嵐の5人と大野智さん、テレビドラマ「魔王」の成瀬領のことが大好きなブログ主が、小説と日常、読書感想などを綴っております。
夜空への手紙〜Hit the floor外伝〜特別編④京都の夜・3午後11ごろ、京都駅近くのホテルのシングルルームで、一人黙々と資格試験の勉強に励んでいた相葉のスマートフォンに、香織からメッセージが届いた。" お疲れ様、相葉さん。お休みになられてたらごめんなさい。大野の携帯電話が全く繋がらないんだけど、飲みつぶれて迷惑かけてないかしら…心配になって。"相葉は隣の大野のシングルルームを確認しようと、急いでその扉をノックしに行った。返答はなく、自分の部屋の電話から大野の部屋の電話へもかけてみたが、それにも返答はなかった。相葉はすぐに、大野はミナミのところからまだ戻ってきていないのだと察した。「…まいったなぁ。帰ってくるよね、大野さん、、、まさかだよね、まさかまさか!」そう独り言を言いながら、相葉は香織へ返信を送った。" 展望風呂に行ってます。飲みつぶれてませんから、安心して下さい。"相葉は大野がホテルへ戻ることを信じて、自分も展望風呂を堪能した後、午前0時には眠りについた。しかし、翌朝、朝食のバイキングの場でも、チェックアウトの時間のロビーでも、大野と顔を合わせることはなかった。午前11時ごろの東京行きの復路の新幹線は、大野と隣合わせで指定席を取っていたため、相葉は一人で京都駅の新幹線のホームで、ギリギリまで大野がやって来るのを待つことにした。・・前の晩、ミナミの店ー「…和服の女性を抱きしめるなんて、初めてです。」ミナミが泣き止んだのを見計らい、大野が言った。「、、、ふふっ、本当?でも、驚いた。さっきの息子との話、全部聞いてたんでしょ?」ミナミがそっと、大野の腕の中で顔を上げ、涙の伝った跡でいっぱいの頬を赤くして笑った。「すみません、盗み聞きしちゃって、、、」大野は右手の指で、ミナミの頬にまだ残る涙を優しく拭った。見つめ合った瞬間、ミナミの方から、唇は大野の唇へ重ねられ、大野もそれに、自然に応えた。飲み直したいというミナミの希望で、二人が店を出て向かったのは、ミナミが京都で借りている自宅のマンションだった。・・相葉が乗車予定の車両へ乗り込み、荷物を座席の上の棚へ置こうとしていた時、はぁはぁと息を切らしながら、大野が滑り込んできた。「…うっわ、ビックリした、、、大野さん…」そう言いながら相葉は振り返り、ふっと大野の全身から香ってきた匂いに気がつき、表情を曇らせた。「そんないい匂い、ホテルの展望風呂のどこからも、香ってきませんでしたけど。」息が整うまで、座席に深く座って体をうずくまらせていた大野が、ようやく言葉を発した。「…どんな…匂い?朝から風呂…借りたから。」相葉は買っていた缶ビールの封を開け、大野に手渡しながら答えた。「、、、薔薇っすね。ローズ、ダマスクローズってやつ。」その相葉の表情は冷ややかだ。大野はビールをごくごくと半分ほど飲んで、それに答えた。「相葉も、そんな怖い顔、出来るんだな…。…何、考えてる?おまえの推理、話してくれ…。」大野のその言葉に、相葉が話し始めた。「…推理も何も、、、俺、わかってはいましたけと、ミナミさんとの…二人の空気みたいなものは。…何回目なんすか、ミナミさんと。」「、、、何回もないよ。初めてだよ。」「…ほらぁ、ひっかかった!こんな簡単な誘導尋問にひっかかるような人が、、、何してんすか!ゆうべ、香織さんに俺、嘘ついたんですよ!?不倫のアリバイ工作の片棒担がせるなんて、勘弁して下さいよ!!」相葉が静かな声でも激しい口調で大野へ言った。大野は高速で流れていく車窓の景色をぼんやりと眺めながらぼそっと呟いた。「そうなるしか、ほか…なかった。」車両の走行音だけが、大野と相葉の間に静かに流れている。相葉が口を開いた。「…俺、大野さんのことも、ミナミさんのことも、好きです、尊敬してます!でも…それ以上に香織さんとマリちゃんのことが好きなんで!香織さんとマリちゃんのために、嘘はつき通します!だからもう、これ以上ミナミさんとは、、、」そう相葉が言い終わるのを待たずに、大野が被せ気味に言った。「…ない。もう、二度と会うこともない。すまん、相葉。ありがとう。…あんま寝てないから、寝る。」大野は脱いだコートを頭から被り、動かなくなった。" 二度と会うこともない "という大野の言葉に、間違いはないだろうと相葉は感じた。ミナミとは自分も含め、会社のスタッフ全員が、数年にわたる付き合いなのだ。家庭を持つ身でありながら、そんなミナミと関係を持ち続けられらほど、大野が不誠実な人間ではないことくらいわかる。大野は一度きりの夜を過ごすことと引き換えに、ミナミという最高の仕事仲間を失ったのだ。そのことは、相葉も同じなのだ。そんなことを考えながら、相葉が勉強のためにテキストを開くと、隣の大野がコートを被ったまま、相葉へ再度こう言ってきた。「…本当に、ごめん、相葉。」それはアリバイ工作がどうのという事に対してではなく、相葉にとっても良き仕事仲間であり友人であったミナミを失わせたことへの謝罪であるに違いなかった。大野は眠ってなどいなかった。昨夜ミナミを抱いたことは、大野の中では全てを最後にするための覚悟があったためか、それをミナミからも感じ取っていたためか、不思議なほど流れは自然で、ためらいすらなかった。しかし、ミナミが幼い我が子をおいて家を出た理由を聞いて、妻の香織への思いでいっぱいになり、今、一度でも香織を裏切る行為をしてしまったことに、自責と後悔の念が、体中を駆け巡っていたのだ。(つづく)
夜空への手紙〜Hit the floor外伝〜特別編③京都の夜・2大野の視線の先には少年の後ろ姿越しに、ミナミの顔があった。少年が話を続けている。「お母さんが出てったんは、お父さんが恋人こさえたからやて、僕ちゃんとわかってたよ。でも、その人な、僕が小学校に入った時からウチにおんねん。ヨウコさんいうんやけどな。」少年が父親の不倫相手の名前を口にした時、ミナミがつぶやいた。「…知ってるわ。」大野が初めて聞く、ミナミの関西弁だ。少年はまた、話を続けた。「最初は嫌やったで。知らん女の人がウチにおるんは。僕な、お母さんが作る卵焼き、食べたなってな、ヨウコさんに言うてん。お母さんと同じ味のもん、作ってやって。卵焼きだけじゃないで。カレーライスもや。熱出した時の雑炊も、全部、全部や。ヨウコさん、何回も何回も作り直してた。…そうや、熱出した時、布団で吐いてもうた時も、ヨウコさんがおった。そばにおった。学校の行事に顔出すんはお父さんやったけど、なんやようわからん家庭科の縫いもんの宿題とか、教えてくれたんもヨウコさんやった。」少年は早口で話しながらも、その声を震わせていた。「……誕生日はケーキ焼いてくれんねん。僕にだけやない、お父さんにもや。ほんでな、、、言うねん。いっつも言うねん。ありがとう、ありがとうて。好きやで、大好きやでって、、、、そんなんで、もう8年や。籍も入れんと、自分の生活費はパートで働いて。それがようやくや。こん前僕に聞いてきた。お父さんと結婚してもええ?