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そしてユキンコアキラ氏のアトリエへ。




音楽と共に熱く動き 時折叫びながら描いたり
VRで立体に描いたり
描いている様子から見られておもしろいのです。


「いいとも!」に出演したときの映像。



私が訪問したときの様子がこちら↓
これを生で見てきたのであるよ。



今回訪問したアトリエは新しい活動拠点。
いろんな場所でパフォーマンスをしている。

公園の広場
ショッピングモールのイベント広場
テレビでの出演
海外
Facebookなどでのライブ配信

いろいろな場で活躍されている。

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以前に骸骨が出てくる絵のパフォーマンスの映像を見たときに、見てはいけないものを見てしまったように感じて「ひいい!」となったのだ。

命を削って活動しているような
しかもそれが丸ごと剥き出しで
その覚悟や気迫のようなものに圧倒されたのである。

まるで全裸で全身から出血しながらその血で描いている一部始終を、全く隠さずに一部始終ごと作品としているようだった。
(血では描いていないですよ)

ほかの絵のときはもっとマイルド。
と言いつつやっぱりおもしろい。

さっきまで語らっていたときとは全く違うところに入っていく様子が刺激的だ。



例え話をしたい。
私はロマネスコを直視するのが苦手だ。
これは野菜だ。
スーパーの野菜売り場にあったりもする。
カリフラワーやブロッコリーの仲間。
そして、このフラクタルな幾何学模様。


自然界には数学の美がある。
違う言い方をすると、真なるものにつながるような美しさだ。
黄金比、フィボナッチ数、蜂の巣や雪の結晶の六角形などは有名だ。
受精卵の細胞分裂とフラワーオブライフも然り。


でも、大抵そういったものは パッと見では分からないようになっている。

暦や占星術などを学べば「春分だ」「節分だ」とはっきりした節目を意識したりもするが、日本にいれば季節の移ろいにはっきりした境界線を感じるには敏感な感性が必要だろう。

三寒四温のように、「寒」と「温」が重なりながら少しずつその割合が変わって、そうして季節は緩やかに巡っていく。


自然界の数学の美しさを感じることは、感性の鋭さで「寒」「温」そのものをビビッドに感じるようなところがある。

それは恒星占星術の恒星のようだ。
概念。数字。図形。

それがビビッドではなくマイルドにあらわれるため、美しさが「秘められた」「神秘的な」一段階違うところに存在するような感じを受けとって私たちは惹かれるのだろう。

おもむき。


それがどうだ。ロマネスコはそういうところが全裸だ。

神秘の美しさが剥き出しだ。
刺激が強いのだ。

それで、私は「ひいっ」となる。
プラトン立体も、まじまじと見るのがつらいときがある。


それと近いものを、私はユキンコアキラ氏の骸骨を描く姿に見たのである。

刺激が強すぎて直視したくない気持ちもあるのに、直視しないと失礼極まりないほど剥き出しで迫ってくる。

恐怖すら感じる。畏れだ。



そういうところがあって私はあまり頻繁には見られないのだが、
私自身に気迫や覚悟が足りなくてブレブレになっていることに気づいたときにFacebookなどでパフォーマンスの生配信を見て揺さぶられるようにしている。

今回の旅でご一緒してもらえたエミオさんはアキラ氏をサポートする活動をしている。
アキラ氏のパフォーマンスを 頻繁どころではなく至近距離で全身全霊で感じることをしているエミオさんには、私は敵わないのである。




占いをお届けすると、よく「私のことを見ていたんですか!?」「丸裸にされたような気持ちです」と言われる。

しかし、占いを作ってクライアントさんを覗き込むとき、同時に私も覗き込まれるのだ。
占いを作りながら、私も丸裸になっている。

占いを作る姿勢や覚悟をいつも問われている。



魂は、肉体を持って生きている私たちからすれば裸のようなものなんだろう。
そこに私たちは幾重にも服を被せる。

魂に触れる活動をしていると、自分が恥ずかしがって服を着たままではできないことばかりだ。

魂に触れる活動、魂を揺さぶる活動、魂にかぶせた服の中身を見るような活動をしている方には、アキラ氏のパフォーマンスに触れることは大きな刺激になるだろう。


それを「魂」だの「アセンション」だのとスピリチュアルな言葉を用いずに
そこに言葉を被せてしまわずに
己の背中と作品で語るところが 芸術であるのだなと思っている。

でも、同時に、だからこそ
パフォーマンスの前や後の 言葉をしゃべっているときのアキラ氏を見て
「私と同じ人間なんだな」
「そうか。こんなにすごいことをしているアキラ氏もこんなことを考えるのか。私もがんばろう」
と感じられる側面もある。

そういう舞台裏に近いものもチラリと感じることができるから、生で見るとより一層おもしろい。



新しいアトリエ、しかもアキラ氏が描くときに立つ位置はレイライン上にあるそうだ。
ここは聖域だ。


いい時間だった。

合掌。



【おまけ】

アキラ氏にウイスキーとコーラを混ぜたお酒を作ってもらえたのだが、これがまた美味しかったのだ!

さっそくウイスキーとコーラを買ってきた。


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「今日のパフォーマンスで骸骨が出てきたらどうしよう」といつも思うけれど、骸骨のあの衝撃を楽しみに感じているところもある。

でも、生と死の濃いところのキワキワに近すぎて、そんなことは言えない。
「人が死ぬ様子や出産の様子を見て揺さぶられたい」「あなたが命をかけているところが見たい」と言っているようなものだ。
そんなことは言わない。

「あの骸骨のアレを持っている人が目の前にいる」ということを感じることをしている。