『アルジャーノンに花束を』という本がある。
ダニエル・キイス作。小説、物語だ。
 
私はなかなか小説は読まないが、子供の頃に従兄弟に勧められて読んだ。
 
たしか、日本ではけっこう前にテレビドラマにもなっていた。
 
 
ドラマバージョンはよく知らないが、本では パン生地のこねかたに関する話が出てくる。
 
 
「パンを作るための生地をこねてくれ」とパン作りの先輩から言われたら、パン作り初心者なら戸惑うだろう。
 
私もパン生地をこねたことはないので、どれくらいこねこねすればOKなのかは分からない。
 
でも、
「とりあえず粉とか水分とかがそこそこ均等に混じった状態になればいいのかな?」
自分なりになんとなくの見当をつける。
 
あとは
「こねこねが足りなかったり多すぎたりすると、もしかしたら空気の混じり具合からかたくなったり ボソボソになったりするかもしれないから、そういうのに関しては聞いたり調べたりした方がいいかもな」
と思う。
 
 
 
でも、さすがにパンをこねるときの指の開き具合を気にする人は レアだと思う。
 
『アルジャーノンに花束を』では、たしか、パンをこねるときの指の開き具合が気になるタイプの人が主人公だ。
 
この主人公は
「まぁ、そこらへんは細かく気にしなくてもいいかな。もし大事なことがあれば指摘があるだろう」
というふうには考えない。
 
 
だから、どうすればいいのかを細かく質問したくなる。
 
「これくらいできていればひとまずOKだろう」というのを推測するのが難しいのだ。
 
 
このストーリーを思い出して「段階の話のあれこれとちょっと似てるな」と思った。
 
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下書きにあったのはここまでです。
 
話をどう持っていこうか考えているうちにお蔵入りモードに突入していたようです。
 
 
 
小説の『アルジャーノンに花束を』は
たぶん現代の日本なら「知的障害がある」とされるであろう一人の男が 脳の手術によりじわりじわりと天才になり、そしてじわりじわりともともとの知能レベルくらいに戻ってくる
その過程で見た景色、感じたことの記録…
というおはなし。
 
 
知能が発達して、そして戻ってくる過程で
今まで頭がよくてすごいように見えてた人も、そこまでめちゃくちゃ頭がいいというわけでもなかったことに気づいたりする。
 
自分をバカにしていたあいつも、あいつ自身が小心者で だからこそ自分にそういうふるまいをしていたのだと分かる。
 
いろんな人の立場、思い、それが織り合わさって営まれる暮らし。
 
主人公は、天才になって見えた 人々の営みについての知的な理解は忘れてしまうけれど、その感覚、それを見た気持ちは覚えている。
 
そんなおはなしです。
 

 
「分からない…きっと大事なことだから 先輩に聞いておきたい」と思う内容や、質問したくなること。
そして、詳しくは分からなくても大丈夫と思えること。
 
それは自分に見えている世界によって違ってくる。
 
そこに、私はハートの成長度合いとの関連を感じた訳だね。
 
 
 
ドラゴンヘッド星座もあるけれど
ドラゴンヘッド星座だけじゃなく
心の成長度合いによっても
なにが大事に感じるかっていうのは
けっこう違ってくる。
 
成長を望むなら
なにが大事と感じているか
なぜそれを大事と感じるのか
よく考えて感じてみたら そこまで大事ではないものを「大事」と思っていないか
じっくり考えてみてもいいかもね。
 
 
 
と書こうと思ったけど、
私から言いたいのはそっちじゃないな。
 
 
成長は起こります。
私たちはどんどん変わっていく。
変わりたくなくても 変わっていく。
 
今 なにかを大事だと感じられるその気持ちは
もしかしたら今しか感じられない気持ちかもしれない。
成長したら もう今と同じようには思えないかもしれない。
 
その気持ちは期間限定のレアイベントかもしれない。
 
今 大事だと思えるそれ
今だからこそ感じられるそれを
めいっぱい大事にできたらいいなと思うよ。
 
 

 

2020年8月に書きかけて下書きに埋もれ、9月に公開したおはなしでした。

 
こんなことを考えて、毎日16時に過去記事を紹介しています。
読んでくれてありがとう!
 