って。親権、争ってんのも、つい最近…お父さんに聞いたわ。おまえの好きにせぇって言われた。お母さんを選ぶんなら、それでええて。でもな、でも、、、お母さんて、、、お母さんて誰のことやねん。僕のお母さんて、誰なんやて、わからんようになってもて、、、」少年がうつむき、こらえていた涙を流し始めた。「生んでくれたお母さんがお母さんなん?せやったら簡単や。でも……違う、違ったんや。僕もう、ここ何年も、、、呼んでんねや。ヨウコさんを、、、お母さん、て。」少年の最後の言葉を聞いたミナミが、ゆっくり目を閉じ、深呼吸をするように息を整えた。和服の重ね襟の辺りに手をやり、ゴクッと唾を飲み込んだように見えた。そしてまぶたを開け、少年をじっと見つめてゆっくりと言った。「…わかった。ようわかった。ごめんな…ツライ思いさせて…。ほら、もう10時になるわ。タクシー呼ぶから、家に帰り。」ミナミが少年に帰るよう促した。少年はまだ泣きながら何かを伝えようとしている。「、、、お母さん、僕がヨウコさん選んだことになんの?したらもう、お母さんには会われへんの?これまでかて、会うの難しかったやんか。これでもう、もう…一生会われへんの!?…それも嫌や、そんなん寂しすぎる、、、」少年のその言葉に、ミナミは笑いながら答えた。「…アホやなぁ。一生会えへんことなんてあるか。お父さんともよう話し合うて、いつでも会えるように約束してもらうよ。心配せんと、ほら、明日学校やろ。」少年が泣き止むと、近くに父親が車を停めて待っているような内容のことをミナミへ告げて、走って店を出て行ってしまった。大野は入り口の会計カウンターの下に身をひそめていた。ミナミと息子の会話の全てを聞いてしまい、今、ミナミがどんな思いでいるかを想像した大野に、その場を立ち去るという選択肢はなかった。カウンターから出て、足音を立てながらまっすぐ店内へと進んだ。それに気づいて驚くミナミが言葉を発しようとするのも待たずに、大野はミナミの体を自分の胸に引き寄せ、そっと抱きしめた。ミナミは数秒、起きていることを理解できなかったが、そのうちに肩を震わせ始め、大野の腕の中で幾筋も涙を流し続けた。(つづく)
夜空への手紙〜Hit the floor外伝〜特別編②京都の夜・1相葉と花音の結婚披露パーティーよりおよそ3年前、、、、二宮から忠告を受け、また、絵画教室での活動をセーブしていた香織との順調な夫婦生活を送っていた大野は、ミナミへの連絡を控え、京都での仕事も相葉へ任せるようになっていた。しかし、頭の片隅ではミナミのことを気にする毎日であった。ミナミは盗作レシピの裁判に負け、評判の落ちた店舗を閉鎖するという、終わりばかりを見つめる、疲労感でいっぱいの日々を過ごしていた。希望といえばもう、故郷である京都での出店と、15歳になろうとしている一人息子の親権を元夫から取り戻し、一緒に暮らすこと、ただそれだけになっていた。時々、大野の柔らかな笑顔を夢に見て、胸が締め付けられるように目覚める朝もあった。少し前、相葉が自分の経営する店に連れてきていた大野の妻の、生き生きと若々しい姿を目の当たりにしてからというもの、ミナミも大野と同様に、大野への連絡を控えるようになっていた。そんな幾月かが過ぎ、やがてミナミの京都の店が開店の時を迎えた。大野の元へはミナミから、プレオープンの食事会の招待状が届いた。中には往復の新幹線と、一泊分のホテルのチケットが2名分入っていた。この時ばかりは相葉一人を向かわせる訳にもいかず、大野は相葉と二人、ミナミの店の開店を祝うため、京都へと向かった。「わ、、、ミナミさん和服ですよ大野さん!あれもう銀座のママでも全然いける雰囲気っすね。」祝儀の生花スタンドが並ぶ店の入り口に、ミナミが華やかな訪問着姿で招待客を出迎えていた。久しぶりに顔を合わせた大野とミナミであったが、差し障りのない挨拶と二言三言の会話を交わすだけにとどまった。招待客は他に施工業者の人物や、同じ木屋町で飲食店を経営する人物、中にはミナミの同級生などの姿が見られ、食事会は賑やかにつつがなく進行されていった。そんな時間の中でも、大野とミナミは話こそしなかったものの、何度視線を合わせたかわからなかった。食事会が終了したのは夜九時頃。大野は相葉とのツーショット写真を店内で撮影し、香織へ送った。" これからホテルへ戻って相葉と飲みなおすよ"というメッセージと共に。ミナミの店を出たのは大野と相葉が最後だった。その瞬間まで、大野は香織へ送ったメッセージの通りにしようと考えていたのだ。しかし、店を出て少し歩いたところで、首に巻いていたはずのマフラーを、ミナミの店に忘れてきたことに気がついた。「あ、悪い相葉、マフラー忘れてきた!あれ、香織からクリスマスに貰ったばっかなの。取りに戻るわ。」二人の前にはちょうどタクシーが停車したところだった。「…じゃあ、俺、先にホテル戻りますね。資格試験の勉強したいんで。」相葉は福祉住環境コーディネーターの資格試験が目の前に迫っていたのだ。「そっか、、、じゃあ飲みなおしも出来ないか。俺もすぐ戻るよ。あのホテル、デカい展望風呂あったよね。あれ入りたい。」そう言って、大野は一人でミナミの店へと戻った。大野が店の入り口に立ち、そっとドアを開けたところに、さっきの食事会では聞かなかった、少年の声が耳へ入ってきた。「…お母さん。」そう言う少年の声が聞こえた途端、大野は中へと入っていく足を止めた。その少年がミナミの一人息子だろうと察したからである。その場を立ち去ろうとした時、少年がミナミへ話し始めた言葉に、大野は動けなくなってしまった。「僕にはお母さんを選べへんねん。そんなん出来ひん。…だって、だって、、、」(つづく)
前記事★お知らせ★をご一読の上、お進み下さいますよう、お願い申し上げます。あぼんヌ夜空への手紙〜Hit the floor外伝〜特別編①3年後、結婚披露パーティーにて都心のターミナル駅からすぐのビルにあるレストランが、相葉と広瀬花音の結婚披露パーティーの会場であった。親族のみが参列した挙式は、隣接したチャペルで行われた。レストランにある大きな窓からは、東京タワーをのぞむ景色が、澄んだ秋の青空と共に広がっていた。レストラン室内の壁はレンガのタイルであしらわれており、都会のビルの中に居ることを忘れさせるようにカジュアルダウンした空間を作り出している。オフホワイトの革張りのソファーや椅子はシンプルではあるが、そのどれもが、インテリアデザインを手掛けた大野と相葉のこだわりの一品である。窓からはテラスへ出ることができ、そこでは相葉や花音の親族の子供たち数人に混ざって、二宮と美麗の子供が遊んでいた。その様子を、窓際に立って眺めているのは大野である。大野は近くのソファーに座っていた二宮へ話しかけた。「大きくなったよね。子供、もう3歳だっけ?男の子って、大変だよね。」大野の視線の先では、テラスに出て子供たちと一緒に遊ぶ、娘のマリの姿もあった。「マリちゃんは…来年二十歳だろ?ますますかおちゃんに似てきたな。彼氏は? 家に連れてきたりすんの?…同じ美大の男なら、やめといた方がいい。