angoの世の中フラリフラリと -746ページ目

その人は



こういう顔の人なので


よく見てみると

背景には軸の掛かった床の間らしきものがあり

ネクタイもキチンと締めていて

とても貧乏そうには見えないのにも拘らず


その著書があまりに

ひょうとした貧乏そのままで

真に迫っていて

今でもそんな事があったなんて信じられず


一度買った本であってもその時に持っておらず

まして

古本などであったら

うちに帰ればそこにあるのに

つい買おうとしてしまうのです




すなわち


「貧乏だ貧乏だとぼやいているが、

あの野郎家でカツレツ七,八枚を食らい、

人が来れば麦酒を自分一人で一どきに六本も飲んで、

その間一度も小便に立たないとほざいている」

らしかったのです。


そんな事にはお構いなく


順天堂病院の特等病室に寝ている田氏のところへ、百鬼園先生は水色の帽子をかぶったなり、

つかつかと這入って行った。

枕もとの椅子に腰をかけ、帽子を脱いで膝の上に置いて、聞いた。

「如何です」

「経過はいい方です。手術した傷の痕が、癒着するのを待つばっかりなんだ」

「どの位かかりますか」

「早くて三週間はこうしていなければならないでしょう」

「それでも、よかったですねえ、そうして盲腸を取り去ってしまえば、

四百四病のうちの一病だけはもう罹りっこないわけですね」

「あとは四百三病か」と云って、田氏は笑いかけた顔を、急に止してしまった。

笑うと腸が切り口から覗くのかも知れない。

「今日はお見舞い旁、帽子を貰いに来ました」

「帽子をどうするのです」

「貴方の帽子なら、僕に頭に合うのです。滅多に僕の頭に合うような帽子をかぶっている人はいませんよ」

「だってボクの帽子は、君そんな事を云ったって、僕のかぶるのが無くなってしまう」

「しかし、こんな水色の帽子なんかかぶっていると人が見るんです。

外はもう随分寒いのですよ。

病院の帽子掛けに、帽子をかけて寝ていなくてもいいではありませんか」

「それはそうだけれど、出る時に帽子が無くては困る」

「出る時には、お祝いついでに、新しいのをお買いなさい。あれはたしかボルサリノでしたね」

と云って百鬼園先生は、隣の控室から、田氏の帽子を外して来た。

「丁度いい」

百鬼園先生は、その帽子をかぶって、病人を見た。

「よく似合う」と病人が云った。

後で退院する時、田氏は新しい帽子を補充するのに、二十幾円とか、

かかったと云って、「一年着古した帽子だと思ったから、惜しげもなくやったのだけれど、

結局は二十何円持っていかれたのと、おんなじだ」とこぼしたそうである。

百鬼園先生もその話しを聞くと、何だか貰った時の気持とは勝手のちがう、

少少物足りないような感じがした。



こんな感じの人だと思いたいのです

アカルイミライ



思い起すと

私はいつでも悲観的なことを言っており


いつでも周りの寛大な人に

励まされて来た様なのですが


実は悲観的に見ていたのはその時々の

現実であって

将来についてはまったく楽観的な人なので


ああそうか、、、、。


でもいいや


今日只今のことを楽観的に考えたり

将来の事をシリアスに論じてみた所で

その通りに何かが運ぶ訳では無く


それでも過ぎてきた時間を否定したくない為に

肯定して今を安心してしまえば

この先の事の何の参考にもなりはしない


これまでの過ちを殊更大袈裟に認めたところで

そういう事なので


この先は良くなるぜと

思いながら

楽観的に将来を見つめ

これまでにあったものの何者にも左右されず

何かをする


何があっても明るくしかならない夜明け前の気分で

何でもやってしまう




私にとっては現実のほとんどであって

今となっては

ノスタルジーの対象なってしまった

昭和の後半に


貧乏人は麦を食え

とか

もはや戦後ではない

とか

その後に


私の意識のまだ朦朧とした時代に


笑い飛ばして

無責任で世の中を渡ろうとした


架空のスーパーヒーロー

日本一の無責任男

と言うのを

植木等が演じて


私はただの面白い人だと思って

真似してくねくねしていたけれど


あの時に言っていた

無責任と言う言葉


今の

同じ言葉と意味が違う


過去をまじめに思い出すと

将来が悲観的に無りなりそうで


もう書けない


未だ判らない事

人が随分と増えてきたのだし

色々な事を

他の動物では思いも付かない事を発明してきたのだし


それでも今私たちは

満足してもいず

更に何かを発明したり研究の結果発見してしまう筈で


人が独りも居なくなっても一向に構わない星

地球の様子は

