんに
早期退院を迫っており、がん患者さんの
増加ペース以上に、がん難民の方が
増えてしまいそうな状況です。

こうなると、介護など、医療費には含まれない
社会保険費用も急増することになります。

民間保険会社さんから、免疫細胞療法のセミナーを
開いてほしいと、よく要請があります。
もう、標準治療が効く、効かない以前の問題で、
外科医が足りなくなるから、手術できない患者さんも
出てくる、と読んでいるようです。

この辺のマクロな数字は、政府以上に大手生保さんは
よく把握しているでしょう。 


結局、「症状を抑える」ことに集中し過ぎた現代の
日本の医療が限界にきていると考えます。

 


症状を抑えても、それは目先のことですから、
熱を出し切って、体内の余計のものを出すべき時に
熱を下げれば、「出なかったもの」が、後々、悪さをします。


  

局、患者さんは苦しむ、医療機関もケアが大変、
実は、医薬品メーカーからみても、合併症が増えるタイプの
薬剤を売ってしまうと、結局、社会保険の予算を消耗し、
薬剤代を払ってくれる、医療費の予算を圧迫するのです。


政府は、財政破綻状態の延命策を模索しているような
状況です。 


合併症が増えない治療を中心に治療設計を組み立て、
症状を抑えること以上に、「治す」ことを目指さないと
今日の医療制度も、国の財政も、破綻するのは目に
見えている、
2015年問題のシナリオは、
そう指摘しているように考えております。




TITLE:
DATE:2011年10月16日(日)収集
URL:http://ank-therapy.net/archives/1452098.html



ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 

消費税アップ、健康保険料アップ、社会保障費アップ・・アップアップ続く日本の社会事情ですが。

 

はて、アップするのは癌患者を予知している日本政府。

政府と言っても民主党になったばかり、ずっとその前からお役所官庁は知っていたこと。

素人の政治家がよくわかるはずもなく、初耳だなんって言う新米さんも古参さんも居るだろう。

しかし、こんな事はもう100年前から預言されていたのだ。

近年では40年前の国会証言集を読むとわかるし、岡田茂吉は宗教家ながらも世界の医療問題を主として説いていた。(この宗教を肯定するものではありません)

 

そしてついに2012年問題を通り越して、2015年問題が浮上してきたのだった。

まあ、2012年アセンションが話だけで終わればそうなるだろうけど。

もち、大根の輪切りの様な区切りはなくても、もうこの数年は数十年、いえ、数百年もの質の高い大変化が起こるのかと密かに期待しているが。

それよりも、もうこんな世の中めんどくさくて、いつ逝ってもいいんだけどね。

それも表面意識とやらの想いなので、奥の方のボクはどう考えているんだろうか?

え? すべておまえに任せるって?

ううーーーん。

 

おっとこれ前書きにしようとおもったけど、長いし中身が無いから後書きにした。

追記 2014年3月22日

予測通りにはなっていないかも知れませんが、概ね遠からずの状況ですね。

来年はどうなるんでしょうか?

医療費高騰は国民医療制度の破綻に通じる道です。
かならずどこかで、それが一挙に起こるのでは???

心と対策としての準備はよろしいですか?

ボクはもうずっと現代医療には99パーセントお世話になっていません。歯医者さんや診断書と死亡証明書はお世話になるでしょうが。

¥のかからない優良国民なのですけどねえ。

 

《 菌は宇宙から飛んで来た!? 》                  ひのもと異勢尋   1996、10、6


またまたヘソマガリ人のひとりごとでもうしわけない0-157の感染源はカイワレだとか牛だとか、、いろいろ言っているが、 『源』と言うのだからこれ以上無い一番奥の「原初」と言う事になるのだろうが、、、、

すると、発生源ということでは?

