日馬富士の暴行容疑に情報操作を繰り返すマスコミ | 言語分析未来予測

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 マスコミは事件の本質を隠そうとして大したことのない情報とすり替えている。
 どうしてこうも、まともに考えようとしないのか? ひょっとしてこれは情報操作なのではないかと考えてしまう。たとえば以下の評論・記事である。

http://ironna.jp/article/8208
日馬富士の暴力より日本人に定着した「悪のイメージ」の方が怖い
小林信也(作家、スポーツライター)



 記事は3つに分けられている。
1.日馬富士の悪のイメージ。どんな処分を受けるのかに注目。世間の風潮は実態と違う。
2.師匠・貴乃花親方の強硬姿勢。世間は更生を考慮せず断罪を望む傾向。
3.酒席の参加者は日馬富士の酒乱を知っていた。貴ノ岩への指導に暴力を用いたことに理解。相撲の厳しさを一般の常識や道徳で非難をするのは滑稽。


 事実がまだはっきりしない中、記事も曖昧に書かれていた。さほどの内容はない。
 酷いのは遊びの相撲を引き合いに出して相撲の厳しさを語っている所だ。力士たちにとっても苦笑せずにはいられない所だろう。
 厳しい相撲は当たり前で今さら横綱の迫力を説明するとはどうゆうことか。
 初代若乃花は土俵の鬼と言われ弟子に猛げいこを課した。その名声は永久に不滅だ。
 「横綱の品格」と書くのだったら、まずは初代若乃花を思い出すべきだ。

 一般人の常識論、道徳論の次元は重要だ。これこそ低下すれば世間は荒むばかりだ。
 日本相撲協会も常識と道徳が低下しているからこそ、こんな荒んだ暴力事件が起きていることを自覚するべきだ。実際の隠ぺい体質が常識や道徳をなおざりにしている原因なのだろう。

 小林氏はどうして「日馬富士がどんな処分を受けるのか」と書いたのだろう。この「処分を受ける」と書いたのには肝心なことを隠蔽するためだ。それは何か?

 ――武士道だ。
 横綱の土俵入りでは太刀持ちがいる。つまり武士と同様に名字帯刀が許されたということだ。だからこそ武士道を無視して相撲は語れない。
 小林氏は「処分を受ける」と書いたが、武士道では己が責任を取ることが書かれている。まさに「命を以って」だ。
 小林氏は日馬富士が自分から責任を取ろうとしないことをよくわかっているのではないか。横綱の地位にしがみついていたい。しかしそれは名誉を怪我した者として恥ずべきことではないか、というのが武士道だ。
 小林氏もそうだが、多くのマスコミは武士道を右傾化として捉え、それを無視し、確認できない情報ばかりを垂れ流すことで日馬富士を擁護しようとしているのではないか。自ら責任をとれない横綱のために。これは大きな疑惑だ。

 本当の大問題はどこにあるのか?

 日本相撲協会は第三者的な責任があるだけだ。法律も個人主義で書かれている。違法行為を誰がしたのかが問題だ。

 何を見に観客はチケットを買うのか?
 ――それは真剣勝負を見るためだ。それは相撲に限ったことではない。アマチュアでもプロでも格闘技に限らずゲームは正々堂々の真剣勝負だ。武士道を語るまでもない。
 それが本場所前に対戦相手でもある西前頭2枚目を横綱が暴行したのだ。
 たとえばボクシングで言うなら、計量後にチャンピオンが挑戦者を「態度が悪い」と指導のためにポコポコにしたとしたらどうだろう? 世界的に大問題だ。

 しかしこれが相撲であれば日本相撲協会もマスコミも横綱の資格は剥奪しないというのが現在の風潮だ。
 このように世論を先導することが情報操作なのである。
 問題を貴乃花親方一人に押し付ければ多くの関係者も助かる。

 横綱だ先輩だと暴行を加え対戦前に恐怖心を与えることで本場所ですくんでしまい実力を発揮させないようにする。これも武士道を語るまでもなく卑怯・卑劣なやり方だ。
 「勝ちさえすればいいんだ。強いから横綱なんだ」――そこにだけ価値を拘り、礼儀を忘れて暴行に及ぶ。番付の格を汚すほどだ。相撲道の欠けらもない。それでも日本相撲協会は「いい」と言うのだろうか? であれば厳格さも品格も地に落ちることになる。
 「事が公にならないのなら何をやってもいい。モンゴル人の内輪で解決すればいい」――だったら対戦前にボコボコにしてしまえ。しかし、これじゃあ、卑怯・卑劣を通り越してギャングや暴力団の八百長ではないか。

 このような大問題が公にならないように・注目されないように、マスコミと日本相撲協会は貴乃花親方一人に責任転嫁をするつもりだ。