ひのもと異学 1996、9、13 初犯
巷では「薬害事件」で騒々しいですね。
でもこれは当たり前だと僕はいつも言うんです。
そこでもっと深い根っこの方を探ってみました。
【薬の起源】「薬の起源」と言うと、どうして薬が出来たかということになりますね。
まず、薬の使用は「人間に病気が発生したとき」から始まったと考えられますね。
人間にもしもまだ病気というものがなくて、まったく健康で過ごしていたのなら、当然「くすり」などというものは必要が無かったはずです。
しかし、今ではその必要があると思われている「薬」と名の付くものは、現在、世界中で200000(二十万)種以上あるというから驚きです。
果たしてこんなに多くの薬が必要なのかどうかは別にしておいて、どうして人類に薬というものが登場したのかという起源を説き明かすべきでしょう。
そうしてこそやっと、「薬」というものの基本的な正体が分かるというものです。
当たり前のことなのでしょうが、人類が初めて薬を使ったときは、病気予防のためでは無かったのでしょうね。
病気を体験もしないうちから「予防」などを考える必要も無いからです。
やはり、人間が最初に「病気」という苦しみを体験したときこそ初めて、「薬」を必要とする時であっただろうと考えられます。
そうなると、「薬の起源」を探る前にどうしても「病気発生の起源」を説き明かさければならないことになります。
現代医学がいかに進歩発達したと言っても、この根本的な疑問を説き明かすことが出来ないのですから、本当は医学は未熟なのだということに気づきませんか。
もっとも「未熟だからこそ進歩の必要がある」のでしょうが。
「進歩している」という事は、まだまだ「未熟で未完成、不完全」だという事の裏返しの意味なのですね、はい。
【 病気の起源と薬の起源 】そこでこのことを話すとき、ぼくは何か気持ちがわくわくして来るのです。
この事は今迄の歴史において世界の医学者はもちろん、いかなる科学者、聖人賢哲でさえ説き明かしていない事柄だからです。
いやそういう英明な人達こそ知らない内容なのだったと思います。
それでは僕が人類史上初めて発見したかというと、残念ながらまったくの聞きかじりでして、既にこれを解明した人物が唯一人いたのです。
今はその人名を紹介することは目的外なので、話の要点だけをお伝えしたいと思います。
例によって、あのおじいさんから、そしてそれをお父さんへと伝え聞いて来たお話しという事で、、、実はもうこの話の内容は、とっくの昔に発表されていたのです。
しかし、今聞いても新しい説のように聞こえるのは、その当時の皆さんが聞く耳を持たなかったせいもあるでしょうし、広く伝わらなかったのは、理解するには時期が早過ぎたというしかないのでしょう。
伝えても伝えても、それを理解吸収出来得なかったのは、受け入れる側の準備ができていなかったのでしょう。
しかし、今は時代が違うと僕は思うのです。
これを理解出来る態勢の時に入っているのだと確信します。
何事も「天の時節が来た」と言われるときが来るように。
前置きはこれくらいにして、それでは僕が代々伝え聞いた秘話、、じゃない、公言されていたお話し改めて皆さんにお伝えしようと思います。
あまり簡単なんで驚かないでください。
真理なんてのいうのはあまり難しいことではなく、だれにも分かりやすく、ごく簡単明瞭なんですね。
【病気の起源】時は人類の未開野蛮時代にさかのぼります。
だんだんと人口が増えるに従って食物が不足して来たのは想像出来ますね。
現代のように耕作物などが発達していない時代なのだから、自然の中にある物を手当たり次第に採っては食っていたはずです。
山のもの、川のもの、海のもの、、いたる所で木の実、草の実、虫類、貝や魚などを手当たり次第、とっては食って食欲を満たしていたのです。
知恵も知識もまだ発達していない未開時代の人間に、その食べ物の良否を見分けるすべもないのだから、めったやたらに食いまくって腹を満たそうとしたわけですね。
とりあえず食えるものは「食べ物」になるというわけです。
しかし自然の中の食物とはいえ、その中には当然毒性のあるものが含まれていたはずです。
するとそれを食べた人間はその毒物に当てられてしまい、毒物中毒で苦痛を起こしたのです。
その苦痛症状を『病気』と名づけたわけですが、これが人類に初めて「病気」が発生した起源という事になります。
もしもこれが苦しまないでポックリ逝ったとしたら、病気などとは騒がないでしまったかも分かりません。
【薬の起源】さて次に、当然でしょうが、そこに『くすり』の必要性が出て来たのでしょう。
病気がまだ発生しない前に、病気を治すための「くすり」というものの必要があるはずもないでしょうからね。
そうして、毒物に当てられた人間はなんとかしてその苦痛から逃れようとして、「草根木皮」(実際は植物ばかりか動物、鉱物も含まれたと思うが)を試みたわけです。
