最近気づいた私の習性

ストレス、プレッシャーがかかると気が大きくなって、今までできなかっことができるようになる。

 

どうも”あきかん”です。

最近仕事、仕事、仕事で休日も仕事の事を考えてしまう。社畜人間になり下がり気味です。

新しい人と会うのって、すごいストレスです。

ごにょにょ言いながら名刺交換。いったい社会人経験何年目なんだよ、成長しねーな。と自虐気味。

 

今日の話題は今しゃべれない相手はいるか?です。

社内の人とは話せます。雑談も結構できるようになった。

近所の人とは話したことがありません。機会がない。

社外の人とも話せます。ただ、商談では話せますが、受け答えだけで、訪問時の挨拶、帰りの際の挨拶は、ひどい。ほんとひどい。

家族とも変わらず話せます。昔は家族以外と話せなかったのに。。。成長したな~

親戚とも話せます。昔は話せなかったのに。

唯一、義理の兄とだけ会話ができません。

 

何ででしょうね。

義理の兄と初めて会ったのが、大学生の頃でまだまだ緘黙真っ盛りのときだったので、話せないのは分かります。

それから月日が経ち、親戚の人(叔母やいとこ)とも昔は話せなかったのに、話せるようになった。なのに、義理の兄とはいまだ一言も会話できていない。なぜか、義理の兄に意思表示するときは、昔のようにジェスチャーを使ってしまう。

 

どうしたら良いだろう。義理の兄が目の前にいながら、家族と話すことはできるんですよね。ただ、兄に話しかけることができず、話しかけないといけないときも、避けてしまうか、手でのジェスチャーが入ってしまう。まあ、兄の方からも話しかけてくることはないのだけど。

 

気にしすぎなのだろうか。

普通、義理の兄と話すのはあんまり無いのだろうか。

普通の人ってどうなのかな。

普通って何だろうな。

どうも”あきかん”です。

 

ずっと微熱で下痢でやる気が起きず、Twitterは数えるほどの更新、ブログに至っては今年初の更新になりました。

今年もボチボチブログ更新していきますので、よろしくお願いします。

 

今日も熱を測ったら37℃あり、もしかしてこれ平熱なんじゃないかと思い始めている。

何回測っても36℃代になってくれない、体温計の正確さに驚きます。

 

病気がちになって思うことは、何もやる気が起きないなぁってこと・・・

当たり前ですね。体が重いのでブログもできないし、つぶやけないし、ブログでやりたいことリスト作って、実践していこうと去年の暮れまで思っていたのに。病気を前に、もう2月です。

 

でも、さらに思うのが、何もやる気起きないのっていつもじゃない?ってこと。

だって、この歳になっても、普通の人の経験値の10%も行っていないことに、ひしひしと実感が沸いています。

挨拶しかり、受け答えしかり、人間関係しかり。高校生の方がよくできている。

 

あ、今日のブログは挨拶程度にしとこうと思っていたのに、なぜかマイナス思考を吐露していました。反省。

今日の記事は何を言いたいのか分からない、ただの雑談になってしまいました。反省。

どうも”あきかん”です。

 

今日は緘黙交流会についてのお話し。

私が学生のとき(7,8年前)は交流会ってのは、かんもくネットが開催しているものを除けば、ほとんどなかったと思います。

学生のときはmixiや2chで緘黙の人と接点を持って会ってました。といっても3回だけ。この話もいずれ記事にしたいですね。

たぶんここ数年でやっといろんな団体によって交流会が開催され始めているのではないかと思います。

 

最近開催されている交流会に私も参加しようと思うことがあります。

よっぽど遠く離れていなければ、お金もあるし、新幹線使えば大抵の緘黙交流会に参加できます。

ただ、一歩が踏み出せない。

 

というのも、緘黙が良くなってくると人に興味が持てる瞬間というのがあると思うのです。

それが私は大学4年のときであり、7,8年前のことでした。

そのときは本当に緘黙の人と会えて良かったと思います。初めて知らない街に行き、学校以外で人と交流した初めての機会でした。

もっと知りたい、同じ境遇だった人と話をしてみたいと思って2回、3回とオフ会を重ねました。

 