そこで、お尋ねしたいもんだが医学ではばい菌やウィルスが自然発生しないという学説が信じられているから、菌は必ずどこかから伝染してくるものということになるんだろう。

その菌の自然発生を否定したルーツであるパスツールの実験でも、菌がどこからかやって来たことになっている。

当然もともと空気中に菌が含まれていたことになる。

それでは菌が自然発生しないというなら、いつから空気中に生きて居たんだろう。

自然発生しないのだから、どこから飛んででも来たのだろうか。

それこそ宇宙から飛んで来たのだろうか。

それでは、この地球上に存在して居る菌のすべてが宇宙からやって来たのだろうか。

なにしろ、「自然発生をしない」のだから。

もちろん0-157もそうだろう。

コレラもライもチフスも全部、自然発生をしないのだからどこからかやって来るしか無いのだ。

ところで宇宙には酸素はもちろん空気も無い。

すべての菌はそれらが無くても生きられるのだろうか。

ましてや極端に高熱や低温の条件で生きて飛んで来たのだろうか。

それでも生きて飛んで来たというのなら証明出来るのだろうか。

もしそうなら、0-157菌は、自然発生をしないのだからすでにどこかに潜んで居たのだろう。

だから全国に発生したのだろう。

するとどこに潜んで居たのだ。

水の中か、海か、それとも空気中だろうか。

夏だけなぜ働くのだろう。

春、秋、冬いつ出てもおかしくないだろう。

いまは冬でも室内は暖かすぎるくらいなんだから。

水の中や空気中に潜んでいるんだったらこれは防ぎようがないな。

これを遮断する方法などないわけだから。

しかし、空気伝染ではないと言っているから。

水の中かな。

これ全国に出ているんだから一種の食べ物ではないだろう。

ほかの全ての菌は地球上のどこかに必ず生きて居るんだろうな。

考えてみると、これがどこかに隠れて居るとすると、絶対に防ぎ切ることは実際不可能だろう。

あの菌がどこそこに居て、この菌があこそこに居てなんて事は全然わかって居ないんだからな。

もっとも局地的限定されるなら、同時に全国発生など起きないし、世界的伝染病なども昔の交通手段の発達していない時代に起きるわけないし。

全国津々浦々、いや世界中に菌は潜んで居るということになるだろう。

それどころか、なにしろ宇宙からでも飛んでくるというんだろうから、防止策なんてあるわけないな。

今年はこれで収まったが、来年はどうなるのだろうか。

きっとまだ知らない菌がどこかに潜んでじっと出番を待っているんでは。

それともまた新たに宇宙から飛来してくるのかも。

まてよ、地球上には怖い菌ばかりではないな。

するとナットウ菌、こうじ菌、乳酸菌なども宇宙から飛んで来たのだろうか。

いろんなものがどこででも発酵したり、腐敗したりするというのはもうそこに菌が居たんだろうか。

空気中にでも浮遊して居るんだろうか。

だって世界中のどこにでも発酵する菌、腐敗する菌が活躍して居るんだから。

菌は自然発生をしないのだからね。

すると、牛山、後町両博士の『血液銀行で保存する無菌処理された血液は、たとえ冷蔵庫のなかにおいても、十日以上経つとバクテリアは自然発生する』と発表したのは。

元科学技術庁顧問、斎藤憲三氏は蒸した米から、麹菌(バクテリア)は自然発生することを発見して、工業技術院に追試実験を依頼して確認されたというが、これも。

どちらも確認すれば分かるというものだから、まさかウソの証言では無いだろうに。

ところが教科書は菌の自然発生は否定されているんだ。

一般の人達はもちろん、おそらく医学関係者の大半はこれを信じて疑わないだろうな。

菌は自然発生する  などと言うものなら、  馬鹿なことを!としかられてしまうだろう。

長いものには巻かれろと言うから。

多勢に無勢なんだから、やはり「菌は自然発生しない」のだという事にしようっと。

だからすべての菌はいつの日か、“宇宙から飛来”して来たんだ。

   すると全部が全部“地球外生物”かいな。

ナニ、、  オマエモ アヤシイ、、、
、                
 毒を撒かれないうちに退散しようっと

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《  今後も増える? 発生源を探せない伝染病  》                        1996、11、3 古い


相変わらず、0-157の食中毒が発生していますね。

よく「発生源を断定した」と言われているようですが、その発生源を何かの食べ物に特定しているのですが、カイワレやら、ハンバーグ、サラダ、、北海道のサラダには、ジャガイモ、ニンジン、その他にいろいろ入っているのですから、その中のどの食べ物がそうなのかも分かりません。

しかし、たとえそのなかの一つの材料が発生源としても、果たしてそれが本当に『発生源』と言えるのでしょうか。

『源(みなもと)』なのですから、発生した原初の材料と言う事でしょう。

しかしこの菌は、「伝染病菌」と言われているのですから、あくまでもこの材料から発生したのでは無いことになります。

この材料に菌が伝染して来たということでしょうね。

すると何かの食べ物か水かいずれ他のものを介して菌が付いて来たということですね。

そうなるとそれが『発生源』かと言うと、これも源(みなもと)にはなり得ないでしょうね。

これの前には当然別のものから菌がついて来たということでしょう。

すると、どこまでも行ってもいつまでかかっても『発生源』と言うのは見つかり得ないのではないでしょうか。

どこまでも行っても菌は「どこからか伝染して来た」と言う事になるでしょう。

それが現代の生物学の原理原則なのでしょうから。

その生物学に基づいて出来ているのが現代医学でしょうから、現在、医学では本当の『発生源』というのは永遠に探り得ないのではないでしょうか。

たしか、現代の生物学では「菌の自然発生はあり得ない」ということになっているのではないでしょうか。

だからこの理論によると、発生源はどこまで調べても決して発見出来ないことになるのです。

病源菌の発生源を探ると言って、決して探り得ることが出来ないこの学問の矛盾に気づかないで、お偉い人達が大勢してテレビや報道陣の前で真顔で討論や発表をしている姿を見ていて、僕は不思議でしようがないのです。

あんなに頭の良い人達がなんでこんなおかしな事に疑問がわかないのだろう、と。

そして一度習った学問は二度と疑うことをしないのだから、何かの宗教と同じようだな、信者は教え込まれた「教義」には決して疑いを持たない、そして批判の対象には絶対ならないのでしょう。

黴菌といえども細菌の類でしょう。

この細菌発生の否定をパスツールが実験して証明したというそうですが、パスツールは発生を否定したばかりで、ではこの地球上の無数に近い細菌類はどうして地上に存在しているのかを説明出来たのでしょうか。

もし「菌は発生しない」というのが真実であるのならば、過去から現在まで発見され、そしてこれから未来に発見されるであろう全ての菌は、原初の地球から現在まで数百万年も数億年もの間生き続けて来た菌ということになりますね。

