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akyoonの異端の医学と不思議な情報

医学や健康医療の【トンデモ論】を主としています・
本人はいたってまじめ。 しかし自分で自分を検証できないので、眉唾と取捨選択が必要。

みなさん、いやあなたくらいは
怒って下さい。
これから、わたしがあなたを侮辱しますから。


ワクチンは時限爆弾です」
とは昔、本に書いてあったので既に知っていましたが

反省期も過ぎたんでしょうか・・
いえ、反省しないのでこどもたちが親になり、今度はその親のこどもたちにワクチンをうつという、オヤオヤ馬化チャン林が今でもたくさん居るようです。

これは痛烈な茶化しですよ!
こんな事本当に半世紀も前から知られていたことです。
いえ、本では30年くらい前からかな?

それをとうとう船瀬さんが本にした様ですね。
馬と鹿ばっかり親のニッポン!アチャチャ~
それでも、若い親も古い親もそんなのカンケイネエ♪で、「ああ、ワクチン、ああo(^-^)oワクワク珍」とこどもたちに打たしている。

まあ、白雉かした雉だからねええ。 ケ~~~~~ン(雉の鳴き声)


《 危 な い 予 防 接 種  その2  》                 
       ひのもと異学 1997、1、6 初版

これは以前掲示した本の別のところの紹介です。
医学迷信をほぐす適書です。図書館にて見つけました。

すべての親が知るべきこと
   【 危 な い ぞ 予 防 接 種 】
             イギリスからのメッセージ
  レオン・チャイトー著   毛利子来監修  藤井俊介訳
社団法人  農山漁村文化協会  発行   


☆結論からいうようで変ですが、以下は編集を本の後ろの方からやった関係上抜
粋したものです。

》これまで我々は、病気に対して本物の免疫を得ようとして行っている
》予防接種が失敗の繰り返しであることを示す証拠を眺めてきた。

☆これは種痘を始め各種の予防接種が宣伝されて来たこととは違った事実があっ
たと言っているのです。

》また我々は、西欧社会でこれらの病気の発生率が低下した大きな理由
》が優れた衛生、清浄な水、より良い生活条件などであることも知っ
》た。
》さらに我々は、予防接種による即時の影響と長期に及ぶ退行性病変と
》いう両面で、よく知られ、また推定される副反応の多くの実例に注目
》してきた。
》その災害は、脳障害や死亡の恐れ、重症で破滅的なガンその他の病
》気、植物状態になる人格破壊などである。

☆以上は予防接種による、いろいろな障害が現れたことを書いているのですが、
その内容は本書を読むと分かります。


》我々はまた、失敗と災害をものともせずに、予防接種というジャガー
》ノートの車が、どのように転がってきたかも知った。
》多くの医師たちは、大失敗から不和へとよろめきながら、人類の救世
》主づらを続けることをやめず、歯痛から肥満に至るまで、すべてに予
》防接橦の夢を持ち込もうとしている。

☆医学によって伝染病が消え去ったかのように“思い込ませ”て来た医学は、人
類を救ったのは「われわれ医学である」かのごとく振る舞い、さらにすべてに病
気に対して“予防”という美名の元、接種を拡大しようとしているという事です。



》もう「止めて」と叫ぶときである。
》今や、過去半世紀以上にわたり免疫学の多くの視点を性格づけてきた
》狂気の思考と非科学的な二枚舌の医術の見直しを要求するときなの
》だ。

☆ここでは“狂気の思考”と言っているが、狂気の“施行”とも言えないだろう
か。実際それを“やって来た”のですから。
さらに“非科学的な二枚舌の医術”とまでこき下ろしていますが、私は医学が意
識的に二枚舌を使っていたとは思いません。
それは真の病気の原因を知らないで出発した医学の基本的欠陥が現れたに過ぎな
いと思うのです。
もともと医学が科学と思われるのは、個々の研究に対してであって、これをまと
めた全体でみると不思議なことに科学的では無くなってしまうのですから。
つまり一つ一つは科学的合理的であっても、それを全体としてまとめてみると、
人間の生命と健康に対しては“非科学的”となってしまう。
いずれにしても、「結果が悪い」と言う事が科学でないという証明になる訳です。

『もう止めて』と叫んでも、多くの共鳴者がいなくては、相変わらず予防接種の
害は続くことでしょう。もう人任せにしていたら、ご自分の身内が危ないという
事を考える必要があるでしょう。



》まず、予防接種の長期にわたる影響についての疑問に、客観的な回答
》を求めるべきである。
》こうした手法には利益があり、ある程度の防衛力が得られるというの
》もいくらかは事実だろうが、多くの人にとっては、あまりにも危険す
》ぎるからである。

☆著者は医学を全面否定していない。その点はかえって説得力があるようです。

その逆にわたしの場合はほとんど否定的だから、説得力が少ないのかも知れませ
ん。

》もし接種の実施者が危険を認めず責任も負わないなら、予想される災
》害にあなたや私の子どもを直面させるかどうかを決定するのは彼らで
》あってはならない。
》だいいち、彼らにゆだねてしまったら、我々は子を養う親として意思
》決定の権利を奪われることになってしまう。

☆日本のお母さん方にこんなことができるかどうか?
本当に失礼と思うのですが、国(厚生省?)やお医者さんがたの言うことは素直
に聞くのが国民性でしょう。
やはり、自分の子供は人任せ。あなた任せ。
だいいち、“こんな情報がある”と言っても聞く耳をもたないのでは?
わたしは失礼ながら日本の母親達にこんな英明な事はできないだろうと思ってい
ます。だってハハノンキダネと言うでしょう。
(ここで少しは怒ってちょうだい。挑発しているんですよ。まだ見込みがあると
思ってね)
じゃあ父親は?と言うでしょう。
チチノンキダネ、、とは言わないか、、まあ遅々として進まずかな。
子どものことはあなたまかせ、わたしゃ飲むことで忙しい。



》免疫学のすべての科学者と先覚者が、事実にはまったく無知な、真実
》の歪曲者であったというのではない。
》種痘の扇動者ジェンナーは、「悪事で有罪」であると、グリーンウッ
》ド教授が『ランセット』誌に書いている。
》以下はウイリアムソン氏の記述である。
》「彼(ジエンナー)は、王立協会を脅そうとして失敗し、医学の脚を
》引つ張ることに決めた。
》これは非常にうまくいったので、予防接種の問題は百七十年後になっ
》ても、みえすいた食わせ者として残っている」
》詐欺? 真実の歪曲? そんなやり口で、科学者たちが振る舞えるの
》だろうか?
》答えは、彼らも人間で誤りやすい存在であって、自分たちの基本的な
》信念体系が疑われるような立場に引き戻された者は誰でも、無邪気に
》か故意にか、自らを欺くか他人を欺くか、どちらかになりやすいとい
》う点にある。


☆こういう解説になっているが、私は言いたい。
みんなが一生懸命やって来たんだ。詐欺をやろうとしてやったんでは無いだろう。
ただ結果が真実の歪曲として現れただけなのだ。
彼らもそうして一般の人も信じていたのだ。
“医学”を!
ただその“医学が科学では無かった”だけのことなのだ。
だから科学者ではないんだから非難されることもないんですね。
内心こう言う私もずいぶん過激だと思います。でも少しもウソではないと思いま
す。


》見えすいた詐欺まがいの問題はさておいて、なぜ科学者や医師が、部
》外者によって間違った前提に基礎を置いていると見られても、長年の
》間、自分たちの方法や体系を保持し続けるのかという疑問がある。

☆それに対しての意見が述べてあります。

》医師は科学者であると同時に人間である。
》現在の医療の枠から一線はみ出ることへの単純な恐れ、同僚や仲間か
》ら排除され異端者のレッテルを張られる恐れ、これらが慣習に従わ
》せ、平地に波風を立てさせない強力な理由になっている。
》こうしてほとんどの人は枠内に留まり、主として結果を歪曲したり、
》もともとあるべきとされている[受け入れられる]事実に適合するよ
》うに診断を変更したりする。

☆一面で見るとこれは正しいと思います。
しかし、私はもっと気づかないところで重大な錯覚が潜んでいると思います。
それは、“医師は絶大なる医学信奉者である”ということです。
そうです、だれよりも医学を信じ切っている人達なのです。
そうして医学は科学ではないのです。科学というより“宗教”と言った方が当たっ
ているでしょう。
これはある医学者も言っている言葉です。
このことは別の掲示板に出しました。