 
ここのところ、『タイタンの妖女』というSF小説にハマっています。
 
またこの本の話をするよ(笑)
 
 
 
 
この作品では
“単時点的(パンクチュアル・作中ではパンクテュアル)な意味において”
という言い方がたびたび出てきます。
 
例文:
「パンクチュアルな意味で、はじめまして」
「パンクチュアルな意味で、さようなら」
 
 
 
これは、スピリチュアルなことに馴染みのある人には そう難しくない概念です。
 
説明がいらないレベルでお馴染みな気もするけど、おもしろいので書きましょう。
 
 
 
 
作品の登場人物のおじいさんが、宇宙旅行に行ったら、時空の裂け目みたいなところに入ってしまって、半分物質・半分非物質みたいな存在になっちゃうんだ。
 
太陽系の惑星の並びが一定の条件を満たすと、おじいさんは物質肉体を持った状態で現れる。
 
それ以外のときは 非物質の状態で、あらゆる時間・あらゆる場所に広がって、時空の制限を受けずに存在している。
 
 
ゲームのアンダーテールのガスター博士や
FF7ならライフストリームに混ざった感じとも似ています。
 
このおじいさんも そんな感じでいつつ、ちょくちょく物質化もします。
 
 
 
 
それで、おじいさんは非物質な存在のしかたで あらゆる時空に漂っているので、あらゆるところの情報が分かるのですな。
 
パラレルワールドの概念はひとまずなしです。
ひとつの世界線の中で、みんな分かる。
 
 
そういう状態で時空を体験する感じ方、どんなふうにいろんなことが見えているか、そんな体験からどんなことを考えるかも、作品の中で描かれているのですな。
 
 
 
スピリチュアル界隈でもこういう話はいっぱいあるね。
私自身はそういうふうにありありと体験したことはないです。
 
なにかを読んだところだと、
いろんな時間、いろんな瞬間の写真を並べて いっぺんに眺めて見渡しているみたいに、全部見える
のように書いてあるものがありました。
 
 
 
 
それで、こんなふうに あらゆるタイミングを見渡す視野では「はじめまして」も「さよなら」もないです。
 
だって、この視野では ずっとあり続けるわけだものね。
 
恐竜は絶滅したけれど、自分が見渡す視野の中には、恐竜がいた時点も含まれている。
 
 
精神世界の玄人の方々が、「今生でははじめまして。魂的にはお久しぶりです。よろしく(笑)」のように おもしろい挨拶をしているのをよく見かけますが、そういうのともちょっと似ていますな。
 
 
 
 
地球人類の多くは そのうちの一時的なところに注目するセンサーで暮らしています。
 
「一時的な時間に注目する」、
その感じだからこそ
初めて会う「はじめまして」や
お別れの「さようなら」が
成り立ちます。
 
そういう「一時的な時間に注目する」のを、作品では「単時点的(パンクテュアル)には」という言い方をしているのですな。
 
 
これを読むと、別れの挨拶には
ニヤリとしながら「パンクテュアルな意味において、さよなら」と言いたくなります(笑)
 
 
 
 
ありありと体験していなくても、想像することはできるのだから おもしろいものだなぁと思います。
すごいね!
 
 
私は映画やアニメや漫画はポコポコ見ていたけれど、SF小説は全然見ていなかったのですよ。
 
めちゃくちゃおもしろい。すごい。
SF小説、また読んでみよう。
カート・ヴォネガット・ジュニア氏のほかの作品も探してみよう。
 
---
 
『タイタンの妖女』のラストにある訳者さんのあとがきを読んで 翻訳のおもしろさを再確認。
 
訳者さんのうまさや語彙力を楽しんだりもして
山田玲司さんの動画も見て

 

 

「こんな日本語、私の語彙では出てこないよ!すげー!」みたいなことを思ったりもして、めっちゃおもしろかったです。
 
占星術の本と 小説では、だいぶ勝手が違うけどね。
 
進化占星術の翻訳を通じて、以前はなかった楽しみ方を得ているのに気づいておもしろかったです。
 
 
 