ただ、7,8年経った今はその感覚が薄れ、まあまあ話せるようになって、交流したい、緘黙だった人と会ってみたいという欲求が薄れています。でも、人と会わないと堕落していく一方です。今日も明日も人と会わず、何の経験も積めず、年をとっていく。会社と家の行き来だけ。

この状態をどうにかしたい。でも、サークルとかいきなり一般社会のの社交の場に入っていくのも無理。

なら私の状態に近い人と交流を持つところから始めたい。そう思い、昔(学生時代)とは違う視点で、緘黙交流会をチェックしています。

 

そして、最近あった交流会がどちらも「かんもく自助グループ」というところが開催?している12月15日に岐阜で開かれたやつと、12月22日(今日ですね)に大阪で開かれたやつ。行こうと思えば行けました。物理的には。でも、行けなかった。

 

12月22日の緘黙交流会の行かない理由づけは↓のような感じ

1「簡単なクリスマスカード作りがあるのか」

2「逆にちょっとハードルが高くないですかね」

3「30歳手前でクリスマスカード作り?・・・ないでしょ。」

4「いや、ありか?え、ないよね?」

5「やめとこ」

12月15日の緘黙交流会 https://twitter.com/kotonoha_sm/status/1063278070142984192

 

12月22日の緘黙交流会の行かない理由づけは↓のような感じ

1「午前10時開催かあ、何で13時開催じゃないんだよー」

2「朝、頑張れば行けなくはないよなぁ」

3「でもやっぱ午前開催ってことは関西圏の人たち向けの集まりなのかな」

4「朝早くから時間かけて圏外から行くのは逆に恥ずかしい気もするよな」

5「やめとこ」

12月22日の緘黙交流会 https://twitter.com/kotonoha_sm/status/1070263381670522886

 

とまあこんな理由づけして次こそは行こうとか思っています。

 

個人的には22日開催の交流会の幹事さんの一人に興味があってお話を聞いてみたいと思っていたのですが、それでも参加できませんでした。次こそはって毎回思います。

 

かんもく自助グループ「コトノハの会」:https://www.kotonoha-sm.org/

 

話変わって、交流会に参加できるのは緘黙人口の中の極一部なんだろうなと思います。

私のように自問自答して結局参加できない人の方が多いのかなと思います。

そこでおすすめなのが緘黙セミナーです。セミナーには当事者や経験者、保護者や支援者、教師など複数のステークホルダーが参加します。交流するとなると何だか身構えてしまうと思いますが、セミナーなら話を聞くだけ。私も去年参加しました。交流会よりは参加しやすいと思います。しかし、頻度が少ないのが玉に瑕ですね。

 

うーん。変わりたいけど変われない

(´;ω;`)

 

この記事こんなに長くなる予定じゃなかったんだ。不登校の頃を思い出していたら家族関係まで話題が及んで、手がつけられなくなったよ。

どうも”あきかん”です。

 

中学校3年間不登校でした。

その頃になった体質というか心身の異変で特徴的だった1つがチックという症状です。

高校生の頃にはそれが”チック”と呼ばれることを知っていました。なぜ知っていたのか謎です。

私のチックの症状は目をギュッとつぶるものでした、目をギュッとするので同時に頬が上がり、歯が出ます。その症状は外に出かけたとき、祖父母と話すとき、親戚が同じ空間にいるときになっていました。ちなみに緘黙症の症状が出ないのは、父母兄弟祖母で、祖父とは話せなかったです。チックの症状が出ているとき祖母に変な顔して何をしているんだと言われたのを覚えています。その症状も高校を終えることにはなくなっていきました。

 

