え?最後に投稿したの3年も前なの?前説どうやってやってましたっけ?という状況です。

1年ほど前に思いっきりケガ(骨折)をしてしまい、首痛や腰痛で3か月ほど休職していました。今はほどほどに元気です。どうも”あきかん”です。

 

4月27日に金沢旅行、28日に緘黙交流会に参加したのでその感想とか書こうかなと思います。

 

2年前から金沢行きたいなぁなんて思いつつ、ケガとかして行けず、少し前から再計画をしていたら、4月に緘黙交流会が富山で開催されるという情報があり、丁度いいし、一度参加してみようかなという気持ちで計画を早めて行ってきました。

 

追記!長くなったので緘黙交流会については別記事にまとめる!

 

金沢観光

兼六園と金沢城に行ってきました。

近江町市場にも行きたかったけど、もうすぐ2万歩って時点で足が痛すぎて、歩けなくなってしまい断念

 

人目を盗んで撮影する挙動不審者

人の注目を浴びる(浴びると勝手に思っているだけ)行為が苦手。

写真撮影という、人の歩みの流れに沿わず、その場に留まり、目線にスマホを掲げ、数秒完全停止という行為ができない。

観光地で他の人がカメラを被写体に向けていれば、自分もカメラを取り出して撮影できる瞬間はある。けど大抵堂々と撮影できなくて、歩きながら撮ってしまったり、地面を掘ってしまう。その写真がこちら↓

目線までスマホを掲げきれないから起きる現象。本当はもっと空を大きく、スマホを横にして撮りたかった。

 

↓の写真はこの場所が撮影スポットになっていて、みんなスマホを掲げているから安定して撮れた。

 

飲食店でも未だ堂々とスマホを取り出して食べるものの撮影ができない(めちゃくちゃ人の目を盗めばできる。)

これは場面緘黙の後遺症あるあるなのか?不安感強い人あるあるだったり?ツイッターでフォロワーさんが食事の写真載せているのを見るたびに、この領域に達するには後何年必要なんだろうと思ったりします。

 

人生初スタバ

足の痛みに耐えて金沢駅に戻ってきたときに、とにかく休憩する場所が欲しいとなり、スタバのクッション椅子が魅力的に映り、
並んでいる最後尾に70代くらいのおじいさんがいたのもあって、こんなおじいさんでも注文できるんだから何も怖くないはずだと思い、初めてスタバを利用できました(追いつめられると行動力発揮できる系)。今までスタバで飲んでいる人は何のために高いお金払って、コーヒーなんか苦いもの飲むんだろう?オシャレなのかな?とか思ってましたが、休憩する場所なんですねスタバって。初めて知りました。

 

宿泊は非対面チェックインができるホテル

ホテルは楽天トラベルで予約して非対面チェックインができる東横INに泊まりました。

受付横のチェックイン機に楽天トラベルで発行されたQRコードをかざすと、部屋の鍵(カード)が出てきてチェックアウトが完了する。言葉を発しなくても宿泊できるという革命(コロナのおかげ)。チェックアウトも部屋の鍵(カード)をチェックアウト機に差し込むだけで完了し、ホテルのスタッフと会話することなく1泊終えられました。常に不安感があるので、チェックインもチェックアウトもカバンの中から何か探している風を装って、先に知らない人に行ってもらって、その様子を見て、これがチェックイン機なんだ、これがチェックアウト機なんだと確認してから利用するということをしていました。

 

相席とおっちゃん

朝ホテルのバイキングに行ったら、席が空いてなくて、相席する他手段がなく、どのくらいか迷ったか忘れたけど逡巡の末、「相席していいですか?」という声かけをしました(俺、すごくない?)。人の好さそうなおじさんの席を選んだのは良いものの、食べているときに話しかけてきて、「どから来たの?」「何歳?」とか聞かれたので、答えた後、オウム返しに同じことを聞くというコミュニケーション術を使って、京都から来た65歳、孫3人という情報を得ました。何度か声が小さくて聞き返されたけど、一期一会もう2度と会うことがないからこその開き直ったコミュニケーション。そんなに嫌じゃなかった(…もっと寡黙そうな人の席にすれば良かった)。

 