そうすると、あらゆる種類の菌の『発生源』は地球創造の時点まで溯らなければならないことになります。

すると、発生源がカイワレだのポテトサラダなどと大騒ぎするのはナンセンスですね。

我々人間よりもずうっと古くから、もともとこの地球上のどこかに住み着いて来た大先輩たちということになりますからね。

だからこの地球上のどこに潜んでいてもちっとも不思議ではないことになるでしょう。

いついかなる時、我々の前にその姿を現したとしても驚くことではありませんね。

気の遠くなるような時を生き続けているほど丈夫な菌を、それもどこに存在しているかも知れない菌です、、それでは防ぎようも無いことが分かりますね。

完全に防ぐことは不可能な菌に対しての対策はもう一段進んで、「なぜ菌が病気の原因になるのか」ということにもっと真剣に研究されてはいかがでしょう。

しろうとが余計なことを、、と、おしかりを受けそうですが、どんなに偉い学者さんでも最初は全くのズブのシロートですよね。

いろんな常識はずれの意見も聞くことは、けっして無駄にならないでしょう。

そうして、真実の「菌と病気の関係」を知れば、それほど極端に恐れるほどばい菌が恐ろしいものだとは想わなくなるのではないでしょうか。

それを、自らの体で証明して見せたのが、ドイツの衛生学者でしたね。

彼は大量のコレラ菌を飲んで見せて真の病源は菌ではなく、自分自身の体質にあると主張したそうです。

日本でもちゃんと玄人がそのような学説を発表された人達がいたそうですね。

一人は千島喜久雄と言う生物学者です。

もう一人は自然医学で有名な松下博士でしょうか。

そうです、菌は確かに伝染もするが、『発生もする』ということを主張したのです。

『菌の自然発生』説ですね。

そうして病菌と言われるのはその人の体質に関係して来るというのです。

ひとの体質というのは根本が血液の清濁にあるというのです。

『ある原因』でひとの体内血液が汚れていると、ある種の菌はそれに繁殖するというのですね。

それを病源菌と呼ぶのでしょうが。

けれどもその種の菌が体内に侵入しても全然健康に影響の無い人達がいるのは、その人たちの体質、つまり血液の汚れが少ない状態にいると言う事になります。

このような考え方でみると、菌は自然発生しても、自然発生しなくても、どちらにしても、どこにいても逃れることは不可能という事でしょう。

この地球上に生きている以上は防ぎようは無いでしょうね。

一生、無菌室に閉じ込められて生活すれば別かも知れませんが。

ならば、菌の働きを良く知って、その菌に伝染しても繁殖しない体質を作っておけば良いのです。

すると人は健康を作ることに異常に一生懸命になり、プラスの方向プラスの方向へとだけ進みたがりますね。

これは良いことでしょうが、そのもっと前に大切な基本は、ゼロよりマイナスにならない事をしなければ良いのです。

ゼロよりマイナスの方向に進まなければわざわざプラスのことなんか探さなくてもよいのです。

ところが、その大きなマイナスの方向の面を忘れ、少しばかりのプラス方向にチナマコになっている姿を多く見かけるのです。

僕は菌の働きについてはもっともっと進歩的な考え方を聞いていますので、たとえ僕自身に菌が発生して発病してもマイナス的な考えをしていませんが。

その原理に関しては他の掲示で紹介してありますので、ここでは、菌ばかりを怖がっていないで、自分自身の血液をきれいな状態にしておけばちっとも怖くないということを言いたかったのです。

では最後に、そのマイナス方向に進まないという事をよく理解すれば良いことです。

いくらプラス方向をやっていても、大きくマイナス方向に傾いていては差し引きゼロなら良いのですが、差し引きマイナスになっていては無駄というものでしょう。

黴菌が繁殖しやすいマイナスの体質、それは濁血保有者ということでしょう。

その血液を汚す『ある原因』のものとは、公害物質、農薬、添加物類はだれにでも大抵は理解出来るでしょうが、ほとんどの人が気づいて気づかないものがあるのです、、、それがマイナスの部類でも一番の筆頭ということを理解出来ていないのです。

そのマイナスの親玉が『医療に使われる医薬品』だということに注目していただきたいのです。

それは西洋薬に限りません。

漢方薬であってもおなじことです。

漢方でも安全ではない、、、これは高橋先生が詳しいことを書いているようです。

そうです。

くすりの基本原理、『薬=毒』だからです。

毒を体内に入れると血液は濁り汚れ、濁血を作り出すということです。

いくら予防にやっきになっても、今の日本人はいくらでもウイルスやばい菌が活発に働くほど体質は汚れて来ていると思います。

おそらく来年も再来年も、もっともっと0-157に限らず伝染病菌と言われるものがどんどん増えて来るものと僕は憂慮しているのですいくら消毒を強化しても、、、その消毒薬自体が血液の汚れの原因となり、それが今度は新たな病菌の発生源となり得るからです。

そのうち消毒薬そのものの直接の害が取り沙汰されることになるでしょうし。

この先の伝染病騒ぎを想うと、ああ本当に早く真の病源を理解出来るようになってほしいと願うばかりです。

以上は現代医学に対してまったくの異論であり、どうぞ大いに疑いの目で読んでくださいね。

それが何に対しても「批判すること」の大切な基本です。

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何でしょうね?

貨幣の切り替えでもあるのかな?

不明瞭な情報だけど・・・・とりあえず・・・と。
まあ、たくさん保っているわけでも無いから安心、安全だけど 
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー


地域社会を担っている方への概要説明

イベント時、コミュニティー・リーダーへの配付資料

地域社会を担っている方への概要説明
ブログと同内容のものを、印刷しやすいようにPDFファイルにしました。
概要説明.pdf
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ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

でも、読んで見たら
アリエール♪

いや、あってもよいかな(期待したりして

さて、タンス預金も残り少ないし・・・

銀行頭取にでも電話するかなあ~~
「はよ、もってこいや」

「オキャクサマ、ザンダカアリマセン」 ガクリガクリううっ...