チック以外には、自分が汚い人間だと思うようになってました。例えばトイレの便座に座った後は、便器を水で濡らしたトイレットペーパーで拭いたり、それまで床は裸足で歩いていましたが、スリッパを履いたり、お風呂の湯船につからなくなったり、扉を開けるとき服の袖で開けたりしていました。家族はそれを見て、急に潔癖症になったと言い出していましたが、本当は自分が汚い人間だからそうなったんだよと思っていたことが記憶にあります。そういう行為が当たり前になってくると、今度は本当に潔癖症になっていきました。手を洗っても、気が済まず、何度も手を洗うことで手が荒れて痛かったし、自分の部屋の中以外のものに素手で触ってしまったときも手を洗いに行っていました。外に出て帰ってきた後は、口をゆすぎ、顔を洗い、手を洗いと気が済むまでやっていました。その次は、過度な心配性になっていました。何かにつけて不安になり、例えば家族と出かけたとき、家の鍵を閉めたかどうか不安になり、戻るように言ったり、母の帰りが遅いと事故にあったんじゃないかと不安になり、帰ってくるまで外で待ったり、何も不安になる要素がないのに心がざわついて落ち着きがなくなったりしていました。

 

チックとか、自分を汚く見るとか、潔癖症とか、心配性とか、今思えば何か心の病気に罹っていたのでしょうか。

そういえば、中学の不登校だったころか、通信制に通っていたころだったか定かではありませんが、車で病院にいって先生らしき人と話して薬をもらってその薬を定期的に飲んでいた気がします。そのときに、母にあなたは病気だからと言われた気がします。

思い出して書いているうちにいろいろ思い出してきました。

確か不安をなくす薬で心が穏やかになるから飲みなさいと言われ、嫌々飲んでいた記憶と、本当に嫌で私は病気じゃないからと言って飲まなくなった記憶があります。

病院は精神科でカウンセリングだったのでしょうか。たぶんそうだと思います。私、病院に行ったことあったんですね。今の今まで忘れていました。

そういえば、その病院の帰りに広い湖?海?のようなところに行き、母に「一緒に死のっか?」と言われました。何て返したかは覚えていませんが、一緒に死ぬ的なことを言われたのはその一度きりではない気がします。

 

小学校低学年のとき、学校に行きたくありませんでした。

学校が嫌だという、ぐずりに対し、母は私を2階の廊下に連れて行き、私の首を絞めました。

母と父が喧嘩したとき、母が家を出ていこうとしました。私は母についていき、母の実家に一時いました。

そのとき地域のお祭りのようなところで母と屋台をまわったのを覚えています。そのあと、家(父のいる)に帰ろっかと言われ喜びました。

今思い返すと、父と母は良く喧嘩をしていました。2度くらい母の実家にいた記憶があります。

ただ、私の兄弟は母と父の喧嘩している姿を見たことがありません。随分前に知った事実なのですが、母もそれを認めていて、なぜかあなたのいる前で喧嘩してしまっていたと言っていました。

 

小学校低学年の頃から、私は母の心に負担をかけていたのでしょう。

首を絞めたり、死のうと言ったり、昔から母の心は病んでいたのかもしれません。

母と父の喧嘩の原因も私だったのかもしれません。

私は家族に負担をかけていました。緘黙のことでも、不登校のことでも。

 

だから今、母は精神科病棟への入退院を繰り返しているのでしょうか。

父が余命宣告された頃から母は心の病に罹ったと思っていましたが、そのずっと昔、私が小学校の頃か、それよりもっと前、私が話せないことが分かった頃から母の心は病んでいったのかもしれません。

何でもかんでも自分のせいだと考えるのは傲慢かもしれませんが、私が普通の子だったら、周りの子と比較して普通だったらと考えてしまいます。そう考えると一人暮らしを始めたのは裏切りになるのではないかとも思ってしまいます。

 

今日はすごく長文になってしまいました。

思い出話は長くなる傾向にありあますね。

寒い季節になってまいりました。最近ヒートソックスを買ったので足元はあったかですが、キーボードを打つ手はカチカチです。まだ、一度も暖房をつけずにいますが、いつまで耐えられるやら。

どうも”あきかん”です。

 

今回のお話は一人暮らしを始めた理由です。

 

社会人になるとき、人と話さなくて良い仕事+実家からの通えるか?の2点から会社を選び、運よく従業員50人未満の会社に内定しました。

実家から会社へは車で15分程度の近距離で同じ地域にあります。

それなのに就職して7年目の今年、一人暮らしを始めました。

 

理由の1つは周囲の嫌味。もうすぐ30です。

実家暮らしですというと周りに引かれます。

会社にはおばさんが多く、

・毎日ご飯が勝手に出てきて良いね~

・お湯沸かしたことあるの~?