カメ並みのスピード

飲食店に1人で入れるようになったとか、できることが年々増えてきている。ただ、「できるようになったこと」が、普通の人からすると学生時代のとうの昔に経験済みだったりするから、まったく自慢できることではない。場面緘黙真っ只中だった学生時代、緘黙がなければ経験できていたことが、今になってできるようになる。前向きに考えるなら、まだまだ成長の余地がある(その成長速度はカメ並みの超スローペースではあるが)

 

経験あるのみ

人の目線気になるし、声が小さくなってしまうこともある、うまく伝えられないもどかしさもある。でも発話はできている。昔は発話できず、心の影響で身体もうまく動かなかった。物理的なケガをして気づいたけど、発話出来て身体を動かせるのは今だけかもしれない。だから、今年はとにかくいろいろ経験してみるという目標を立てている。旅行ばかりになるけど、北海道や長野、京都とか昔から行ってみたかった場所に行ってみたい。これまで、家に閉じこもって会社と家の往復だげが日常だったけど、いつもと違う日常を取り入れてみて、コミュ症になる場面を再確認して「俺って駄目だな」と思いつつ、要所要所では「今の俺、すごくない?」と思える経験をしてみたい。


追記!タイトル詐欺になったけど長くなったので緘黙交流会については別記事にまとめる!

 

 

 

この記事2250文字だってさ。。。書きすぎ

年数回の投稿がデフォになりつつある。

秋晴れの青空を窓越しに見上げながらブログ書こうかなと思い立つ。

最近ベストプラティクスという言葉にはまっています。

 

どうも”あきかん”です。

ツイッターではご無沙汰しておりませんが。

ご無沙汰しています。

 

今日は社会人10年目にして

就職活動時代のことを振り返ろうかと思います。

 

私は現在製造業(IT部門)に勤め、新卒で就職した会社に10年勤めています。

最初の求人データを見返すと夜勤ありの製造現場作業です。

なぜIT部門に配置転換したのかはこの場では置いといて、10年前の就活について振り返ろうと思います。

 

まず、就職活動でリサーチしていた企業の条件です。

条件

  • 未経験者・学歴不問・高卒可と書かれている
  • 上場企業でないこと
  • 製造系(話さなくていい仕事)
  • 従業員50人程度であること
  • 1次は書類選考のみ
  • 2次が最終選考で面接のみ
  • 地元企業

大学に行かせてもらった親が知ったら泣くかもしれない条件が並んでいます。

ただ、この条件でないと長年緘黙症であり続けた自分が就職できる場所はないと思っていました。

当時、話せない=無能=高望みしないという思考がありました。

この条件ならコミュ力不足を隠して就職できるのでは?という想いです。

 

当然この条件で探すとなるとリクナビやマイナビではなかなか見つかりません。

リクナビ・マイナビで募集するような企業は年間100万円近く採用活動に投資していて(私の会社も最近になって始めた(新卒者騙されないで~))

それだけお金をかけているので面接も2回、3回あったり、長文の自己PRを求めてきたり、グループワークをやったりしていて、優秀な人材を確保しようとするので緘黙症であった身としては”しんどい”に尽きます。

 

そこで活用したのが、「新卒応援ハローワーク」というものです。

ここの求人だとリサーチ条件に一致する企業が多いです。

 

だた、新卒応援ハローワークでは孤独な就職活動になります。

一人で会社訪問して一人で面接して一人で帰りることになります。

リクナビ・マイナビ経由の就職活動もこの条件が固まる前の活動初期の頃はしていて、良いところは会場となる場所でライバルとなる学生と一緒だということです。どういうことかというと、エントリーして会場に着いたとき周りに学生がいるという安心感が得られます。周りの学生を手本として入退室したり、待機できます。これが新卒応援ハローワーク経由だと一人で企業訪問しなければなりません。運よく他の学生が1名いる場面もありました(この場合、その人と比較される)が、ほぼ一人っきりでした。不安感がひどかったですが、今だけだからと思いながら訪問していました。

ただ、どうしても身体が動かなくて2企業の面接予定をすっぽかしたことがあります(新卒応援ハローワークの人にこってり怒られました)

 

