『今を生きる』

喜びは苦難のはて

 

花をあげる心

仏様のお花が寒いころは「長持ちしていいな」と思いました。このごろは、美しいが長持ちしません。

お花をあげながら、「長持ちしていいな」と思った心の裡には「骨惜しみ」の思いがあったなあ、と反省しています。

「お花をかざる、みんな良い子」。

幼い子の歌う唄です。小学校の教室、御宝前の花瓶、子ども連れのお墓参りなどの風景が浮かびます。

 

ところが、小学校一年生の家の孫が「じいちゃん、学校に持って行くんだから、あの花ちょうだい」と今を盛りのツツジの花を指さしました。

私はこの時、孫の心持ちを「お花をかざる良い子」、とはおもいませんでした。

切った花は速く萎む。自然に萎むまで根のある枝に着けておいてやりたい。

 

孫の望みをかなえてやったのは、吾と吾が心に何事か言い聞かせての末のことでした。

鉢に咲いた蘭の花。一枝いくらと値踏みするような見事な一枝に家の嫁はチョンと鋏を入れました。

そして御宝前の花瓶の一つにさしました。「あっ、勿体ない。

咲かせておけばいいのに」と思った私に嫁は「お父さん、萎むまで咲かせると来年は咲かないの」と説明しました。

 

 

見事な切り花を一抱え持って来た近所の母ちゃん。

「これ、仏様に進ぜてちょう」私は「勿体ない、切っちゃって」「いいんだよ、仏さんにあげるって作ったんだから」と。

 

「萎めるを去って、新しきを供える」とお経文の中にありますが、これがお花を供える基本の心持ちです。

「お花をあげる」という事を心置きなく行なうには、嫁のようにお花の知識、経験も必要です。

あの母ちゃんのように、仏様にあげると計画して作った心がけも大切だったのです。

お寺の庭に咲く花々を見る時、仏様にお花をあげているな、と思います。

 

◎自然の恵みの中で咲く花、命を輝かせて癒してくれます。

切り花にして飾る花、御仏様の慈悲心ですね、私たちを優しく見っめて見守って頂いています。