・洗濯しなくて良い生活してみたい

・お母さんとどっか行くの?

などなど、だたの想像でいろいろ言ってきます。

 

大学時代に一人暮らしもしていて、実家でも一時期一人暮らし(理由はいつか記事にしたい)をしていました。

自炊できるし、毎日洗濯もしていた。

けど、事あるごとに実家暮らしへの偏見を言葉にして、しかも聞こえる声で口撃してくるので嫌気がさしました。

 

2つ目の理由は、もともと5年経ったら一人暮らしをしようと思っていたから。

父が死んで今年で5年目。5年前に5年経ったら母の病気がどんな状況だろうと自立して一人暮らしをすると決意していました。

父が入院中、もう声が出せないときに紙に母を頼む的なことを書いていました。

その呪縛と言ってはあれなんですが、5年間実家で母を支えよう、そのあとは自由にしようと思っていました。

この5年経ったという理由が一番大きいかもしれません。

 

3つ目の理由は2つ目と被るのですが、単純に自立をしたかったから。

実際のところ、母が家にいたときは家事は母に頼りっぱなしでした。

毎月給料から3万円渡していましたが、一人暮らしなら家賃に消えてなくなる金額です。

大学時代の家賃は親が払ってくれ、一度も自分で稼いだお金で生活したことがありませんでした。

だから自立への憧れがありました。

 

元々大学を遠く離れた地に選んだ時点で、地元には一生戻らないつもりでいました。

なんせ昔の全く話さない自分を知っている人(同級生)がいるわけですから。出会ってしまったら周りに言いふらされること間違いなしです。

でも父の病気をきっかけに実家に戻ることになり、最初のうちは同級生とかち合会わないかびくびくしていましたが、同期で入った同僚は全員年下だったり、その後に入ってくる人にも同級生はおらず(1学年上か下の同じ中学の人はいた)、その想定も杞憂に終わりました。

そんなこんなで順調?に年を重ね5年経ったので一人暮らしを始めました。

 

ちなみに会社のおばさん達がそのことを知ったとき言っていた言葉が

”お金もったいない” でした。

おばさんっていう人種は何か一言言わないと気が済まないのでしょうか。

でも確かにもったいないでしょうね。私もそう思わなくもないです。

なんせ実家から会社まで15分だったのが、10分になっただけですから。

 

家賃、駐車場代、電気、水道、ガス、ネットなどなど、お金かかりますね。

でも一人暮らし始められて良かった。自分の城が持てたこと、自立できていることが、今は充実感を与えてくれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うまく言葉に現せない。”本人(子ども)が緘黙を認知したとき、人生がより困難になる可能性について(借りタイトル)”という記事を先ほどまで書いていましたが、うまく言葉がまとまらず、こっちの話題に浮気しました。

どうも”あきかん”です。

 

皆さん(→元緘黙症の人)自分の親ってどういう人でしたか?

ってアバウトな質問ですね。

私は親の影響で緘黙が増長化していたように思います。

 

緘黙症は自然と治る

私の母親は前に記事(初めて自分が緘黙症だったと知ったとき)で書いた通り、母親自身が緘黙症の当事者でした。

しかし、母の緘黙への認識は今思えば古いものでした。記事には書きませんでしたが、当時、「小さい頃そういう状態になる事があるけど、ある程度年齢が上がって高校になる頃には治ると思っていた」と言われました。”緘黙は自然に治る”という認識でいたようなのです。

 

私自身、緘黙を治すための積極的な介入がないまま、言うなれば”自然に”治った口です。あるきっかけはありましたが、それは自身で招いたものであり、20歳を過ぎていました。教育としての、医療としての、学校現場での介入があっての治りではないので、私も母の言う自然に治った状態であり、恐らく母も高校の時に自然に治ったということなんでしょう。

 