それこそ訳も分からないながらも、苦痛から逃れるため、ずいろんなものを試しに口に入れてみたのでしょう。
すると、その中には食するとたまたま苦痛が軽くなるのものもあるので、これを「くすり」と称してありがたがったのです。
以上が「病気発生と薬」の起源なのです。
現代での数え切れないほどの病気を考えると、あまりにも単純で簡単すぎるから「頭の良い人」にはかえって理解出来ないのではないかと心配するくらいですね。
しかし二十世紀の現代に存在する無数の病気の出発点、原点はここにあったのです。
そして『薬学』とは草根木皮をはじめ、自然の中から種々のものを利用して薬として使い、人類の長い歴史の間にそれらを体系化して薬学の基本を作り上げたものです。
西洋でも出発点は同じで、近世になってそれを化学合成物質に置き換えただけのことで、基本は同じでしょう。
だから今の漢方薬も西洋薬も当時は同じく「自然の毒物」を利用していたのです。
「ハーブ」などと言うと新しいように聞こえますが、言い換えれば西洋の漢方薬ですね。
さてここで問題になるのは、確かに草根木皮や鉱物、動物等で病気の苦痛が楽になったのですが、果たしてこれで本当に病気が治ったのでしょうか知識も知恵も発達していなかった未開人にとっては、苦痛が減ったのですから「薬で病気が治った」と思うのは当たり前ですね。
ところが実際は毒物を体内に入れて病気が治るわけは無いのですから、病気に対して薬を使うという方法が出発点から間違ってしまったのです。
こうして人類は出発点から重大な過ちを犯してしまったのです。
「苦痛を緩和すると病気が治る」というのと 「病気が治ると苦痛が緩和する」というのは根本的に全然違っているのです。
けれども未開野蛮時代の人間に、そんなことを考える知恵も頭脳まだなかったのでしょう。
だから、苦痛が起こればその苦痛をやわらげる事で、病気そのものが解決すると思い込んだのも無理がなかったのですね。
しかし、その未開蛮時代の考え方をずうっとそのまま進歩発達させて来たのが現代医学の基本的考え方なのだから、驚きなのです。
だから外見はものすごく立派で、いかにも科学的に見える現代医学が、実は原始時代の人間がそのまま現代にまで生き続けてやっている野蛮未開時代の代物とあまり変わりがないのではと思ってしまいます。
そうして、「進歩した」と言って大半の人が称賛している現代医学に対して、「実はあまり病気が治せないのでは」と疑問を持つ人は意外に多くなって来たのではないのでしょうか。
それは一部の一般の立場の人に限らず、現に医学側の立場にある医師にも居るのです。
というのも、結局は事実は事実だからなのでしょう。
これはどう理屈で言いくるめようと、真実を隠そうと、やはり最終的には現実にその結果現れて来るからです。
その「事実」というのは医学が「いろんな病気を解決した」と言う後から後から、それらよりもっと治療の難しい難病奇病が発生して来るという事でしょう。
「医学が何か根本的に重大な間違いを犯しているのではないか。
その為に医学が逆に病気を増やしているのでは、、?」という逆説まで思い浮かべる人が出て来ても不思議はないのです。
そのすべての根本原因は、人間に初めて病気発生したとき、薬を使用した時点で、重大な間違いを犯したことは述べました。
人類はその時の大きな『間違い』をそのまま進歩発達させて来たのです。
それが現在「医学の進歩」と言われるものの本質、中身なのです。
『間違い』を進歩発達させるとどうなるでしょう。
そう、より『大きな間違い』を引き起こす事だけですね。
それがもともと医学の本質なのだと言うと、にわかにも、じっくりと考えても信じ難いことでしょうね。
それを検証するには『間違い』を一つ一つ解きほぐして行くしかないですね。
◆ クスリ(薬)の間違い実は病気の苦痛緩和のために使用した草根木皮類は自然の中に存在する毒物だったわけです。
つまり、最初食べ物に含まれていた毒物に当てられて苦しみ、その苦しみを緩和するためにさらに新たなる毒物(くすり)を体に入れたのです。
《 毒を毒で一時的に固める。
》有毒物を使用すると苦痛が一時停止するという原理を知らなかった人間は、(いや近年になって知り得たしてもそれを放棄出来なかったのでしょう?)むしろ、 「 薬とは病気を治し、健康にする物質 」と考えて非常にありがたがったのです。
だからこの薬を研究し、進歩発達させて行けば、いつか必ず人類から病気を追放することができると思い込んでしまったのですね。
「一度思い込んだら死ぬまで」どころか、人類の歴史上一度も気が付くことなく何世紀にもわたって、その「間違った思い込み]は代々にわたって続いて来たのですから全く不思議の感がするばかりです。
薬学の常識では薬は毒物である。