大抵が変態だ。な、大野、おまえと同じ、エロいやつば〜っか。」二宮の言葉に大野が不機嫌な表情を見せた。二宮は傍の杖を手にとり、やっとの思いでち上がり、自らも大野の隣へ並ぼうと、数歩、ゆっくりと歩みを進めた。それに気づいた美麗が、会食の手を止め、テーブルから離れて、急いで二宮の元へと駆け寄った。「和兄、無理しないで。ね、つかまって、、、」二宮は自分の腕に添えられた美麗の手をそっと振りほどいた。「…いつまで自分の夫のこと、和兄なんて呼ぶんだよ。」そんな二人を見て、大野が美麗へ言った。「大丈夫だよ、藤谷さん。俺がついてるから、料理、食べておいで。二宮、だいぶ足、動くようになったよなぁ。」それを受けて二宮が言った。片足は引きずり気味だ。「美麗は藤谷じゃねぇよ。二宮だよ、、、」ほんの数メートルを、ゆっくりゆっくりと進み、ようやく大野と並んだ。大野が二宮の腕をぐっと持ち上げ、その体を支えて、にっこりと笑った。レストランには、相葉に招かれた櫻井、光浦、風間、小瀧、岡本の姿があった。他にも、花音の勤務先である設計事務所の同僚などの顔が見られた。もちろん、今日の主役である相葉と花音が、タキシードとウエディングドレス姿で新郎新婦の席に座っていた。「やっぱりここでよかったね、まぁくん。バリアフリーだし、要所要所に手すりも付けたのに、まぁくんと大野さんの素敵なデザインで、レストランにとてもおしゃれにマッチしてて、違和感がないもの。母も車椅子で不安がってたけど、見て…すっごく楽しそうに笑ってる。」「花音のアドバイスと設計のおかげだよ、このレストランがウエディング会場として選ばれるようになったのは。俺も、福祉住環境コーディネーターの知識、もっと仕事に活かせるように頑張んなきゃだなぁ。まずは、二宮さんが南房総に建てる別荘のコーディネート! 頼まれたからには最高のものにする!」「そうね。二宮さんもまだしばらくは、車椅子が欠かせないみたいだもんね…」「うん、、、、」テラスから、爽やかな秋の風が、レストラン全体へと流れていく。招待客は80名程度の、こじんまりとしたアットホームな結婚披露パーティーである。しかし、その場所に、本来なら居るはずの、大野の妻である香織の姿はなかった。(つづく)
連載途中の小説をお読み頂いていた皆さまへのお知らせです。今年中に、連載途中の「夜空への手紙〜Hit the floor外伝〜」を終わらせたいと、頭を巡らせていますが、私の体調、目の調子が芳しくなく、なかなか手をつけられずにおりました。いつも iPhoneでちまちま書いているのですが、Amebaブログのアプリの標準文字サイズ→標準文字サイズだと、とても疲れてしまうため、読者の皆さまには読みづらいかと思いますが、この文章の大きめの文字サイズで、急ではありますが、連載の形を変え、「夜空への手紙〜Hit the floor外伝〜特別編」を更新していき、最終回を目指したいと思っております。これまでのストーリー(#65まで)の続きを詳細に書き進める時間と労力がなく、このような形を取らせて頂くことになりますが、楽しみに待っていて下さった読者の皆さまのお気持ちは裏切らないよう、頑張りたいと思います。どうか寛大なお気持ちでお付き合い下さい。実に2019年5月以来の執筆となります。そんなに書いていなかったとは💦では、次の更新より、早速始めたいと思います。よろしくお願い致します!あぼんヌ
#65 夜空への手紙〜Hit the floor外伝〜「オーナー、相葉さんがいらっしゃってますよ。初めて見かける、同年代の女性をお連れになって。」カフェの男性店長が、厨房より奥の従業員控え室へと入っていき、オーナーのミナミへそう声をかけた。「あら、後でご挨拶へ伺うわ。、、、先月のチェック終わりました。ここは夜のフレンチが主力だし、これまでのレシピのパンケーキが出せなくなっても大丈夫かな。」「…やはり、問題は若年層のお客様が多い渋谷の店舗ですか?」「そうね。あとは、埼玉、千葉の店舗も、売りはパンケーキだからね。閉鎖を検討してる。」「閉鎖、、、、、」「まさかあのレシピが丸々盗んできたものだったなんてね。」ミナミが机に広げたノートパソコンをパタリと閉じながら大きくため息をついた。「…商品開発室の室長、伊藤さん、でしたっけ。彼女、行方不明って本当ですか。」男性店長がミナミへそう尋ねた。「あぁ、今朝ね、ようやく連絡があった。ちゃんと生きててくれてたわ。そりゃそうよ、小さな子供二人も抱えて、シングルマザーで頑張ってきたの。そう、、、ちゃんと収入を得たければ結果を出しなさいって、ハッパかけた私も悪かった。だから伊藤さん、離婚して出てきたご主人の実家のパンケーキのレシピをそのまま、、、。」ミナミの話に驚いた表情を見せながら、男性店長は応えた。「そうだったんですか、、、関西の老舗カフェって、観光ガイドにも載るような有名店ですよね。彼女の義実家だったんですか、、、」「、、、、うん。まいったなぁ。」この間、日本料理の店で大野と二人きりで打ち合わせを行った時の柔らかな印象の髪型や服装を、大野に「いいですね」と褒められてから、ミナミは普段こうして仕事をする時も、以前のようなダークな色味でタイトなスーツを着ることも、濃いメイクをすることも減っていた。今日はゴールドの入った淡い黄色の女性らしいスーツを着ていた。スカートはタイトでも、裾に広がりのあるマーメイドラインだ。唇の色はコーラルといったナチュラルなメイクで、困ったように笑った顔を男性店長へ向けながら、ゆっくりと立ち上がった。盗作レシピの件と、自分の息子の親権を元夫と争ういう裁判を二つ抱えてはいても、今、心には僅かでも、暖かい光のようなものを携え続けていられるのは、ミナミの中に大野の存在があるからに他ならなかった。「…じゃあ、よろしくお願いしますね。私、相葉さんにご挨拶してから渋谷へ向かいます。車も待たせてるし。」ミナミは最後に男性店長へそう声をかけ、従業員控え室から厨房を通り、ランチどきで混雑している店内へと出て行った。端の方で立ち止まり、目線だけを四方八方に向けながら相葉の姿を探し、店内の中ほどの席で女性と向かい合い、楽しそうに笑顔で話している相葉を見つけた。女性の方の顔は後ろ姿のためわからなかったが、長めの髪を一つにまとめ、ルビー色の質の良さそうなオフタートルのニットを着ているその肩は、とても華奢だった。これまで相葉がこの場所へ連れてきた女性といえば、仕事仲間の藤谷美麗か、大野の娘の女子高生のマリ、その二人だけしか見たことのなかったミナミは、相葉と同年代という目の前のルビー色のニットの女性に、興味津々の眼差しを向け、無意識に全身をチェックし始めていた。「大野さん、夜、香織をまだ一人置いていくのは心配だって、だから急きょ水曜日、俺が京都へ行くことになったんですよ。あとは照明を入れて、店内の雰囲気とかをオーナーと確認する作業っていう、結構大事なところなんですけどね。」30分ほど寒い店の外に並び、ようやく暖かい店内で席につき、メニューを広げてランチを選んでいる相葉と香織である。