恋愛小説家 -58ページ目

misunderstanding

英語の教科書の挿絵に

サーフィンしているサンタクロースがいたせいかもしれない。

昔は「南」とつくだけで

言葉のイメージで暑いものだと思い込み

南半球はここよりも暖かいと勘違いしていた。

 

だいたいのところ、

赤道に近いほど常夏で、極に近いほど厳冬。

北半球が夏の時期に南半球は冬。

日本で刷った世界地図はみんなが知っているあの形。

それでもオーストラリアあたりの教室には

逆さの地図が貼られていることだろう。

 

天が動いているのか、地が動いているのか

相手の主張が自分のものとまるで逆さまだったとしても

一度は受け止めてから、次の言葉を選ぶ優しさがあれば。

 

あなたと最近会っていない。

本当は会いたくて仕方ない。

「自分がいつだって正しい」なんて思い上がりで

尖ったセリフを投げつけてごめん。

 

水色と緑で(それもまた思い込みの色で)塗り分けられた

よくある地球儀を気まぐれに回しながら

そんなことをくどくど考えていた。

私研究

恋愛小説家

 

下手の横好きというのかもしれませんが

子どものころから写真を撮るのが好きでした。

押入れから発掘した、父のカメラをぶら下げて

散歩をしたり、庭の牡丹が開くまで毎朝同じ時刻に撮影したり

姉のバンドのライヴに出かけたり、猫を撮ったり。

 

世間一般的には「不合格」だとしても

これでいい!という合格点は自分でつけていました。

狭くて小さな私の世界と向き合って

自己満足する遊びだったように思います。

 

自己満足といえば

ここ数日プロフィールに使っていた写真について

幼馴染のように私のことをよく知る人物から

「変顔すぎる!」と指摘を受けたので、素直にやめました。

なぜかこの人の言うことは的確で、

私が<自分でも知り得なかった一面>を度々言い当てられます。

 

それなら変わりはないかな?と手持ちの写真を探してみても

自身がカメラを構えているだけに、写っていない・・・。

(あっても、こんな風に時計のふりをしていたり)

 

人はどんどん、忘れてしまう生き物ですし

ダンボールからアルバムを引っ張り出して

若い時代や過ぎ去った日々のこと、また当時を振り返る作業は

誰にとっても、時に必要なことかもしれません。
 

色あせたスナップ写真一枚からも伝わってくるのは

そのころ誰が周りにいてくれたのか、愛情を注いでくれたのか。

時を経た今だからこそ、

そこから感じるものを文章にできると思うのです。

 

そろそろ長い沈黙が来そうだ

きみを最後に抱いたのはいつだったろう?

そう、たしか春だった。

夏にはどこかよそよそしく

「ありがと、またね。」そんな風に

夜も早いうちに適当な駅で別れたんだっけ。

 

それでも僕に好意があって会いに来たんだろう。

純粋に自分を慕ってくれていたころのような

丁寧でひたむきな情熱がまるで感じられなくても。

 

目的もなく運転するのにも疲れて

わざとらしく伸びをする僕のとなりで

ほんの少しもこちらを向いたり、シートを倒すことはなかった。

見上げた横顔は

外の世界との視界をさえぎる雷雨をにらんで

早く止んでちょうだいと、祈っているようだった。

 

(そろそろ長い沈黙が来そうだ)

 

予感していた通り、きみは消えて

追いかけもしない僕がいる。

慌てても仕方ないし、なす術もない。

僕には僕の現実があり、

それはきみも同じことだから。

 

縛りを与えず、互いを自由にしておくことに

はじめこそ難色を示していたきみは

まだ将来を夢見ていたんだろうか。

 

こうやって何度も近づいたり離れたり

長ければ何ヵ月か音沙汰ないこともあった。

それでもひょっとしたら今度ばかりは

きみが完全に消えてしまうような気がしている。

 

眼鏡を外してこめかみを押すと

頭だか、胸だかわからない場所が鈍く痛んだ。

 

once in a blue moon

恋愛小説家

 

