今を生きる
『今を生きる』どうして法華経?「同じ仏教なのに種々なお宗旨がありますね。どうしてなんです。どこが違うんですかね」のどかな日和の昼休み、改築中の寺の庭先での現場監督さんの質問です。「とにかく法華経が本物の本物なのよ」とわたし。「どの宗教も自分の処がいいということになると、何のために何宗とか分かれているのです?」と、また質問です。「家を建てる時、足場を組むでしょう。でもその足場は家が建ってしまえばはずしてしまう。それと同じで法華経は、家そのもので、他の経典は家が出来上がるまでに必要な足がかりというわけ。また、階段は一歩一歩上がって上へ着くわね。お釈迦さまは人びとが法華経へ近づいて来られるように、方便、つまり手段として他の経典を説かれたの。でも法華経が説かれてしまえば、もうまだるこしい手段は捨てて」その法華経を信じるのが一番近道というわけ」「どうして法華経っていうのが、そう、いいんですか」「もし一言でいえるなら、法華経の教えは、人間として生まれたこの世で、精一杯生きて、生きている間に前向きに実行しろということで、浄土教のように、この世はとてもダメだから、死んで極楽へ行こうなどという逃避的な考えではない」「でも、よく金が儲かるから信心しろとか、そうゆうのが好きじゃないです」「そうよ、自分が正しい思いで一生懸命、行った結果として、ご本仏のご守護で功徳が頂けるのよ」美しいです。嫌気に己れの道に励んで、法華経に生かされているこの命を喜びをもって生きられる人間は、みんな美しいと思います。◎釈尊は一切衆生を救うために階段を上るように多くの法門を説かれました。そして、最後に本懐である法華経を説かれました。最尊最上と言われる由縁です。私も法華経を信じ貫き通します。