端の方から向けられたミナミの視線に、相葉はまだ気付いていなかった。「…夜、なんだ、京都の仕事。私のことが心配?そんなこと言ったの、、、あの人。ふふっ、悪いと思ってるんでしょ、私が倒れた時、京都に行ってたんだもん。別に仕事なんだから、気にすることないのに。」香織が足元の荷物入れのカゴの中に無造作に押し込んでいたダウンのコートに、ミナミはふと視線を落とした。上質なダウンコートを作ることで有名なフランスの老舗ブランドのものだとわかり、思わず息を飲んだ。次に椅子の上にポンと置かれたバッグに目をやると、使い込まれたものではあるが、その目立たない飴色のレザーバッグも、さり気なくハイブランドだ。ミナミは何歩か歩いて、その女性の横顔の見える位置まで移動した。女同士というものはまず、着ているものや持ち物、顔、年齢といった外見を自分と比べ、勝ち負けの判断をしてしまう生き物である。この時点で、ミナミは少し身構えていた。すっと通った鼻と、とがった顎、素顔に近いほどの薄いメイクであるのに、透き通った肌、瞬きをするたびに、長いまつ毛が印象的に動き、時々、耳のピアスの小さなダイヤがキラキラと輝いているその横顔に、遠く、記憶があるような感覚がした。でも、その記憶と、目の前の女性とがなかなか一致せず、ミナミはまだ店の端の方で、相葉へ声をかけるのを躊躇っていた。その時、相葉の聴き慣れた高らかな笑い声と話し声が、ミナミの耳へと届いてきた。その中に、向かい合うその女性の名前を呼ぶのを、確かに聞いたのだ。「香織さん」と。ミナミはその名前を聞き、ハッとした。そして、頭の中ではいつのまにか、大野の声が繰り返されていた。数年前、大野の事務所をミナミが訪れた日、大野が「香織」と、自分の妻の名を自然に呼ぶ声は、今でも鮮明に覚えている。香織、、、、香織、、、、何故か、見たこともない大野の、自宅で甘く妻の名を呼ぶ姿までもが、瞬間、頭の中に浮かび上がった。ミナミは咄嗟に顔を伏せ、相葉に気づかれないように満席の店内を足早に抜けて、店の外へと出た。そして振り返り、大きなガラスの窓越しに、今度は正面からハッキリと、香織の顔を見たのである。数年前に一度しか見たことのなかった大野の妻の香織の顔であったが、それに間違いなかった。でも、それでも一致しないのだ。数年前の大野の妻といえば、淡い色の服装に、ふわふわとカールさせた髪型で、家庭的で柔らかな印象だった。そこには、夫の庇護のもとで何の悩みもなさそうな雰囲気すら感じられた。それが、今の香織から醸し出される雰囲気は、それとは真逆であるのだ。数年前、大野が既婚者であると知った時のショックの、何倍もの衝撃が、ミナミの体を貫いていた。(つづく)
#64 夜空への手紙〜Hit the floor外伝〜相葉と香織がミナミの経営するカフェの行列に並んでいた頃。大野は二宮に呼び出され、指定された二宮の会社近くの飲食店へやって来ていた。シックなモノトーンの和風のインテリアは二宮が手がけたものだろう。まだ真新しく、オープンしたばかりなのか、店の入り口にはお祝いの生花スタンドがいくつか飾られている。店内へ入って二宮の名前を店員へ告げると、丁寧に奥の個室へと通された。二宮は大野の顔を見るなり、いつもの無愛想な口調を向けてきた。「…悪い、急に。道、渋滞してたか?」「いや、、、この辺で仕事だったから、ちょうどよかったよ。腹も減ってるし。凄いな、ここ、ラーメン屋だろ?個室でラーメンか、、、」「博多の超有名店の暖簾(のれん)分け。まだ関係者のみのプレオープン。」「そうなんだ。ラーメン食いたいって思ってたんだよね。イタリアンとか続くと、飽きるよな。」席につきながら大野は穏やかに笑ってみせた。昨日の香織との時間を思い出し、つい笑みがこぼれたのだ。そんな大野の顔を睨むように見ていた二宮が、「時間ねぇから、本題に入る。」といって、自分のカバンから定型サイズの分厚い封筒を取り出し、それを大野へ手渡してきた。「…なんだよ、、、調査報告書って? 調査会社?」大野がその封筒の中に折りたたまれた数枚の用紙を開いて眺め始めた。「…美麗の妊娠、おまえとかおちゃんには本当に…感謝してる。たぶんこれからも世話になると思うから、それは…お礼、」.「ミナミって女、裁判抱えてるぞ。それも二つ。」二宮が手渡してきた調査会社の報告書は、ミナミに関するものであった。「…勝手にこんなこと、、、」大野はそう言って躊躇いつつも、その詳細な報告書に目をやった。「パンケーキの調理法で特許取ってるけど、全く同じレシピで、もっと昔からパンケーキ作ってる店が関西にある。その店からレシピの盗作疑惑で訴えられてる。特許の取り下げと、パンケーキの販売中止を相手は求めてる。弁護士の話だと、ミナミって女の会社が負けるだろうってさ。…これはつい最近のことらしい。おまえの会社にだって無関係じゃない。帰ったらすぐ櫻井さんと銀行へ話を聞きに行け。一旦客が離れれば、飲食店がどうなってくかなんて、おまえだって嫌ってほど見てきただろ。手は早く打った方がいい。」「、、、もう一つは、親権だ。中学二年生の息子の。別れた夫と、親権を巡って争ってる。」大野は二宮が淡々と話すのを、紙面にびっしりと印刷された文字と照らし合わせるように黙って聞いた。「……置いてったそうだ、息子を。まだ小学生に上がるか上がらないかの歳の頃に。その女は、我が子を置いて家を出た。当時、夫は不倫してたが、どうやらミナミって女の方にも相手がいたみたいだな。だから離婚後は息子を引きとれなかったようだ。それで今、元夫よりも自分の方が経済力があるという理由で、息子を取り戻しにかかってる。でも、それも厳しいようだ。元夫の再婚相手の女性は当時の不倫相手だが、ミナミって女の代わりに8年間、懸命に息子の母親として努めてきたらしい。まぁ…中学二年生ならば、息子本人の意思に委ねられるところが大きいだろうが。」大野はミナミの話を思い出していた。元夫が再婚するという話だ。タイミング的には、どうしても息子を取り戻したいはずである。それだけでなく、これまでの数々のミナミとの時間を思い返していた。調査報告書を手にしたまま、どこか視線の定まらない大野へ、二宮は続けた。「…美麗から全部聞いてる。おまえとこの女が、以前より親しくしてるって話。みんなもう、おかしいことくらい気づいてるんだぞ。たぶん…….かおちゃんもな。おまえ、、、この女と寝たの?」二宮の直球の質問に、大野は首を横に振った。そして、答えた。「…なにもないよ。」その言葉に、二宮が瞬きもすることなく、大野を睨んだま言った。「ふ〜〜ん、、、、まぁ、おまえがふらふらしてたのも、わからんでもないが。ここに入ってきた時のおまえの顔じゃ、、、かおちゃん、戻ってきたんだろ?」香織は別に、家を出た訳でも何でもないのに、二宮は大野へそう問いかけたのだ。大野は黙ったまま、今度は首を縦に振った。「…4年前、おまえらちゃんと向き合って、やり直せたんだろうが。俺、あん時何のためにおまえからボコボコに殴られたんだよ、まったく!」二宮のその話に、ふっとその頃を思い出した大野が、やっと表情を緩ませて笑った。