元日の満月から始まり、昨夜は今月2度目のまんまるな月。

何年かに一度しか巡ってこない Blue Moon だったそう。

 

それだけでなく

満月にかかる虹の輪、月暈を見ました。

いつまでも見上げていたかった。

きっと特別な夜だったのでしょう。

 

once in a blue moon

滅多にない、起こるはずもない

でも、絶対なんて絶対にない

 

空の下では

取るに足らぬほどちっぽけですが

思念はどこまでも遠くまで届くような気がして

 

今すぐあなたを抱きしめたい

今すぐあなたにくちづけたい

 

まっさらな心にくすぶりだす

よこしまな期待をそのまま飛ばします。

 

魔術がかった光を浴びて

地に転がり青い月を眺めていました。

 

恋の予感のようなもの

あなたには最初から、特別な<何か>を感じた

説明できない ただの直感でしかないのに

あてにならない私の勘でも

これだけは絶対という確信があって

まもなく万有引力のように

さも当たり前に 熟れたリンゴが落っこちた

 

彗星のごとく近づいて

気付けば一緒にいて

どう考えても相思相愛ではないかと

言わずもがなの関係になっても

決定的なひとことはできるだけ口にしないと思った

 

初対面のぎこちなさや

微妙な間合い すこし硬い言葉遣い

遠慮がちな笑顔

互いの気持ちを探りあう空気を

長いこと味わいたい気もする

 

それでいて昔から知っているような

理屈抜きの摩訶不思議な調和と

いつまでも知り尽くせない部分を

逢うたびに じりじりと紐を解く作業も好きなんだ

 

できあがった恋の愛着と

生まれかけの恋の予感のようなもの

どちらも素敵に心を揺さぶる

 

あなたがとても好き

決定的なひとことはあっけなく飛び出した

 

クミチョー

恋愛小説家

 

おまつりの日は公然たる夜遊び
一緒に行こうよと

クラスメイトが家にやってくる

 

よりによって

玄関先にぶら下がった

「○○町内会3組組長」なる

かまぼこ板のような水色の札に

どうしてだろう

好きだった男の子が気づく

 

「お前んち組長なのかよぉ?」

 

そういうおふざけは伝染するから

それから数日間

「クミチョー」と呼ばれ続けたこと

ちょっと(・・・かなり)嫌だった

 

昔むかしの、その昔

あの子は元気にしてるかな

 

a deluge of passion

私は花粉症ではありません。

アレルギーも、たぶん持っていないと思います。

ただ、そういったものは

老若男女、誰にでも突然起こり得るそうですね。

 

グラスに水がどんどん溜まっていき

ある瞬間に表面張力が破られて

一気に水がこぼれだすように症状が現れるのだと

どこかの先生が話していたような気がします。

 

その<グラスから水が溢れる>イメージと重なって

戸惑ってしまうことが一つあります。

愛する人が私をきつく抱きしめるとき

刹那に胸に押し寄せる幸福感、でしょうか。

 

からからに乾いていたはずの空っぽのグラスに

急速に注がれていくのは

何かしら内側から湧き出るエネルギーのようなものです。

情熱を感じるほど、みるみるうちに水位が上がって

あっという間に均衡を失い、あふれ出てくる想いです。

 

聞いてほしいのに言葉にならない。

伝えたいのに伝えられない、もどかしさ。

まともな判断などできっこない。

溺れる、助けて。

 

水際には魅惑的な瞬間と恐れが紙一重にあります。

幸福感でグラスが満たされるほど

ますます喉が乾き、水を渇望するように欲張りになってしまう。

一滴さえも掬い取りたいと手を伸ばせば

まるごと落として、粉々に砕けてしまうかもしれないのに。

 

大丈夫。ここにいるよ。

その一言を待っているのかもしれません。

 


不健康的朝食

恋愛小説家
 

今日も爽やかな青空でした。

 

コーヒーを淹れたら

伊達巻みたいなロールケーキを分厚く切っていただきます。 

ブラックコーヒーに生クリームは絶妙すぎる組み合わせ。

空気みたいなケーキなら、1本ぺろりと食べつくしてしまいそう。

嵌る恋のように危険、でもやめられないとまらない。

 