》予防接種推進施策の継続が必要だとすることに組み込まれている経済
》的圧力は、詳細を論ずるにはあまりにも複雑である。
》経済的利害、つまりワクチンの研究・開発・市場調査に関連する独占
》と巨大産業の利害の面と、それが政府や教育機関と絡み合った側面と
》は、「ガネット・ニューユ・サービス」による、注目すべき特別報告
》の中に部分的に触れられている。
》
》中略
》
》このときの状況は、予防接種伝説に関するアメリカ人独特の態度を見
》抜くために、十分に吟味する価値があるものであった。
》政府機関、教育・研究機関と経済的利益から後者に提供された膨大な
》資金の間に存在する絡み合った関係の中で、容易に切れない暗黙のつ
》ながりが張り巡らされている事実はよく知られている。
》
》このことが、現状維持の方法を推し進める研究のために利用できる財
》源を必要とするのである。
》この種の財源がなくては意味のある研究は実際に不可能であるし、し
》かも財源の提供者が気に入るような研究プロジエクトの原案がなけれ
》ば財源》は与えられないのだ。

☆これはどこの世界でも共通ですね。
要するにこれは、“官業学の癒着”という事です。これにマスコミも手を貸して
いるんですね。ただ意識的か無意気的かは不明ですが。
こんな中で真実を述べようとしたらどうなるか、

》言論の自由はあるというのに、いったん反対に足の爪先を踏み入れる
》と、大変厳しい仕打ちが返ってくるのである。
》報道機関は俗受けする権威筋を前面に押し出す。
》そしてそのことが、次世代の科学者や医師に教えられている保守的な
》見解を支持することになり、そうした若い人たちが長年の修業を積ん
》だ後確立された秩序の一部を担うようになると、異端者にされること
》を多くの理由から好まなくなるのである。

☆“異端者”そうです、非国民のレッテルを張られたら最後、日の目を見るのは
難しいのです。


》こうして組織はいつまでも長らえることができるのだ。
》とすればこれを変えうるのは、情報を手にした一般大衆だけである。
》変革の動因は一般民衆にあるのだ。

☆ここで私たち、あなたたちにメッセージが投げかけられました。
“変える”ことが出来るのは『あなた』なのだと言うことを、、


》イギリスでは、選択の自由はあるが、親を従わせようとする圧力は大
》きく、したがって親が考えを明確に述べることができ、その上問題に
》通暁していないと、抵抗は難しい。
》その点で、この本が何かの役に立てれば幸いである。

☆そうなのです。この本を読まなくては、抵抗する証拠が言えないのです。しか
し証拠なんてどうでもいいわい、わたしの子どもにはそんな危険な目には合わせ
ないからと行動するならべつに必要ないでしょうね。
私の知人に、むかし予防接種を拒否して三千円の罰金を払った人がいます。
越後には勇気ある人が居たものだ、、、

最後に『訳者のあとがき』としてひろってみました。


》私はこのくだりを読んで、予防接種の集団義務接種によって、我々は
》次の世代の日本人に、たいへん厄介なマイナスの遺産を残したのでは
》ないだろうか?という懸念が浮かび、離れませんでした。
》「ワクチンの安全性」を唱え、子どもに予防接種を強制する医師たち
》がこれに猛反撃を加え、著者の仮説は絶対に間違いであることを立証
》していただければ、多くの日本人の不安を排除する一助ともなり、免
》疫学上の進歩ともなり、私の努力のかいがあったというものです。
》ロンドン大学のディック博士も、「子どもの命を犠牲にしてまでワク
》チン接種を主張する人たちは、その正当性を証明しなくてはならな
》い」と述べておられます。

☆こう言っていますが、恐らく正当性を証明などできないでしょう。
だから、無視するのが一番というわけで、話題にも載せないのではないでしょう
か。
なにしろ薮をつついたら、大きな蛇が出て来ますから、、
そして『マイナスの遺産を残したのでは?』という懸念は現実として現れること
でしょう。残念ながら、、
将来、予防薬がどんな病気の原因になるのか解明されるときまで、そのマイナス
の遺産がどんなものになるかは誰も分からないでしょうが。
ただそれは自分の孫子に出ると思うと人事では済まされないものがあります。


》私は、「民主主義社会では、命や健康、財産などに影響を与える重要
》な問題に関しては、政府はプラス、マイナスのすべての資料を公開
》し、判断を一人一人の国民にゆだねるべきだ」と考えています。
》ところが予防接種については、プラスの資料ばかりが誇張して国民に
》与えられ、マイナスの資料は、不必要な不安を与えるとの理由で隠さ
》れています。
》この本には、マイナスの資料が十分に書かれています。私が長年探し
》求めていた、そのものずばりの本だったのです。
》私はこの本は、予防接種の見直し運動のテキストに最適であると考
》え、ぜひ多くの方々に読んでいただこうと決心しました。


☆以上は私がよく、 現代の医学情報は“大本営発表”である と言い続けて来
ましたように、反情報も見ることの勇気が必要なのです。
それを毛嫌いしているようでは、子どものいのちを預かる資格は、それがたとえ
親であっても、それは捨て去ったものと言えるでしょう。
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《 病 気 は 大 自 然 の 摂 理 》   
       真の医道を歩むとは?
       ひのもと異学 1997、1、3 初版

新年おめでとうございます。
今年もじいちゃんのところに出向いて、新年早々“医の極意”を探ってみ
た。
じいちゃんはいつも病気をの原因は毒素の浄化だと言っているが、早速い
くつか聞いてみたのである。


◎わたしたちが体の中に持っている毒素ってのは?
本来人間なるものは、生れながらにして例外なく先天性毒素と後天性毒素
とを保有している。

先天性毒素とは無論親からの遺伝であり、
後夫性毒素とは生れてから体内へ入れた薬毒である。

◎薬が毒素ですか?

というと何人も意外に思うであろう。
何となれば昔から薬は病気を治すもの、健康を補うものとの観念が常識と
なっていて、良い薬さえ出来れば病気は解決するものと信じそれを医療の
主眼としているからである。

◎先進国ほど薬が進歩していますが?

特に米国は薬に最も重点を瞬き、新薬発見に非常な努力を払っているのは
誰も知る通りである。

◎薬で病気が治らないのですか?
ゆえにもし薬で病気が治るとしたら病気は漸次減らなければならない筈な
のに、逆にますます増えるのはどうした訳けか、これほど理窟に合わない
話しはあるまい。

◎薬というのは病気を治すものでは?
元来薬というものは、地球上只一つもないのであって悉く毒物であり、毒
だから効くのである。

◎薬は毒だから効くのですか?
それはどういう意味かというと、
薬という毒の作用によって病気症状状が減るから“治るように見える”の
で、実は“治るのではない”のである。

◎どうして薬が毒なんですか?
では薬がなぜ『毒物』であるかというと、
そもそも人間が口へ入れるものとしては、造物主が人間を造ると同時に生
を営むべく用意されたのが食物である。

◎“造物主”って存在するんでしょうか?
その言葉が嫌なら“大自然”と置き換えればよい。
人間は好き嫌いにかかわらず大自然の中にしか生存できないのだから。
そうして食物にも人間が食うべきものと食うべからざるものとは自ら別け
られている。

◎大自然は、どうして食べ物と食べ物でないものとを別けてあるのでしょ
う?
すなわち、食うべきものには味を含ませ、
人間には味覚を与えられているのであるから、
人間は食いたい物を楽しんで食えばそれで栄養は充分とれるので、これだ
けを考えても造物主(大自然)の周到なるは分る筈である。

◎体のための栄養を考えなくても良いのでしょうか?
この意味において『生きるがために食物を摂る』というよりも、
『食物を摂る事によって生きてゆける』ので、
ちょうど生殖と同様、子を得る目的で男女が営むのではなく、別の目的の
営みで偶然子は授かるのであるから神秘極まるものである。

◎なぜ人間は病気になったんですか。
右のごとく人間の体内機能は、
“食物として定められた物以外の異物は完全に処理出来ない”
ようになっているので、薬は異物である以上、含まれている栄養物だけは
吸収されるが、他は体内に残ってしまう。
これが“薬毒”であって、
しかも厄介な事には
これが各局部に集溜し、時の経つにつれて固結してしまう。

◎毒素というのはどんなところに集まっているんですか?
その集溜個所としては、神経を使うところ処に限られている。

◎神経の使うところとは?
神経を使うところといえば、
もちろん上半身、特に首から上で、
頭脳を中心とし 眼、 耳、 鼻、 口等である。
そこを目掛けて毒素は集中せんとし、いったん首の廻りに固結する。
いかなる人でも首の廻り、肩の辺りに必ず固結をみるであろう。

◎毒素が固結すると次はどうなるんでしょうか?
これが凝りであって、ある程度に達するや、
『自然排泄作用』即ち『浄化作用』が発生する。
その場合、“発熱”によって毒結は溶け、液体となり
咳(セキ)、痰(タン)、鼻汁(はなみず)、汗、下痢、熱尿等によって
排除されようとする。これを名づけて『感冒』というのである。

◎風邪を引くことは苦しいので、みんな嫌がりますが?
ゆえに感冒は“毒素排除の課程”であるから、
少し苦るしいが我慢して自然にまかせておけば、順調に排泄され、体内は
清浄化されるという実に結構なものである。
まったく簡易な生理作用であるから、
人間は『感冒』という大自然の摂理に大いに感謝するべきものである。