   《 ひ の も と 健 康 法 》    
                   自分で自分の病気を確かめて見よう
  ひのもと異学   1996年 初犯


ひのもと療法(この名称は要らない先入観を持たないための仮称です)自分の体を触ってみることです。

頭のてっぺんから、足のつま先までよーく触って見ましょう。

すると必ずどこかに熱のある所があるはずです。

そこを良くひのもと治療法することです。

そして、後は押して痛い所。

指先で丹念に押してみてください。

首でも肩でも胸でも脚でも間接のどこでも、特に痛い所は必ず何カ所かあると思います。

そこがポイントです。

なお押しても痛くなくても、そこが晴れ上がったようになって膨らんでいる所がある場合。

それも毒素の集溜する場所です。

そこも良く溶かしておくべきです。

肩でもそうですが、堅い肩の人は浄化のときにもろいタイプです。

柔らかくなるまで毎日時間さえあればひのもと治療法を欠かさないで下さい。

いつも言うように、ひのもと治療法の良いところはやり過ぎの無いところです。

普段なんでも無いときからのひのもと治療法こそ一番の効果を上げるコツです。

                        朝夕わたしのまわりを毒の塊が歩いているなんだか妖気ただよう光景を思い浮かべるだろうが、それはあなたの父であり、母であり、兄妹、姉弟なんだ。

そして“あなた”でもある。

じゃあ、おまえはどうなんだ!と言われると、“じつは私もそうなんです”と白状するしかない。

街を歩いていてきれいなオネエチャンを見かけると、心から喜びがわいてくるのは私だけだろうか。

そんなとき、フト今言った事を忘れてしまう。

「なんてつやつやした肌なんだろう!きっと中身もきれいなんだろうな」などと、つい思ってしまうのだ。

いやいや、だまされてはいけない。

(もっともオネエチャンがだましているわけないんだけど‥)この世の中で体の芯まできれいなニンゲンなんて居ないのだ。

みんなみんな、毒の塊を持っているんだ。

だから私の周りを歩いている人はみんな毒の塊が歩いているようなものなんだ。

そう思うと、きれいなオネエチャンも心なしか少し汚く見えて来た。

あの美しい顔の下に醜い顔が隠されているのだろうか?‥そんなありもしないことをつい考えてしまうのだ。

しかしそういうことではない。

つややかな肌の内部は肉とか血液とか骨である。

その血肉の中に毒が混じって、固まっていると言うのだ。

現代人に例外はいないと言う。

体内に保有毒素を持たない者は一人としていないと言うのだ。

どんな人でも親からまたその親からと、祖先から受け継いだ毒素を持っている。

それを[先天性毒素]と言う。

そして生まれてから入れた毒素。

これを後天性毒素と呼ぶ。

この毒素とは「薬毒」のことなのだ。

風邪を引いたとき飲んだ薬、胃が悪いと言って飲んだ薬、学校へ上がって予防だと言って打たれた注射、みんな[薬毒]なのだ。

それらが体の中に溜まって、それらのエキスみたいになったのが[毒素]である。

もちろんその他、食品添加物や公害物質などもこの[毒素」の仲間に入る。

このように現代人は[毒の塊]と言っても良いのだ。

ただ美しいい皮膚で隠されているから、中身まできれいだと思い込んでいるだけなんだ。

こんな毒塊人間がいばりくさって理屈をこねて、世の中をきりもみして行こうというのだから、うまく行くわけない。

これでは世界中がおかしくなるはずだ。

日本でも今の現状がそれを雄弁に物語っているではないか。

あんなにオエライさん方が一生懸命考えてやって来たことがみんな破綻しようとしているではないか。

いくら立派な理屈を述べても中身が汚いのだから、上滑りでどうしようもないのだ。

現に私がそうなんだから。

さっきまで随分偉いことを言っていたのだが、さて二、三歩、歩いたと思ったら、もう忘れて我がまま勝手の気分次第、「分かっちゃいるけど止められない‥」って言葉がそのまま。

それもこれも身の内の毒が十分詰まっているからだ。

私は薬を止めて十五年、その間すいぶんひのもと療法をして毒素を減らしたつもりだが、なになに! 毒素は一生無くならない? 無くなるには二三代かかると言うのだから、いやになる。

それほど多いのだ。

もし人間の体から毒素がほとんど抜けると、寿命が百二十才というのが普通になると言うのだから。

そうして、この毒素というのは人間が神経を使う所ほど集溜固結する。

現代人が神経を一番使う所と言えば頭脳である。

そこを目がけて毒素が集まろうとする。

すると、途中下車ではないが、肩や首の周りに固まる。

どんな人でも首の周りや肩の周りに塊があるから、押してみると判るはずだ。

グリグリがあったり、浄化して熱いところ、押して痛い所、みーんなそれが毒の塊なのだ。

肩や首が痛い、肩や首がこるなどと言ってしかめ面をする人があるが、みんな身の内の毒のせいなんだ。

そして自然にその排毒作用、すなわち[浄化作用]が始まると熱で溶かし、鼻水や痰で排泄しようというのが[風邪]である。

「放っておけば順調に排泄され、毒素が出た分だけ血液がきれいになり健康になれる」という、天の恩恵による作用だという事を知らないため、極力止めようとする。

その方法が氷冷や[薬という毒]を入れることなのだ。

せっかく出ようとする毒素を固めるばかりか、そのうえに薬毒まで追加するのだから、毒塊人間はますます増長することになる。

終いにはそのきれいなお肌までも犯して、汚い毒素のヘドロが吹き出してしまうのではないだろうかとも考えてしまう。

まさに「罪のうえに罪を重ねる」という言葉が当てはまるのだ。

頭脳を中心に集まった毒素のため、頭脳は明晰を欠き、一見頭がいいように見えて、中身が丸っきりという愚鈍な人間ができあがってしまう。

そんな人間が集まってりっぱな理屈を言ってひしめいているのだから、まともな世の中になるわけないだろう。

こう言うと私がずいぶん頭脳明晰な人間と言いたがっているようだが、この論はあくまでも受け売りなのだから勘違いしないように。

  ただ、私がみなさんと違うのは、できるだけ毒を入れないようにし、できるだけ減らすという方向にいるという点である。

                            [治療についての注意]                             表舞台より楽屋を見ろ「ひのもと治療法」(一切の先入観を持たないための仮称とします)ひのもと治療法(仮称)による治療について、いろいろな注意点について述べてみます。

勿論これも人様からの受け売りの論ですが、実際にやってみると「なるほど」と感心する大事なポイントだと思います。

人間の体は霊体一致を原則としますが、霊と体とに区別する時は、背部は霊となり、腹部は体に相応するのであります。

「見える表の裏側をよく探れ」という訳です。

いつも言いますように、『霊主体従の法則』により、あらゆる病患は背部が重要であり、背部の治療をよく行わなければ真の効果はないのです。ちょうど影絵の裏側をのぞくと動いている本体があると同じように、直接見える影絵よりも見えていない裏側の方が本体という事なのです。

