リミッターを外すとき
こころの中は、大抵いつも煩雑です。
ずいぶん前から片付かない倉庫みたいに
がらんとしているのに、
小さいものが次から次へと地層のようにつみかさなって、
もはや一番下に何がしまわれているのかすら分かりません。
その上に、白っぽく埃がつもっているのです。
ああ、よくもここまで溜め込んだものだと呆れます。
しあわせを感じるメーターは、
ハリが振り切れることはないと思っていました。
素直に感動する方法や、伝え方がわからずに
故障したように、いつもMAXの手前でとまってしまいます。
期待はしないようにしよう、ダメだったらさびしいから。
わがままは言わない、困らせてはいけないから。
そうやって何度も失敗しながら、一日ごとに磨耗していく何か。
感動を素直に受け止められないのは悲しいことで、
鳥肌が立つほどたましいを揺さぶられている場面で
陰の自分がそれを自嘲するから、乗るに乗り切れずに乗り遅れる。
平気なふりをして すっと負い目が影を落とす。
みんながまぶしく見える世界では
心細くて泣きたいこともある
ひとりぼっちで歩けない
まるでダメな、ただのわたし
そんなわたしを「ダメでいいじゃない。」と
適当にかわしつつ
ただ一人分かってくれた人に感謝していました。
不器用だから、あなたらしくて
不器用だから、やさしくなれて
不器用だから、いたみをかんじ
不器用だがら、いとおしいよ
凪を思わせる静かで淡々したやさしさに
これまでどんなに救われたことでしょう。
不定愁訴の病でしょうか
たまに切ない気持ちになるもので
ときどき、ぶわぁっと泣きたい気分が押し寄せます。
もう大丈夫と一度は思っても、高い波のように。
しあわせを感じるメーターは、
ハリが振り切れることはないと思っていました。
それでも、リミッターが外れたときに
新しい世界が見えることに、うすうす気づいているのです。
いつか王子様が
ずらりと並んだピアノの前に立って
「リクエストは?」と訊いてくれた
わぁ、弾いてくれるの?
突然すぎる申し出 でもかなり嬉しい
心躍った そのはずなのに
何を頼めばいいの?言葉に詰まった
もったいないなぁ
こんなときに限って思いつかないなんて
私って本当に不器用
立ち去ってからも しばらく後悔
それでもまた
同じチャンスが巡ってくるならば
「Someday My Prince Will Come」を
リクエストしたい
いつか王子様がやってくるようにと
ジャズの旋律に願いを込めて
随想 100210
彼が嫌いだと決めつけていたのは
茶色すぎる髪、ピアス、厚化粧の女でした。
だからピアスを開けようかなぁと思うたびに
「親からもらった大事な体に傷をつけるなんて!」と
眉をひそめる彼のことが脳裏に浮かび
そんなことしたら即バイバイだわと、肩をすくめていました。
大昔のことです。
当時スウォッチが流行していました。
私も何本か持っていて、(・・・今も持っているんだっけ?)
ベルトを変えたり、パーツをあれこれ着替えて遊んでいました。
渋谷のロフトの1階にスウォッチがたくさん並んでいて
見に行ったような気がします。
パルコのブックセンターで
素敵な色使いをした洋書や絵本を眺めるのも好きでした。
本を開いて、真新しいインクの匂いを嗅ぎます。
パッと見、実にあやしい行動ですが
なぜか昔から、紙やインクの匂いに心が落ち着くのです。
それでも人ごみや元気すぎる若者に気圧されるので
渋谷がちょっと苦手な街であることには変わりなかったのですが。
そういえばピアスを開けたのも、渋谷でしたね。
試験が明けた冬休み、お目当ての店があった私は
重い腰を上げてタマリバーを越え、
はるばる出かけたのだと思います。
例のごとくパルコで本を見て、ぶらぶらと歩いていたら
「○階の皮膚科でピアス穴開けられます!」というような
サインが目に留まりました。
その時にはピアス嫌いの彼はとっくに消えていましたし
ほとんど発作的に、スケジュールを算段した気がします。
というのも、学生時代はアクセサリー類を禁止された講義も多く
タイミングが悪いと、ファーストピアスが外せずに
困っている友人もちらほらいました。
耳が化膿しやすいと脅される夏でもなく
「ピアスホールから白い糸が出てきて引っ張ると失明する」
などという都市伝説も無視していましたから
迷うことなく、エレベーターに乗り込んだのです。
そして一瞬の鈍痛とともに、耳に穴が開き
小さな石のついたピアスが光っていました。
今でも不思議なのですが
あの、未知の何かに引っ張られたような
高揚感は何だったんだろう。
帰り道、ガラスに映る自分を何度確認したことでしょう。