◎病気ってのは悪いのではないんですか?
人間は、この浄化の苦痛を反って悪い意味に解釈し、これを止めるべく考
え出したものが“医療”であるから、いかに間違っているかが分るであろ
う。

◎どういう人が病気にかかるんでしょうか?
そうしてこの浄化作用なるものは、
“人体の活力が旺盛であればある程かかり易い”ので、
これを停めるには人体の活力を弱らせろに限る。
そこで“薬”と称する“毒”を用いたのである。

◎薬はどうして毒なんですか?
昔から草根木皮、鉱物、動物の臓器等から採り出し煎じたり、粉末にした
り、抽出したりして、水薬、丸薬、塗布薬、注射薬等々、色々の形にして、
浄化停止に応用したのである。
それには毒が強いと生命に関わるから徴弱にして少しづつ服ませる。
この為一日何回などと分量を決めたので、
“よく効く薬とは中毒を起さない程度に毒を強めたもの”である。

ひまあり異学ペタしてね


◎薬は体内の毒素を毒で固めるのですか?
この様に薬毒をもって、溶解排除しようとする毒素を固めて来たので、今
日の人間が如何に有毒者であり、病気が起り易くなっているかは、近来予
防衛生などと喧かましく言ったり、感冒を恐れるのもその為である。

◎病気を恐れるのは病気で苦しんで死ぬことを恐れるからだと思います。
人間は楽に死ねないのですか?
 病気で死ぬのは病による不自然死の為で、無病となれば自然死となる以
上長生きするのは当然である。

◎では現代の医療は病気を治せないのですか?固めるのですか?
 右の如く医療とは病を治すものでなく一時的苦痛緩和手段で、その為の
絶対安静、湿布、塗布薬、水冷、光線療法等すべての医療は『固め手段』
ならざるはないのである。

◎医学の他にもある療法も同じなんですか?
 その中で一、二異うのは、灸点と温熱方法であるが、これも一時的熱の
刺戦によってその個所へ毒素を誘導さるので楽にはなるが、時間が経てば
元通りになるから何にもならない。

◎放射線治療はどうなんですか?
又ラヂウム放射で癌を破壊する方法もあるが、これも癌だけの破壊なら結
構だが実は組織をも破壊してしまうから差引プラスよりマイナスの方多い
訳である。

◎では『本当に治す』治療法というのは?
以上のごとく現在までの療法という療法は徹頭徹尾『固め方法』であって、
治す方法とは
 “毒素を溶かして排除させる”
         以外決してないのである。


◎『固める』のに最も効くのはどんな方法ですか?
固める方法の内、最も有効なものが“薬”であり、
その“薬が病を作る”のであるから、
医療を受ける程余病が発り、悪化するのは当然である。その結果ついに生
命の危険にまで及ぶのである。

◎では医療にかかるほど治りにくいのですか?
それに就いてこういう事がある。
治そうとして熱心に高貴薬など用いる患者ほど成績が悪く、その反対にど
うでもいいと思う患者ほど冶りがいいという話しは医師からよく聞く処で
ある。

◎薬に頼らなくても、衛生観念が強く、それを守るほど健康になるのです
か?
また衞生に注意する者程弱く、無頓着の者程健康である事や、医師の家族
や病院の看護婦などが多病であるのもよく聞く処である。

◎医学の理論どおり、常に医学のお世話になるほど健康と長寿は約束され
るのでしょうか?
面白い事には稀な健康者、長寿者に訊いてみると、自分は病気した事がな
いから医師や薬の厄介になった事はない等というが、私からみればそれだ
から健康であり、健康だから薬のやっかいにならないのである。