二宮はそんな大野を見て、調査報告書の封筒の中に入っていたミナミの写真を取り出し、大野の方へ向けてニヤッと笑いながらこう冗談を付け足した。「……Fカップだってよ。報告書にサイズまで書いてある。こんなもん目の前にして、大野さん大野さん言われりゃ、たまんねぇよな。、、、な!」二宮が笑いかけてきたのに、大野はふっと苦笑いを浮かべて返した。運ばれてきた醤油とんこつのラーメンをすすりながら、大野と二宮はボソボソと会話を続けた。「…施工費なんかは、一括で支払ってもらってるから、彼女の会社にこれから万が一のことがあっても、ウチは大丈夫だ。」「…そうか。大野、おまえ…その女、切れよ、ちゃんと。非情かもしんないけど。」「、、、、わかってる、切るも何も、何もないって、だから。」「……ないから余計に切んのが難しいんだろ、、、。気持ちが、さ。」二宮の最後の言葉に、大野は一瞬ラーメンをすする箸を止めた。そしてひと言、「、、、うん。」と返事をした。ミナミが息子の親権を取るためには、既婚者である大野と何かあれば、それがミナミには不利に働くのだということも、二宮はラーメンをすすりながら大野へ淡々と話してみせた。家庭の中のゴタゴタから、妻とは違う女性を求めていた、、、それは単なる下心から。大野はミナミへ向かっていた理由を、自分自身へ強引にそう言い聞かせていた。それでもミナミのことを思い出すと、それだけではない何かが、きゅっと、切なく、大野の胸を締め付けてくるのだった。(つづく)
#63 夜空への手紙〜Hit the floor外伝〜来週の水曜の夜、スケジュールの調整がつきました。京都へ行こうと思っています。大野さんのご都合はいかがですか。夜分に失礼しました。妻の香織の柔らかな肌に触れ、その体を抱いた。体調を崩したあとの香織の体は、前より少し華奢になっていた。それでも時折見せる笑顔とその体の温もりに、大野はこれ以上ない癒しを全身で感じ取った。" 君の代わりはいない "とは、大野が美麗へ言った言葉であるが、それを妻の香織に対し、その夜ほど感じたことはなかった。週明けにスケジュールを確認して、ご連絡いたします。ミナミからのメールに、大野はいつになくかしこまった返信を返した。日曜日はここ数ヶ月では珍しく、香織から「どこか行きたい」と言われ、正直とても嬉しかった。「パパと一緒に行きたかったの。フェルメールの絵を見に。」そう言って朝から着ていく服に悩み、少し長めに化粧をする時間がかかっていたり、日頃しないヘアアイロンへ髪を巻きつけてみたりしている香織を、素直に可愛いと思った。「ねぇ、ディスティも出来るよね、グランデ台場。美術館のあと、どうかな…遅めのランチ、ルームサービスで。…ダメ? 贅沢?ちょっと、ワガママ言い過ぎかな…」「……予約できるか、電話してみる。無理ですって言われても、支配人にお願いする。」その香織のワガママすら、大野はずっと待っていたことのように嬉しかった。一日中二人で過ごすと、会話の中に本心を垣間見ることもできた。それは大野も香織も、互いにだ。フェルメールの絵を見つめながら、香織は小さな声で話した。「描くことを再開してしばらくは、アウトプットしていくことが楽しくて仕方がなかった。でも、どんどん絵を描いていくうちに、自分自身がすり減っていってることに気がついたの。それで…周りを見たくなった。視野を広げて、もっと色んなことを吸収したくなった。もっとたくさんの人と、出会いたいと思ったの。それで、絵画教室を思いついたの。」初めて聞いた、絵画教室をやりたかった香織の動機だった。「自分のこんなワガママに、あなたを付き合わせられないと思った。だから、資金をお願いなんて出来ないって思って…。でも、ちゃんと話すべきだったよね。家族なんだから、夫婦なんだから。」久しぶりに足を踏み入れたグランデ台場の部屋からの眺めは変わらず、ただ、昼間にこうしてこの場所へ来ることは初めてで、それはとても新鮮だった。イタリアンのランチのコースを、ルームサービスで食べた時、京都でミナミと食べた絶品のイタリアンを、大野は思い出した。絶品、だったはずだ。きっとこの時食べた、ルームサービスのイタリアンよりは。なのに何故だろう。香織と囲んだテーブルに運ばれてくるその料理一つ一つが、京都でミナミと食べたものより美味しく感じたのだ。「昼間からシャンパンなんて飲んで大丈夫かな、私、顔赤くない?」「…その生徒さんね、私たちと同じ美大を出てらして、必須科目のほら、あの先生覚えてる?その話題でいつも盛り上がるの…」香織の笑顔と笑い声が、料理の味を一段と美味しくさせていることに、大野は気がついた。何を食べるか、どこで食べるか、そんなものはきっと、どうでもいいことなのだ。誰と食べるか、誰と食べたいか、それが大切なのだと、心の底から感じることができたのだった。シャワーを浴び、夕方の東京湾とレインボーブリッジを背に、香織の体を抱こうとベッドへ近づいていった時、一日動き回った疲れからか、日頃の疲れもあったのか、香織は気持ちよさそうに眠っていた。大野は静かな声でフロントへ電話をかけ、チェックアウトの延長を申し出た。そして自分も香織の隣に横になり、そっとその体を抱きしめた。「……あ、ごめんね、寝ちゃった…私、シャワー浴びてこようか、したい? よね、、、、」ぼんやりとした視線を大野へ向けながら、香織はそう言ってきたが、大野はこう答えた。「ふふっ、あのなぁ、そうじゃない、そうじゃないんだよ、、、俺は別に、体の欲のために香織とこうしてたいんじゃないの。したいとかじゃない。こうやって、抱きしめてるだけでも全然いい。なんて言えばいいか、、、」大野はこの数ヶ月間の様々な出来事を思い返し、何故か涙が溢れてくるような感情に、少し声を震わせた。香織は夫の大野に寂しさを感じさせていたことに、ここであらためて気がついた。いや、気がついていたのに気がつかないふりをしていたことを、また省みた。大野が言わんとしていることは、ちゃんと香織には伝わってきていた。「……わかってる。ごめん。」香織は抱きしめてきた大野の背中に腕を回し、ぎゅっと抱きしめ返した。・・・・そんな日曜を夫婦で過ごしはしたものの、香織は " ミナミ " という女性のことが気になって仕方がなかった。まるで付け焼き刃のように、焦って妻の役目を果たそうと頑張ったところで、夫の浮気を阻止できるとは限らないと、自信を失くしていた。そこに、マドカからの電話だったのである、香織は予定通り画材店へ注文した絵筆を受け取りに行った。昨日大野と二人で過ごした時はエレガントな雰囲気の装いを心がけたが、今日は寒さもあって、ニットにジーンズ、ブーツにダウンコート、そしてグルグルと巻いたストール、髪もカールなどせず、後ろで一つにまとめた。こんな適当な装いの時に限って、知り合いと偶然会ってしまうのは何故だろう。帰り道、時刻はお昼ちょうど、といった頃である。歩道を前の方から歩いてきた男性に、香織は名前を呼ばれた。「香織さぁぁ〜〜ん!」「…あ、相葉さん!」この寒さでも、元気ハツラツとした声の相葉雅紀であった。「…わぁ、香織さん、いいっすねぇ。」相葉は香織の姿を見るなりこう言ってきた。「え? 何がいいの?」「あ、いや、なんか、カッコいいっすよ? 今日の香織さん。」自分では適当だと思っている格好を相葉に褒められ、少しホッとした香織である。「香織さん、用事で?これから自宅へ戻られるんですか?」「うん。朝ごはん食べ損なってね、お腹空いちゃったから急いで帰ろうかと。」そう答えた香織を、相葉がランチへ誘ったのである。「俺も腹ペコで!香織さん、一緒にお昼食べません?あっ…そこの、5〜6人並んでるカフェ、カジュアルフレンチも食べられるんですよ!大野さんと俺とで手がけた店です!」それは、ミナミが経営する店であった。何も知らない香織は相葉の申し出を快く受け、その店へ足を踏み入れることとなった。(つづく)