今でこそ、早いうちから緘黙を克服する情報が出てきていて、例えば、スモールステップの具体的方法 という記事を最近拝見したのですが、記事のように、できること、できないことをリストアップして、先生、親が協力して、少しずつできることを増やす試みは、すごく積極的な介入だと思うのです。親と先生だけでなく、子ども自身が現状を認識して取り組めば、できたときに自信が増していくと思います。こういう積極的な介入が私の子ども時代に情報としてあれば、20歳を超えてから治るのではなく、もっと早くから治っていたかもしれません。私の場合は、自身で検索して17歳のときに場面緘黙症という言葉と出会うまで、なぜ自分は話せないのだろうと悩んでいました。小学生時代には言葉の教室に通ったり、先生からマイクを使っての発言の機会をもらったりと所々で気にかけてはもらっていた印象はありますが、親が学校教育の場に出てくることもなく、言ってしまえば放任状態でした。もちろん、言葉の教室に通わせていた当たり、気にはかけていたのだと思いますが、指導員は緘黙症を知らず、緘黙症への対応のようなものはなかったと思います。Twitterでも度々言っていましたが、言葉の教室は無意味だった。もう一度言おう、無意味だった。。

 

自然に治るという認識でいると、その状態を放任する。

だから、「お母さんを恨んでる?」という言葉が出たのだと思います。(参照:初めて自分が緘黙症だったと知ったとき

 

子どもに発言させない親

小さいころから、私への質問なのに母が答えるという場面が常態化していました。もちろん、相手が大人な場合は相手の時間を取ってしまうことを気にして、代わりに親が返答するというのはあり得ることですが、同級生からの言葉にも母が返答をしていました。私が、その当時(小学生)話せたかというと、まあ、話せなかったので、仕方がないかもしれません。しかし、高校生になってもそういうことがあって、その当時(高校生)なら自分が初対面の人となら話せるかもと思っていた(参照:不登校から通信制高校に通うことに。そして話せるかもしれないという思い込みを抱く。)ので母への不満が増していた記憶があります。
 
と、こんな感じで緘黙児と母親と題して書いてみましたが、皆さん(→元緘黙症の人)の親はどうでしたか?
完全な放置でしたか?話すことを強要するスパルタ的でしたか?放任主義でしたか?一緒になって克服を目指してくれましたか?
個人的にはスパルタでなくて良かったと思っています。母本人が緘黙症だった影響でしょうが、緘黙の経験がなかった場合、話すことを強要されて、親との仲がこじれていたかもしれません。

趣味は何ですか?と聞かれても何もないですとしか答えられない。

どうも”あきかん”です。

 

あえて趣味は何かという質問にムリクリ答えるならYouTube鑑賞でしょうか。

今回は、話すことに慣れる場所(ゲーム)をYoutubeの実況ゲームで見つけたのでただの紹介記事になります。

その名も「人狼殺」。無料のスマホアプリです。まずは動画をご覧ください。

 

 

 

 

こんな感じにオンラインで9人が集まって携帯ボイスで話し合いながら人狼は誰か当てていくゲームです。

9人部屋のほかに、7人部屋や5人部屋があり、ボイス通話がなければ参加できません。チャットだけはNG。

公式はこちら https://werewolf.coolfactory.jp/

 

この人狼殺ゲームのメリット

  • スマホゲームだから導入が簡単
  • 多人数で会話する経験がすぐに得られる。
  • 自分の考えをまとめて話す力が鍛えられる。
  • たくさん話さないと人狼だと疑われるため必死に話せる。かも。
  • 目的がはっきりしているから会話の内容に困らない。
  • 一期一会だから話しやすい。
  • 雑談力も鍛えられる。
  • 声がキモイと言われる可能性があり精神力が鍛えられる
 

この人狼殺ゲームのデメリット

  • 声キモイと言われ立ち直れなくなるかもしれない
  • 自分のダメさ加減(話せない)を再認識してしまうかもしれない。

 

ちなみにこのゲームやったことありません。

今のところやる勇気もありません。人と話すの怖いし。

ただ、会話力や会話しながらの思考力が鍛えられそうだなと思い紹介してみました。

 

この記事書く前に”サトラレ”っていうあらゆる思考が思念波となって周囲に伝わってしまう青年のドラマを思い出してました。

どうも”あきかん”です。

 