おじいちゃんの言葉はまことに簡潔ながら、“真の医道”とは何かという
事を考えさせられる。
それは大自然の恩恵に素直に属すということらしい。

それでは健康な一年でありますように
  まだ、ウイルスと細菌の区別がつかなかったのだな、私。
ウイルスには抗生物質は効かない。のだったねえ。
でも、修正無しで。
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《 ウイルスの逆襲   その2 》 【スーパー病原菌の脅威  ~揺らぐ抗生物質治療~】                『NHKスペシャル』より                ひのもと異学 1996、12、23 初版 おお、そういえばあのビデオはどうしたっけ、、 たしか、今年のNHKスペシャルだったと思うが、取っておいたはず だが。 あった、あった。へえーペニシリンてのは第二次世界大戦のときに発見 されたのか。 (ビデオの内容から) 《《ペニシリンーーー第二次世界大戦のときから使われだした。 《《カビが作り出している物質。 《《この時から病原菌と抗生物質との戦いが始まったのである。 場面は変わってロンドンの研究所 《《そこには人類が体験して来たほとんどの病原菌が保管してある。 《《それはおよそ6000種類もの病原菌である。 《《その中には、『MRSA』(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)と 《《いわれる耐性菌も保管してあるのです。 《《これはペニシリンに耐性菌が発生して、それに対して出来たと 《《言われるメチシリン。しかしそのメチシリンにも耐性菌が出来て 《《いたのだ。 ここにバンコマイシンという薬が登場するのだが。 万古邁進?  何か古臭いのが邁進するんだろうかねえ、、と思って いたら、これはあまり副作用が強くてもうこれ以上だめだと言う患者 にならないと使用されないでいたという抗生物質だった。 《《バンコマイシン、   たしかに強副作用を無視すれば、耐性菌 《《に対して強力な効果をあげた。 《《1970年代、人類は病原菌との戦争に最終的に勝利したと確信 《《しました。 《《ところがところがこれは人類のおごりであったという事がまもな 《《く判明したのです。 《《1986年、ロンドンの病院に新たな病原菌が現れたのです。 《《『VRE』(バンコマイシン耐性腸菌)という名で。 《《「病原菌があんな耐性メカニズムを考え出せるほど賢いとは、、」 《《感染症研究部顧問、ロビンクーパー氏はそう語っています。 《《さらに、「人間がどんなに科学の粋を集めてもあのような耐性メカ 《《ニズムを考えることは不可能です」と驚嘆しているのです。 そうだろうな、そうだろうな、、 大自然相手に人間がいくら知恵を絞っても、その裏をかかれるのは目に 見えているんだろうね。 しょせん、『自然の浄化作用』という千古不滅の、いや永久に不滅であ ろう大自然界の鉄則に勝てるわけないんだろうね。 テレビを見てこんなことを喜んでいるのは、オレくらいかな、、 いや、まだいるんだろうな、、 なんて下らないことを思っていると場面はまた変わって、 《《結核菌がまた復活しつつあると言う。ストレプトマイシンによって 《《激減したと言われる結核がまた世界で増加しているというのです。 ストレプトマイシンによって激減したと、、、これには異議ありだな。 あの本には、こんな抗生物質が出現しない前にすでに結核が激減したと いう証拠が書いてあったからね。 自然の手柄を勝手に人間が横取りして、“ライオンみたいな奴”(ハイエ ナではない)だね。 これ説明すると長くなるから後でと、、 《《80年代後半からまた復活し始めた結核は、ニューヨークでも92 《《年に4000人発病。その半分は耐性菌結核と言う。そして致死率 《《50パーセント以上のものも出現。 《《昨年には、世界で300万人もの人が結核で死亡したと言うので 《《す。それは抗生物質が登場する以前に結核で死亡する者のピーク 《《の時より100万人も多いというのです。 これもそうだろうなと思うよ。なにしろ薬が病原菌を作るとは夢にも 思わないのが医学だからね。 もし分かったら、世界中が大パニックだろうね。 オレの独りよがりの独り言は、鼻息が荒い。ひとりでウンウンとうな づいて見ていると、 タフツク大学医学部スチュワート レヴィー教授とか言う人が出て来 て何か言っている。 《《「人類は病原菌との戦いに勝ったという宣言がアメリカで行われた。 《《たしかに二三年の間はそうであった。しかし、その間に耐性菌は 《《耐性を身につけて行ったのです。そして90年代後半復活し始めた 《《のです。 《《私たちの身の回りは耐性菌だらけです。今や耐性菌を克服出来ると 《《はとても思えません」と教授は話しています。 うーんこれは“敗北宣言”だな、、 これ戦争だったら「負けたからもう勘弁してくれよ」といって謝るんだ が、相手はなにしろウイルスや菌と言われる微生物だから、言うことを 聞いてくれるだろうか?  などと真剣に考えていたら、次の場面。 《《スーパー病原菌VRE 《《デンマークではバンコマイシンがほとんど使われていないのに、V 《《REが発生しているのです。国立獣医学研究所フランク オースト 《《ロック博士は、家畜にその疑問点を探って見たのです。 《《博士はデンマークの各地の家畜の糞を集めて見たのです。 《《すると、家畜のフンの半数以上からVREが検出されたのです。 《《そして、人間と家畜の菌は元は一つの同じ菌であることが確認され 《《ました。なぜ、家畜に菌が発生したか。博士は農場を調べて見るこ 《《とにしました。 《《菌が出た農場と出ない農場の共通点を探って見ると、出た農場は大 《《規模農場であることが分かりました。そして家畜の成長が出なかっ 《《た農場よりもずっと早いことに共通点を見つけました。 《《その原因は家畜に抗生物質を与えていたのです。 《《抗生物質を与えると家畜の腸の中の菌が死んで効率よく餌の吸収が 《《行なわれるというのです。 《《これは経済的な理由で、消費者がより安い肉を欲しがるからだと言 《《うのです。 《《その中に共通する抗生物質が判明しました。 《《『アポパルシン』バンコマイシンとほぼ同じ化学構造をもつ抗生物 《《質でした。 やれやれ、やはりお金もうけが主となっているの世界共通だな。 家畜に薬が使われているのはもう相当前からだから、日本でも同様なの かも知れない。 まあ日本人は愚鈍だから、いや失礼!ええと気がよいからね、 ここで気が付いて欲しいのは、     ◎ “抗生物質を使った家畜から病原菌が発生した” という事実だ。 言い換えれば、        ◎  “薬から菌がわいた”                      という事だろうね。 ここで再びスチュワート レヴィー教授の登場となった。 なに“私たち、、”って、オレも入るのか?“人類”の事だね。 そうでないと、責任はオレ自信に相当ある様に感じるからね。 《《教授の談  「私たちが作り出した耐性菌、抗生物質を使い続けた 《《結果続々と耐性菌を作り出したのです。そしてすべての抗生物質に耐 《《え得る耐性菌を作り出してしまったのです。 《《私たちはそれをやってしまったのです。」 さらに場面が変わって、アイスランドでは抗生物質を個人負担に変えて から使用量が減ったという説明の後、再び教授。 《《「たいしたことはないと思っている人がいます。私たちは目を覚ま 《《さなければなりません。私たちは抗生物質の歴史上、途方もない転 《《機にさしかかっています。再び病原菌に勝利することが出来るか、 《《それとも敗北するのか、そのどちらかです。 勝利ねえ、、自然界から抜け出して生きて行けるのなら可能だろうね。 そうでないなら、無理だね。だって自然界の中に生息しているのが人間 だものね。 教授だってそう言ってただろう。「今や耐性菌を克服出来るとはとても 思えません」とね。 そして、NHKのこのビデオの最終のナレーターは気に入ったね。 《《世界各地に私たちの予想を越えて次々に出現するスーパー病原菌。 《《それは人類が生命と健康を守るため抗生物質を使ったその時から 《《進化を始めました。二十世紀の代表的発見と言われ、現代の医療を 《《支えて来た抗生物質。 《《いま、その神話が崩れ去ろうとしています。 神話が崩れるというのは、それは虚構の神話だったんだね。 でも、これほんとは深刻に悩むべき問題だよね。 しかしオレってそうとう悪魔的だね。これを見ていてちょっと喜んでい るんだから。 いや犠牲者を見てじゃないよ。やっと真実が見えて来たという気持ちだ からだ。 もう半世紀以上も前にこの間違いに警鐘を鳴らして、かえって さげすみの目で見られていたオジイサン、そしてその遺志を継いで頑 張ったオトウサンたち、、ぜんぜん日の目も見ないうちにこの世を去っ てしまった人達。 オレは言いたいね。やっと気が付く時期が来たんだ。 アンタたちは正しかった。えらかった。 そして僕もすこしえらいねーー(これが言いたかった) 途中で言いたかった話で、人類が伝染病を撲滅したなどと宣言したそう だが、これかなり“赤い”話だったんだね。 天然痘も結核もいろんな伝染病が人間が手をつける前に激減したのだか ら、手柄は医学にはなかったんだ。というより、手柄を立てる暇がな かったというべきかな。 俺が水漏れを直していたら、自然に水が止まったんだね。しかしこれじゃ おもしろくないから、だれも見てないからオレは自分の技術で水漏れを直 したとみんなに発表したんさ。それをみんなが信じてくれてね。いまもっ てオレ様は特級配管士さ。 なに、ほんとうはどうだったって? 水が漏れるだけ漏れて、自然に止まったんだよ。  シイーー 『ライオンは、ハイエナが狩りをして捕らえたエサを横取りして食べる』 ということは知っていたかな?。 予防接種の効果の虚構性を暴いた、現代医学太平の世を覚ます、黒船か? 参考にどうぞ、市立図書館で見つけました。 ◇◇すべての親が知るべきこと    【 危 な い ぞ 予 防 接 種 】              イギリスからのメッセージ   レオン・チャイトー著   毛利子来監修  藤井俊介訳 社団法人  農山漁村文化協会 発行    1992年9月30日 初版           2,200円   人類はいま重大な転機にさしかかっている !  、、、、、                       ちっとも?
藤田紘一郎先生が起訴された!というニュウスを知って

ああ、やっぱりねえ・・・と思った。

ただし!  このひとが悪人だからということじゃない、
むしろ・・・・・・正直な人だからやられたんだな・・・と。



たぶん、日本の医療界では異端者の大御所(世間に知られた学者の意味)のひとり

だから、厚生関係の業界団体組織からは、総好かん、いや:総スカンを食らう人なのでしょうね。
だって、製薬系、健康食品系、その他諸々の業界組織からは嫌がられる情報発信者だからです。

そうです。
世の中の嫌われ者になるのです。

その世の中って?

もちろん!  金儲け第一主義の世の中ですよ(笑い
世のため、人の為じゃない、金の為、利権のための世界   偽物の世界ですよ。

そうなると、虎視眈々と狙われることがあります
よって、業界団体には公務員系も入っていますから
(こんな事は業界の常識中の常識。厚生省からの天下りがそういう業界にどんどん入っている)

おそらく(想像ですが) 日本の業界から相当に嫌われていただろうね、藤田先生・・

先日、なにか重箱の隅でもつっつくような事で起訴されたようです。

この先生の話を聴けば、どうして嫌われるか分かる様ですよ。
もっとも嫌われる条件とは?

本当の事を言う(爆




ちょっと精神科へいったらどう?
って忠告される方がいますが

こ、こわいっでっす!

しかも「法律で護られた犯罪集団者たち」ではありませんか!

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
市民の人権擁護の会 日本支部さんが新しい写真を2枚追加しました。
私たちのの見えない所で、私たちには見えないように、日常的に残酷な事が起きてる…。 これが精神病院。

患者(…とされた人々)は、拉致され、監禁され、長期に閉じ込められ、縛り付けられ、そして早過ぎる死を余儀なくされる。

  日本国憲法第33条に記載されている「何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となっている犯罪を明示する 令状によらなければ、逮捕されない。」という条項に反し、犯罪者でもない人々が刑務所をはるかに下回る状況の中に置かれているのです。

犯罪でもなく、逮捕令状もなく、監禁する根拠もなく、精神科医の「彼は入院されなければならない」という独断的な一言でそれは行われているのです。

皆さんの「真の敵」が誰なのか? そろそろ本当に気が付いてください。そして、それに直面してください。 あなた自身を守るためにも、家族を守るためにも、そして大事な友人を守るためにも…。

※「精神医療による強制収容と拘束」に関するドキュメンタリー映像
   ↓   ↓   ↓
https://www.youtube.com/watch?v=t6McO7N_v50&feature=relmfu



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    《 風 邪 の 原 理 》
医学ではいまだ解明されていない感冒を解剖する     

 ひのもと異学、1996、12、23 初版


冒頭にお断りしておきますが、この以下の文はある論文を参考にして分かりやすくする目的で書いたものです。

“又聞き”の論ですが、要点を重視してお読みください。




 《 風邪は万病を防ぐ健康法 》

人間は生まれながらにして先天的に種々な毒素を保有しているのです。

これは親からの遺伝毒素であり、その親はまたその親から遺伝的に継承しているのであるから、先祖伝来の遺伝的毒素と言えるのです。

これを先天的毒素と呼び、生まれてから入れた毒素を後天的毒素として区別しておきます。

生まれてから入れたと言うのはおかしな話でしょうが、これは後で説明するとして、まず先天的毒素から説明していきますこれらの毒素は自然生理作用が発生し、外部へ排泄されようとするのです。



