時間
それでは明後日午後二時にいきます
ではその時に
電話を切る
二日後
二時には来ない
三時に来た
おっ
早いなと思う
雨が降るともっと遅くて
夕方来る
えっ
来たのか!
と思う
コウ言うのがタイ時間であって
それが
普通な頃はそれも含めて全てを決めるので特に困らなかった
なんとイイカゲンな話だ
なんて言っても始まらない
ある雨季に
打ち合わせ当日スコールが過ぎた
今日は打ち合わせに来ないと決め込んで
安心して他の事をした
勿論来ない
それでいいのだ
道路は川の様になっている筈だし
相手は車で来る
次の日も来ない
その次もその次も来なかった
そして
4日が過ぎた
突然ひょっこりと来た
半分忘れていた事を気付かれない様に
どーしたの約束したのにー
と言ってみる
御免なさい
雨が降ったので遅れました
腹筋が攣りそうになる位大笑いしたら
打ち合わせは何だっけと言う事になった
相手は覚えていたので
そ~だそ~だと言う事になって
何やら話して全てがうまく進行して
無事に完了となった
のです
懐かしのタイ時間は
モノレールで無くなり
最近では
それに駆け込むタイの人が居り
どーせ5分もしないで次が来るのに
変わったな~
時間
そう思うのです
良い事なのか良かった事なのか
判らない
がんばっていきましょう
外交は裏取引だと思っているのです
表立って国民に見せびらかす様なものではない
が
一定の時間が経過した時には
その効果が見えなくてはいけないし
見せられる部分は見せなくてはいけないと思う
マスコミが
来日した某国のTOPを
日本のTOPが
ニコニコ迎えて何も懲らしめずに
いい加減な事で誤魔化したなどと言うと
そ~だそーだなんだアイツ~
へな猪口外交しやがって
と
そんな気になる
改造された内閣に期待する事
評価出来る人事
なんだか変だ
気運は高まった
らしいが
表から見ると
変な事はじめなけりゃいいな
頓珍漢だよな
という感じがすごくする
まあまあそう言わずに
ね
兎に角さ
ほら
って言う事ではなくて
国内の支持率だけ確保したいのか
それと同時に外交上もまんまと成功して
高ぶっちゃった国民の意向に答えるだけの状態をも
創りたいのか
国民の目線で政治家遣るなら政治家いらなく成らないのかな
級長じゃないんだから
今までは黙っていたけど
これ以後は言わせて貰うし
妥協はしませんなんて云う外交が成立する訳が無い
始まってもいけない
只の喧嘩だよ
自分勝手な
そういうの好きなんだよ
お茶の間が
キナクサイ
PUB
本当のところどう思っているんだろうかな
と思う事がある
日本の政治とか外交とか
そういう事に対する意見はどこにでもあって
いいですね~
成る程こうでなくてはいけませんな~
なんていう人にはあった事が無い
聞いた事も無い
駄目だよね~
解ってないよね~
歯痒いよね~
無能だよな~
というのが普通なのであって
色々と解り
どうすれば良いか解っており
今のどこがいけないかを痛感している人達が
たまの日曜日
きっと何かを考えた末に選んだ自分たちの代表が
駄目をヤラカシテいるので
良くない良くないと言い続けているのですね
白い手袋で
お願いしますでぺこぺこしていたのが
センセーになると
もう駄目で
道路か箱物作って貰って
にやにやして
後で判る事と言えば
タイシテ良い話ではなくて
何だいい思いしてたのはあんたか
なんて事になって
それでも地元じゃセンセーだから
ぜんぜん面の皮厚くて
こう言うの
外国にも流れる
情報が
だから恥ずかしい
笑い者ですよ
カラカワレテモ一緒に笑って御仕舞いだけど
何の興味が無いのに
次のお前の国の首相は誰だ
そう聞かれれば
まるで予想屋のように大当たり
興味があったのか
今度の人は一体何をすると思う
興味なんか無いよ
並んで待ってんだ
割り込まなけりゃ次はこの人だ
何するのかって
アメリカに聞いてよ
別に真剣じゃないんだからさ
ワハハハハ
俺の国もそんなだ
なに考えてんだ
何と無くつまらない事
夕方以後バンコックの道路は戦場のごとき騒ぎになる
5時になると一斉にオフィスから
帰路に着く人の車で埋まる道路は
信号機を当てにせずに
それぞれの交差点では
警察官に依る手信号に代わる.
これは勿論運転者が信号など守らないからであり
ほって置くと
四方から楔状に刺さってきた車が交差点を
埋めてしまうのを防ぐのに役立っている
手信号で整理する為に警察官は
無線機を使ってその先の状況に合わせて
自分の交差点をコントロールする
つまり
その先の状況がよく無ければ
その方向へは
暫く行けない
5分、10分、15分、30分
よくある事だ
ヒタスラ待つ
バイクは車の隙間を縫って
いつの間にか横断歩道を埋めてしまって
隙を伺っている
何故かこう言う時タイの人は気は合う
いまだ!