つまり背部裏側の毒素が溶解しただけは、前部、表側の病患は軽減する訳です。

たとえば、胃ケイレンの激痛であっても、その激痛部だけの治療では効果は少ないのです。その場合、背部を診れば左右何れかの肩甲骨と背柱との中間に必ず固結があるものです。

その固結をひのもと療法をすると、すみやかに胃部の激痛は解消するものなのです。

それでは、その固結は何であるかというと、これは薬剤の固結したものです。

薬を飲み続けていて、人間夜は必ず横になって寝る関係上、胃の後方から浸透し、背部へ沈殿固結するのです。

薬毒は固結すると共に、必ず微量づつであっても溶け出すものですから、それが少しでも重みのある毒素ですから、下へ下へと下降するというのが原理です。

また湿性腹膜炎における膨満も、化膿性腹膜炎の膿結も背面腎臓部へ沈殿固結したものです。

原因が背面腎臓部にあるのです。

その他、心臓、肺、胃、腸に関する疾患も、すべて背部を主に冶療すべきです。

                       健康の判定は肩の柔軟度をみろ次に、人間の健康、不健康を判別するについて、最も明確に知り得る方法として、まず肩部を診る事です。

肩部が柔軟で、指で圧して指頭が一寸位没するような人は必ず健康なのですが、肩部が硬く柔軟でない人は不健康と断定してもさしつかえないと思います。結核患者は例外なく肩部が固く、重患者といえども肩の柔らかい者は回復し易いのです。

軽病者であっても肩の柔軟な者は回復し易いものなのです。

反対に軽症者であっても肩部が強く堅い者は回復困難と共に、強い浄化が発生し易く、その為、生命の危険にまで及ぶことは免れ得ないものだからです。

それほど体内の毒素は上半身、特に首肩に集まりやすいのです。

肩に毒素が少ない人は、やはりからだ全体にも少ないという事でしょう。

肩を柔らかくするには、肩の毒素を少なくするしかありません。

そのために常に日頃から毎日肩のひのもと治療法をすることをお勧めします。

そこで、理想的健康診断法して肩部の柔軟度を診る事こそ、正確であり、簡単である事を広く世の人にお知らせしたいのです。                            頭痛は首の周りを調べる次に頭痛の場合には、必ず前額部に熱発を認めるのですが、その額の部をひのもと治療法治療してもあまり効果がない事があります。

その場合に、耳下腺を主とし、リンパ腺へかけて大抵の人は固結があるのですから、そこを治療することによってすみやかに解熱し、頭痛は去るものなのです。

そえゆえに頭痛以外の一般発熱者に対しても、耳下腺、リンパ腺、扁桃腺等を一応指査すれば必ず大小の固結(グリグリしたもの等)が判りますから、そこの箇所をねらってひのもと治療法治療することによって下熱する場合が多いのであります。

                   ひのもと治療法は下熱する力ではない。

しかし下熱するこの「ひのもと治療法をすると下熱する」という事は、ひのもと治療法というのは熱を冷まさせる力というのではありません。

熱の発生が不必要になるという事なのです。

人間だれでもが持っている体の自然の働きによって固結毒素を溶かす、その際に熱が必要です。

つまり自然良能力が働いて、「高熱で固まっている毒素を溶かし出す」というのが「発熱」の原因なのです。

ところが、ひのもと治療法の力とは太陽熱の霊熱と言える「火素」なのですが、これによってもっと容易に毒素を溶かす事が出来るのです。

そのため自然良能力を強力に援助する、バックアップするという意味で、熱がなくても固結毒素を溶かす事が出来るので、その結果として「ひのもと治療法すると下熱する」ということになります。