当時、履歴書にもこだわっていて、志望動機の欄が狭く、自己PR欄のない履歴書を探し出してそれを使っていました。

面接や履歴書では、中学時代不登校であったことは黙っておき、中学の部活を聞かれたときは嘘をつきました。ある程度の嘘は処世術と割り切ってしまっていいと思います。学歴・資格詐称はダメ、絶対。

 

戦歴(覚えている範囲)

リクナビ・マイナビ経由:5社

新卒応援ハローワーク経由:5社(1社内定)

もっと応募していた気がしますが、思い出した企業(企業名が言える)の数だけです。

 


面接練習・履歴書添削について

計3回しました。

一つは、どの大学もそうだと思いますが、大学に就職支援課があります。そこで履歴書の添削や面接指導を受けました。

もう一つは、新卒応援ハローワークです。ここでは面接指導を受けました(あんまり記憶がない)。

最後、研究室の助教授に履歴書を添削してもらったり、教授に面接指導してもらいました(怖かった記憶しかない)

研究室の教授が強制的に添削するぞ!見せろ!面接練習したるぞ!来い!というスタンスでした。最終的にここで添削された履歴書で採用されました。社会人視点で添削してくれたので助教授、教授には感謝しています。

 

練習と本番は全く別物ですが、練習はしないよりした方が良い。

 

今の会社の就職した当時の求人データ

従業員…60人(就業場所30人)

資本金…300万円

採用人数…3人

学歴・・・大卒、短大卒、専修学校卒

初任給…184,000円

就業時間・・・夜勤あり

時間外・・・月30時間

ホームページ・・・なし

今時ホームページのない会社なんてッて思いますよね。

10年前もそうでした。

ホームページがないことを知り、逆に穴場(応募がない)なんじゃないかと、( ̄ー ̄)ニヤリした覚えがあります。

新卒採用は初めての会社(私が新卒1代目)というのを面接で知らされました。

 

私が就職したときは買い手市場でアベノミクス前でしたが、10年経った今は売り手市場で新卒者の初任給は20万円を超えているそうです。羨ましっ!

 

で、何が言いたいのかというと、

大学卒業させてもらったのに自慢できる会社に勤められなくてごめんなさい!

 

いや、そうじゃなくて

 

緘黙症で就職活動している人へ、

条件を下げに下げれば就職できるよ!

 

いや、そうじゃなくて

何が言いたいんだろう?

という記事でした。終わり。

 

あれ?2000字も書いちゃっている。

(執筆時間2時間10分)

最後の投稿からどのくらい経ったでしょうか?

そのくらいの時間が過ぎているのにここに舞い戻ってくるのは帰省本能でしょうか(何言ってんだ)

 

今日は人生初のツイキャス配信をしました。

フォロアーのとあるパイセンに背中を押されたおかげで配信までこぎつけました。

言葉ってすごいですね。やんなきゃ変われないって思っていても中々一歩が踏み出せない。

なのに一言の後押しで、「よし、やってやろう」って思えた。

 

タイトルをラノベっぽくしてみました。どうも”あきかん”です。

 

今日は、プレゼンについてのお話をしようかと思います。

来月あたりに仕事でプレゼンする機会があります。

2人までの会話ならできるようになったのに、3人になると途端に黙ってしまうという状況で、多人数のプレゼンなんてできるんだろうかと。

とても不安なわけです。

 

場面緘黙症だった頃は声を出したくても出せなくて辛かったです。

もうかなり経つのに、あの暗黒時代の感覚を思い出せます。話せなかった時の感覚が。

これをまた味わいたくないなと、何かのきっかけで、またそうなったらどうしよう。

プレゼン始まるってときに緘黙状態が発揮されて「話せなくなったらどうしよう」という不安がわき出ています。

精神科に行ったら診断が下りそうなこの心境。不安障害というものに近いんでしょうか。

 

この不安を解消するためにいろいろな手段を考えて、今は逆にやる気に満ちています(何で?)。

これも診断を下そうと思えば、躁鬱状態と言うんでしょうか、テンションがハイになっています(反動怖し)。

壁にぶち当たったときに成長するって言いますけど、そういう状態です。

 

今考えているプレゼンまでの期間にやろうとしていること

①話す機会を増やす

②話し方のレッスンを受ける

③薬で不安を取り除く

 