と思うと一斉に交差点に突っ込んで行って
警察官はそれをヨケル
いちいち捕まえようとしたら
50人や100人の警察官が必要になると思う
そのときに留め置かれた車の中に居れば
バイクいいな~
と思う
それで
バイクに乗り変えた
一瞬の隙を見逃さない為に神経を研ぎ澄ます
ハンドルが絡まるほどに詰まったまま
スタートするロードレースみたいで
のんびりしていると
後ろでバイクが絡みそうで
こっちも一気にアクセルを開ける
交差点を越えると同時にバイクは
その先の渋滞している車の隙間に溶けるように
消えなくてはいけない
高等技術だ
次の交差点で
ポールポジションを取る為に
私はポールはいらなかったけど
バイクの方が便利な事は確かだ
それも疲れたのでバイクを止した
以後夕方
街にいたら移動を諦めて
飲んで時間を潰す事にしていたのに
電車や地下鉄が出来てしまったのだ
恐るべき故に素晴らしき子供たち
人は生まれたその時は
全く何の知識も無く
しかもその状態は一瞬でしかなく
それ以後はひたすら家族や取り巻く環境によって
コントロールされてしまう
その家の子が
その家の子らしくなるのは
その親と時間を過ごして来たからであって
それ以外に何も無い
と思っているのです
若年者の起こす異常な事件が頻発するのは
そういう環境が
そこにあるからだ
そう言い換えてもいいと思う
なぜ簡単に人を殺す?
簡単に人を殺すという事を学んだからですよ
そんな事を教えた覚えは無いぞ
いいえ教わりました
繰り返し繰り返し
なぜいじめに走る
いじめる事を教わったからですよ
一体誰がそんな事を教えるものかね
いいえキチンと教わりましたよ
お父さんもお母さんも学校の先生も
そんな事を教えてきた覚えはありませんよ
貴方たち大人は何も見ていませんね
大人たちの目は何を見ているの
それで何をしているの
何を僕らにくれているの
僕らの目はもっと真っ直ぐです
目もつぶりません
見えてしまう物が身に付いてしまいます
知らぬ振りをして
大人の生活が出来るなら
それはもう子供ではない
子供が笑う顔と大人が笑う顔とは違う
子供の目には
篩いにかける仕掛けが無い
なんでもない
バンコックの街を
ほぼ真っ直ぐに貫く道がある
チャオプラヤー川のバンラックからドンムアン空港
以前の玄関口だ
を繋ぐ
一度ディンデ-ンという所でクランクするが
昔は
川辺から飛行場までのルートとしては
一番近かった
昔というのはベトナム戦争が始まった頃で
ドンムアン空港は
軍隊と民間と一緒に使っていた
今もだ
アメリカは
今の北方の勢力と対抗していたのであって
近くに基地がいる
補給や交代の為に
バンコック楽宮ホテル
という小説がある
中央駅の脇の運河の対岸にある宿屋から
始まる話だ
その中に出てくる女の子が
シーロム通りの夜にデビューする
シーロムは
田圃の中を貫く新しい道として作られた街道だ
歓楽街が作られた
兵隊の為に
アメリカは
国民の支持を得ずに
ディアハンター達を残し
日本人が街を受け継いだ
その頃が「楽宮ホテル」の頃だと思う
シーロム通りがあるのは
パッポン一族の土地だ
かれこれ20年ほど前だかに
タニヤという路地が開発された
パッポンの隣に
日本人の下品ご用達で有名だ
そんな事なんかはどうでもいい
パッポン一家は今でもいるし
あった限りではそう悪い人でもない
それもどうでもいい
ベトナム戦争当時から今までの歴史を書いたキチンとした
パッポン
という本が英字ではある
田圃の頃から
ずっと写真でとってある
その頃から今もあるバーで
10年以上前に
アメリカ人のおじいさんに会った
それだけだ
はじまり
最初に飼ったというのか
どうか
近親間を持った生き物はキリギリスだった
最初の記憶はほぼ無いのだが
ある秋頃に
どこかで見つけて家に持って来た
当時犬は怖かったし
まだ猫も飼っていなかった
虫籠を持っていた訳ではないので
枕元に
そっとおいて寝て朝になっても其処に居た
どこに行く用事のある年でもないので
一日中遊んで居れば良かった
5歳になっていなかった筈だ
キュウリや
ナスや
欠片にとめて
いつまでも逃げもしなかった
一緒に遊んでいたのは
近所に幾らでも居る
同じ様な年の子で
服にキリギリスを付けていたのは
私だけだった
走ってもかくれんぼをしていても
いつまでも居た
だから虫籠はいらなかった
おい
そんな茶色で
羽がぼろぼろじゃないか
死んじゃうぞ
何の事だか解らなかったけど
もう服にはとまれなくて
............。
お墓作ってやる
やっチャンが言って
次の日