これからも人間によって変えられて行くのですが

それで何かの不都合が起きてきた場合に


生命体の存在に不都合が起きた時に

潔く諦めねば成らないのは

この場合

どうしても人間であって


人間が作ったウンメイに

道ずれにされてしまうのが他の生き物と言う事になる

さて

これは大変だと言うことで


諦めないぞ

と言う事で

人間は行動を変えている最中で


国という組織や

それらの集合体で対処せねばとても間に合わない物は

そうしましょうと言う事で

国際会議を開いたりするのでけれど


どうも焦点が

定まらないので


今すぐにどうにかしなければイケナイ

としながらも

答えはずっと先に出す事にしたりする


私の様な捻くれ者は

どうでもいいんだな

などと疑ってみたりする


さっきごみを捨てに行った

燃えないものと

燃えるものに一応分けている


肝心のゴミ捨て場には

黄色いポリのゴミ箱と

濃い緑のゴミ箱が

二つずつ

在って


タイ語で

濡れたごみ

乾いたごみ


そう書いてあって

どっちが何だかいつも迷う


タイの人に聞いたら


答えはマチマチデ益々分からない

デニス ホッパー

BGMが無いと何も出来ないこの性格は

と言うより習慣は

いつ出来上がったものか

音が無いとボ~としてしまって

何もしない


今日はバイクの音

にしたのです


映像も欲しいかなと思ってUTUBEに行ったのが間違いで

仕事まで止まってしまった


Chopper

Hells Angel

Easy Rider

Steppenwolf

The byrds

いつの間にやら

線路が切り替わって

ジョーコッカーだ

ジャニスジョプリンだ

ウッドストックだ

になって

なぜかジョンレノンまで行って

そうして

仕事が遅れているのです


今考えてみると

アメリカと言う国は戦争やっている間に何か別な事をし出す国で

第二次大戦中は、ウォルトディズニーが白雪姫を作っていたし

ベトナムでチンピラしていた時は

ヒッピーが出て来て

フラワームーブメントで

それも


ベトナム敗戦までで

70年を境にプロテストしなくなり始めて

何だかつまらない


実は昔私はアメリカが好きだった

イージーライダー

イチゴ白書

アリスのレストラン

ペーパーチェイス

そういう映画の中のアメリカが好きだった

ジョ-ズ

でアメリカ映画のやり方が嫌いになって

ケッ

つまんないの

と思う直前に

アメリカングラフィティー


アメリカ好きかなー

と思ったのが最後でした


アメリカは

休み無く戦争しているのだから

休み無くプロテストしないといけない

そう言ったのは

私ではなく

訳の分からない奴を居候させてくれた

カリフォルニアの友達のお母さんでした


今やアメリカは馬鹿だ

これも

私が言ったのではありません


そういうことを考えていたので

仕事が遅れているのであって

怠けていたのではないと言う分だけ気が楽になりました

ガラスの外から


不思議の国日本

と言うような本が随分昔にあったように思う

私はそれを買いもしなかったし

読みもしなかった


だから


どこの誰が書いたのかも知らない

なら何も言えない様なものだけど

日本と言う国を不思議だと言われる事に

何と無く快感めいた物感じる風潮があった様に感じた


外国の事を海外と言う国が他に在るのか無いのかよく知らないけれど

海に囲まれた国で生まれるであろう表現で

良くないとは思わない


地上に国境のある所を上空から見たところで

勿論地図に書かれている様な線は存在しない

それでも

地上に降りて国境を越えるというのは

ある手続きを要する

見えない壁のためにハンコをついたり

なにやら書いたりもする


見えない壁の向こうはルールが違うし

生活も違う


見えない壁は

いろいろな物を食い止めるのに役立ち

情報さえ食い止める


情報化社会の先進国だとて例外は無く

先進国はかえって

情報を食い止める方法を持っている

先進国は常に見られる側に立つ事が多く

アジアにいる限り

日本、韓国、などのトピックスが幾らでも現地の新聞に

取り上げられる


そんな中で気になって仕方が無いぞと思ったニュースは

子供たちの自殺が頻繁に起こり始めた事だった

その数があまりに多く

日本の子供たちに何が起こっているのか

聞かれても

私は随分日本に居ないから良くは分からない


いま自らの意思で蚊帳の外にいる私が

日本にいる子供たちを

気にしだしていた


そうこうする内に

今度は無差別殺人の連鎖


それだけ聞いた人にとって

