#62 夜空への手紙
〜Hit the floor外伝〜


香織は親友のマドカからかかってきた電話に出た。


週の明けた月曜の朝、
夫の大野と娘のマリを会社と学校へ送り出し、洗濯機を回しながらようやくホッと一息ついたタイミングである。


「ごめんね、香織。
たぶん、ウチの旦那が大野さんに何か言ったんだと思うんだよね。」


マドカの夫は言わずと知れた松本だ。


マドカはさばさばしたその性格が声にも表れていて、一般的な女性の声よりツートーンほど低い声をしている。


香織は聞き慣れたその親友の声に安心感を覚え、そっと目を閉じ笑みをこぼした。


「…うん、ふふ、そうだったのかもね。
まぁ、それが効いてたのかな。
昨日ね、二人で美術館行ったり…ランチしたりして。
何ヶ月ぶりだったかな、、、、」


日曜は仕事も休みだった大野を香織から誘い、一日中夫婦二人であっちこっちと出歩いた。
それは香織が絵画教室を始めて数ヶ月、
全く無かった時間であった。


「はぁぁ〜〜ん?
何ヶ月ぶりだったかな?
あそこは行ったの?
香織の絵が飾ってあるお台場のホテル。
なんちゃら会員でしょ〜?」


マドカのわざとらしい口調から、その嫌味な笑顔すら見えてきそうだった。
その質問が何を指しているかは明らかだ。


「…行ったよ。
会費もったいないじゃない。
それに…言っとくけど、それが有るから無いからは、私は問題じゃないと思ってるから。」


香織は思っているままをマドカへ言った。


「……う〜〜ん、、、そうかなぁ?
でも、それは香織は…でしょ?
あんた何でもそう。
結婚生活が長くなるとそうなるのかな。」


マドカの低めのトーンの声が、
少し強めに上がった。


「……何よ、どういうこと?」


香織は片手に持って時々口にしていたアールグレイの紅茶のたっぷり入ったマグカップをテーブルへ置き、
リビングのソファへ腰を下ろした。


「私がそうなら、相手もそうだろうって。
香織、そんな感じじゃん?」


「え、、、、、」


「私が絵画教室ををやりたいんだから、
きっと大野さんも同じように賛成してくれるだろう。
私は疲れてるし、別にセックスなんて無くてもいいのは、大野さんも同じだろう。
……違う?」


「………………………。」


「私がやりたいことを察して、
手伝って欲しいことを察して、
疲れていることを察して、
そんな空気をさぁ、友達である私だってちょっと感じてたくらいなのよ?
私は同じ女だからわかってあげられたけど、、、、
家の中で、夫婦の間で、ましてや男に対してさ、
察してくれは全く通用しないわよ?」


「…………………………。」


「おまけに!
絵画教室は服が汚れるから、ガバッとスモックかぶってて構わないだろうけど、
香織…大野さんの前でもそのままでいたわよね?
あんたが家事も完璧にやってたのは凄いと思うよ?
でも……大野さんが香織に求めてるのは、
そこじゃないんじゃない?
もう、香織はちゃんと気がついてるんだろうけど。」


体調を崩して倒れてからずっと香織が考えていたこと、、、
先週、寝室での大野との会話や久しぶりにベッドを共にしたことで自らを省みたこと、


その日からの大野の香織へ対する表情や態度が明らかに変わったこと、優しくなったこと、


マドカはその全てを言い当ててきたのだった。


香織はソファから立ち上がり窓を開け、
冷たい冬の外気を部屋の中へ入れると同時に大きく深呼吸した。


しばらく黙っていた電話の向こうのマドカが、ひとことつぶやいてきた。


「…香織ごめん、言い過ぎた。」


それにようやく香織は応えた。


「ううん。マドカの言う通りだもん。
だから、、、パパが他の女にふらっといっちゃうのも、無理ないよね、、、」


「香織、、、、、。
ウチの旦那の…大野さん嫉妬させる作戦だっけ?
あんなのより、、、
香織は一番効果的なやり方をわかってるんだよね?
大野さんデートに誘ったのも、
ベッドに誘ったのも、
香織からなんでしょう?」


またマドカから、ズバリと言い当てられ、
香織は力ない声で返事をした。


「……そう、私から。」


そこで、あの夜の大野のスマートフォンの画面を香織は思い出した。


「マドカ、、、どうしよう。
結婚して、ここまでパパの浮気を本気で疑うの…初めてなの。
これまであったのは、夜のお店の付き合いとか、お客さんの会社の事務の女の子から言い寄られたりとか、
そんなの私、ここまで不安じゃなかったの、、、、」


「うん、、、、」


「名前を知っちゃって、相手の。
ねぇ、ショートメール使うって、若い女の子じゃないよね。」


「…なに、勝手にスマホ見ちゃったの?
香織、それはルール違反、、、」


「違うよ、見たくないけど見えちゃったの!」


「う〜〜ん、どっちでもいいけど。
LINEじゃないんだね。
あれかなぁ…ショートメールだとさ、発信相手別に、音もバイブのパターンも設定できるよね?
彼女からのメールだって、わかる。
だからかな?
だとしたら、、、ヤダ、
私も疑っちゃうな、その浮気。」


「…………………………。」


「香織と連絡取るときは?大野さん。」


「、、、、LINE。」


「ああ〜〜彼女とうっかり間違えないように分けてるのかぁ、、、
案外やるね、大野さん。」


「…………………………。」


香織が言葉を失っていると、
マドカがしまった、と慌てた口調で急いで言葉を出してきた。


「あああ〜〜でもさ!
まだ、相手と関係は持ってないと思う!
じゃなきゃ香織とそんな風にデートもセックスもなんて、
あの不器用な大野さんには出来ない!
無理無理!」


「でも、、、
浮気する夫は、週末は家族サービス頑張るんだって、ネット記事読んだことある。」


「バカねぇ、もう!
そんなの読まないの!
心配ならさぁ、いっそのこと本人に聞いてみたらいいじゃん?」


「……それが出来るんなら苦労しないよ。
察して欲しいことだって、
その都度ちゃんと言えてたら、
体壊すことも、たぶんなかった、、、」


香織は開けていた窓を閉めた。
12月に入ったばかりだが、外は真冬のような気温である。


「…ねぇ、相手のこと、どんな女か知りたくない?」


マドカはどことなく楽しそうに香織へ言ってきた。


「知りたくないわよ、絶対。」


「…やっぱそうよね、、、ごめん。
あ、香織?
本題言い忘れるところだった。」


マドカの口調が少しかしこまった。
そして、驚く言葉を発したのである。


「…私、離婚する。」




「、、、、、え?」


思いもよらない親友のその言葉に、
香織はしばらく絶句した。


会って直接話したいというマドカであったが、この日香織は注文していた絵筆を画材店へ取りに行かねばならないのと、


夕方はマリの高校のオーケストラ部の顧問の先生との面談も予定にあり、
それは叶わなかった。


そして、ミナミという女性が大野へ送ってきた " 来週の水曜の夜 " はもう、
明後日に迫っていた。


香織は倒れた時のような動悸をまた感じ始め、急いで処方された頓服薬を飲み、


終了を知らせる洗濯機の音を耳にしながら、
その場にしばらくしゃがみこんだ。



同じ頃・大野の事務所ー

「じゃあ、緑風会いってきます!
昼は外で食べてから戻りまーす。」




この日、香織は偶然外で会った相葉と昼食を共にすることになるのであるが、


相葉がチョイスした飲食店は、、、


(つづく)