これは体の働きが毒素排泄のための浄化作用を行っているところに、『ひのもと治療法』という味方が付いたようなものです。

反対に冷やしたり、薬という毒を入れることは、自然の体の働きを阻止することなのですから、強力な邪魔者が生命力を弱めるという働きなのです。

「熱が出ると苦しい。

だから冷やす。

」というのは一見合理的な方法のようですが、実は「せっかく溶け出そうとする、体にとっては有害な毒素を再び固めて出さないようにする」という、愚かな方法なのです。

そうしてもちろん、『薬は毒』そのものですから、毒を体に入れると生命力を弱めるので、とうぜん自然良能力の働きが弱くなります。

すると浄化する力がなくなるのですから発熱も引っ込んでしまいます。

その結果、見かけ上は「熱も引いて、病気が治った」と言う事になります。

しかし、浄化(病気症状)の因は体内に溜まった毒素なのですから、いつか再び、入れた薬毒を加えてさらに強力な浄化作用(病気)を予約してしまった様なものです。

次に腕、指などの疾患の場合、その本原であるリンパ腺から肩、腕の頂部に当たる所を充分治療すべきです。

それによって手指といえどもその治療が容易に奏功するものなのです。

「ヒョウソ」など、激痛を伴う腫れ物の原因がその手指にあるんではなく、実は頸や肩の辺にあるとは夢にも思わないでしょう。

だからひのもと治療法をする場合に、痛む手先だけを治療していてもなかなか良くならないのは、そこが本元ではないからです。

したがって脚に関する疾患も右と同様その根源である腎臓部、脚の付け根等をよく治療すべきです。

また、ひざが痛いといっても、その裏側に原因があることもあります。

                                 平均浄化作用さて、ここでまた重要な事があります。

それは『平均浄化作用』と言うことです。

ひのもと治療法で、ある一局部の溜結毒素を溶解した場合、間もなくその箇所以外の局部に浄化が起る事があります。

これを『平均浄化作用』と言います。

たとえば、左腕が痛むからそれを治療すると、今度は右腕が痛みだす。

それを治療すると背中が痛むというように、ちょうど痛みが移動する様に思えるので、患者も痛みの移動を訴えるのですが、実際は痛みの移動などという事はあり得ないのです。

これらは平均浄化作用に因るものなのです。

ひのもと治療法によって体の一部がきれいになって来ると、その周りも同じようにきれいになろうとするのですから、とうぜん浄化作用が発生するわけです。

その浄化の際の苦痛ということになります。

だから平均浄化作用というものが発生するということは、体内が浄血して行くのですから、「真に治って行く」という本当の治療方法だと思います。

         浄化はありがたい。

病気はありがたくない。

しかし浄化は病気だ?浄化作用によって固結毒素が溶け出すと、周りの神経を刺激しますから、浄化にはどうしても痛み苦しみが付きものなのです。

それで病気と名付けたのでしょうが。

だから浄化は「ありがたいもの」ですが、反面苦しいものなので「嫌なもの」なのでしょう。

その浄化作用の苦痛症状の面のみを見ているのが、「医学の考え方」です。

苦痛という症状を止めることのみを研究している、いわゆる「対症療法」です。

苦痛症状さえ止めれば病気は治ると思い込んでいるのですが、影絵の影のみを追い続けるばかりで、ちっとも裏側の本体、本源を見つけられないので、全然的外れな治療方法を行っている訳です。

そうして新たに病気(浄化作用)の原料を入れているのですから、無知という事は恐ろしいものです。

                     愚かであった人間の歴史が終わろうとしているほかのことならいざ知らず、これは人間にとって一番大切な、「生命と健康」を犠牲にする「愚かな行為」なのですから。

「愚か」とは「無知であった」ということです。この愚かなことを長い間一生懸命やって来たのは、先祖を含めて全人類と言っても良いでしょう。

責任はひとり医学者だけではないのです。

我々一人一人がそれを真理として認めて来たのですから。

愚かな人間がいくら考えても、全く気づくことの出来なかったこの真実を知ることが出来たのは、まさに時節の到来と言うしかありません。

ある人物を通しての神の恩恵は全人類に行き渡るという「天与の時」を思わずにはいられません。

しかし、私はその「ある人」を紹介するのが目的ではありません。

あるひとりの人間を通して伝えられた「真実」を、さらに私という人間を通してあなたに知らせたいのです。

「真実」それだけを知らせるということが一番の目的なのです。

愚か者の一人であった私にもたまたまその機会が訪れ、そうして、それをあなたが受け取る。

そのいうようにして、真実を知る者が鼠算式に増えて行くのではないかと思います。

                                                                  ひとやすみ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
 追記 2014/03/19

病気は毒出し現象。
毒を入れると病気という毒出し現象が起こる。(浄化作用)
そして、
精神的要因がそれに引き金をひく重要点・・・らしい(笑い

「自分を許す」 
そして、
毒を入れない(薬=毒)  もちろん、化学物質以外にも多種多様の毒物がある。
毒まみれの環境でしっかり毒出しをしていこ~う。

金まみれの環境でしっかり金出しをしていこう 







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《 人類原始の病気発生と薬の起源 》  
 ひのもと異学                        1996、9、13 初犯


巷では「薬害事件」で騒々しいですね。

でもこれは当たり前だと僕はいつも言うんです。

そこでもっと深い根っこの方を探ってみました。

    【薬の起源】「薬の起源」と言うと、どうして薬が出来たかということになりますね。

まず、薬の使用は「人間に病気が発生したとき」から始まったと考えられますね。

人間にもしもまだ病気というものがなくて、まったく健康で過ごしていたのなら、当然「くすり」などというものは必要が無かったはずです。

しかし、今ではその必要があると思われている「薬」と名の付くものは、現在、世界中で200000(二十万)種以上あるというから驚きです。

果たしてこんなに多くの薬が必要なのかどうかは別にしておいて、どうして人類に薬というものが登場したのかという起源を説き明かすべきでしょう。

そうしてこそやっと、「薬」というものの基本的な正体が分かるというものです。

当たり前のことなのでしょうが、人類が初めて薬を使ったときは、病気予防のためでは無かったのでしょうね。

病気を体験もしないうちから「予防」などを考える必要も無いからです。

やはり、人間が最初に「病気」という苦しみを体験したときこそ初めて、「薬」を必要とする時であっただろうと考えられます。

そうなると、「薬の起源」を探る前にどうしても「病気発生の起源」を説き明かさければならないことになります。

現代医学がいかに進歩発達したと言っても、この根本的な疑問を説き明かすことが出来ないのですから、本当は医学は未熟なのだということに気づきませんか。

もっとも「未熟だからこそ進歩の必要がある」のでしょうが。

「進歩している」という事は、まだまだ「未熟で未完成、不完全」だという事の裏返しの意味なのですね、はい。

  【 病気の起源と薬の起源 】そこでこのことを話すとき、ぼくは何か気持ちがわくわくして来るのです。

この事は今迄の歴史において世界の医学者はもちろん、いかなる科学者、聖人賢哲でさえ説き明かしていない事柄だからです。

いやそういう英明な人達こそ知らない内容なのだったと思います。

それでは僕が人類史上初めて発見したかというと、残念ながらまったくの聞きかじりでして、既にこれを解明した人物が唯一人いたのです。

今はその人名を紹介することは目的外なので、話の要点だけをお伝えしたいと思います。

例によって、あのおじいさんから、そしてそれをお父さんへと伝え聞いて来たお話しという事で、、、実はもうこの話の内容は、とっくの昔に発表されていたのです。

しかし、今聞いても新しい説のように聞こえるのは、その当時の皆さんが聞く耳を持たなかったせいもあるでしょうし、広く伝わらなかったのは、理解するには時期が早過ぎたというしかないのでしょう。