こんな朝食を楽しんでいたら・・・貧血になりました。

 

随想 100125

「心模様」という言葉が好きです。

色とりどりの想いのかけらが集まって、モザイク壁画のように一つの大きな心模様を描き出す。まさに昨日は、そんな日でした。

 

金曜日のミーティングで、ボスとの会話中に巡ってきた不思議な感覚を思い出しました。(彼女との会話は、ときにセラピーのように作用するのです)
 

日ごろ無意識に活動しているようでも、自然と似たもの同士が集まってくる「引き」があること。「ものづくり」に携わる人がまとった独特な気質に、私自身が常にワクワクさせられ、よい影響をもらっているという再発見がありました。誰かに抱いた感動はそのまま自分の原動力になります。仕事もプライベートも「人ありき」で、誰かのためも自分のためも、結局は同一線上にあるのでしょう。

 

思うに、クリエイティブなひらめきは、いつどこで降りてくるか分からないものです。散歩中に創作意欲がむくむく湧いてきたり、限界に立って初めて活路を見出せたり。先の予定が立ち難い仕事なら、予定変更や割込みだってあるでしょうし、頭がフル回転になれば時間も忘れてとことんやってしまうというのが「ものづくり」だと思います。乗っている時のいい波ならば逃す手はありません。

 

例えば、デートの約束を心待ちにしていた相手に突然アイデアが降りてきて、直前に「予定キャンセルさせて」と言われても、決してその人を冷たいとは思いません。もちろん会えない寂しさはありますが、不満は微塵も感じません。

 

私にとってお気に入りの誰かが手塩にかけて生み出すものは、いわばその人の愛すべき一部分です。やりかけたものがあるならば、形になるまでひたすら待っていたいですし、とことん追求したいなら「いいものを創って。ガンバレ」と応援しつつ、こうしちゃいられない、私もがんばろうと背筋を伸ばします。

 

街並みが西日で照らされるころ、お茶をすすりながら窓際のベンチで本を読んでいました。何気ない数時間に集中できたことで、このところ胸中でもやもやしていた霧が晴れました。断片的なアイデアと、短いセンテンスが湧いてくる瞬間は身震いします。それが単なる自己満足だとしても、<書きたい>という欲求を認めた途端に清々し、深く長い息をつきました。どんな形であれ文章は、やはり切り離せない私の一部分です。

 

正体がはっきりしないのに確かな高揚感はいったいどこから生まれてくるのやら。ヒールの音に合わせて指を鳴らし、鼻歌付きで駅のホームを闊歩するのも楽しい。こんな上機嫌は、我ながら久し振りです。エスカレーターですれ違う人と目が合っても、自分から視線を外しませんでした。いつも下ばかり向いていて、滅多に誰かと目を合わすこともない自称・シャイな私が、です。

 

無数の人が行き交うこの世界。雑踏に立ち「いろいろな人がいる」と当たり前のことを思いました。それから、人と人とが出会う確立やご縁について考えていました。見知らぬ大勢とすれ違うほど、そこにいない大切な人を強く思い浮かべます。独りでいるのに自然と笑顔になりました。

 


週末~再会

土曜の夜はサタデーナイトフィーバー。

終電近くの街には、酔いどれた人がいっぱいです。

帰り際、何人か道路の隅で死に掛けていて

大丈夫?と声をかけるべきなのか

いつも少し悩みます。

 

若かりし頃

酔っ払いおじさんの自転車が目の前で転倒しました。

声をかけてもまるで反応しなかったので

打ち所が悪かったのではないかと

あわてて救急車まで呼んでしまったのですが

彼はただ、泥のように眠りたかっただけでした。

酔っ払いに見慣れていなかった時代です。

 

日曜日。

今日はアメリカから一時帰国中の友人と再会。

ご家族とのランチにご一緒させていただきます。

水入らずの席に、すみません。

いい天気で何より。五反田へ行ってきます。

山手線はまだまだ未踏の地が多いですね。