もちろんこれは漢方薬でも同じことで、自然の生薬とか言うが自然の有毒物でないと薬にはならないというのが薬学の常識ですね。
◆ 病気の原理ここで「病気発生の起源」に戻って、自然の中の食べ物の毒物に当たり、苦痛を起こしたとき、それが人間の病気の始まりという事ですが、では『病気とは何か』ということになります。
この『病気』というのは人間に初めから備わっている自然良能力による『浄化作用』ということなのです。
一言で言うと、体内にあってはならない汚物の清掃作用であるのです。
したがって体内の汚物さえ無ければ、元気はつらつで一生健康で長寿を全うすることができるのです。
しかも自然死ですから、苦痛も無く大往生でき得るのです。
本来、人間の寿命はこの汚物さえ無ければ百二十歳くらいは普通に生きられるというのですね。
むろん不老不死なんてのも自然の摂理から外れているでしょうが。
けれども人間が生きて行く間にはどうしても知らず知らず内に有害物が入って来ます。
そうしてこの有毒物は残存蓄積されて行くのですから、体内にはどうしても汚物が濃縮された毒素が溜まります。
しかしありがたいことには、人間の健康と寿命を左右するこの「汚物」が体内に入れば、体外に排泄する働きが生まれながらに備わっているのです。
これが『自然良能力』によって起こる『浄化作用』の働きです。
心臓に働きのように、自分の意思で命令しなくても不断に浄化作用が働いていて、汚物の浄化を促進させているのです。
そして、その「汚物」とは何か?と言うと、人体にとって「毒」であるものです。
だから毒性のある食べ物を食べれば、当然、浄化作用つまり排毒作用が起こります。
毒物を排泄するための働きですが、その毒物をいろんな形にして体外に出すための過程でいろんな苦痛症状が起きて来ます。
その浄化に伴う苦痛症状を『病気』と呼んだのはお解りですね。
そして楽になろうとしていろんなものを食べてみた、すると楽になった。
それでこれが『薬』と呼ばれたのでしょうが、実は排毒作用が一時停止しただけで、浄化作用の働きを一時的に停止させたんですね。
自然良能力つまり生命力を弱めると浄化力が弱まるんです。
生命力を弱らせるに一番効果があるのが、毒(くすり)を体内に入れる事だったのです。
毒によって起きた食中毒をまた別の毒によって一時停止した。
「薬効」とは一時的な毒の力の一面のことです。
今で言う「薬の主作用」というわけです。
しかし「毒を毒で固めた」だけのことですから、排毒作用を毒で一時的に停止しただけですから、苦痛が緩和して楽になったのも一時的のことで、将来の病気を予約しているのです。
だから苦痛はおさまったが本当は病気は治っていないのです。
それどころか造っているのですから大変なのです。
「本当に病気が治った」ということは、排毒作用が完了して体内の汚物が無くなった状態です。
そうすればもう浄化する必要がないのだから将来も苦痛が起こらない分けです。
こうして人間が薬を使用したときから人類の病気を増やす道への一歩を歩み出したというわけです。
薬で病気が治ったように見えても、依然として汚物が体内に残り、そればかりか浄化停止に用いた毒物が追加されて、人為的病気が次々と造られて行ったのですが、そこに唯一人も気が付かないで延々と続いて来たというのも驚きです。
自ら病気をつくり出し、自ら苦しむという愚にいままで気づかないで来たのは全く不思議というしかないでしょうね。
未開野蛮時代の人間の頭脳をそのまま現代にまで後生大事にもって来たというしかないでしょうか。
【 病気と薬の未来 】薬で病気を治そうとするのはモグラの頭たたきです。
しかもそのモグラは、たたけばたたくほど大きな頭になり、しかもより凶暴性をおびて人間に刃向かって来ます。
このままで行くと薬はもう待ったなしに牙をむいて来ることになるでしょう。
現代人の体の中にはもう十分すぎるほど汚物が蓄積されているからです。
今迄のようにじわじわと蝕んで来た(だから薬のせいだとは気が付かなかったのだろうが)時代も終わり、今度は薬を使ったのがすぐにでも分かるような結果が現れて来るという恐ろしい時が来なければよいのですが、、、、こんなことは妄想であって欲しいですね。
医学はすぐにでも難病重病を治して、暫時重い病気を解決して行って残るのは軽い病気ばかりにして、病院が暇になって行くという事実をもって、こんな話を一笑に付してもらいたいのものですが。
いかがでしたか? 理解でき得る内容でしたでしょうか。
そんな作り話!と思われたでしょうか。
何れにしても、これは世界中の医学の常識とかけ離れた、異常識ですね。
だから「異学」なんですが、聞いたこともない情報だから価値があると思っても良いんでは?、、、、コレデモクロウシテカイタンデスヨ、、、、。
ノウガナインダカラ。
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