伝えても伝えても、それを理解吸収出来得なかったのは、受け入れる側の準備ができていなかったのでしょう。

しかし、今は時代が違うと僕は思うのです。

これを理解出来る態勢の時に入っているのだと確信します。

何事も「天の時節が来た」と言われるときが来るように。

前置きはこれくらいにして、それでは僕が代々伝え聞いた秘話、、じゃない、公言されていたお話し改めて皆さんにお伝えしようと思います。

あまり簡単なんで驚かないでください。

  真理なんてのいうのはあまり難しいことではなく、だれにも分かりやすく、ごく簡単明瞭なんですね。

       【病気の起源】時は人類の未開野蛮時代にさかのぼります。

だんだんと人口が増えるに従って食物が不足して来たのは想像出来ますね。

現代のように耕作物などが発達していない時代なのだから、自然の中にある物を手当たり次第に採っては食っていたはずです。

山のもの、川のもの、海のもの、、いたる所で木の実、草の実、虫類、貝や魚などを手当たり次第、とっては食って食欲を満たしていたのです。

知恵も知識もまだ発達していない未開時代の人間に、その食べ物の良否を見分けるすべもないのだから、めったやたらに食いまくって腹を満たそうとしたわけですね。

とりあえず食えるものは「食べ物」になるというわけです。

しかし自然の中の食物とはいえ、その中には当然毒性のあるものが含まれていたはずです。

するとそれを食べた人間はその毒物に当てられてしまい、毒物中毒で苦痛を起こしたのです。

その苦痛症状を『病気』と名づけたわけですが、これが人類に初めて「病気」が発生した起源という事になります。

もしもこれが苦しまないでポックリ逝ったとしたら、病気などとは騒がないでしまったかも分かりません。

   【薬の起源】さて次に、当然でしょうが、そこに『くすり』の必要性が出て来たのでしょう。

病気がまだ発生しない前に、病気を治すための「くすり」というものの必要があるはずもないでしょうからね。

そうして、毒物に当てられた人間はなんとかしてその苦痛から逃れようとして、「草根木皮」(実際は植物ばかりか動物、鉱物も含まれたと思うが)を試みたわけです。

それこそ訳も分からないながらも、苦痛から逃れるため、ずいろんなものを試しに口に入れてみたのでしょう。

すると、その中には食するとたまたま苦痛が軽くなるのものもあるので、これを「くすり」と称してありがたがったのです。

以上が「病気発生と薬」の起源なのです。

現代での数え切れないほどの病気を考えると、あまりにも単純で簡単すぎるから「頭の良い人」にはかえって理解出来ないのではないかと心配するくらいですね。

しかし二十世紀の現代に存在する無数の病気の出発点、原点はここにあったのです。

そして『薬学』とは草根木皮をはじめ、自然の中から種々のものを利用して薬として使い、人類の長い歴史の間にそれらを体系化して薬学の基本を作り上げたものです。

西洋でも出発点は同じで、近世になってそれを化学合成物質に置き換えただけのことで、基本は同じでしょう。

だから今の漢方薬も西洋薬も当時は同じく「自然の毒物」を利用していたのです。

「ハーブ」などと言うと新しいように聞こえますが、言い換えれば西洋の漢方薬ですね。

さてここで問題になるのは、確かに草根木皮や鉱物、動物等で病気の苦痛が楽になったのですが、果たしてこれで本当に病気が治ったのでしょうか知識も知恵も発達していなかった未開人にとっては、苦痛が減ったのですから「薬で病気が治った」と思うのは当たり前ですね。

ところが実際は毒物を体内に入れて病気が治るわけは無いのですから、病気に対して薬を使うという方法が出発点から間違ってしまったのです。

こうして人類は出発点から重大な過ちを犯してしまったのです。

     「苦痛を緩和すると病気が治る」というのと     「病気が治ると苦痛が緩和する」というのは根本的に全然違っているのです。

けれども未開野蛮時代の人間に、そんなことを考える知恵も頭脳まだなかったのでしょう。

だから、苦痛が起こればその苦痛をやわらげる事で、病気そのものが解決すると思い込んだのも無理がなかったのですね。

しかし、その未開蛮時代の考え方をずうっとそのまま進歩発達させて来たのが現代医学の基本的考え方なのだから、驚きなのです。

だから外見はものすごく立派で、いかにも科学的に見える現代医学が、実は原始時代の人間がそのまま現代にまで生き続けてやっている野蛮未開時代の代物とあまり変わりがないのではと思ってしまいます。

そうして、「進歩した」と言って大半の人が称賛している現代医学に対して、「実はあまり病気が治せないのでは」と疑問を持つ人は意外に多くなって来たのではないのでしょうか。

それは一部の一般の立場の人に限らず、現に医学側の立場にある医師にも居るのです。

というのも、結局は事実は事実だからなのでしょう。

これはどう理屈で言いくるめようと、真実を隠そうと、やはり最終的には現実にその結果現れて来るからです。

その「事実」というのは医学が「いろんな病気を解決した」と言う後から後から、それらよりもっと治療の難しい難病奇病が発生して来るという事でしょう。

「医学が何か根本的に重大な間違いを犯しているのではないか。

その為に医学が逆に病気を増やしているのでは、、?」という逆説まで思い浮かべる人が出て来ても不思議はないのです。

そのすべての根本原因は、人間に初めて病気発生したとき、薬を使用した時点で、重大な間違いを犯したことは述べました。

人類はその時の大きな『間違い』をそのまま進歩発達させて来たのです。

それが現在「医学の進歩」と言われるものの本質、中身なのです。

『間違い』を進歩発達させるとどうなるでしょう。

そう、より『大きな間違い』を引き起こす事だけですね。

それがもともと医学の本質なのだと言うと、にわかにも、じっくりと考えても信じ難いことでしょうね。

それを検証するには『間違い』を一つ一つ解きほぐして行くしかないですね。

    ◆ クスリ(薬)の間違い実は病気の苦痛緩和のために使用した草根木皮類は自然の中に存在する毒物だったわけです。

つまり、最初食べ物に含まれていた毒物に当てられて苦しみ、その苦しみを緩和するためにさらに新たなる毒物(くすり)を体に入れたのです。

   《 毒を毒で一時的に固める。

》有毒物を使用すると苦痛が一時停止するという原理を知らなかった人間は、(いや近年になって知り得たしてもそれを放棄出来なかったのでしょう?)むしろ、     「 薬とは病気を治し、健康にする物質 」と考えて非常にありがたがったのです。