 
 
先日、こういうメモを書いた。
 
こういうメモ↓
 



 
メモ:
 
 
最近の技術はすごい。
翻訳、字幕のスピードがすごい。
 
 
バベルの塔の伝説の
意思疎通がうまくいかない
悲しみ もどかしさ
 
出生前月蝕 双子座さんのテーマでもある。
 
 
参考:
 
そのもどかしさ
人類みんなの集合意識にある意思疎通がうまくいかない悲しみ
 
癒えてきたのかもしれない。
 
 
めでたい。
 
 
 
 
あとでゆっくり話す。
今日はメモだけ。
 



 
という話だった。
 
もうちょっと詳しく書きたい。
 
 
 
ジャン・スピラーさんと カレン・マッコイさんの共著『スピリチュアル占星術』という本。

生まれる前にあった日蝕や月蝕の 星占いでの話も出てきておもしろい。
 
 
 
月蝕双子座さんは、双子座なだけに「コミュニケーションを楽しむ体験をしたい」というテーマを持っていて、それをできるとうれしいんだ。
 
 
月蝕双子座さんは、バベルの塔の伝説とつながっているという。
 
バベルの塔の伝説というのは…
 
 
大昔、人間たちは高い高い塔を作って「すごいな!神にも届きそうだ!」とよろこんでいました。

 

しかし、神さまは「人間、驕るでない!」と怒って塔を壊しました。

 

そして、人々が協力するとこういう大きなことをやり出すということで、人々が協力して大きなことをできないように言葉をバラバラにしました。
 
 
こういう話ですな。
 
バラバラにしたということは、ここで分離(つまり創造)があったということだね。
 
 
 
言葉がバラバラで意思疎通が難しくなり、人類のみんなは集合意識/集合無意識のエリアに 話が通じない悲しさ、もどかしさを持っている。
 
月蝕双子座さんが、意思疎通、コミュニケーションができて話が通じるよろこびを体験することは、
人類のコミュニケーション面の悲しみやもどかしさが癒える ということでもある。
 
 
みんなの心の奥はつながっていて、そのつながったみんなの意識の中に「意思疎通ができなくてつらい」というのがある。
 
月蝕双子座さんは、それを率先して癒そうとしている人たちというわけなんだ。
 
 
 
 
まだ確かにコミュニケーションがうまくいかないことはある。
もどかしい気持ち、悲しい気持ちになることもある。
 
でも、最近の技術がすごくて、翻訳や字幕を瞬時につけることができたりする。
 
 
先日Zoomを使っていたときに 字幕機能があるのを見つけて、試しにやってみた。
 
日本語でしゃべっているのに なんと瞬時に外国語の字幕をつけられることが分かって驚いた!
 
もちろん日本語の字幕もつけられる。すごい。
 
 
 
こういった様子を見て、月蝕双子座さんや人類の「言葉が通じない」「伝わらない」のもどかしさや悲しみが 今まさにどんどん癒えているところなのではないかと思ったのだ。
 
それで、おめでたい気持ちになったのであった。
 
すごいねぇ。
 
 
 

 
2023年1月に書いたおはなしでした!
 
こんなことを考えて、毎日16時に過去記事を紹介しています。
読んでくれてありがとう!
 
 
大人になると

興味から
あるいは仕事や暮らしでの必要に迫られて
 
知りたいことやできるようになりたいことも増えるけれど
(減ることもあるが。)


同時に
 
知らなくてもいいことや
できなくても許されていることの多さにも
気づいたりする。




日雇いの派遣で
倉庫に行ったり イベントに行ったりして

私が知らないことを本業にしている人が
いっぱいいることを現場で感じます。


専門が細分化してくる
 
と言えばいいでしょうか。



自分がやらずに済んでいること
知らずに済んでいること
 
いっぱいある、と頭で分かっているつもりでも
 
それを現場で感じると やはりひと味 違うもので。



 
なんというか
 
「知らない」「できない」を
恥ずかしく感じることもあるけれど
 
こんなにいろんな分野があるなら
「知らない」「できない」は
全然恥ずかしくないな
 
なんて、思ったのでした。
 



たとえば私が
 
「えー!あなた、牡羊座が何月の星座かも知らないの!?」
 
「射手座と双子座はホロスコープでは反対の位置だよ!
当たり前でしょー ばかなのー?www」
 
なんて言うのって、おかしな話ですもん(^_^;)
 