今でこそネットで、このようにブログやTwitterで情報発信できる私ですが、昔はネット上への書き込みもストレスになるほどでした。中学生の頃のことです。昔はTwitterやブログがなくて、ネットに書き込むといったら2chやゲームチャットだけでしたが、会話によるコミュニケーションに慣れていないせいで、不特定多数が書き込むチャットでさえ、文字を打っては送信するか迷い、反応があったら心臓がバクバクなってました。一期一会的なチャットでもこの有様で、学校で話せないし、ネットにも書き込めない。自分を表に出せないのはリアルもネットも同じでした。

という想い出はひとまずここで終わって、今回の話に入ります。

 

最近、緘黙オフ会開催のお知らせを良く見かけるようになりました。

その中で、筆談でも大丈夫です!筆談可!

という案内を見るたびに、緘黙と言ってもいろんな人がいるんだなという感想を持ちます。

 

私は筆談(筆記)も話すことと同じように無理な人でした。

 

なので、筆談OKという文言を見るたびに、話す以外のコミュニケーションとして、筆談ってありなのか?結構ハードル高いんじゃないか?どういう感じで筆談するんだろうか?ホワイトボードに書くのだろうか?チャットツールを使うのだろうか?などなどいろいろ考えてしまいます。また、そういう行為ができる人を尊敬してしまいます。

 

筆談も会話も相手からの言葉があってからの、リアクション(返答)なわけですよ。

完全に相手はこちらに注目している中で、話すのが難しいのと同じようにペンを動かすって難しい気がします。

 

社会人になって数年間は人前で紙に書くという行為ができなくて、仕事の手順のメモを取らないといけないのにその場では取れず、休憩時間や家に帰ってから思い出して書き起こしたり、会議中にみんながメモを取ってるのにメモが取れなかったりと、人の前で文字を書けませんでした。また、普通の人は、白紙の紙に図や文字を書きながら説明をする場面でも、臆せず書きながら説明できる(同僚が良くやっていた)のですが、私は前もってすべて紙に書いて、人に見せる形をとっていました。私はここ3年ぐらいでようやく、それができるようになってきました。

 

私がイメージする筆談は紙に書く、小さなホワイトボードに書くというイメージなのでその難易度は話すこととイコールです。

 

でも、もしこの筆談がチャットツールを使ったものなら、その難易度はかなり下がるだろうと思います。

例えばチャットワークというチャットツールがあります。

これが非常に便利で、私の会社でも導入が進んでいるのですが、隣の人にチャットで話しかけるんです。

部署内はシーンとしているのに、チャットは活発という年配の人からしたら異様な雰囲気ですが、社内のコミュニケーションツールとして、現実に使われています。この話をすると長くなってしまうので、いずれ別記事で書きたいですが、こういう筆談(チャットツール)なら、普通の人も使っているのでありだと思います。

一緒に並んで歩きたくないなぁ。そうだ!先に出ちゃえ!

どうも”あきかん”です。

 

今日は社会人(職場で)の緘黙症後遺症あるあるです。

随時更新♪

  • 仕事以外の話ができない。
  • 仕事以外の会話をさせない。
  • 趣味、休日の過ごし方が嘘の塊になる。
  • 同じタイミングで退社した同僚と同じ行先(駐車場)まで並んで歩くのを避けるため、トイレに行くふりをする。
  • 同じタイミングで退社した同僚と同じ行先(駐車場)まで並んで歩くのを避けるため、忘れ物をしたふりをする。
  • 変なところで会話が終わった気がして、その場で、こうやって返せば良かった。もう一言言えばよかったと反省会が始まる。
  • 話しかけるなオーラを出そうとする。
  • 電話に出れない。
  • あ、あ、あ、明日ですけど・・とか、どもるようになる。
  • イレギュラーに弱い
  • 敬語が話せない。尻すぼみになる。
  • 声が小さい。
  • 声のボリューム大きくと言われる。
  • 耳に手を当てて聞こえないアピールをされる。
  • 声が小さくて相手をイラつかせる。
  • 3人以上の前で話すとき声が震える
  • 雑談に加わらない。
  • 雑談に加わるタイミングを逃す。
  • 雑談に加われない。
  • 同僚との人間関係が悪くなる。
  • 人間関係悪化で退社寸前になる。
  • ストレスを吐き出す相手がいない。
  • 人との接触を可能な限り避ける。
  • 退社寸前になるが、もう一度就職できる気がしないから踏みとどまる。
  • クビになるまで居続けようと思うようになる。
  • 語尾をきちんと言わない
  • 挨拶の声が小さいという自覚がある
  • 会話の王道パターンが分からない
  • 話の終着点への持っていき方が分からない
  • 電話の最後に何て言って切ればいいのか分からず、いつも変になる。
  • ルールを守ろうとして偏屈になる
  • お昼ご飯は車の中で済ます
  • 社員食堂を使わない
  • 交流会、忘年会、歓送迎会等、会という会は断固拒否する
  • 拒否理由を数パターン考えておく
  • コミュ障でしょって嫌味を言われる
  • 言い返してこないと分かっているからか、いろいろ嫌味を言われる。
  • たまに無視される(声が届いてないだけかも)

