地方自治体の図書館や学校の図書室は数十年前の本が置いてあることも多い。
私が通っていた小学校の図書室もそうであった。
休み時間に、本棚に並んである古めの本を流し読みしていると、「口がきけない」というフレーズが目に入った。
文脈などから「話したり喋ったりすることができない」という意味だろうと類推できたものの、このフレーズは私を困惑させるのに十分だった。
「『きけない』って『聞けない』ってカンジだよな。でも耳じゃなくて口となっているんだよな・・・」と疑問符が湧いた。
中学に入ったあたりで「口が利く」や「気が利く」などの「利く」に着目して漸く「口がきけない」という言い回しへの違和感が解消された。
小学生のとき「シンガーソングライター」という単語を見て「すごく変だな」と感じたことがある。
当時からシンガーが歌手で、ソングが歌で、ライターが書く人だという程度の英語の知識はあったので、「シンガーソングライターはシンガー・ソング・ライターと分けられるけど、歌手・歌・書く人って何かがおかしい」と困惑してしまった。
中高で英語の知識が深まるとともに「シンガーソングライターはシンガー・ソングライターと分けるべきで、この分け方なら『歌手』・『歌を書く人』となり、意味が通る」と納得できるようになった。
もう一つ紹介しよう。小学生向けの社会のテキストに歴史という分野があった。自由民権運動というテーマのページに「建白書」という単語があり、「国会と白色って何か関係あるのかな」と不思議に思った。
父に「白色というのは不思議だね」とコメントすると父は「この白は白色という意味ではないだろ」と呟いた。
この呟きに当時の私は「え?」と感じたが、今の私であれば「告白や自白の白という意味だったのだな」と納得できる。
『ツァラトゥストラはかく語り』を読み進めていくと、「自分は日本人なのに日本語の訳文を完全には読めていないのではないか」という不安を感じることもある。
日本語の言葉が持つ複雑さと奥深さは魅惑的であり、蠱惑的でさえある。