これを『浄化作用』と言うのですが、医学の考え方では悪化作用として『病気』と呼ぶのはお分かりでしょう。

これは体内毒素が自然に排泄されるために起こる働きですから、人間に備わっている自然良能力という働きにによるものです。

そうして、毒素の排泄作用、すなわちいろいろな苦痛症状がともなった浄化作用が発生するわけです。

天然痘、麻疹、百日咳等は元よりいまだ知られていないところの未知の毒素もあるでしょう。

浄化作用の順序として、まず体内に入った毒素は最初一旦人体の各局部に集溜するのです。

その場所として、神経を使うところ程多く集まりまる。

そうして人間が最も神経を使うところはどこかというと、上半身、特に頭脳に近い所でしょう。

人間が目が醒めている問手足は休む事はあっても、頭脳は一瞬の休みもないのですから。

頭は常に何かを考え、目や耳は機能を休ませることはありません。

人によってはお喋りを続け、合間に何かを食べ、というように機能は働きっぱなしです。

こうして毒素は神経の良く使う所に集まるので、肩、頸、リンパ腺、耳下腺などへと目がけて集溜することになります。

もちろん主役は頭脳となっているのですから、最終地点は頭を目がけてという事になります。

この様に各部に集溜した毒素は時日が経るに従って濃縮して固結するのです。

ここまでは 集溜→濃縮→固結 という作用で浄化作用の一段階で、『第一浄化作用』と呼びます。

まだ排泄する段階にまで行ってないので苦痛も比較的軽い段階です。

首や肩の凝り、固結毒素のための麻痺など人間機能に支障が出る場合もあります。

しかし、この苦痛も出ずにほとんど体内毒素があるなどと気が付かない人が多いのです。

それがある限度に達すると、排除作用が発生するのです。

それを『第二浄化作用』と呼びます。

ここに自然の恩恵をみることになります。

なぜならば毒素固結のため血行が悪くなり、肩頸が凝り、頭痛、頭重、視力減退、耳の鈍聴、鼻づまり、嗅覚の鈍化、歯槽膿漏、歯牙の劣弱、息切れ、手足の弛緩、腰痛、浮腫等々により活力が減殺されるからで、それが為人問本来の使命が行われない事になります。

偉大なる自然は浄化作用という結構な体内掃除機能を付与されたのですから、人間は病気というものに大いに感謝しなければならないのです。

このようにして毒素排除作用の苦痛が病気であるとしたら、病気こそ浄血作用であり健康上もっとも必要なものだということが分かります。

それゆえに、もし人類から病気というものを取除いたとしたら、人間は漸次弱体化して行き、ついには滅亡に到るかも知れないのです。

人間にこの毒素を浄化する機能が無かったとしたら、毒素は排除されずに子々孫々にまで遺伝され続けて行きますから、ある時期に至ってついには、人類という「種の絶滅」という事態を迎えることになるでしょう。

まさに病気こそ人間にとっての内なる“救世主”だったわけです。

ところが“病なき理想世界を作る”というのが世界人類の祈願、目標となっているのですから何か矛盾するように聞こえますが、これは根本的に異っているのです。

というのは、人間が無毒になれば浄化作用の必要がなくなるから共に病気もなくなるというわけです。

その暁には人類は健康と長寿を約束された天国的世界に安住することになります。

そこで病気の真の原因を解明することこそ病気解決の第一歩ですから、人間であったら誰もがかかるといわれる感冒(風邪、かぜ)について説明することが一番適当な浄化作用の説明となるでしょう。

体内の固結毒素の排除作用を浄化作用と名付けたのですが、まず初めに寒冒にかかると発熱が先駆となります。

自然は固結毒素の排除を容易にするため熱で溶解させ液体化させます。

この液毒は速かに肺に侵入するが、身体各局部にある固結毒素(以下毒結と称す)が普通一、二個所位なら軽い症状で済むが、局所を増す毎に重くなります。

最初軽いと思った寒冒が漸次重くなるのというのはその意味です。

毒素は迅速に肺臓内に侵入し、希薄な場合は痰となって即時排泄されるのですが、濃度の場合は一時停滞し、咳(セキ)というポンプ作用の働きで間もなく気管を通じて外部へ排泄されるのです。

咳の後には必ず痰(タン)が出るにみても明かであり、クシャミの後に鼻汁(鼻水)が出るのも同様の理です。

また頸部咽喉(くび、のど)の痛み、中耳炎、淋巴腺炎、手足の関節やソケイ部等の痛みは何れもその部にあった毒結が溶解し、出口を求めようとして動き始め、それが神経を刺戟するからです。

そうして液毒には濃い薄いが出来ます。

濃いのは喀痰、鼻汁、下痢等になるが、極く薄いのは水様となり盗汗や尿によって排泄されるます。

このように浄化作用というものは、最も自然に合理的に行われるもので、自然の神技に感嘆せざるを得ないのです。

いままで、病気というものの原理を知らなかった人間は、宗教では神の裁きとか、祟りとかとして、宗教で解決されないと今度は、現れた症状のみにとらわれてこれを唯物科学で解決しようとしたのです。

近年にはウイルス、ばい菌を主な病原として、栄養の欠乏とか疲労とか物質アレルギーとかに原因をもって来たのでしょうが、いっこうに病気の解決には程遠い有り様です。

一体造物主即ち神があるとしたなら、神は人間を造っておきながら病気などという人間を苦しめ活動を阻害するようなものを与えられる筈はないでしょう。

これを神の試練などと解釈するのは病気の真の原理を知らないでいたからです。

常に人間は健康であらねばならないに拘わらず、人問が誤った考えで毒素を作り貯留させるので、やむなく排除の必要がおこるのです。

それが病気であるとすれば、感冒の場合も何等の療法もせず自然に放任しておけば完全に浄化が行われるから順調に治り健康は増すのであります。

こに理によって人間は出来るだけ風邪を引くようにすべきで、そうすれば結核や諸々の重難病などは跡を絶つのです。

ところが何時の頃からか不思議にもこの清浄作用を逆解してしまったのです。

そこで発病するや極力浄化を停めようとするのです。

何しろ浄化の苦痛を悪化の苦痛と間違えたのだから、やることは逆療法です。

そのため熱が出ればそれを恐れて下げようとします。

下熱すれば毒結の溶解が停止されるからせき、たんを初めあらゆる症状を軽減するわけです。

ちょうど病気が治るように見えるのです。

ひまあり異学



判り易く言えば、せっかく溶け始めた毒結を元通り固めようとするわけです。

その固め方法がいままでの古今東西の医療なのであします。

氷冷、湿布、薬剤、注射等すべてがその固め療法となります。

全部固まると同時に症状が消失するのでこれで治ったと思って喜ぶのです、実はせっかく掃除をしようとするその手を抑えつけるようなもので、これは事実が証明しているのです。

よく風邪がこじれるというが、これは人体の方は浄化しようとするとそれを止めようとする為で、つまりが浄化と非浄化との摩擦となるから長引くのです。

いったん風邪が治ってもしばらくすると再発するというのはそのためです。

故に結果からいえば医療とは病気を治す方法ではなく、治さない延期させる方法という事なのです。

したがって本当に治るという事は、毒素が外部へ排泄させ体内が清浄となって病気の原因が皆無となる事です。

だから真の医術とは浄化が発った際、固結毒素をより速く溶解させ、より多く体外へ排泄させる事で、それ以外に真の療法はないのす。

世間にはお医者さん以外にもいろいろな健康療法があふれているが、なんと言っても病気の基本は風邪です。

“風邪は万病の元”という言い伝えは、病気の真の原理を知らなかったため逆療法を行った結果、余病を引き起こし風邪を悪い意味に解釈したのでしょう。

したがってどんな療法であっても風邪を悪化作用としか解釈出来ないものでしたらそれは真の療法ではないはずです。

この風邪を引くことこそ、浄化作用の中でも苦痛が一番軽く済み、かつ毒素排除の効果が一番効率的であると思います。

だから“風邪は万病を防ぐ元”と言うのが本来の自然の摂理、鉄則ですから、これを取り入れた考え方の療法ならどんなものであっても理に適った方法であると私は思っています。

つぎに浄化作用の原理をたとえた話があるので、これも紹介します。

借金をしている場合である。

だんだん利息を払う期限が来て返済を迫られるので一時に払うのは辛いから、外から利子の金を借りて一時支払うとする。

すると又期限が来たので又偕金して一時免れをするという具合で、元金の外に利子がだんだん増え請求も厳しくなるが益々返金が出来なくなる。

そこで貸主は承知せず差押え又は破産の訴えをするが、ついに返済が出来ないので破産する。

つまり寒冒もこれと同様で最初の返済期がきた時苦しくとも払ってしまえばばそれで済むものだが辛いから借金を増しても一時のがれをする。

そが薬を主とした医療なのである。

したがって引延ばす毎に薬毒が増え、ついに一時に請求をされる。

これが肺炎である。

ところが貸主も相手の支払能力を考慮し緩慢な請求をする。

これが結核と思えばいいのである。

以上のたとえ話は分かりやすいと思います。

これによって医学の唱える感冒の原因はウイルスであるという論は的外れなのです。

というのは、風邪にはウイルスの介在しない風邪というのもあるからです。

ウイルスが発見されてもそれは付属的なもので、真の原因ではなく、その証拠にインフルエンザの予防も治療も出来ないのが現在の医学の姿です。

これでお分かりでしょうが、体内毒素の原因となるのが、驚くことには “薬”だという事に気が付いたでしょう。

すると、先祖伝来、親からの遺産である遺伝毒素が「先天的毒素」であるとしたら、自分が生まれてから入れた薬毒が「後天的毒素」になるわけです。

これから風邪の大流行が予想される時期になりましたが、この“非医学的”論を頭に入れて“風邪よこんにちは”と暖かく迎え入れたらあんがい苦痛も軽くて済んでしまうかも知れません、、ただし、選ぶのはあなた自身、薬を飲みたかったらご自由に。