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①話す機会を増やす

自分の話し方は気持ち悪い、ネチネチとした、子どもっぽいという自己評価です。

実際、今日のツイキャスで自分の声を後で聞いてみたら、吐き気がしました。

ただ、聞く相手にとっては不快かもしれないけど、とりあえず口を動かさないと話すことが上手くならない。

話すことが上手くならないとずっと、不安。と考え、ツイキャスでも何でも良いから話す機会を増やしたいと思う。

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②話し方のレッスンを受ける

筋トレみたいに話すことが鍛えられたら良い。ボイトレとも言う。

ということでマンツーマンの話し方レッスンを受ける。

理論建てで、何でうまく話せないのか説明してくれ、緊張しないで話す方法などを教えてくれる個人レッスンを受ける。

これには10万円投資する(トータルで)。

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③薬で不安を取り除く

不安に思うなら不安をなくせばいい

アメリカでは一時的に記憶力を増すために薬を飲むスマートドーピングというのが流行っているらしいが、不安を薬で抑えられるなら、薬を飲むのは厭わない。

精神科を受診して不安を落ち着かせる薬を処方してもらう。プレゼンの前に薬を飲んで落ち着かせる。

 

 

とりあえず、この3本柱でプレゼンを迎えたいと思う。

 

まず、今日は初ツイキャスができたことを褒めてあげよう

がんばったね。

父が亡くなり早7年。

亡くなった当初こそ夢に出てきていたけど、最近はそういうことがなかった。

夢に出てきてくれたのが素直にうれしい。かんもくの声という本を読んだおかげかもしれない。この本を読んでから最近昔のことをよく思い出す。

 

夢の中のシーン1.

父が運転する車で遠出をしていて、窓の外を見ると行きつけの美容院があって、ここの美容院に通っていると父に言う。

 

夢の中のシーン2、

温泉のような観光地にやってきていて、大名行列のように1本道を多くの人がぞろぞろ歩く。

父はすでに病気の状態だから、ある程度道の途中までは車で通らせてもらえた。

周りは湖のようになった温泉で、遠目に大きなマグマが見え、近場にも小さなマグマがあった。

道から簡単に湖の中に入れるようになっており、病気で足元がおぼつかない父を支えながら、あったかい湖に足をつけた。

 

夢って支離滅裂で意味不明ですね。

あ、忘れてました。どうも”あきかん”です。

 

「ちゃんと言わなきゃ伝わらない」

”君に届け”という映画の中のセリフです。

ちゃんと言葉にしないといけない場面で話せない。

父と会話ができない仲ではなかった。

でも、なぜあのとき「今までありがとう」って言ってあげられなかったのかと後悔する。

 

父の最後の方はずっと昏睡状態のようだった。

昏睡状態になる前、意識が辛うじてあり、こちらの言葉にうなずいてくれたとき、母が、姉が最後の言葉をかけた。

「今までありがとう」と。

私も言わないとと思ったのに、恥ずかしさで言えなかった。

恥ずかしいってそのとき思ってしまった。

何で言わなかったんだろう、言いたかった。ありがとうって。

緘黙症は言い訳にはできない。だってその場は家族しかいなかったんだから。

母と姉はちゃんと伝えていた。なぜ自分だけ自分のことばかり考え、父に言葉をかけれなかったのか。

 

ちゃんと言葉にしないと伝わらない。

伝えられなくてずっと後悔しているというお話でした。

 

 

 

 

中途半端に人に接すると中途半端な関係で、自然と関係はクローズアウトしていく。

どうも”あきかん”です。

 

「かんもくの声」という本を読了したのですが、

読むたびに自分と重ね比較し、過去を思い出します。

 

今日は過去不登校だった中学時代に訪ねてきた青年についてのお話です。

 

彼は今の私より若かったと思う。

 

不登校だった私の家を突然訪ねてきた。

私と面談のようなものをした。内容は覚えていない。

ただ、次来るときにゲームをしようと言ってくれたので、

私は次来る彼のためにプレーステーションのサッカーゲームのデータのリセットを行った。

ただ、次がなかった。

 

彼は私と会った時、こう思ったんじゃないだろうか。

「”普通”の不登校の子と違う」「脈がなさそうだ」と。

 

