ひのもと異学、1996、12、12 初版
“漢方薬は自然の生薬だから害がない”とお考えの人があまりにも多いのでここに一筆啓上。
走者は二人で仲良く並んで走っていたのだが、片一方が急に速く走りだしてしまって、ほとんどの観客がそちらの早い方を応援してしまった。
だが、その走者がまもなくゴールにたどり着こうとしたら、そこは、あまりにも、想像とは違った事に気が付いてしまったからなのだろうか、、、ふたたび遅い方の走者の方に応援をおくりはじめた観客たちなのか?つまり、いまから200年くらい前までは西洋医学は東洋医学と並んで走っていたのが、西洋の医学が急速に進歩し始めてから、東洋(漢方)をしりめにして、独壇場の観があった。
“人類から病気を激減して、ついには撲滅を、、”という目標どころか、病気氾濫、薬害事件の増大というあまりにも理想とは違うゴールが見えて来てしまったので、一般大衆や患者は、またもとに逆戻りして、旧態依然としてのろのろとマイペースで走っている漢方にまた色目を使い始めたというわけか。
しかし、両者とも同じコースを走って来たものだから、めざすゴールはやはり同じところ。
いまさら後戻りしたとて、江戸時代に戻るようなもの。
だいたいあのころから漢方の大家、杉田玄白は言っていた。
「ほんらい薬は毒だ。
毒を持って毒を制するのが薬である」と。
「漢方薬には副作用がない」などという考えは、痴人の夢?。
いまだにこのような考えは、未開人の信仰のような気がするのだが、、これはまた! 現代医学に飽き足らず、こんどは漢方にまでいちゃもんをつけに来たか!まあ、カッカしてそう言われる前に次の参考文も読んでみて高橋晄正先生の書いた本当を市立図書館で見つけましたのでちょっと抜粋させていただき、【危ない漢方薬】もしくは【漢方薬は危ない】という題名だったと思うのだが、、☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(抜き書きより) はじめに「漢方薬は自然物だから害作用はない」と信じている人が少なくない。
だが、ブシ(トリカブトの根)を含んだ漢方薬を、自分でつくって試しに自分で飲んでみて亡くなった薬学者の話は有名である。
「薬は本質的に毒である」という先人の言葉を忘れるわけにはいかない。
今、我が国の漢方ブームのなかで漢方薬の副作用が続出している。
(抜き書きより)しかし、我が国では、漢方薬の生殖・胎児毒性(およびガン原性)については、ほとんど系統的な研究をしていないことを注意しておきたい。
いまもってそんなこととは知らない一般の国民は、「漢方薬は自然物だから、安心だ」という考えからだろうが、「健康保険で飲める」という条伴をつくってくれた人たちに感謝しながら、ドッとなだれこんだのである。
しかし、自然物は安全だ」という”常識”はほんとうなのだろうか。
(抜き書き)「漢方薬は危ない」という本書の書名は、瞑眩二〇〇〇年の扉を開き、その副作用の実態を明らかにする意味とともに、「つくられたバブル医療としての漢方の基礎は、科学のメスによってまさに崩壊に瀕しているという意味をも含んでいる。
信仰の問題を論理によって批判するのは容易なことではないが、ここではその信仰を支えているいくつかの基本的な認識の誤りを解きほぐすことを試みてみようと思う。
すなわち、ヨーロッパの医療を支えていた薬物は一八世紀までは、中国が古来二〇〇〇年の問使用してきた生薬群のそれと本質的に異なるものではなかったのである。
P110古代中国人にとって、先賢の英知の結晶である漢方薬に害作用などというものは、ありうべからざることであった。
治療中に病人に好ましくない症状があらわれたとき、それは瞑眩(めんげん)すなわち体内に潜在していた病変が回復の途中で一時的に燃えあがるものであり、それを乗り切ることによって回復に向かうものであるとされた。
だが、瞑眩二〇〇〇年の歴史が空虚な思弁の産物に過ぎないものであることは、またしても現代科学の実証するところとなった。
そのひとつは、全く健康な動物でもそれが起こることが証明されたことであり、他のひとつは、免疫化学の進歩によってその大部分のものが漢方薬またはその現材料である 薬成分に対する薬アレルギーであることが証明されるようになったことである。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆以上、
私にとって重要と思われる所を抜いて参考してみたが、高橋先生は他にも西洋薬についても批判論を書いている。