 

同性だとひがみ、嫉妬が巻き起こるけど、異性だとそうでもないよね。

どうも”あきかん”です。

 

今日は、今までの人生の中でオフ会とか、緘黙症の人の集まり以外でナチュラルに緘黙症(ぽい)人と出会ったことについてです。

 

リアル緘黙っぽい人と出会ったのは数えること2回のみ。

2人とも女性で、1人は小学校のとき、もう一人は社会人になってから出会った。

 

小学校のときの女の子は同級生で、同じクラスに数回なった

小学校低学年の時はYes、Noの首ふりで答えて、授業の発表のときもほとんど声が聞こえなかったけど、高学年のときはYes,Noの首ふりは相変わらずでも、発表のときの声は大きくなっていた。私と同じだと思っていたが、学年が上がるにつれて、聞き取れる音量で発言ができていく彼女を見て羨ましく思った記憶がある。彼女は私と同じように言葉の教室に通っていたのだろうか。そこらへんの記憶はない。彼女が緘黙症だったのは確定している。なぜなら、母がそういっていたからだ。今、どうしているだろうか。中学校では普通に話せるようになったのだろうか。後遺症もなく、過ごせていることを祈ります。

 

もう一人は社会人になってからの職場の同僚

彼女は挨拶はできる。私も声を聴いた。しかし・・・

(採用担当)面接のときから声は小さいけど、質問には答えていましたよ。

(採用担当)え?質問してもしゃべらないんですか?

(採用担当)私とは話せてますけど。。。

現場研修時のこと、採用担当以外と話すことが困難だと分かった。

同期ともうまくいっていない。普通は同じ時期に入った同期とは年齢が離れていても一緒に研修を受けるため、仲良くなる。配属も一緒になる場合が多く、心強い仲間になる。だけど、彼女は同期と話しができず、どんどん浮いていった。

彼女の所業(しゃべらないこと)は職場内では有名になり、入社当時はエライ人が入ってきたと話題になった。

 

(同僚の女性)何であんな人雇ったの?ありえないんだけど。

(あきかん)え?誰のこと?

(同僚)あの人、本当この会社おかしいよね。

(あきかん)あーー、うーん。

やっぱ普通の人から見るとありえない採用なんだろうなと思いました。

 

そんな彼女は今も同じ会社で働いています。

意思疎通が難しいけど、教えたことはきちんとこなしているから問題ない。という現場上司の言葉を伝え聞いています。

採用担当は定着してくれたことに安堵しているようです。

真面目な仕事姿は評価されるということですね。

うちの会社の仕事の性格上、会話は必須ではなく、黙々と手と足を動かせたら良いので、彼女には合っているのでしょう。

話せることに越したことはないですが、話せなくてもどうにかなる。彼女自身は辛いだろうが。

 

 

というわけで、今回のお話はここまでです。

後半の女性は緘黙症と断言できませんが、私の中では仲間だとピンと来たので緘黙症という前提で話しています。

 

みなさんはリアルで緘黙症の人と出会った経験がありますか?

もし、緘黙症の人が身近に出現して、他の人とのコミュニケーションに困っていたら、その人の助けになれますか?