ネットで一つの記事を読んだ。
梅宮アンナ、50日滞在してわかった「大好きだったアメリカ」の悲惨な現状。育児にベストな国ってどこなんでしょうね|OTONA SALONE[オトナサローネ] | 自分らしく、自由に、自立して生きる女性へ
定期的に渡米する生活を長らく送ってきた梅宮アンナは今年の5月に渡米して昨今のアメリカの社会状況を目の当たりにする。
サンフランシスコに行って、驚きました。言い方は悪いですけど、町中がゴミとジャンキーだらけなの。あの美しかったサンフランシスコが、どんよりとした町になっていて。
駐車場に止めてある車の窓が軒並み開け放してあるんですよ。なんでかなと思ったら、ガラスを割られて車上荒らしにあうからあえて窓を開けておくんですって。LAだって、あの治安のいいオレンジカウンティで人が撃たれたりして。衝撃でした。
アンナは信じがたいほどアメリカの治安が悪化していると述べる。
私は10代からアメリカに通い、長い間アイラブアメリカ!と言い続けてきました。でも、目が合えばハイ!と挨拶を交わす人々の温かさが、こんなに急になくなるの?と、信じられない思いで50日を過ごしました。人々がどこか殺伐として余裕がなくて、そこかしこでけんかも見かけて。悲しくなって帰ってきて、それからはアイラブジャパン!です。あまり語られませんが、これが現在のアメリカの状況だと思います。
「渡米経験のなかった日本人が初めてアメリカを訪ねたことでアメリカに抱いていた幻想を失った」のではなく、「10代の頃から渡米しアメリカ好きだった日本人が最近になってアメリカの現状を悲しく思うようになった」というのがポイントな気がする。
では、わが子はどの国にいれば将来にわたって安全かつ安心なのか? 日本円がこれだけ弱くて、日本そのものの先行きも明るくない。いっぽうのアメリカだって、このように世紀末みたいな状態です。
日本は日本で深刻だし、米国は米国で深刻ということを述べているのだろう。
わが家は娘を小学生からインターナショナルスクールに進学させました。私、梅宮家をお金持ちと思ったことはなかったけれど、お金に大きな苦労もない家でした。でも、インターはお金持ちのケタが違いました。たとえば学費が年間1人350万かかりますが、そんな学校に子どもを3人4人と通わせているお家が普通にあるんです。
資本主義社会では貧富の格差がどうしても発生してしまう。日本でも若い世代を中心に親ガチャというスラングが流行するようになっている。
そんな環境にいると、勘違いを始める子どももいます。「お母さんたちはお金持ちだけど、それは親のお金であって、子どもたちのお金ではないよ、別の話だよ」ときちんと教育できればいいけど、それはなかなか難しいんですね。
どういう意味で「勘違いを始める子ども」と表現しているのかは詳しく書かれていないが、流石に「親たちのお金は全て子供たちのお金である」と思っている子供はいないのではないか。
先進国では児童労働が禁止されているため子供たちは生きるのに必要なお金を稼ぐことが基本的に出来ない。
よって子供は親などといった養育者から衣食住やお金を受け取って生きることとなる。
「親たちのお金は全て子供たちのお金である」は誤りだが、「親たちは自分の資産の一部を子供のために使う義務がある」は正しい。
たとえば、お母さんたちはファーストクラスに乗っても、子どもは必ずエコノミーに乗せるような、親は親という教育が必要。それが徹底できたお家は、お互いが納得していい親離れ、子離れをしていたなと思います。
子供に不必要な贅沢をさせないというのは真っ当だし、自分も可能な限り質素に育てた方が良いと考えている。ただ、自分がこの親の立場なら家族全員でエコノミークラスに乗るかなと思う。子供の年齢にもよるが、空の旅は何時間もかかることが多いし、子供のことが好きな親であれば成るべく子供のそばにいたいと思うはずなので。