#62 夜空への手紙〜Hit the floor外伝〜香織は親友のマドカからかかってきた電話に出た。週の明けた月曜の朝、夫の大野と娘のマリを会社と学校へ送り出し、洗濯機を回しながらようやくホッと一息ついたタイミングである。「ごめんね、香織。たぶん、ウチの旦那が大野さんに何か言ったんだと思うんだよね。」マドカの夫は言わずと知れた松本だ。マドカはさばさばしたその性格が声にも表れていて、一般的な女性の声よりツートーンほど低い声をしている。香織は聞き慣れたその親友の声に安心感を覚え、そっと目を閉じ笑みをこぼした。「…うん、ふふ、そうだったのかもね。まぁ、それが効いてたのかな。昨日ね、二人で美術館行ったり…ランチしたりして。何ヶ月ぶりだったかな、、、、」日曜は仕事も休みだった大野を香織から誘い、一日中夫婦二人であっちこっちと出歩いた。それは香織が絵画教室を始めて数ヶ月、全く無かった時間であった。「はぁぁ〜〜ん?何ヶ月ぶりだったかな?あそこは行ったの?香織の絵が飾ってあるお台場のホテル。なんちゃら会員でしょ〜?」マドカのわざとらしい口調から、その嫌味な笑顔すら見えてきそうだった。その質問が何を指しているかは明らかだ。「…行ったよ。会費もったいないじゃない。それに…言っとくけど、それが有るから無いからは、私は問題じゃないと思ってるから。」香織は思っているままをマドカへ言った。「……う〜〜ん、、、そうかなぁ?でも、それは香織は…でしょ?あんた何でもそう。結婚生活が長くなるとそうなるのかな。」マドカの低めのトーンの声が、少し強めに上がった。「……何よ、どういうこと?」香織は片手に持って時々口にしていたアールグレイの紅茶のたっぷり入ったマグカップをテーブルへ置き、リビングのソファへ腰を下ろした。「私がそうなら、相手もそうだろうって。香織、そんな感じじゃん?」「え、、、、、」「私が絵画教室ををやりたいんだから、きっと大野さんも同じように賛成してくれるだろう。私は疲れてるし、別にセックスなんて無くてもいいのは、大野さんも同じだろう。……違う?」「………………………。」「私がやりたいことを察して、手伝って欲しいことを察して、疲れていることを察して、そんな空気をさぁ、友達である私だってちょっと感じてたくらいなのよ?私は同じ女だからわかってあげられたけど、、、、家の中で、夫婦の間で、ましてや男に対してさ、察してくれは全く通用しないわよ?」「…………………………。」「おまけに!絵画教室は服が汚れるから、ガバッとスモックかぶってて構わないだろうけど、香織…大野さんの前でもそのままでいたわよね?あんたが家事も完璧にやってたのは凄いと思うよ?でも……大野さんが香織に求めてるのは、そこじゃないんじゃない?もう、香織はちゃんと気がついてるんだろうけど。」体調を崩して倒れてからずっと香織が考えていたこと、、、先週、寝室での大野との会話や久しぶりにベッドを共にしたことで自らを省みたこと、その日からの大野の香織へ対する表情や態度が明らかに変わったこと、優しくなったこと、マドカはその全てを言い当ててきたのだった。香織はソファから立ち上がり窓を開け、冷たい冬の外気を部屋の中へ入れると同時に大きく深呼吸した。しばらく黙っていた電話の向こうのマドカが、ひとことつぶやいてきた。「…香織ごめん、言い過ぎた。」それにようやく香織は応えた。「ううん。マドカの言う通りだもん。だから、、、パパが他の女にふらっといっちゃうのも、無理ないよね、、、」「香織、、、、、。ウチの旦那の…大野さん嫉妬させる作戦だっけ?あんなのより、、、香織は一番効果的なやり方をわかってるんだよね?大野さんデートに誘ったのも、ベッドに誘ったのも、香織からなんでしょう?」またマドカから、ズバリと言い当てられ、香織は力ない声で返事をした。「……そう、私から。」そこで、あの夜の大野のスマートフォンの画面を香織は思い出した。「マドカ、、、どうしよう。結婚して、ここまでパパの浮気を本気で疑うの…初めてなの。これまであったのは、夜のお店の付き合いとか、お客さんの会社の事務の女の子から言い寄られたりとか、そんなの私、ここまで不安じゃなかったの、、、、」「うん、、、、」「名前を知っちゃって、相手の。ねぇ、ショートメール使うって、若い女の子じゃないよね。」「…なに、勝手にスマホ見ちゃったの?香織、それはルール違反、、、」「違うよ、見たくないけど見えちゃったの!」「う〜〜ん、どっちでもいいけど。LINEじゃないんだね。あれかなぁ…ショートメールだとさ、発信相手別に、音もバイブのパターンも設定できるよね?彼女からのメールだって、わかる。だからかな?だとしたら、、、ヤダ、私も疑っちゃうな、その浮気。」「…………………………。」「香織と連絡取るときは?大野さん。」「、、、、LINE。」「ああ〜〜彼女とうっかり間違えないように分けてるのかぁ、、、案外やるね、大野さん。」「…………………………。」香織が言葉を失っていると、マドカがしまった、と慌てた口調で急いで言葉を出してきた。「あああ〜〜でもさ!まだ、相手と関係は持ってないと思う!じゃなきゃ香織とそんな風にデートもセックスもなんて、あの不器用な大野さんには出来ない!無理無理!」「でも、、、浮気する夫は、週末は家族サービス頑張るんだって、ネット記事読んだことある。」「バカねぇ、もう!そんなの読まないの!心配ならさぁ、いっそのこと本人に聞いてみたらいいじゃん?」「……それが出来るんなら苦労しないよ。察して欲しいことだって、その都度ちゃんと言えてたら、体壊すことも、たぶんなかった、、、」香織は開けていた窓を閉めた。12月に入ったばかりだが、外は真冬のような気温である。「…ねぇ、相手のこと、どんな女か知りたくない?」マドカはどことなく楽しそうに香織へ言ってきた。「知りたくないわよ、絶対。」「…やっぱそうよね、、、ごめん。あ、香織?本題言い忘れるところだった。」マドカの口調が少しかしこまった。そして、驚く言葉を発したのである。「…私、離婚する。」「、、、、、え?」思いもよらない親友のその言葉に、香織はしばらく絶句した。会って直接話したいというマドカであったが、この日香織は注文していた絵筆を画材店へ取りに行かねばならないのと、夕方はマリの高校のオーケストラ部の顧問の先生との面談も予定にあり、それは叶わなかった。そして、ミナミという女性が大野へ送ってきた " 来週の水曜の夜 " はもう、明後日に迫っていた。香織は倒れた時のような動悸をまた感じ始め、急いで処方された頓服薬を飲み、終了を知らせる洗濯機の音を耳にしながら、その場にしばらくしゃがみこんだ。・・・・同じ頃・大野の事務所ー「じゃあ、緑風会いってきます!昼は外で食べてから戻りまーす。」この日、香織は偶然外で会った相葉と昼食を共にすることになるのであるが、相葉がチョイスした飲食店は、、、(つづく)
