『今を生きる』

 

喜びは苦難のはて

そんなことが何故大事?

結婚や転勤移動のシーズンで、新幹線ホームは混雑していました。

溢れんばかりの人の輪が、あちこちに見られました。

みんな笑顔です。大声でふざけ合ってもいました。花束を持った人や胴上げされている人で大変な賑わいでした。

そんな人の輪を横切るわけにもゆかず、私はホームの端を恐る恐る通らなければなりませんでした。

発車間際まで、乗車口をふさいでいるその人たちの間をすりねけて、私はやっとの思いで乗りました。

ちょっと、腹が立ちました。

すぐに集団を作り集団であれば大抵のことは天下ご免でまかり通るという日本人には悪いくせがあって、たびたび批判されるところです。

 

 

私の近くに栄転らしい一家が乗りこんできました。花束をもらったり、子どもたちはチョコレートをもらったりして「万歳、万歳」で見送られその一家は、また、ドヤドヤと名古屋駅で降りて行きました。

「たかが名古屋に!!」なんて思うのは意地悪でしょうか?しかも、永遠の別れになるわけでもない転勤であろう家族を、あんなに盛大に送ることに、何故か私は抵抗を感じたのです。

私たちは忘れてはいないでしょうか。

 

 

人生には、もっと厳粛で、しかも永遠の別れのあることを、多くの人は、一時の別れをまるで永遠の別れのごとく涙を流して大さわぎするくせに、「死」という本当の「別れ」忘れているのです。「死」という永遠の別れが誰にも必ず訪れてくるということをわすれてはなりません。そして、その日のために今どう生きたらよいのかということを常に考えながら、毎日を送るようにしたいものです。

 

 

日蓮聖人は「まず臨終のことを習うてのちに他事を習うべし」と仰せられて、いつ訪れるかも知れないこの世との、そして全てとの別れを忘れてはならないと教えられました。

 

◎何時までも命があると思いがちですが臨終のときは必ずやってくるです身近に感じていない現状、明日をも知れない臨終のとき悟りて今日を大切に生きたいですね。