精神的な面での親離れが難しかったケースも見ました。たとえばお友達の中には、厳しいママの言う通りに必死で努力して、アメリカのいい大学に進学した立派な子がいます。でも、親の言うがままに努力するのは得意だったけれども、自分で決めて選ぶ経験はしてこなかったから、いざ親元を離れると自分が何をすればいいのかも、何をしたいのかもわからなくなってしまって。結局うつ状態に陥り、もう退学して日本に帰りたいと言っていました。
こうした例は子どもの教育費に糸目をつけない、裕福なお家の子に多い傾向でした。自分の人生を生きていないとでもいいますか。うつの原因を一つに決めつけるのはよくないことですが、「自分で自分の人生をコントロールできていない」と感じる場合はリスクが上がるのだなと思いました。
アメリカの名門私立大学は学力があまりなくとも親の資金力次第で入れると聞いたが、「必死で努力」とあることから、その立派な子の家庭はそこまでの富裕層ではなかったのかもしれない。
もしくは「アメリカのいい大学」というのはアメリカにある公立大学のことなのかもしれない。
なお、その子は「自分が何をすればいいのかも、何をしたいのかもわからなくなっている状態」とのことなので、「自分で自分の人生をコントロールできていない」というのは「自分で自分の人生をどうコントロールすればいいのかが分からない」という感じだったのかなと思う。
父を何度も怒らせ、手も上げられましたが、それでよかったといま自分で痛感しています。だって、私、親をなめたことがないんだもん。怖いから。私には生きる姿勢そのものを示す「父という正解」があり、それが答えを自分なりに導き出す助けになりました。
周囲を恐れさせる者は、畏敬される者と、面従腹誹される者とに分かれる。アンナにとって父は前者だったらしい。
この時代、どんどん親が怒らなくなっています。自己肯定感という面でそれはいいことかもしれませんが、子どもは怒られ慣れてないから、社会に出たときにおかしいことになってしまう。親は口を出さず「姿勢を示す」ことが大事なのかもしれない。また、他人の目ではなく、子どもの目に自分がどう映るのかを意識すべきなのかもしれないです。
叱ると怒るは違うという話をどこかで聴いたことがある。「怒られ慣れる」というパワーワード。子供が自分の親は立派と感じている親は、子供に対して「姿勢を示す」ということが出来ているというのは確かに正しそうだ。
なお本記事では「勘違い」というワードが出てきたが、恐ろしいのは強ち勘違いだとは断定できないことだと思う。
「勘違いを始める子ども」という表現を見て筆者は鄭ユラ氏のことを連想した。
ユラ氏は「能力がないならお前の両親を恨め。私の親のことでつべこべいうな。カネも実力だよ」とフェイスブックで主張したり、学校での欠席の多さを指摘した教師に「お前なんて教育相に言って代えてもらえる」と罵声を浴びせたりしたことで知られている。
見落としてはならないことがある。ユラ氏がこれらのような行動に走ったのは、ユラ氏が「自分は親ガチャに成功している」と勘違いしていたからではなく、実際に親の力の恩恵を受けることが出来ていたからである。
無論ユラ氏の事例は親が人としてろくでもないモンスターだったケースと言える訳だが、そうでないケースであっても親が死んだ場合、余程のことがない限り、子供は親の資産の一部を相続してゆくこととなる。
また、どんなに質素な教育方針の家庭であっても、基本的に親たちの住む住居と子供たちの住む住居は同じはずである。
つまり、富裕層の親に生まれた子供たちは基本的に富裕層の親が住むような豪邸で暮らすこととなる。
端的に言ってしまえば、富裕層の親に生まれた子供たちが豪邸に居住できているのは、生まれが良かったからである。
富裕層の親に生まれた子供がそうでない子供より色々と恵まれた生活を送れるというのは、ただの事実に他ならないのだ。
以上のことを踏まえると、アンナは「勘違い」よりも「思い上がり」と表現した方が正確だったのかもしれない。