結果は“自分持ち”ですから。




いま大変参考になる本を市立図書館にて見つけました。

あなたの町にもあるかも知れません。


◆◆◆すべての親が知るべきこと   【 危 な い ぞ 予 防 接 種 】             イギリスからのメッセージ  レオン・チャイトー著   毛利子来監修  藤井俊介訳社団法人  農山漁村文化協会  発行   1992年9月30日 初版 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆











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《 人類最大の宗教? 医学は科学じゃないのか? 》  
   ひのもと異学 1996、12、19 初犯

ひまあり異学


 僕の医学批判は医者への非難ではありません。

なぜならそこには好きとか嫌いとか、利害のあるなしとか、個人的感情とかの小さな問題では無いからです。

僕の判断の情報源は別のところにありますが、ここに医学関係者の発言を集めた医学界異端の書は、公正に判断するうえに大変参考になりました。






【世界医薬産業の犯罪】(題名)   
           ―化学・医学・勳物実験コンビナート(副題))      ハンス・リューシュ著・大田龍訳 1993年発行        発行所――株式会社 三交社




 今日の薬品市場の状況として【政府は製薬業界が無用の薬を市場にあふれさせるがままに任せている】というのです。【動物実験によって、それらの薬の有効性・安全性は十分にテスト済みだという】のですが、それを本書では“詐欺”だというのです。しかも【政府公認の詐欺である】というのです。

その理由として、【薬のメーカーも、それを認可する政府も、動物実験などは元来まったく無意味なものであるということを百も承知しているからである。】ということだからです。

【それでありながら、新薬の発売に先だって、一応動物実験さえ経ておけばその薬の副作用が隠蔽不可能という段階にいたっても、「必要なテストはすべてクリアした、法律には反していない」と言いわけができるというのが本音なのである。

【しかし、この「法律」なるものを作らせたのが、実は自分たちであるということは、おくびにも出さない。

(中略)さらに立法の際、実質的に決めるのは「医学専門家」と呼ばれる人達である。

この専門家というのが誰あろう、薬メーカーの代理人なのである。】



どうですか、これほどの医学批判の文はそうそう見つけられないでしょう。

でも現に日本でもこんな暴露本はずっと前に出ているのです。

この内容を信じられないと言う人の方が多いと思います。

単なる暴露本は面白おかしく真実を少し折入れて、オーバーに表現しています。

本書もそうであれば良いのですが、、、

【(中略)実際、医薬探求に試金石として動物実験を義務付けてきたこの「医学専門家」と呼ばれる集団は、利潤追求に溺れ、人類に多大な害毒を及ぼしてきた、史上最大最悪のペテン師集団なのである。】

医学者を“ペテン師”呼わばりしているんです。


これほど医学関係者をこき下ろした論は無いと思われるほどの本の内容ですね。

「今日、この主張に同意する医療関係者が増加しており、本書の目的も、この主張を論証することにある。」

この主張とは医学に対する真っ向からの挑戦ですね。

それにしても医療関係者に同意する人達がいるとは驚きです。

さらに医学は科学的であるという一般常識を見事に覆そうとしているのには驚かされます。

それが医学を迷信として説明しているのです。

【 Pll  迷信・・・「人間用の薬を動物に与えると死ぬことがある」ということは常識にさえなっている。
動物は人間の体とは異なった反応をする。
(略)しかしこんな簡単な常識でさえ、一度マスコミの手練にかかればすっかりだまされてしまうのだ。】


僕も思うのですが、マスコミは時の大勢的な意見に追従するというのが当然でしょう。

彼らとて、読者から代金をいただき、スポンサーから宣伝広告の代金をいただき、時の政府から公認されていないと、飯の食い上げになるからです。

だから彼らを非難するのは当たらないのです。

それを飯のタネにしている限りは公正な報道などできるはずが無いのですから、それを全面的に信じる方がおかしいのです。

【新しい藥が何らかの形でテストされなければならないのなら、私自身(人間)がモルモットにされるよりは動物を使ったほうがいい」などと言い出す始末なのある。】


動物実験によって新薬が承認されるのですから、動物実験そのものが人間にも当てはまるという事が絶対的条件になります。
それを本書は次のように喝破しています。



【しかし、この一見、人道的とも見える言い分の根底には二つの大きな誤りがある。
第一に、新しい薬が必要であるという思い込み、第二に、動物実験で満足な情報が得られるという思い込みである。】



つまり動物実験が人間にも通用する正確な情報にはならないというのです。

そう思うのは間違った“思い込み”だと言うのです。


【このふたつの誤った思い込みは、組織的洗脳過程を通し、人々の頭にしっかり植えつけられた一種の宗教的教義――(教義というものは、議論の対象とはならない)――なのである。】


どうです。

医学の基本的医療法としての薬が、“宗教的な教義”に値すると言うのですから。

医学が宗教であるという主張は外国人からも出されていたとは。

【この教義は、まず家庭で論理的思考が芽生える以前の幼い頭に叩き込まれ、やがて学校で、その後はマスコミによって植えつけられるのである。】


“宗教的教義”は徹底的に“洗脳教育〃されているというのです。

だから、『医学は宗教だよ』と言っても、聞く耳をもたないのでしょう。

むしろ反対に頭を疑われるだけです。



【目の前にはさまざまな反証が上がっているにもかかわらず、多くの人はすでに植えつけられた信仰――迷信――に固執する。】

ある宗教信者は自分たちの教義以外のものを受け付けない。

だからいくらこんな説があるよと言っても決して受け入れない、どころか、聞こうとも見ようともしないのです。

“医学信仰者”はこれとまったく同じです。

科学的に論じるということをしないのです。

ただただ盲目的に医学の発表を信じ続けるだけなのです。


【真の科学は、自由な情報提供と、異なった意見交換が前提である。ところが今日の医学界にはこの大前提が存在しない。】


これです。
この事こそどんな事に対しても必要不可欠で、真摯な科学者であろうとするならばの“生き方”です。


【・・ときに、正直で勇敢な医師たちが出ると、皆、すぐさま口を封じられたり、医学会への参加を拒否されたり、二度と有力発言ができないような低い地位に左遷されたり、果ては医学界から完全追放の憂き目に会わされたりしているのである。】


これなど、最近の日本の薬害エイズ事件で、ある教授が示した態度のようです。

権力者が支配するのはどこの医学界でも同じようです。

いう事を聞かなければその世界から葬られてしまうのです。

それが怖い“先生”方は真実には目をつぶるしか生き残る道はないのでしょうか。



【医学権力が誇大宣伝と並行させ、このような組織的検閲を行っているため、爆弾発言をしたとしてもその声はすぐに闇に葬られ、二度と日の目を見るチャンスが与えられないのである。】


これは、日本の異端の生物学者として医学界から葬られた、故千島喜久男博士にもぴたり当てはまることです。



【 P14  二O万五OOO種もある薬アメリカの薬学第一人者と評されたウォルター・モーデル博士が二〇年以上も前に、「いったい、いつになれば我々は、薬が多すぎるということに気付くのだろうか。
現在使われている製剤は一五万を下らない。
その上、毎年一万五〇〇〇の新薬が市場に現われ、一万二〇〇〇が消え去る・・・これだけの数に見合うだけの病気などないのだ。」ー一という記事を発表してから二〇年以上経った現在、全世界の市場には、何と二〇万五〇〇〇種類の薬があり、それに伴って新しい病気も増加している。

つまり今日の人類の課題は、新しい薬の「開発」ではなく、思い切った「削減」なのである。】

【薬が減れば自動的に病気も減るだろう。
(略)我々が知らないのは――組織的洗脳のせいで―――魔法の薬が効かないばかりか、かえって体の機能を悪化させるという事実なのである。】


このことは世界の“人類の医療”にとって、非常に重大な発言であるでしょう。
医薬品を治療の主眼とする医学に対する爆弾発言となるでしょう。

僕から見ると足り前のことなのですが。

なぜなら、どうひねくって理屈をつけようとも、“薬は毒”という真実があるからです。

これにはどんな好意的理屈を付けようとも覆すことが出来ない“真実“です。

しかし、ほとんどの大衆はそうとは思わないでしょう。

それは“組織的洗脳”の成果であるというのです。


【 PI7  人間と動物人間にとって猛毒であっても、動物には無害。
人間には無害であっても動物には毒になる。】
【新薬の実験台として、動物ほど当てにならないものはないという事実。】

