#64 夜空への手紙
〜Hit the floor外伝〜


相葉と香織がミナミの経営するカフェの行列に並んでいた頃。


大野は二宮に呼び出され、
指定された二宮の会社近くの飲食店へやって来ていた。


シックなモノトーンの和風のインテリアは二宮が手がけたものだろう。
まだ真新しく、オープンしたばかりなのか、店の入り口にはお祝いの生花スタンドがいくつか飾られている。


店内へ入って二宮の名前を店員へ告げると、丁寧に奥の個室へと通された。


二宮は大野の顔を見るなり、いつもの無愛想な口調を向けてきた。


「…悪い、急に。
道、渋滞してたか?」


「いや、、、この辺で仕事だったから、
ちょうどよかったよ。
腹も減ってるし。
凄いな、ここ、ラーメン屋だろ?
個室でラーメンか、、、」


「博多の超有名店の暖簾(のれん)分け。
まだ関係者のみのプレオープン。」


「そうなんだ。
ラーメン食いたいって思ってたんだよね。
イタリアンとか続くと、飽きるよな。」


席につきながら大野は穏やかに笑ってみせた。
昨日の香織との時間を思い出し、つい笑みがこぼれたのだ。


そんな大野の顔を睨むように見ていた二宮が、


「時間ねぇから、本題に入る。」


といって、自分のカバンから定型サイズの分厚い封筒を取り出し、
それを大野へ手渡してきた。


「…なんだよ、、、
調査報告書って? 調査会社?」


大野がその封筒の中に折りたたまれた数枚の用紙を開いて眺め始めた。


「…美麗の妊娠、おまえとかおちゃんには本当に…感謝してる。
たぶんこれからも世話になると思うから、
それは…お礼、」

.


「ミナミって女、裁判抱えてるぞ。
それも二つ。」


二宮が手渡してきた調査会社の報告書は、
ミナミに関するものであった。


「…勝手にこんなこと、、、」


大野はそう言って躊躇いつつも、その詳細な報告書に目をやった。


「パンケーキの調理法で特許取ってるけど、全く同じレシピで、もっと昔からパンケーキ作ってる店が関西にある。
その店からレシピの盗作疑惑で訴えられてる。
特許の取り下げと、パンケーキの販売中止を相手は求めてる。
弁護士の話だと、ミナミって女の会社が負けるだろうってさ。
…これはつい最近のことらしい。
おまえの会社にだって無関係じゃない。
帰ったらすぐ櫻井さんと銀行へ話を聞きに行け。
一旦客が離れれば、飲食店がどうなってくかなんて、おまえだって嫌ってほど見てきただろ。
手は早く打った方がいい。」




「、、、もう一つは、親権だ。
中学二年生の息子の。
別れた夫と、親権を巡って争ってる。」


大野は二宮が淡々と話すのを、
紙面にびっしりと印刷された文字と照らし合わせるように黙って聞いた。


「……置いてったそうだ、息子を。
まだ小学生に上がるか上がらないかの歳の頃に。
その女は、我が子を置いて家を出た。
当時、夫は不倫してたが、
どうやらミナミって女の方にも相手がいたみたいだな。
だから離婚後は息子を引きとれなかったようだ。
それで今、元夫よりも自分の方が経済力があるという理由で、
息子を取り戻しにかかってる。
でも、それも厳しいようだ。
元夫の再婚相手の女性は当時の不倫相手だが、ミナミって女の代わりに8年間、
懸命に息子の母親として努めてきたらしい。
まぁ…中学二年生ならば、息子本人の意思に委ねられるところが大きいだろうが。」


大野はミナミの話を思い出していた。
元夫が再婚するという話だ。
タイミング的には、どうしても息子を取り戻したいはずである。


それだけでなく、これまでの数々のミナミとの時間を思い返していた。




調査報告書を手にしたまま、どこか視線の定まらない大野へ、
二宮は続けた。


「…美麗から全部聞いてる。
おまえとこの女が、以前より親しくしてるって話。
みんなもう、おかしいことくらい気づいてるんだぞ。
たぶん…….かおちゃんもな。
おまえ、、、この女と寝たの?」


二宮の直球の質問に、大野は首を横に振った。
そして、答えた。


「…なにもないよ。」


その言葉に、二宮が瞬きもすることなく、
大野を睨んだま言った。


「ふ〜〜ん、、、、
まぁ、おまえがふらふらしてたのも、
わからんでもないが。
ここに入ってきた時のおまえの顔じゃ、、、かおちゃん、
戻ってきたんだろ?」


香織は別に、家を出た訳でも何でもないのに、二宮は大野へそう問いかけたのだ。


大野は黙ったまま、今度は首を縦に振った。


「…4年前、おまえらちゃんと向き合って、やり直せたんだろうが。
俺、あん時何のためにおまえからボコボコに殴られたんだよ、まったく!」


二宮のその話に、ふっとその頃を思い出した大野が、やっと表情を緩ませて笑った。


二宮はそんな大野を見て、
調査報告書の封筒の中に入っていたミナミの写真を取り出し、
大野の方へ向けてニヤッと笑いながらこう冗談を付け足した。


「……Fカップだってよ。
報告書にサイズまで書いてある。
こんなもん目の前にして、大野さん大野さん言われりゃ、たまんねぇよな。
、、、な!」




二宮が笑いかけてきたのに、
大野はふっと苦笑いを浮かべて返した。




運ばれてきた醤油とんこつのラーメンをすすりながら、
大野と二宮はボソボソと会話を続けた。


「…施工費なんかは、一括で支払ってもらってるから、彼女の会社にこれから万が一のことがあっても、ウチは大丈夫だ。」


「…そうか。
大野、おまえ…その女、
切れよ、ちゃんと。
非情かもしんないけど。」


「、、、、わかってる、
切るも何も、何もないって、だから。」


「……ないから余計に切んのが難しいんだろ、、、。
気持ちが、さ。」


二宮の最後の言葉に、
大野は一瞬ラーメンをすする箸を止めた。


そしてひと言、


「、、、うん。」


と返事をした。


ミナミが息子の親権を取るためには、
既婚者である大野と何かあれば、
それがミナミには不利に働くのだということも、
二宮はラーメンをすすりながら大野へ淡々と話してみせた。


家庭の中のゴタゴタから、
妻とは違う女性を求めていた、、、
それは単なる下心から。


大野はミナミへ向かっていた理由を、
自分自身へ強引にそう言い聞かせていた。


それでもミナミのことを思い出すと、
それだけではない何かが、


きゅっと、切なく、
大野の胸を締め付けてくるのだった。




(つづく)