#61 夜空への手紙〜Hit the floor外伝〜「風間さん?…なんだか聞き覚えのあるお名前ね。」「…あぁ、前の会社で一緒だった後輩だよ。相葉と同期の。今はミトリファニチャーで営業やってる。」「ミトリ、、、最近は都心にも店舗を出してるよね。絵画教室で使えそうなものも結構置いてあってね、あなたに言わなかったけど、生徒さんに座ってもらう丸椅子とか、実はミトリで揃えたのよ。」「え、、、何だよそれ、何で俺に言ってくれなかったの?言ってくれれば椅子くらい……」「そんなことお願いできる雰囲気じゃなかったでしょ。それに、あなたが作る家具はやっぱり高価だもの。公共の建物でやってるカルチャースクールなのよ。見合わないと思ったの。」「、、、、、そうかな…」就寝前の寝室で、夫の大野がまだ眠らずに、自身の会社の話をしているのは、最近では珍しかった。日中、妻の香織の絵画教室へ差し入れを持って来たことといい、それにもかかわらず、黙って立ち去ったことといい、今日は一日が終わるが終わるまでおかしな日だと、香織はベッドの上で腕や脚にボディクリームを塗りながら思っていた。「…いい匂いする。」隣のベッドでまだ体を起こしたまま、大野は香織の様子をぼんやりと見ながらそう呟いた。「…毎日寝る前に塗ってるけど、、、」「ふ〜ん、、、、外に出るときも、そんな匂いさせてんの?たぶん、男が好む匂い。」そのボディクリームは数年前から香織が愛用しているものである。初めて寝室で香織が使った時、大野がいい匂いだと言ったのだ。そして香織の体をきつく抱きしめてきたのである。それからずっと、香織は就寝前にそのボディクリームを体へ塗るようになったのだが、、、「…ここでしか使ってない!なんっにも覚えてないんだからっ!」香織は少し乱暴にボディクリームを片付け、ガバッと布団をかぶってベッドへ入った。「…えっ、ちょっ、、、なんで怒ったの、、、?」香織には、夫の大野が考えていることなど、そのちょっとした言葉と表情から、手に取るように分かるのだ。外へ出た時も、絵画教室でも、松本の前でも、そんな男が好む匂いをさせているのかと、そう言いたいのだろう。こんなにも色んな感情が態度に出て、妻に対しては過剰なほど嫉妬をするくせに、よくもまぁ他の女性と浮気を挑もうなどしているものだと、香織は半ば呆れていた。「…だから、さっきの話だけど。風間を正社員で雇おうと思ってる。香織は…今は会社にタッチしてないけど、無関係じゃないだろ。小さな会社だし、、、家族で頑張っていかなきゃって事も、今後ないとも限らないから…ちゃんと香織にも相談しておこうと思って、、、、」大野もベッドへ体を横たわらせたのを、香織は背中で感じていた。「……俺も、 話すから、、、会社のこと、大事なことはちゃんと。香織も、なんでも一人で決めないで…俺、頼りにならないかもしれないけど。」「…………………………。」さっきまで抱えていた、怒りと呆れの感情が、香織の中からすーっと消えていった。そして、絵画教室を始めた頃のことや、体を壊すほど、一人でバタバタ忙しくしていた時期のこと、倒れた後、松本と一緒に絵画教室を行うことも、全てにおいて夫へは事後報告となり、その返事を待たなかったことを省(かえり)みた。そういえば、忙しかった時期は心にも余裕がなく、このボディクリームを塗ることさえ忘れていたではないか。香織はゆっくり大野の方を向いた。「……風間さん、お子さん3人いらっしゃるんでしょう?」そう問いかけた香織の口調は穏やかで優しかった。薄暗い寝室の照明に照らされている妻の香織が、自分を見上げてきた少し艶っぽい表情に、大野は視線を外せなくなった。「……あぁ、そう、男ばっか3人だって。」「ふふっ、奥さん大変ね、、、守ってあげてね、あなたがしっかり、ご家族まで。」「、、、うん、わかってる。」「………パパ。」「なに、、、、?」「話してくれてありがとう。」「いや、、、うん、ふふふ、じゃあ、おやすみ。」「…………うん、、、」何気ない、夫婦の会話。でもそれが、どれだけ大切であるかを、大野も香織も、17年という結婚生活の中で幾度となく訪れた危機を経験し、痛感していた。「今日は、おかしな日ね、、、」大野が他の女性へ目がいってしまうのが、この時の香織にはわかるような気がした。決して、これまでの自分に非はないとは言い切れなかった。香織は大野のベッドへ体を寄せていった。「寒いから…そっち入ってもいい?」大野はなんとなく、香織がそうしてくるのではないかと予感していた。さっき自分を見上げてきた香織は、妻でもない、マリの母親でもない、絵画教室の講師でもない、、、久しぶりに見る「女」の顔をしていたからだ。「…嘘つけ、ぬくぬくしてんじゃん。」大野は自分の布団をサッと開け、自身の胸へ香織の体を抱き寄せた。「…ごめんね、何度も私、、、」この数ヶ月あまり、夫からの誘いを断り続けたことを、香織は大野の胸の中で謝った。「……もういいって。香織が元気になってくれただけで。あ〜〜いや、今はそれだけじゃ済みそうもない…けど。」大野は香織の唇へ自分の唇を重ねながら、鼻をくんくんさせ、漂う香りを嗅いで言った。「…ちゃんと覚えてるからね、この匂い、初めて嗅いだ時。」「え、、、そうだったの?」キスを交わしながら普通に会話も交わす香織を、大野は愛おしさいっぱいという眼差しで見つめていた。「…あ、炊飯のタイマー、セットしてない、、、」「はぁ?なんでここで思い出すんだよ!もう、しばらく忘れて、後で俺がやるから、、、、」「うっそ、絶対すぐ寝るでしよ。」「…おまえさ、よくキスしながら喋れるな、、、、ふふふっ、、、」久しぶりに肌と肌を触れ合わせ、その体を繋ぐことで、明日からの何かが変わるのかどうかなど香織にはわからなかったが、夫の大野が何かとても満たされている表情で眠りについたことは、間違いなかった。香織が脱いだパジャマを着て上着を羽織り、炊飯のタイマーをセットしに寝室から出ようとした時である。ベッドのサイドテーブルに無造作に置かれた大野のスマートフォンが、ブンっとバイブ音を鳴らした。時刻はもう、深夜1時を回っている。そして、目をやったスマートフォンの画面に表示されたショートメール受信のメッセージの冒頭部分と、それを送ってきた相手の名前を、香織は見てしまったのだ。「…ミナミ、、、、来週の水曜の夜、、、」こんな時間にメッセージを送ってくる女性。香織はその女性が、大野と京都で一緒に仕事をしている相手で、なおかつ、大野が浮ついた感情を抱いている相手であることを確信した。「通知くらい、オフにしとけばいいのに。バカね、、、、」そうひとり呟きながら、" 来週の水曜の夜 " を香織はカレンダーで確認し、強く記憶した。(つづく)
