ネットニュースで<息子から「命令しないで」といわれた母親 切り返しの『正論』に「めっちゃ刺さった」>という記事を読んだ。
この記事では全4ページの漫画が紹介されていたが、作品名は見当たらなかった(もしかしたら有るのかも)。
漫画の作者は「ぬこー様ちゃん」とのこと。敬称が二つもついており、独特なペンネームだなと感じた。
漫画を読んだのだが、違和感を抱いた箇所が複数あった。
以下では、それらの箇所を述べていく。
1ページ目。
母親が主人公(=幼少期の「ぬこー様ちゃん」)に「あんた ちゃんと宿題せられえよ?」と呼べているが、絵から判断して、主人公は宿題と思われるテキストを開いているし、右手には鉛筆と思しき筆記用具がある。つまり、主人公はこれから宿題を行おうと思っているのではなく、既に宿題を行っているのである。
この母親は自分の息子のことをきちんと見ていないのだなと筆者は感じてしまった。
人は、肩に何か掛かっているなどといった特殊な場合を除けば、洗濯物を運んでいるときに首を動かすことが出来る。
息子に話しかけるときに、息子の方向を見ようともしない母親ってどうなのかなと少し思った。
歯磨きをしている最中の息子に「歯磨きしなさいね」と語り掛ける母親がいたら、或る者は「ギャグかよ」と感じるだろうし、或る者は「うわー」と感じるだろう。
2ページ目。
母親は主人公に命令することが多かったようで、「ぼく命令されると やる気なくなるから命令しないで」とお気持ち表明する。
それに対して母親は「はぁ?」「何ちばけたこというとんなら?」と怒り出す。
訛りによる影響は兎も角として、これらの台詞は子供への口調としては品がなさすぎるように感じた。
筆者は人生で初めて「ちばけた」というフレーズを見聞きしたが、今後の自身の生涯でこの語句を使うことは恐らく無いだろうなと感じられたし、このフレーズの意味を調べることもなかった。
なお、本漫画は母親が方言を話しているのに主人公は方言ではなく標準語を話しているというギャップがある。
3ページ目。
母親は主人公に以下の台詞を吐く。
「なんでもかんでもお膳立てしてもらって当たり前じゃとおもっとらんか?」
「何様じゃとおもうとんな?」
「誰もあんたのやる気に配慮して生きとらんけ」
「言われる前にやらんあんたが悪い」
「自分のやる気を人のせいにするな」
筆者はイライラしている母親の台詞を見て、「自分の思い通りにならないときに怒りをぶちまける人っているよなあ」と呆れてしまった。
「命令するのをやめてほしいと本音を打ち明けること」と「なんでもかんでもお膳立てしてもらって当たり前だと思っていること」は同義ではない。
「何様じゃとおもうとんな?」は「あんた(主人公)は私(母親)に対して『何様じゃ』と思っているな?」という意味かと思われる(筆者は方言に疎いので正確性は保証できない)。
しかし、主人公は「せっかくのモチベーション(やる気)を無くさないため命令しないでほしい」と思っているにすぎず、「お母さん何様だよ」などと思っている訳ではない。
要するに「あんたは私に対して『何様じゃ』と思っているな?」という母親の想定は誤っている。
「誰もあんたのやる気に配慮して生きとらんけ」との台詞に対しては、主人公に「私もあんた(母親)のやる気とか気持ちに配慮して生きてないよ」と切り返されたらどうするのかなと思ってしまった。(まあ、無言になるか怒りを増幅させるか暴行を加えるかのいずれかだろうと思われる…。)
「言われる前にやらんあんたが悪い」とあるが、一般論として子供は成人よりも周囲の状況を把握する能力が低い。子供は周囲が期待していることを当然のごとく率先して行うものだと認識しているのであれば、それは間違っている。
「自分のやる気を人のせいにするな」とあるが、これも「他者が自分の思い通りに動かないことを他人(ひと)のせいにしているのはどちらの側なのだろうか?」と筆者は疑問に感じてしまった。
この母親に限った話ではないが、ブーメラン発言をする者は自分がブーメラン発言をしていると気づいていないケースが多い。
4ページ目。
主人公は母親の威圧を受け、「お風呂お先にいただきます」と畏まった姿勢で言う。コマの左下に「おう」という吹き出しがあるが、これは母親の台詞であろう。
まともな家庭で育った方であれば判ると思うが、育児者は子供の前では言葉遣いに気を付ける必要がある。
品の良い口調と品の悪い口調であれば、子供との会話において望ましいのは前者である。
方言にもよるので断定はしないものの、女性が「おう」と言うのは品が良い口調とは考えにくいようにも思われる。
枠外には「感謝の心、大事だね!」との文章も付記されている。もちろん一般論として子供が親に感謝の気持ちを持つことは良いことだし、主人公がそのような心を持ったとしても、それは個人の自由である。
しかし、主人公が「お風呂お先にいただきます」と畏まった姿勢で言ったのは、母親の威圧によって「感謝の心の大切さ」を学んだからではなく、「機嫌の悪い母親の機嫌を良くするのに効果的な態度がどういったものなのか」を成長途上の頭脳で瞬時に考え、「このような言動をすれば母親の怒りが収まるだろう」と判断したからなのではないのか。そのように受け取った人がいたとしてもおかしくはない。
この漫画で描かれた体験から主人公が学習したことは「感謝の心」などというものではなく、「自分の母親が『あんたが悪い』などと喚くような他責的な人間であるということ」だと読み取ることも出来る。
ネットニュースの記事では「母親はほかの人たちにも都合がある現実を教えた」と書かれているが、これは疑わしい。仮に母親がそう教えたかったのならば「私(母親)は家族のために洗濯などの仕事を行っている。自分の都合だけではなく自分以外の都合も考えなさい」などのように述べれば済むだけのこと。ああいった品のない言葉を投げかける必要があったのかは疑問の余地がある。
記事には「誰かに命令される前にやるという対処法」とあるが、それって今の日本で様々な問題を引き起こしている「忖度」そのものだよねと感じないこともない。
最後になるが、世の中には待つということへの忍耐力が著しく乏しい大人というものが存在する。
筆者が街を歩いていると、子供の車の乗り降りが遅いというだけで、その子供に怒りをぶちまけている大人を見かけることがある。
直ちに乗降しないと事故の危険がある状況や、車内で急病人が発生している状況など、急を要する場合は別として、せいぜい10秒ほど待てば良いだけなのに「とっとと来いって言ってんでしょ」などと怒声を撒き散らしている大人たちを見るたびに、筆者は一人の大人として強く残念に思う。
本漫画の1ページ目の3コマ目において、お風呂がわいている絵が主人公の吹き出しに載っていることは、お風呂がわいた音が鳴ったなどといった出来事が直前に発生していた可能性を示唆している。
その場合、母親は主人公が浴室と思われる方向へ歩いていることから頭を働かせて「この子が浴室の扉を開けたのなら何も言わないでおき、この子が浴室以外の場所へ行ったのなら声掛けしよう」と判断することも出来たのではないか。筆者はそう考えている。