不思議の国は

今度は

いつ何処で何が起こるか判らない危険な国として映り始めている

多くの人が

個人のブログから日本を良くしたいと提言をしている

個人に訴えるのもあれば

国に対する提言もある


平和な国で起きている異常な事件として見るには

異常に多い無差別殺人


誰でも良かったと言うのが本当に犯人の口から出た言葉ならば

甚だ危険で

とても平和だとは言えない

今の日本での事件は 

その発生地域が特定出来ないと言うい特長を持っている

日本中満遍なく

何と無く

危険を孕んでいると言う事だ


良くする前に平和にしなくてはいけない

平和なら即ち良いという訳ではないのだから

平和が前提に在って

更に良くなくてはいけないのだろうと思う

良くしようと言う表現は

即ち安全な平和な社会という事だと理解していいのだけれど

社会が平和じゃないという言い方を私は好むのです


日本は何時でも見られています


国際社会に対して

核の無い世界を作ろう

そう言っている国の人が


個人による

目的のハッキリとしないテロルが横行している社会を作り出してしまった事が


矢張り

不思議の国日本

という評価を

存続させようとしているように思うのです



ジョンレノンが

いま歌っていて


ビートルズ世代と言われる人たちが


良くわからないけれど


私よりも先輩で


私なんかは

モンキーズでよくて

ヘッズ

なんていうアルバムが好きで

アメリカンで


それでも


ピータートークの

キャラとか

マイクネスミスとファーストナショナルバンドとか

どうも染み付いていて

所詮はテレビかなとも思うけど




音楽と言うか

歌と言うか

そういうものが

時間を固定することは確かで


ポールマッカートーもいいけど

やっぱりジョンレノンで


時間だけじゃなくて



あれ以来

止まったものを

動かしそうで

だからジョンレノンで



大人になってやっと分かった


かどうかはまだ分からない


居候していた家のお母さんが言ってたな

プロテストしない若者なんてアメリカ人じゃない

安比留先生へ

安比留先生へ


一週間に一度しか会わないので

何時でも学校に来ているのだろうかと思ったものです


先生の授業では

みんな寝ていましたね


何が詰まらないのか判らないほど面白かったです


それで


試験の時には

出題が少なくて


裏も使ってよし


そう書いてあったのか無かったのかもう覚えていませんが

藁半紙の追加まで用意していましたね


ビッチリと書き込んだものです

何が何でも98点だった安比留先生


先輩は

あの先生の98点は

100点だと言っていました


100点が欲しかったのではありません

面白かったのです






































寺島先生へ

私は理科が好きでしたが

科学ではなく

生物が好きでした


先生がどんなに面白く授業をしても

生き物の方が好きでした


理科の試験は

第一分野と第二分野では

その出来は雲泥の差でした


加藤先生は第二分野の先生で

いつも食べこぼしや

汚い手を拭って薄汚れた白衣をだらしなく靡かせた

汚い先生でした


寺島先生は

私は

覚えています


糊の利いた真っ白は白衣で

おっかない顔で

ニコニコしていました


運悪く先生は

私が3年の時に担任でした


進学の件で味方してくれたのは

寺島先生だけでした


今でもあの時のままで居られるのはそのためです







































































須藤先生へ

一番のお婆ちゃん先生でしたね

プロレスが大好きで


力道山の活躍を

みんなに聞かせていましたね


血の流れる様子を掌でおでこから

首筋まで

ゆっくりとなぞりながら


あまりに怖くて

真似すら出来ませんでした


園舎の向かいにあった

園延先生の家が

火事で


凄くお爺さんだった延長先生はなくなりました


その時にとても怖かったのは

先に火のついた

線香でした


渡辺先生も泣いていました

一番背が高いのに

 












鈴木先生へ

やれば出来るのよ

そういって励まされたものです

鈴木先生

私は覚えています


その時

私は自分が出来ることに夢中でした

先生が私を励ましたのは

先生がさせたい事を私にして欲しかったのですね


今なら解ります


でも


その時私は


ただの6歳で

やりたいことが沢山あったのです