【しかし事実はすべての新薬(すべての合成物質は有害である)は今も、あなた自身そしてあなたの子供さんを使ってテストされ続けているのである。動物実験では科学的に何にも解答は得られない、どころか、人体への影響という点に関しては間違った答へと、ミスリードする。この法則に例外はない。】

【 薬の押し売り医学校での薬理学の知識というのはほんの限られたものに過ぎない。

医者としての道を歩み始めたときから生涯続くことになる薬理学の勉強が始まるのである。
この時、医師への薬理学教育を施すのか、薬品会社のセールスマン、そして洪水のごとく送り届けられるパンフレットなのである。】


【彼等を教育するのは製薬会社の強引なセールスマン連中である。
ところが製薬会社の目差すところは人々の健康ではない。
――世の中が健康な人ばかりになれば薬品工業は潰れてしまうではないか――目標は会社の利益の増大につきる。】


【薬に添付されてくる説明書、これは人間の病気に関する専門家によるものだと思うだろう。ところが、実際には、病人などまったく診たこともない動物学的知識しか持たない人間によって書かれているのである。】


新薬の開発は合成化学者とそれを試行錯誤する動物実験者によって行われ、薬品会社の息のかかった薬の審議委員によって認可されるのだから、ここまでは人体には関係ないのです。

そして事実上の人体実験はこれからでして、病院で実際に患者の体で行われることになります。

認可された薬は安全だということになる理屈ですが、真実はやはり結果として現れるのでしょう。


【相次ぐ医療過誤裁判で保険金が跳ね上がる。動物実験では安全だとされた薬を、人間に使用した結果の薬害が急増しているという現実を知れば当然であろう。】



というように薬害患者は認可された薬で起こっているのです。

また次々と消えて行く薬は薬効がなくなったと言うよりも害作用が現れて使えないという方が殆どでしょう。


【 P26  新しい病気「新薬」は、放っておいても自然に治ってしまう病気以外の病気は治せない、いやそれどころか、新しい病気を作り出している、と言う事実が明らかにされ出している。】



このことは次のことに言い換えられるでしょう。

◎病気は自然に放っておくだけで治る。

しかも薬を使わない方が安全である。

◎薬が病気を作り出す。




【三者のドロドロした関係。・・・医学界は大衆を洗脳し、化学業界がぺテンビジネスを続けていられるように力を貸している。】


これに政治家や国家権力が結び付いているというのですから、まさに鬼に金棒です。

しかし、わが日本ではその甘い関係にホンノ少しばかりメスが入れられましたが、、、しかし今後の大勢は変わらないかも知れません。



 【P136一九一二年のドイツ人医帥ブォルフガング・ボーン博士の談として【動物東験の公に言われている目的は、どの分野においても達成されておらず、将来においても達成されないであろうと予言できる。
それどころか、何千人も人間を殺してきた。
動物実験の拡大がもたらしたものは唯ひとつ――科学の名を借りた拷問と人殺しのみである。おそらくは、この人殺しは今後も増え続けるだろう。
なぜならば、それが動物実験の論理的帰結なのだから】医療の基礎、医薬品。】



その薬の基礎となる動物実験、つまり医療の基本中の基本は科学ではないというのです。

“科学の名を借りた人殺し”とはまた物騒な表現をしたものです。

それも医師が。

 【 明日の正統派【今日、彼のような異端者が増え続けており、それらの人々が医学界の主流となるのももう時間の問題、それもさほど長くない時間、だとさえ思われる。今日の異端は明日の正統派なのである。】

【ごく最近の「異端」の一人が、ロバート・メンデルスゾン博士だろう。医字界のお偉がたを激怒させたのは、『異端者の告白』(1978年発行)だった。
この本の中で、医学製薬トラストが隠しておきたいと思っていることをすべてさらけ出してしまったのだ。】



僕はこの本を読んでいないのだが、次に彼のいう事には

【医者という人種は、悪名高い中古車のセールスマン程度にしか信用してはいけない。
医者にとっての金のなる木である定期健康診断は不必要である。

不正確この上ない検査結果に基づく診断で落ちこまされ、あげく、益よりは害の多い薬潰けにされるだけである――私はもはや現代医学を信用しない。
人間の健康にとって最大の危険は医者である。
・・・医者を信用するな、医者の処方する薬は危険だ。
そもそも安全な栗など存在しない・・・・現代医学は我々に、医療イコール健康という等式が正しいと思わせてきた。

しかしこの等式は、我々の体、家族、国、ひいては世界を滅ぼす潜在性を持つ等式なのだ・・・・】




“世界を滅ぼす”というのは“人類滅亡は薬剤によって”という意味ですから、エライ発言となりますが。


【現代医学――医師、病院、薬、機器――の九Oパーセント以上をなくしてしまってもいい、と私は思う。
そうすればすぐにも、我々はもっと健康になれるだろう。】

一というのだ。


【同様なことを一世紀以上も前に、ハーバード大学医字部の著名な教授オリバー・ウェンデル・ホームズ博士が発言している。もしすべての医薬品を海底に沈めることができれば、人類にとってはその方がずっと幸せだろう。
ただし魚にとってはいい迷惑だろうが。

ではなぜ、彼ら、そして過去から現在に至る良心的医療関係者の言葉が、これまで国民の支持を得られなかったのだろうか。
それは、良心的な声が、医学界主流派の組織的誇大宣伝の力に負け、かき消されてきたからなのである。
しかも今日は、化学工業シンジケートの膨大な力が医学界に加担している。】




どうでしょうか。

 医薬関係者にとっては、あまり見たくない内容かも知れません。
しかし、真実と感情は違う次元です。

立場を考えず、一人の『人間』として考えてみてはいかがでしょうか。

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 《 薬 毒 残 存 蓄 積 病 原 論 》 
    ひのもと異学 1996、12、18 初犯



果たして、薬は体内に残存するのだろうか?飲んだり注射したりして身体に入れた薬が、はたして体内に残っているのだろうかという事を考えてみたのだが。

この事は大変重要な意味をもっていると思う。

 『病気とは体内にある毒素の浄化作用である。』  

 『その毒素の元になるほとんど大半は『くすり』である』

故に『病気の主な原因は薬である』

この定義を成立させるには、

『くすりと言う薬毒が体内に残存する』という条件が必要になるからだ。

このことが事実でなかったとしたら、新医学の理論は成り立たないことになるからだ。

それと共に、『くすり=毒である』という事も事実でなければこの論はウソになる。



こちらの方の証明はもう専門家が公言しているから、それ以上言う必要も無いと思うが。

しかしそれでも『薬=毒』という公式が成り立たないと、薬毒体内残存論は消え去ってしまうのだ。

もっとも、「薬は毒ではない」などと言う専門家がいるとしたら、それは虚言でしかないだろうが。

その前に『薬=毒』という事を認めないままで進んでみても面白いかもしれない。


最近、無農薬の野菜、米などが人気だという。

この場合の農薬というのは殺虫用の消毒剤や除草剤等のことを言うのだろう。

それも、毒を撒き散らしておいて「消毒」などと言うのはおかしな話で、強盗がボランテアなどとウソブクようものだ。

とにかく『農薬=毒』という事を認識しているからこそ、自分のからだに入れたくないのだろう。

それにしても、食べ物に農薬が含まれているとしてもごく微量でしかない。

一日腹一杯食べても、そればかりか一月以上も食べ続けていても何とも無い。

そんな微量な薬をなぜ恐れるのだろうか。

ということは、たとえ微量な毒物であっても、ほとんど体外に排泄されずにからだの中に残って蓄積されていくと考えているからだろう。

人が日常生活して行く上で食べ物は欠かすことが出来ない。

だから食べ物の中に微量であっても毒物が含まれているとしたら、「塵も積もれば山となる」ごとく、馬鹿にできないほどの量になって行くと考えているのだ思う。

そこには『毒は体内に蓄積する』という公式を心の奥底では認識しているのだろう。

近頃、「食べ物が悪い」という話をよく聞くが野菜や米、食品そのものが悪いのではないだろう。

食べ物にに含まれている毒物が悪いという意味なのだ。

毒物と言うと恐ろしがるが、有害物質とか異物とか化学物質とか呼び方を変えたり、農薬、化学肥料、合成保存財、着色料、さらに食品添加物とか言うとなんだかぼかされてくる。

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要は簡単なことで、人間にとって有害となるものを一言で『毒』と呼べば済むことなのだが。

