『今を生きる』

喜びは苦難のはて

 

救急車の警笛に聞く

今日は、神奈川県のご住職から「救急車の警笛に聞く」というお手紙を紹介しましょう。

私は、昨年、胃潰瘍が思わしくなく救急車の警笛に聞く

あら、市立病院へ四十日あまり入院することになったのです。

その病室は内科病棟四階の四二一号室でしたが、窓から田圃をへだてて足柄の山脈が連なり、

晩秋の風に薄雲が浮遊し、日だまりに親子猫がたわむれているなど久方ぶりに日頃の忙しさから解放され、

心安らぐ思いでした。比較的軽症患者の四人屋でしたが、次第に親しくなるにつれ、

ある日、隣のベットの老人が「貴方は和尚さんだからいいますが、私はこの室に入れられたとき、

いやな気分でしたヨ、だってこの室「死にいい」という室番ですからネ」と言うのです。

なるほど言われてみれば四二一号室ですから、心臓を患って入院した七十六の老人の心は、

入室の刹那「四二一室と受けとめたのだしょう。そんな番号に無頓着だった

私は咄嗟に「だって、よにいい(四二一)室ではないでしょうか」と申しますと「さすが和尚さんだ、

私も退院が間近いのだからなるほど「世にいい室」だったのですネ」と白い歯を見せてうなずきました。

われわれの心にはそのときの条件で「死にいい」とも「世にいい」ともする心が隣合せて存在するのでしょう。

 

 

また市立病院ですから救急車の来ない日は滅多にありません。

その警笛は、遠いうちは、ヨーシー、ヨーシー、と聞こえます。だんだん近づくにつれ、急迫を告げるかのようにダメー、ダメーとさえ聞きとれるのです。

人間の心にヨシとする心とダメとする心が同居しているかの証しのようです。

十界互具とか一念三千とか申しますと仏教は難しいようですが、要は「死にいい」と「世にいい」、「ダメ」と「ヨシ」が私どもの心に同居しているということでしょう。いずれを選ぶかイヤを選ぶべきか、仏教信仰の要を示している思いです。

 

◎いつも数字のゴロ合わせで楽しんでいますが、どんな数字でも幸せを呼びます、幸せを引き寄せたいですね。