彼との会話は思い出せないが、おそらく私は一言も話さなかったと思う。

彼が何かを聞いても、だんまり。

話しかけても、一言も発しない。

そんな光景が思い浮かぶ。

 

でも、もし、彼が、緘黙症について理解があったら、

辛抱強くコミュニケーションを取ろうとしてくれたら、

諦めずに接していてくれたら、

私の人生変わっていたかもしれない。

 

対人援助職だったのか、彼がどういった属性の人だったのか今となっては分からないが、彼は15年以上私の心に残り続けている。

 

当時私に期待を抱かせ失望させた彼に言いたい。

中途半端に関わるな。関わるならとことん関われと。

偉そうにと思われるかもしれないが。

 

私が彼のような立場で緘黙症のことをまったく知らず、

私のような存在に出会ったら、、、不気味に思うだろうな(笑)

その点は同情するよ。

最近は歯医者の治療を始めました。

昔はWeb予約でさえ、躊躇してしまって中々予約できずいました。20代の頃のことです。

 

どうも”あきかん”です。

 

ネット予約ができない歯医者はそもそも選択肢に入れませんでした。それが今や、Webサイトさえない歯医者に電話で予約できるんです。

すごいでしょ爆  笑って低レベルですが、昔じゃ考えられなかったことができてます。

 

そして、本日、昔じゃできなかったこともう一つ見つかりました。

先日、Amazonで本などいろいろ注文したんですね。

で、受け取り日が今日で、大抵の場合、仕事終わりの夜にポストを見ると、不在票が入っていて、不在票のQRコードから再配達依頼するというのが、今までの流れだったんです。でも、今日は仕事終わりに帰宅して駐車場に止めて歩いているとき、マンションのエントランスから箱を持った配達員が出てくるのが見えたんです。

今までもそういう場面はあり、今日届く荷物あったし、もしや私宛の荷物かも?と思ってもスルーしてました。

でも今日はすれ違ったあと、追いかけて、声をかけたんです。

すれ違うまで声をかけるか逡巡し、すれ違ったあとも逡巡し、何秒くらい迷ってたか分かりませんが、追いかけて声かけました。

「もしかして、うち宛てじゃないですか?」って。

そしたら合っていて、その場でサインして受け取りました。

ドライバーさんは大変なお仕事なので再配達は申し訳ないという思いもあったものの、緘黙症の頃は絶対に”ぜった~~いに”できなかった事が出来てしまい、自分でも驚いています。

今日の出来事は”成長した”ではなく、”図太くなった”がしっくりきます。

 

話は変わって、今日はバレンタインですね。

バレンタインと言えばあの日です。

緘黙症の人にとっては「ああ。あの日ね」となるあの日です。

私は一昨年ぐらいにコンビニでようやく買えるようになりました。

今年もと思ったのですが、先ほど歯医者から麻酔を打って帰ってきて、固形物が食べれないので断念しました。

頼むときって、どのタイミングで注文するのか迷うんですよね。

一度注文できると、2度目は楽ですが、一度目が苦しいですよね。

今の私がコンビニでできないことは、コーヒー注文と、カウンター前に置いてあるおでんの注文とGooglePlayのカードの注文と。。。

あれ?意外とやってみたくてもできないこと多い?

 

まあ、いずれもっと歳とればできるようになるんだろうなと思います。

亀並みのスピードで成長もとい、図太く成長しています。

 

80歳になるまでにはコーヒー注文できるようになりたい。

なんてね。

初めて一人で車検をしたとき、そのときの流れをメモっていて、2年毎の車検時に見直してイメトレしてからお店(オートバックス)に行っている。

毎年や隔年で来るイベントはそのとき不安にならないように、メモしておく習性がある。

他にも会社の人とお店に入ったときとか、そのお店の情報を日記のように書き留めている。

 

どうも”あきかん”です。

 

不安障害があるのだろうか。

分かりませんが、よくメモを取ります。

後々、そのメモを見ながら、同じことを繰り返すために。

店員さんの言葉がこの通りになるかは分かりませんが、このメモがあるのとないのとでは、安心感が違います。

↓こんな感じのメモです。

 

車検メモ(web予約)

注意点

・予約時間の15分前に行くこと

・普通のカウンターの列に並ぶこと

私:15時に車検の見積もりを予約してます

店:お名前と車種を教えてください

私:”あきかん”で”○○”です

店:所要時間は40分か45分くらいになります

店:こちらに記入ください

私:(名前、住所、電話番号等記入)

店:違反金の支払いはありませんか?気になる点は(車のことで)?