(私がイヤなやつに見えるな。笑)




知れば知るほど
自分が知らないことが見つかる。


 
「無知の知」
 
と昔の誰かが言ったらしいけれど
 
あー、自分はこれを知らないんだな
自分はこれができないんだな
 
と気づくことは、
 
自分の世界が狭いことを感じているようでいて
 
確かに自分の世界が広がっていることでもあるんだね。
 
 

 

 
2015年に書いたおはなしでした。
 
こんなことを考えて、毎日16時に過去記事を紹介しています。
読んでくれてありがとう!
 
 

棒ラーメンのブログ記事シリーズ

 

 

 

 

 

 

 

ここで出てきた、グルジエフの「自己想起」というもの。

 

「棒ラーメンを嫌がる私

棒ラーメンを嫌がりつつ トラウマを癒そうと食べる私

棒ラーメンを嫌がりつつ トラウマを癒そうと食べる私を おもしろがっている私

そのおもしろがっている私を “これをおもしろがるとは ちょっとSだな”と思いながら眺めている私…」

みたいに、

 

どんどん「観察の対象にすること」で、

「これは自分ではない」

「これはより本質に近い自分ではない」

というのを分かっていく。

 

そして、それではない より本質的な自分にジワジワと近づいていく。

 

 

 

 

それで思い出した。

この機能って、天王星とよく似ている。

 

 

 

 

これは天王星逆行の話だけど、
進化占星術では 天王星逆行について「天王星の機能がより強調されている」と考えるから ここに書いてあることは 天王星を知るのに参考になるはず。
 
ここに「自分がいろんなものから切り離された感覚」という話が出てくるんだよね。
 
仕事からも 人間関係からも 家族からも
さらには自分自身からも
自分が関係ないように感じる
自分が切り離されているように感じる
みたいなこと。
 
 
これは、
「肉体は魂がまとった服みたいなものだ」
の話と とても近いことを言っていると思ったんだ。
 
自分を肉体に同一化しない。
肉体を自分であると思わない。
 
肉体を自分だと思うと(つまり肉体に同一化していると)、肉体が傷ついたときに 自分も傷ついたように感じて、とってもつらい。
 
でも、「肉体は自分というわけではない」というのをありありと感じていたら そこまでつらくはない。
 
 
仕事に同一化していると、仕事でうまくいかないときにとてもつらい気持ちになる。
 
お金に同一化していると、お金が減るのが怖くなる。
 
 
同一化していないと、そういうことがあっても やけに客観的というか、心が静かなんですな。
 
私はこのように偉そうに話しているが、あらゆる同一化を脱したわけではないぞ。
 
 
 
 
肉体とくっついて まるで融合したような自分
お金とくっついて まるで融合したような自分
人間関係とくっついて まるで融合したような自分
家族とくっついて まるで融合したような自分
仕事とくっついて まるで融合したような自分
日本の文化とくっついて まるで融合したような自分
地球のとくっついて まるで融合したような自分
 
これは、「その土星の箱(世界観)にすっぽり入って、その外の世界があることを忘れてしまった状態」だよね。
 
土星の箱から出る。天王星。
くっついて まるで融合したような状態から、引き剥がす。天王星。
 
 
これって同じではないか…!?
 
と考えた次第です。
 
 
 
 
 
【進化占星術関連のご案内】
 

 

 
 
 
でも、この考え方だと
太陽系外のものと同一化している場合は
その癒着から自分を引き剥がすのは
天王星の機能なんだろうか?
 
たとえば、
恒星探索が進んで、恒星に「なりきる」の状態に達したときに
自分と恒星の同一化をやめるときの働きは どこからくるものだろう?
 
さそり座のアキュメンで「終わらせる」のかな。
 
どうだろうね。