やっちゃんとしんじと
やっちゃんちの小さな池の向こう側に
小さな穴を掘って
キリギリスがいなくなった
やっとの事で
この国へ来て
最初に事務所に入ってきたタイの若いデザイナーと
仕事が終わった後に
すぐ近くにあった
シーフードの屋台へ行ったものでした
タイの街に海鮮屋台が出始めた頃で
我々は
地中海料理のお店
という事にして気取っていたのです
コノ二十歳そこそこにデザイナーは
どこか変わっていたので
こいつは良いと思い
何でもかんでも仕事したし遊びもしていたのです
ところがこれが真面目な部分も持ち合わせていて
テレコに出るので
ヤラカカッタリ硬かったりなのです
いつもノンベンダラリト忙しい訳ではなく
暇になる事もある訳で
事務所を出て
フラフラしよう
そうして見て歩く事も仕事のうちだし
最初の内は良かったが
そのうちに彼は真面目モードに入ってしまい
一緒に遊んでくれなくなった
これではいけないと思い
アル夜
地中海料理に誘った
湯通しした赤貝の山積みを前に
ドンドンとビールが空いて
いい調子になってきたが
仕事中に事務所を出て行くのは気が引けるし
良くないのではないか
と言い出した
そんな事は無いぞヨ
デザインという仕事はとても神経を使う真面目な仕事だけれど
だからその分
仕事を遊びと考えよ
遊びならば飽きずに没頭できるし
プロジェクトは飽きるほど長い
遊びにすれば
そう簡単に転職しようなんて思いもしないのだ
お前は仕事を遊んでいるか
仕事を遊ぶなんて
出来ない
僕は真面目に仕事したい
酔ってか真面目かどうかは定かではないけれど
この提案はその時キッパリト拒否されてしまった
変わり者でもあり真面目でもある彼は
もう一度学校へ通う事にして
不真面目な私と数年連絡を絶ったが
再度就職という事になって
当時私が居た
別のデザイン会社に顔を見せた
今度こそ遊ばせてやるぞと思い
トップのカナダの人に彼を大変に売り込んだ
彼は元々変な真面目と私を知っていたし
ならば
という事で
就職に成功し
反対に私は仕事を止めて
好きな事に没頭し始めた
この間
36歳になった変な真面目が結婚した
仕事を遊ぶ様になった
そう言った
ザマア見ろ
そう答えた
彼は今
彼方此方の国の
途轍もない規模の遊園地や
ショッピングモールや
ホテルのデザインチームの
1つを仕切って
後輩たちと仕事を遊んでいる
なるほど
風潮と言う物に乗るのが上手でない私は
何かが起こりだすと
ひょいと一歩遠のいて眺める癖があるのです
何も風潮だの常識だのと大袈裟な事ではなくても
幼稚園に通っていた頃から
一歩遠退いたところでボーっとする傾向はあったのです
側に寄らないのではなく 一緒に混ざっていながら
今ここに自分が居ないとして
とか
みんな何してんだろうとか 自分は透明人間だ
とか
そういう事を考えるボーっとした子供で
脳味噌がどこか他のところに在ったので
先生は困った事でしょう
日本で
割り箸が
環境破壊にイチヤクかっているので
自分の箸を持っていると
何かいい事の様になってきだした頃
へ~えそうなのかと思いながら
道路わきの屋台で排気ガスを吸いながら
使い回しの
竹の
幾ら洗ったところで綺麗になんか見えない箸で
バミーを食べながら
こんな 黒くスープが染込んだ先が減るほど使い回した箸で
ラーメン食べる勇気は無いんだろうから
割り箸も
随分と使うんだろうな
と
この時は素直に考えてしまった
もっと良く知っていれば そう思ってはいけなかった
らしい
今日本は
割り箸を中国から買っている
全部とは思わないけど
随分だろうと思う
これやめて
日本の割り箸にすると
日本の森林は生き返る
知る限りでいえば
林業ほど気長な仕事は無い
人が一度手を入れた山はほっておくわけには行かない
下草を刈ったり、ある程度育ったらわざわざ
それまで手入れして来たものの中から
残す木を選んで
他を倒す
間伐材だ
その倒された木は
今売れないから林業がやり辛い
やり辛いから
山が死んでいく
山を手入れすると間伐材が出る
これで箸を作っていたのに
ドッカに頼むと
箸の為に木を倒すと言うトンチキをやらかす
ドッかに頼んだのは
割り箸を使う人じゃなくて
売る人だ
だから
知ってんだ
何にもいい事無いけど安く買って
ドンドン売ればいい事を
ん
あぁなんだ
ドッカから買ってきた割り箸を無くす為に
自分の箸を持っているのだと考えれば 変じゃないのか
でもそうすると
山も林業も死ぬな
山死ぬと川死ぬな
社会で習ったぞ
日本の約8割は山だって 確かに
ダトスルト
教室の中にあったのか
脳味噌が