水道の家庭浄化装置も良く売れているそうだ。

国家が責任をもって配水している水を信用出来ないのだろうか。

暗に水道水に含まれている消毒薬を『毒』と認め、水道水を安全なものとは思わないでいる証拠ではないだろうか。

もっとも、こんなことは単純に考えれば小学生でも分かりそうなことだ。

菌を殺す消毒薬とは、菌と言っても生き物なのだから、人という生き物にも効果があるに決まっているということを。

水俣病を知っているだろうか。

このワープロにも「水俣病」という言葉が登録されているくらい有名な事件だったのだろう。

新潟の阿賀野川の水銀中毒も同じことである。

この事件は、『毒は体内に残存して蓄積する』という公式を証明した悲惨な公害事件であったと思う。

川に流された水銀の量は川の水量からみたら微量なのかも知れない。

川の水を直接飲んでも発病までは行かなかっただろう。

しかし、発病者は川の魚を食べ続けて水俣病になったのである。

川の水に含まれた「微量」(と思われていた)の水銀を川魚が飲んで、それが『残存して蓄積する』という、『毒は体内に残存蓄積する』過程が魚を通して証明され、さらにそれを食べた人間によって証明されたのだった。

その陰には、多くの人達が耐え難い生き地獄の苦痛を味わうという悲劇が起きることによってであった。

『毒が体内に残存蓄積する』という公式が成り立たないとしたら起き得ない事件であっただろう。

もしも、魚を百匹食べた人が発病して、五十匹食べた人は発病しないとしたら、百匹食べた人は毒が残存蓄積して、五十匹食べた人は残存蓄積しないというのだろうか。

そんなことはあり得ないだろう。

五十匹食べた人だけ毒が消え去ったわけではないのだ。

ちゃんと体内に残っているのだが、もう五十匹食べないと水銀中毒の症状が現れないというだけのことであろう。

発病者と違うのは、ただ体内に水銀という毒の量が少ない状態であるという違いに過ぎない。

地球環境の悪化が言われているが、それはその中に生活する人間に健康に影響するからこそであって、空気や水が汚染され、土が汚染されているとしたら、いずれ食べ物を通して自分の口の中に入ってくる。

もちろん、汚染しているものとは諸々の『毒』だ。

今や、ありとあらゆる方向から私たちの身体を目がけて毒が侵入しようとしているのだ。

そして、水銀中毒事件は決して他人事ではない。

入ってくる形は違っていても『毒は体内残存蓄積する』という公式が成り立つ限りは、、、毒の種類にも数え切れないほどの種類がある。

それぞれ蓄積の度合いも、発病するための量も、発病の症状も千差万別かと思う。

さらに毒物どうしで合成されるというからなおさら怖い。

『体内複合汚染』と言われるように、毒と毒からさらに新しい強力な毒が合成されるとなると、予想もつかない病気が次々と現れることになるのだろう。

まったく、「毒の恐ろしさを知るのはこれから」、ということを実感するのは私ばかりではないだろう。

いま「微量の毒だからそんなに神経質にならなくても良い。

だいいち今の世の中で毒の入っていないものなんてあるかしら。

気にしていたらきりがないよ」と言っている人達、確かにそうなるのかもしれない。

現実を変えることは非常に難しいのだ。

そこには良く言えば「生活がかかっている」、悪く言えば「金がもうからない」のという妥協論が入っているのだ。

そうなると、変わるためには大半の人が体内蓄積した毒物による『発病者』にならないとだめなのだろうか。

それが自分の時代のときに来るか、子供、孫の時代になるのか、それは分からない。

運が良ければ自分の時代には逃れ得られるかもしれない。

だから、自分に関係なくなるから「あとは野となれ山となれ]というのも一つの考えである。

だが、そう気の長い話だったらよいのだがが、ところが現実はそう都合の良い様にうまくは行かないようなのだ。

そこには、『薬=毒』という絶対の等式が割り込んで来るからである。

体内に入る毒物が食べ物に含まれるだけのうちなら、まだ余裕がある。

それでも溜まった毒の排泄作用が無ければ溜まる一方で、何かしら体に異常を来すだろう。

それでもまだ軽い症状ですむかもしれない。

毒の間接的な摂取というのは蓄積量に時間がかかるからだ。

ところが、薬という毒物が『毒は体内に残存して蓄積する』という公式に含まれるとしたら、全く状況は一変する。

薬は自分の時代からだけではないのだ。

それこそ先祖からみたら、今の自分が孫の代どころではない。

子々孫々の何代目かも分からないのだ。

それほど薬の歴史は古い昔から使われている。

先祖の入れた毒が残存蓄積したままを受け継いでいるかもしれない。

だからいつ発病しても良いほどの薬毒が蓄積されている状態なのかも知れない。

『くすり』と言うと西洋薬ばかりを指していると思っている人が多いが、和薬でも漢方薬でも薬は毒なのである。

「自然の生薬」と言うと安全のように錯覚してしまう人もいるが、本来くすりと言うのは毒を利用したものだ。

言い換えれば『毒でないものは薬にならない』というのが薬学の常識であろう。

杉田玄白の時代は漢方薬が「くすり」として用いられていたのだろう。

その時代において彼は「毒をもって毒を制するのがくすりである」と喝破していたのだ。

先祖伝来の毒を受け継ぎ、そのうえに生まれてからどれだけ「薬という毒」を体に入れて来たのだろう。

たとえべつに病気などしなくても、誰もが「予防」という名目で薬を注射されたはずだ。

そのほかにもかぜ薬、胃腸薬などは子供のころからの薬としてあたりまえかも知れない。

そこには「塵も積もれば山となる」の「チリ」は当てはまらないだろう。

薬の場合には間接的とか、微量とかでは無いのだ。

医薬品は直接的摂取で、質も量も大なのだ。

そうして、そこに『薬=毒』という等式が成り立つなら、とうぜん『毒は体内に残存して蓄積する』という公式にも当てはまるのだ。

そうしてこの定義はどちらも崩せないだろう。

それが事実そのものだからだ。

こうして考えてみると、人間というのは驚くほどに大変丈夫にできているとしか思えない。

これだけ大量に毒物を体内に入れて来ているのに、いまだに人類はほどほどに長生きを謳歌しているのだから。

これでは『薬毒の残存蓄積』の等式は成り立たないのではないかと思うことさえあるほどだ。

しかし、その楽観的考えも陰りが出始めている。

長命の影には、多くの難病奇病が増え始めている。

そのグラフ線が上昇の一途であることは隠しきれない事実なのだから。

このまま行くとやがて「長命」そのものまで危うくなってしまうだろう。

多量の病気氾濫を土台にして長命はなり立たないし、なり得ないことだ。

元気はつらつ、健康人の上にこそ長命社会が持続出来るのだから。

大自然の摂理には少しの矛盾も許されない。

そこに自然に反する矛盾するするものがあるならば、時と共にかならず歪んだ『結果』として現れて来る。

『毒は体内に残存して蓄積する』という公式に、      『薬=毒』という等式を含まないでいる、自然食品愛好者たちは、「強盗殺人を許して、コソ泥を許さない」「酔っ払い運転を許して、駐車違反を許さない」「一億円の横領を許して、十円を拾ってネコババするのを許さない」、、、様な類いではなかろうか。

それほど直接的に体内に入れる薬毒の量は多いのである。

それなのに病気を治そうとして、多くの人が毎日「くすり」を飲み続けている。

その薬が健康を脅かすということに目をつぶって。

人類にこれほど大きな迷信があるのだろうか。

日本だけではないのだ、世界中の先進国を筆頭に行われている“矛盾した世界の『常識』〃なのだ。

「見ざる、聞かざる、言わざる」という言葉がある。

このことを実行するのは間違っているものに対しては有効だろうがが、真理や真実に対してこれを行うのは実に愚かなことなのだ。

以上の論は真実として、また真理として残り得るのだろうか。

結局は偽理、偽論として消え去って行くのだろうか。

消え去るとしたら、『毒は体内に残存して蓄積する』、『薬=毒』というこの二つの定義が成り立たないように、事実を示して証明すれば良いだけなのだが。

そのときには『毒は体内に残存しない、蓄積しないで全部排泄される』、『薬は毒ではない』という事になる。

だから、“いくら薬を飲んでも大丈夫、農薬も食品添加物も有害公害物質も排泄されるのだから騒ぐことはない”と発表される事になるだろう。

そうしてその“真実”?を世界中に宣言できることになる。

これほど世界人類にとって安心なことはないのだから、大いに感謝されることになるだろう。

さっそくあなたもその“真実”を証明すべく、挑戦してみてはいかがだろうか。

私は自分の示した『定義』を崩してくれる日を首を長くして待っている。

おそらくそんな日は来ないだろうが。

反論はあっても証明はできないだろうから。

 もしくは無視して語らずか、、三猿式でしか答えが出せないようだったら、私は自信をもって“薬が病気を作り出す”と声を大にして、わめきだすかも、、、        


             オオ、コワ、


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