だからこの薬を研究し、進歩発達させて行けば、いつか必ず人類から病気を追放することができると思い込んでしまったのですね。

「一度思い込んだら死ぬまで」どころか、人類の歴史上一度も気が付くことなく何世紀にもわたって、その「間違った思い込み]は代々にわたって続いて来たのですから全く不思議の感がするばかりです。

    薬学の常識では薬は毒物である。

もちろんこれは漢方薬でも同じことで、自然の生薬とか言うが自然の有毒物でないと薬にはならないというのが薬学の常識ですね。

   ◆ 病気の原理ここで「病気発生の起源」に戻って、自然の中の食べ物の毒物に当たり、苦痛を起こしたとき、それが人間の病気の始まりという事ですが、では『病気とは何か』ということになります。

この『病気』というのは人間に初めから備わっている自然良能力による『浄化作用』ということなのです。

一言で言うと、体内にあってはならない汚物の清掃作用であるのです。

したがって体内の汚物さえ無ければ、元気はつらつで一生健康で長寿を全うすることができるのです。

しかも自然死ですから、苦痛も無く大往生でき得るのです。

本来、人間の寿命はこの汚物さえ無ければ百二十歳くらいは普通に生きられるというのですね。

むろん不老不死なんてのも自然の摂理から外れているでしょうが。

けれども人間が生きて行く間にはどうしても知らず知らず内に有害物が入って来ます。

そうしてこの有毒物は残存蓄積されて行くのですから、体内にはどうしても汚物が濃縮された毒素が溜まります。

しかしありがたいことには、人間の健康と寿命を左右するこの「汚物」が体内に入れば、体外に排泄する働きが生まれながらに備わっているのです。

これが『自然良能力』によって起こる『浄化作用』の働きです。

心臓に働きのように、自分の意思で命令しなくても不断に浄化作用が働いていて、汚物の浄化を促進させているのです。

そして、その「汚物」とは何か?と言うと、人体にとって「毒」であるものです。

だから毒性のある食べ物を食べれば、当然、浄化作用つまり排毒作用が起こります。

毒物を排泄するための働きですが、その毒物をいろんな形にして体外に出すための過程でいろんな苦痛症状が起きて来ます。

その浄化に伴う苦痛症状を『病気』と呼んだのはお解りですね。

そして楽になろうとしていろんなものを食べてみた、すると楽になった。

それでこれが『薬』と呼ばれたのでしょうが、実は排毒作用が一時停止しただけで、浄化作用の働きを一時的に停止させたんですね。

自然良能力つまり生命力を弱めると浄化力が弱まるんです。

生命力を弱らせるに一番効果があるのが、毒(くすり)を体内に入れる事だったのです。

毒によって起きた食中毒をまた別の毒によって一時停止した。

「薬効」とは一時的な毒の力の一面のことです。

今で言う「薬の主作用」というわけです。

しかし「毒を毒で固めた」だけのことですから、排毒作用を毒で一時的に停止しただけですから、苦痛が緩和して楽になったのも一時的のことで、将来の病気を予約しているのです。

だから苦痛はおさまったが本当は病気は治っていないのです。

それどころか造っているのですから大変なのです。

「本当に病気が治った」ということは、排毒作用が完了して体内の汚物が無くなった状態です。

そうすればもう浄化する必要がないのだから将来も苦痛が起こらない分けです。

こうして人間が薬を使用したときから人類の病気を増やす道への一歩を歩み出したというわけです。

薬で病気が治ったように見えても、依然として汚物が体内に残り、そればかりか浄化停止に用いた毒物が追加されて、人為的病気が次々と造られて行ったのですが、そこに唯一人も気が付かないで延々と続いて来たというのも驚きです。

自ら病気をつくり出し、自ら苦しむという愚にいままで気づかないで来たのは全く不思議というしかないでしょうね。

未開野蛮時代の人間の頭脳をそのまま現代にまで後生大事にもって来たというしかないでしょうか。

     【 病気と薬の未来 】薬で病気を治そうとするのはモグラの頭たたきです。

しかもそのモグラは、たたけばたたくほど大きな頭になり、しかもより凶暴性をおびて人間に刃向かって来ます。

このままで行くと薬はもう待ったなしに牙をむいて来ることになるでしょう。

現代人の体の中にはもう十分すぎるほど汚物が蓄積されているからです。

今迄のようにじわじわと蝕んで来た(だから薬のせいだとは気が付かなかったのだろうが)時代も終わり、今度は薬を使ったのがすぐにでも分かるような結果が現れて来るという恐ろしい時が来なければよいのですが、、、、こんなことは妄想であって欲しいですね。

医学はすぐにでも難病重病を治して、暫時重い病気を解決して行って残るのは軽い病気ばかりにして、病院が暇になって行くという事実をもって、こんな話を一笑に付してもらいたいのものですが。

いかがでしたか?  理解でき得る内容でしたでしょうか。

そんな作り話!と思われたでしょうか。

何れにしても、これは世界中の医学の常識とかけ離れた、異常識ですね。

だから「異学」なんですが、聞いたこともない情報だから価値があると思っても良いんでは?、、、、コレデモクロウシテカイタンデスヨ、、、、。

ノウガナインダカラ。

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