昨日の話を引用するよ。


“たとえば、私が農家さんからジャガイモ100kgをいただくとする。
私が農家さんに占いをお届けしたとする。

私と農家さん、二人ともが「占いのほうが価値が少ないね」と思ったら 私がもらいすぎだ。

こういうときに価値の差がある。
私はもらいすぎなので、いい塩梅になるようにジャガイモをお返ししたり、農家さんにお金を渡したりする。


価値ってなんだろうね。
うれしく感じる度合い。
助かったと感じる度合い。
どんなことにどれくらい「うれしい」「助かった」と感じるかは、個人差が大きい。

だから、お互いにちょうどよく納得できるやりとりをするのは、ときになかなか難しい。

その分の埋め合わせがしやすいよう、人工的・社会的に作られたのが お金(通貨)だよね。”



そう。
前からここのところが気になっていたんだ。

ちょうどいいお値段って人によって違うから、たぶん私たちは かなり無理をして値段をつけているんだろうな。って。

たとえば私の占いを「10000円なら激安だ!」と思う人もいるかもしれないし、「10円でもいらない。タダでもいらない」と思う人もいるかもしれない。
いるかもしれないというか、いる。
好き・嫌い、ほしい・ほしくないは人それぞれだからね。


そこに値段をつけるって、けっこう無理していることだなーって。

いくらのお値段をつけようと
買いたくない人は買わないでくれる。
買いたい人は買ってくれる。

だから、ある程度 テキトーにならざるを得ないというか。

そういうところから、お金と価値って別物だな と思っていた。



また、「お金と価値は別物」については、
本当に価値あるものは もはや金額がつけられない・金額がついていないことからも、そのように思っていた。

太陽光や空気の恩恵を受けるのにお金がかかったら嫌だ。
水は、水道代がかかるけれど、それでも支払いが滞ったときにほかの光熱費よりもギリギリまで止まらない。水がないと死ぬから。
(最近は外国の企業が日本の水源を買収して、以前よりもすぐに水が止まることがある。そういう地域があると聞いたことがあるのだけど、本当?)

私たちの暮らしを支える土台はたくさんあるけど、より重要な土台of土台は、お金にできない。
お金にしようとすると ものすごく安くもなるし ものすごく高くもなり得る。


ヘルパーさんの仕事をしていたときに、人工呼吸のマシンとか、痰を吸い出すマシンとかの費用の書類を見たことがあって、
ある書類には1ヶ月に百数十万円とか書いてあったんだ。

福祉のしくみで補助してもらえるから 自己負担額はそれより少ないけど、よく動く肉体ってお金に換算するとものすごく高いよ。

体の機能の一部、呼吸の機能の一部で 百数十万円だったから、全部だったら計り知れない金額になるんだ。
全部だったら1ヶ月だけで数千万円も数億円もする。
ごはんや冷暖房や衣類や住居など みんな肉体のためのメンテナンス費を使っているけど、健康で元気に動く体は こんなもんじゃない。

そんな肉体を使わせてもらっていて、お金に換算すると我々はすごいことになっているんだよね。


本当にすごいことって、お金では扱いきれなくなってくる。



それで、お金・金額に変換した数値にばっかり注目すると、おかしなことになるんだ。 
大事だけど金額がつけられないものを、金額がつけられないから ないがしろにしちゃったりする。
お金につながらないことは無駄で無意味だとして、省こうとしたりする。
お金という指標にしないと認識できなくなっていたりもする。

そして、お金のための仕事、仕事のために体を壊しちゃったりしてね。


お金のために、お金に変換されていないほうの価値・お金に変換しにくいほうの価値を、大量に失うことが起きるんだ。

けっこう身に覚えがあるよね(^_^;) 私も自戒。



私は前にヘルパーさんの仕事をしたり 魚屋でバイトをしたり、家庭菜園で日光や雨や土や草木を眺めていたりするもんで、
お金に変換されにくいほうの より土台に近いところ価値を眺めていることが多いみたい。

それで、「お金とは価値である」「お金は自尊心のバロメーターである」という説明のしかたを見ると、いつもよく分からなくなって混乱していたんだ。



価値だけじゃない。
スピリチュアルとか心のこととかに詳しい人も、お金持ちかそうでないかを 自尊心や自分を大事にする姿勢のバロメーターとして教えていることがあるね。

私は 恥ずかしながら現金はあんまり多く持っていないです(^_^;)

でも、状況はありがたいんですよ。
ステキな家に住めているし、家庭菜園もできるし、元気に山登りできるし、おいしいごはんも作れるし、たまに実家に帰省することもできる。必要なときは車も使わせてもらえる。ブログも書けるしアニメもYouTubeも見られる。ペットを飼わなくても鳥や小動物がなにかしら庭にいる(笑)




お金持ちかそうでないかを 自尊心や自分を大事にする姿勢のバロメーターとする見方、
もっと細かくじっくり考えたら、きっともうちょっと詳しく説明できるしくみになっているはず。

でも、私はそこがいまいちよく分からなかったのですな。
それで混乱していたんだ。


そこが、今までよりも もう一歩、考えを進められそう…
という感じ。




お金のしくみの、ダブルスタンダードと言えばいいのかな?
ダブルスタンダードという言葉を最近知ったばかりなので、この言い方でいいのか分からないや。

お金に変換しやすいタイプの「うれしい」「楽しい」「助かった」「ありがとう」と、
お金に変換しにくいタイプの「うれしい」「楽しい」「助かった」「ありがとう」があって、

それをどちらもお金・金額という指標で 同じようにはかろうとするから混乱していたんだ。



お金に変換しやすいタイプの「うれしい」「楽しい」「助かった」「ありがとう」をはかる「◯◯円」と、

お金に変換しにくいタイプの「うれしい」「楽しい」「助かった」「ありがとう」は、

違う土俵?違う基準?で考えたらいいのかもしれない。

この動画の主さんが出した答えが正しいかは 私はまだ分からないけど、考えるための重要な資料にしているよ。(もう一回見よう)


お金じゃないベーシックインカムが、すでにたくさん動いているし もらっているという話もあったよね。


お金に変換されにくい価値は、すごく身近で当たり前なことで、たぶん難しいことじゃない。

身近で当たり前すぎて、だから深く考えることをあんまりしていなくて、
そうしているうちに「ない」(あることに気づきにくい)になっていたのかもしれないな。


もしかしたら、この考えを進めていってたどり着く結論は ポカーンとするようなふつうのことなのかもしれない。

でも、ポカーンとするようなふつうのこと、だからこそ
「これがふつうにあることのありがたみよ…!」ってなりそうな気がするんだよね。



またなにか、思いついたら書くよ。
いったんここまで。




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お金の捉え方は、どうもよく分からなくて長年ウンウンと考えていたのでした。
考えが進んでうれしい(笑)