#60 夜空への手紙〜Hit the floor外伝〜香織の絵画教室へ入るその扉はガラス製で、エレベーターを降りた廊下を少し進むと、外からもその教室の中の様子を伺うことができる。片手で数えるほども、大野はこの場所を訪れたことがなかった。差し入れのスイートポテトの入った袋を下げ、大野はエレベーターを降りて、ガラスの扉の方へ歩みを進めた。そして扉の外から、中の様子を伺った。夫なのだから、堂々と妻へ会いに行けばいいものを、何故かその扉を勢いよく開けることに、体が躊躇していた。「松本さん、遠近法をここで簡単に子供たちに教えるには、、、」「そうだねぇ、本当は外に出て、並木道とか歩きながら教えたいところだけど…ああ、ここから、ほら香織ちゃん来て。ここの窓から見えるビルを見せながらでもわかりやすいかも。」教室の中では香織と松本がそんな会話をしながら、夕方からの小学生の授業の準備をおこなっていたが、会話の内容までは、扉の外に立つ大野へは届いていなかった。教室の中で松本が何か言葉を発しながら、誰かに手招きをする姿が、扉の外の大野の視線が捉えた。そうすると間もなく、大野の視界の中に、妻の香織の姿が入ってきた。そして窓辺に立っていた松本のそばへとやって来て、お互いの肩や腕も寄り添わせるような距離に立ち、松本と並んだのだ。それだけではない。松本は当たり前のように、隣に立つ香織の肩へ腕を回したのだ。その時、松本がふっと振り返るように教室の中からガラスの扉へ視線を向けた。そして、外側から扉の取っ手に手をかけ、中へ入ろうとする大野へ微笑んでみせた。この時、香織は大野が教室の目の前まで来ていたことに気がついていなかったが、松本は確実に大野の存在に気がついていて、まるでわざと仲睦まじい香織との様子を大野へ見せつけるような態度をとってきたのである。ガラスの扉越しに、大野と松本の視線がぶつかった。お互いをまるで睨むようにして見ていた時間が数秒あっただろうか。「…香織ちゃん、大野さん来たみたいだよ。」松本がそんなような言葉をつぶやいたのは、その唇の動きで大野にも伝わった。しかし同時に、香織はポケットに入れていたスマートフォンを手に取り画面を確認すると、着信相手と話し始めたため、大野の来訪に気づいている表情を見せながらも、なかなか外へ出てくる様子ではなかった。すると教室の中から松本がガラスの扉を開け、大野の立つ外の廊下へと出てきた。「…いらっしゃい、大野さん。香織ちゃん…あぁ、えっとごめんなさい、香織さん、画材の業者と電話みたいで。、、、中、入ります?」この絵画教室が今は香織と、そしてこの目の前にいる松本、二人の手で作られている場所であることくらい、大野にもわかりきっていることであったが、松本の口から発せられる言葉のそのどれもに、大野の胸の奥はふつふつ…と、得体の知れない熱いものが湧き上がる感覚でいっぱいになっていた。それでもそこに蓋をするように、大野は声を絞り出し、松本に応えた。「…時間がないので、これだけ家内へ渡してください。松本さん、絵画教室をお手伝いしていただいているとお伺いしながら、私からご挨拶が遅れてしまって申し訳ありません。どうぞ、家内をよろしくお願いします。」そう言って大野は持っていた袋を松本へ手渡しながら、深々と頭を下げた。「……ふふっ、なんか、どっかでも…同じように大野さんから頭下げられたよね、、、、あ〜あ! 思い出した!東京駅!、、、でしたよね?」「……………………。」" 東京駅 " という松本が発したそのワードに、あの日の全てが詰め込まれていたことが大野にはわかった。香織が倒れた日、大野は京都からの帰り、ミナミと体を寄り添わせて新幹線のホームから改札へ歩いていったところを、松本から見られていた。松本は何を言いたいのだろう。香織の肩を抱いてみせたのだって全て、彼独特の嫌味を交えたジョークなのだろうか。大野にその真意はわからなかったが、場の空気を変えようと、見慣れない松本のメガネ姿を、大野は話題にあげて話してみた。「…松本さん、メガネかけられるんですね。雰囲気が違っていいですね。」その大野の精一杯の社交辞令とも取れる話題にも、松本は嫌味たっぷりにこう返し応えてきた。「これね、、、最初は目のトラブルで、コンタクトの代わりにかけてただけなんだけど…香織ちゃんから " とても似合う " って、印象が柔らかくなって素敵だって褒められて。だから、ここへ来る時だけね、妻には内緒だけど…香織ちゃんに会う日だけは、このメガネなんですよ。」「……………………。」さっきから松本は何故こうも、こちらの神経を逆なでしてくるような言動にとって出るのか、、、大野はうつむき、下唇をグッとかみしめ、表情を歪ませた。返事を返さなかった大野に松本は、体を近づけてきてこう言った。「…女性に褒められたり、頼られたりすると、、、男はたまらなく嬉しいものですよね。大野さんも、、、そうだよね?」「……………………。」大野はミナミのことを頭によぎらせた。もちろん終始松本が、ミナミと自分のことを匂わせながら会話を振っていることはわかっていた。「ふふふふふっ、なぁにそんな難しい顔してんの。あぁ…ごめんなさい、こんな言葉遣い。ね、今度飲みに行きましょうよ。大野さんがデザインされたお店とか、行ってみたいな。僕、仕事帰り、香織ちゃん連れて行くんで。」ここまで松本が一方的に話すのを黙って聞いていた大野であったが、頭の中で何か " 理性の糸 " のようなものがプチっと切れるのを感じたのと同時に、松本へこう言葉を発してしまっていた。「…なんであんたが香織を連れて来るんだよ!さっきから肩抱いたり…おかしいことばっかだろ!?」しまった…と、大野が思った時にはもう、大野は松本から体をすぐそばの壁へぐっと押し付けられ、そして、まるで唇を奪われるのではないかという距離までその顔を近づけられて、静かに…でも威圧感のある低く太い声で、こう囁かれたのだ。「…おかしいよ、、、、僕もそう思いますけどね、、、」、、、と。大野は押し付けられた壁と松本の体からどうにかすり抜け、その顔を見ることもせずに形だけ会釈をして、逃げるようにその場を去った。・・・・絵画教室の入ったビルから自身の事務所までの距離といえば目と鼻の先で、冬の入り口へ差し掛かった通りに吹く風はとても冷たかったものの、大野の熱く興奮した頭を冷やすまでには、時間が足りなかった。歩いているとコートのポケットに入れたスマートフォンがバイブ音を鳴らし始めたが、そのリズムのパターンで着信相手が香織だとわかった大野は、その電話にどうしても出る気にはなれなかった。香織が悪いことなど、何一つないのに、だ。大野は歩みを止め、今さっき出てきたビルを見上げた。そしてひと言、「ごめん、、、、」と、つぶやいた。(つづく)ーーーーこのところ、1話分を書くのにとても時間がかかります( ; ; )やっとこさのアップですまた間隔が開くと思いますが、ゆるりゆるりで頑張りたいと思います。「Fake it」もあぼんヌ