批判は単なる非難ではないから、個々の薬については正確な判断を下していると思うのだが、西洋医学そのものについては大まかには信頼しているようだ。
だから、ジェンナーの種痘法が天然痘を撲滅したというような“アヤシイ事実”を正しいと評価されているようだが、、この“アヤシイ事実”というのは、これも市立図書館で見つけた本で、
☆危ないぞ予防接種すべての親が知るべきこと 【 危 な い ぞ 予 防 接 種 】 イギリスからのメッセージ レオン・チャイトー著 毛利子来監修 藤井俊介訳社団法人 農山漁村文化協会 発行
で、詳しく出ているのでこっちの方は別の掲示にて紹介したいと思う。
いま、漢方薬のブームに私自身も17年前ごろには信じて、自然の生薬だと言って飲んだり、材料を買って作ったこともあるのだが、、しかし、薬の大基本である、【薬は毒】という原則に東西の変わりもなく、必ず害があると言う事を知ってやめた。
さらに漢方薬と西洋の薬用植物(これらをハーブと呼ぶのかどうかは知らないが)は違うと思っている人もいるようだが、これは多少に地域的な植物の相違はあるだろうが、共通点の方が大きいということが分かった。
そう、西洋も漢方薬と同じ土俵に上がっているのである。
ただその害作用(毒物だから当たり前)の現れるのが早いか遅いかという違い、ただ飲む量からいうとずっと漢方薬の方が多いのだから、実質的には漢方薬の方が恐ろしいと言ってもよいのだろう。
杉田玄白先生もすでにそれを、「薬というものは、毒で毒を制するものだ」と喝破している。
漢方薬にかぎらず、和薬の中にも安全と思われている生薬もある。
その代表ががゲンノショウコであるが、これの蓄積されたものが浄化作用によって排泄されるときには次から次へと出てくるので、体力が持たないことがあるから、大変恐ろしいものと聞いている。
次に毒だめ、、じゃない、ドクダミもそうであるという。
歴史的に見ると、日本人は漢方薬が入って来てから寿命が短くなってきたようだ。
漢方薬(西洋の生薬類も同様)の特徴は毎日毎日飲み続けることにある。
薬の成分としては西洋合成薬(これとても自然の生薬の有効成分を抽出したり、合成したりしたものだから、本質的にはおなじ有効成分を薬としている)よりも少なくても、飲み続けることによって大量に接種したと同じことになるのだから。
薬草辞典を見ても、山野の樹木や草花の多くがが薬としての成分を含んでいる。
この事実から言うと、漢方薬と呼ばれるもの以外にもたくさんの自然の薬があるということだ。
そしてその薬成分とは、言い変えれば、“毒”成分のことだ。
あえて漢方薬を使わなくても自然の中には多くの自然の生薬が存在していたのだから、一般人はそれらを薬として使っていたのだろう。
よく言われている、『瞑眩作用』とは、良くなる前に生体が起こす“好転反応”である」という説明も間違っていたと言うのだ。
これは、飲んだ薬物の毒性に対して体が浄化作用を起こしたものなのだろう。
西洋的に言えば、“薬物アレルギー”ということになるだろうか。
薬にする材料にも毒が少ないものもあるだろうが、配合される時の主役はやはり毒性の強い方が薬としての価値がある。
またそうでなければ薬にはならないのだ。
やはり薬は食べ物ではないのだ。
食べ物はちょうどよいほど食べられるように自然の味がある。
いくらニンニクがよいと言っても、そんなには食べられないような味がついている。
ましてや、薬草と言われるものはそのまま食用になるような味はついていない。
人間には味覚という食べ物を判定する器官が備わっているのだから、そうでないものを煎じたりすると、あの独特の臭みが鼻に付くのである。
『良薬くちに苦し』と言うのは、薬として使うのはほとんど食べ物にならないものだから、味が悪いにきまっている。
『食べ物でないのは口に入れてはならないよ』と自然が教えてくれているのである。
それらは異物であり、必ず排泄するための浄化作用が発生することになる。
世の中に本当に薬というものが存在するかというと、“否”である。
しいて言えば、米であるだろう。
西洋では麦になるかな。
とにかく、体によい薬というのは毎日たらふく食べ続けても害にならない食べ物のことであろう。
ビタミン剤でさえも、過ぎると体に害になると聞く。
こんなにくどくどしく言っても『信仰を論理によって崩すことは出来ない』のだろうか?それにしても、世の中は片側だけの情報がよく流され続けている。
それにも気が付かないで相変わらず“ウノミ”という動物があちこちではねている。
嗚呼ヤンヌルカナ、、



