ここ最近は『ツァラトゥストラはかく語り』を読む機会が多く、その過程で普段なにげなく使っている単語の正確な意味を確認する機会も増えた。
或る日、名詞「理性」を辞書で調べたところ、『新漢語林 第二版』など辞書によっては、その対義語が「本能」となっていることに気づいた。
或る雑誌の表紙でも理性と本能を対比的に捉えていると思しきフレーズが採用されている。
だが、「理性」の対義語を「本能」とするのは疑問の余地があると思う。
「父親の対義語は何?」と問われた時に「お母さん」と答えてしまうのは著しく不自然である。
「お父さん」の対義語であれば「お母さん」だが、「父親」の対義語であれば「母親」と答える必要がある。
「男性」の対義語を「おんな」と答えてしまうのも同様に不適切であり、「女性」と答えるのが正しい。
『明鏡国語辞典 第二版』で「理性」という名詞を調べたところ、以下のような語釈が載っていた。
本能や感情に支配されず、道理に基づいて思考し判断する能力 「―で判断する」「―を失う」
「理性」という項目には対義語が示されていなかったので、今度は「理性的」という形容動詞の項目を読んでみた。
すると、「本能や感情に支配されず、理性に基づいて判断し行動するさま」という語釈と共に対義語として「感情的」という語彙が載っていた。
「理性的」の対義語を「感情的」とみるならば、「理性」の対義語は「感情」ということになるのであろう。
では、「〇性」(〇には漢字一文字が入る)という形で「理性」の対義語を考えるならば、どのような名詞が相応しいと言えるだろうか。
個人的には、「理性」の対義語としては「野性」が挙げられると考えている。
「野性的」という単語を複数の辞書で調べると、『広辞苑 第六版』に「動物的な本能をあらわに感じさせるさま。粗野で、力強くたくましいさま」と説明されているのが判る。
理性は「人間を人間たらしめ、動物から分かつもの」と定義される。
「動物的な本能」というのは「理性」と対になっているし、「本能や感情に支配されず、理性に基づいて判断し行動するさま」という『明鏡国語辞典 第二版』の語釈にも適っている。
「男性」の対義語が「女性」で、「急性」の対義語が「慢性」で、「顕性」の対義語が「潜性」であるように、「野性」は「理性」の対義語の一つだと言えるのではないだろうか。