ほんの数時間前の私と同じはずなのに
どこか世界が違って見えた大冒険でした。
余談ながら、私にはほくろやそばかすがたくさんあり
いつの間にやら耳にも一つ、できていました。
ときどき、ピアスみたいだと思います。
ほくろは個人の目印のようなもので
耳のも、飾りみたいと思います。
そばかすなんて気にしないわ
byキャンディキャンディです。
灯火
暗闇の森で迷子になって
座り込んで泣いていたら
小さなランプの灯火がやってきて
足元を円く照らしてくれた
うっかり転んでしまわないように
道先へ導く手があった
独りではないということが
どれほど心強いことか
凍えた心がぽっとあたたまる
いつしか東の空が白むころ
私はそれが「あなた」だと知る
みるみる感謝と勇気があふれた
何だってできる そんな気がした
人は簡単に傷つき傷つけるけれど
その傷を癒すのもまた、人なんだ
あなたはとても素晴らしい
The Giving Tree
母と電話をしました。ちょっと久しぶりでした。
決して薄情だとか、忘れているというわけではありません。
ただ忙しいとか、自分のことで精一杯だという言い訳に加え
いつもそこにいてくれるという甘えや
相手の愛情が絶対に揺るがないという
驕りのようなものがあるのかもしれません。
Shel Silverstein(シェル・シルヴァスタイン)の、
「The Giving Tree」。
日本語版は「おおきな木」として出版されています。
りんごの木はおとこの子が大好きで
一緒に遊び、木登りをさせ
木陰をあたえ、実を食べさせてやり
いつも彼を見守って、そこに立って待っています。
だんだんと成長してくれば
おとこの子は青年になり、おとこになり、老人になり
ずいぶんと身勝手な要求をしてくるのですが
りんごの実をすべて持っていかれ、枝をみんな切り落とされ
幹を倒され、ただの切り株になっても
きは それで うれしかった
と、木はひたすら彼の願いを聞きいれ
おとこの子が会いにきてくれたことを喜びます。
人生の転機がくれば、おとこの子だったおとこは
木のところにやってきて甘え
しかし確かに老いていきます。
最後には立っていることも困難になった老人のために
立派だったおおきな木は、自分の与えられる最後のこと
「腰掛ける場所」を、提供するのです。
"Once there was a tree...and she loved a little boy."
原文では、木は「she」。女性名詞です。
母性愛の象徴なのかもしれません。
そして私たちは、いつも身勝手なおとこの子なのです。
愛情や、与えられること
そういったものは永遠ではないのに
油断してしまうのはいけませんよね、本当に。
Norwegian Wood
引越しをするたびに、置き場所に困る本。
それでも捨てられずに、どこまでもついてくるものは、
いわば厳選されたお気に入りといえます。
日曜日の夕方。
手持ち無沙汰になって、本棚の前へ。
手にとった文庫本は、背だけではなく、
ページの中まで黄色くなった「ノルウェイの森」。
これまでだって何度も読んだ物語ですが
今回は違った意味で
新しい発見があるような気がして
久しぶりに開いてみようと思ったのです。
そしていきなり驚きました。
冒頭で出てくる「大人になったあとのワタナベ君」。
37歳だったのですね。
この本を初めて読んだとき、私は高校生でした。
当時、大人だと思っていたワタナベ君と
いつしか同年代になろうとしている、驚愕の事実。
そりゃそうです。もう20年以上も前の本なのです。
それにしても、頭に浮かぶ映像がみずみずしい。
一切色あせないことといったら、切なくなってしまうほど。
この道を、毎日通っていたころと同じように。
あなたで在る証
汗ばむ胸に耳をくっつけて心臓の音を聞いた
体を巡る血の流れ やさしく深く響いた鼓動
どくん、どくんと
この世界に生まれてからずっと
止まることなく刻まれてきた あなたで在る証
生きている命の音がした
そうしながら、あなたの語るいつかの出来事を
わたしの中に落とし込んでいったら
出逢ってもいないすべての時代において
知らないころのあなたがどれも愛おしくて
涙が出そうになった
今のあなたをとても好きだし
昔のあなたもとても好きだよ
充実していたときも退屈だったときも
誰とどのように過ごしていても
一生懸命に生きていたあなたのことを
愛さないわけにはいかないでしょう
うまく説明できない想いがあふれて
力いっぱい抱きしめた
ほんの少しでもいいから解ってほしい
友達とか恋人とか定義はいらない
ただ「人として」 あなたが好きだということを