私:ない、特にない

店:車検証は車の助手席やダッシュボードにありますか?勝手に開けて良いですか?」

私:良い

店:貴重品がないようでしたら鍵を預かります

私:(鍵を渡す)

店:店内で待ちますか?

私:はい

店:終わりましたら店内放送でお呼びします

私:(受付カードをもらう) 店内の休憩所で休憩してもいいし、併設のショップ内を見て回ってもいい。

店:(店内放送でカード番号を呼ぶ)

私:(受付へ行く)

私:(専用コーナーに案内され着席する)

店:ざっと見積もりました。上から説明していきますね

私:(見積もり結果を見て問題ないことを伝える)

店:車検日時はどうされますか

私:この日が良いです。

車検予約終了。

 

こんな感じのメモをiphoneのメモ帳に記録しています。

今年3月に車検なのでこのメモを見返しながら見積もりからスタートです。

 

ちなみに車検初めて一人で行けたのは24歳頃です。

それまでは、車検の期限が迫っている中、不安で、どうやって車検すればいいか分からず、なかなか一歩が踏み出せず、結局期限ぎりぎりで親に任せてました。ダメダメですね。

もし親が癌で、余命が分かったら、それを本人に告知しますか?

 

どうも”あきかん”です。

 

私の父が末期癌になったとき、私達家族は父に告知することはありませんでした。

医者と何度となく話し合い、医者からは「伝えたほうが本人にとっても、ご家族にとっても良いと思いますよ」と言われましたが、結局伝えませんでした。伝えたら最後、父がどうなるかわからなかったからです。

 

緘黙症のことに話を戻すと、

小学生や中学生で、親と教師が子どもを全力サポートできる状況なら、本人に、「あなたは場面緘黙症だよ」って教えてあげて良いと思います。その辛さが分かっているんだよと伝えられるなら、子供も安心するでしょう。周りが良く子供のことを考えてあげて、行動療法で不安を取り除きながら、話せる環境を作ってあげ、少しでも学校生活を楽しめるように、自信がつくように見守り、配慮する。これは理想的なことだと思います。

 

でも、大部分の緘黙症の人たちは、このような周りのサポートは受けられず、放置されていると思います。

そして、何かのきっかけで”独り”で自身が緘黙症だったこと、もしくは、緘黙症であることを知ります。

それはテレビなのかSNSなのか、本なのか、同級生の言葉なのかは分かりません。

ただ、30代、40代、50代になって緘黙症を知るのと、現在進行形で緘黙症のことを知るのとでは、その後の人生が大きく変わるのではないかと思います。

 

緘黙症の人は、嫌なことがあっても黙っています。というか話せません。家族とも話せない人、家族と話すことが恥ずかしいという人もいると思います。もちろん、学校には味方はおらず、先生や同級生に相談をすることもできない。緘黙症の人すべてが、こういう状況だとは限りませんが、周りからのサポートが受けられない子が、自分の根源を知ったとき、どうなるのだろうか。

今の自分の状態を知って、それを肯定してしまったら・・・。緘黙状態でいることが普通で、それを肯定してしまったら・・・現状維持。。。

自分だけじゃないという安心感、話せない人は他にもいるという安心感はあります。でも、緘黙症のことを知ったとしても、それを改善する手段がない。知ったところで、どうすればいいんだという話です。特に、小中高校生で周りのサポートなく、緘黙症と知った翌日話せるようになるかと言ってならないし、自分で医療機関への相談もできない。学校と家がすべてなら尚更だと思います。

 

自然と治ると言われていたのは昔のことだと思います。

言葉を話せるようになった人が”緘黙症”という言葉を初めて知っても、その瞬間だけであり、昔を思い出し、心には残っても、そのあとは、その”緘黙”はただのワードで、何の意味も持たないと思います(個人的見解です)。

でも、当事者が初めて緘黙を知ったとき、”今まさに”であり、”今後も”であり、ずっと”緘黙”に縛られ、”緘黙”とともに生きていくことになります。そうなると嫌でも、”緘黙”の存在がその後の人生に影響するのではないかと思います。本人も周りにも知られることなく、響いていくのではないかと。むしろ知らずに生きていった方が、緘黙の症状は改善するのではと考えずにはいられません。

 

”緘黙”を知らずに人生を歩む

”緘黙”を知って人生を歩む

 

どちらが幸せか私には分かりません。知った方が良いだろうという意見が大部分かもしれません。私も昔は知った方が良いと思ってました。

でも、知ることでどういう影響があるのか分かりません。

サポートが受けられるなら後者で良く、受けられないなら前者の方が良いのではなかろうかと最近思うのです。

父の癌の余命告知の話と、この話では何も比べられませんが、知った後に、その言葉がどう影響するのか分からない不安があります。

 

前はもっと、場面緘黙症の認知度を上げたいと思っていました。しかし、自分だけじゃないという安心感は得られますが、当事者が知ってもそれ以外良いことない気がします。大事なのは、出産育児する親、学校教育関係者、医療関係者が知っていることだと思います。そして幼少期に改善させること。子ども一人ひとりに寄り添えば、小学生の低学年の頃には周りの大人は、この子は場面緘黙症だとはっきりとわかると思います。そして、低学年の内からサポートができれば、緘黙症のことを知らせても受け入れ、周りの助けがあれば”緘黙”であることが重荷にならないのではないかと思います。

 

ここまで個人的見解とだたのイメージで述べてきました。

不快に思った方は申し訳ありません。

でも、最近ずっと考えていたことなので、記事にしてみました。

 

皆さん、自分が緘黙だと知って良かったですか?

知らなかった方が良かったと思いますか?

 

私は知らなかったら、良い悪いはともかく、別の人生歩んでいたかもと思わなくもないです。

まあ、もしかしたら全く変わらない人生かもしれませんが。たらればですね。

本当に自分が情けない。

話せない。話せないんですよ。普通に。

普通に話せない。

片言の日本語を話しているというか、

単語を言って会話を終わらすというか、

言いたいことはあるのに、すべて伝える前に力尽きてしまうというか、

意見を求められたときに、すぐに答えられないのは昔からですが、この年になっても普通にできないというのが、もどかしく、嫌になります。

 

どうも”あきかん”です。

予告詐欺です。

今日はリストラの話を書く気分ではなく、とにかくダメダメだな~と自信をなくしているところで、

そもそも、元々自信がないのに、さらに喪失していて・・・

1円も持っていない人がお金がなくなったと騒いでいるようなもので、おかしいんですが、

自分は空っぽなんだと思い知らされる日々です。

自分の自著伝書くとしたら1行で終わります。

 

業務で得た知識とか、詳しくは言えないですが、

理論的に説明ができないというか、前もってメモしておいてそれを話すならできるんですが、

そうでないと話せない。

やっぱこいつダメだと思われている気がします。

会社の業績も悪いし、人員整理の噂が出始めていて、そうなる時期が来たのか。

といった感じですね。結局リストラの話になりましたね。

 

もう30歳なんです。

甘えられない年頃なんです。

 

まとまりのない記事ですいません。

とても久しぶりの更新になりました。

大分前にスマホが壊れてログインデータが吹っ飛び、このブログとtwitterにログインできず、過去の投稿は見れるのにログインできない、というもどかしい状況が続いていました。

何度もパスワードを弾かれ、ブログの存在を思い出すたびにログインできないかどうかとトライ&エラーを繰り返し(最近トライ&エラーって言葉にはまってます)、ようやく先ほど、古いパソコンのあそこのあの部分にメモっているんじゃないかとひらめき、これが大当たり。

やっとブログとtwitterログイン叶いました。

 

どうも”あきかん”です。

 

これからブログとツイッター再開していきます。

どうぞよろしくお願いします。

 

ブログに書きたいことがたくさんあって・・・

愚痴メインで見る人を不快にするかもしれませんが、

最近本当にストレスでハゲ・・・てないけど、会社のこととか、会社のこととか、会社のことなど

いろいろ発散したいと思います。

 

次回タイトル予告

”リストラ寸前!場面緘黙のバカ野郎!”