2023年9月25日に発表された「適菜収のメールマガジン vol.217」で哲学者の適菜収さんはタレントの茂木健一郎さんを酷評した。

冒頭にある「系譜で読む」というコラムは系譜の重要性を論じた内容となっている。

 

 

―系譜で読む
前回このメルマガの「読者からのお便り」コーナーで鮨屋の系譜の話を少ししたが、どのジャンルでも系譜を追うことは大事だと思う。たとえば読書をするときに系譜のようなものが頭の中にあれば、次になにを読めばいいか、おのずとわかってくる。歴史の中に位置づけられていないピンポイントの知識は、実際にはあまり役にたたない。
たとえば大衆社会について考えるときに、フロムの西欧近代の分析を読んで面白かったら、ホルクハイマー、アドルノ、ベンヤミン、マルクーゼを読むことになる。フランクフルト学派という括りなら、第3世代~第4世代まで含めれば膨大な量になる。
『道徳の系譜』を書いたのはニーチェだが、その影響を受けたフーコーは「系譜」そのものを扱った。
系譜を理解していないと、足元をすくわれる。
卑近な例で言えば、先日、脳科学者を名乗る茂木健一郎が、「ジャニーズにだまされる人は、芸術の教養が根本的に欠けている。クラシックからロック、ポピュラーまで、音楽のほんものに触れていれば、SMAPや嵐には騙されない。ジャニーズを聴くんだったら、モーツァルトやビートルズ、ボブ・マーリーを聴いた方がはるかに深く世界に通じる教養が身につく」とツイート。一昔前に流行った「中2病」ってやつですね。
某音楽家が「この方、解散騒動の時はSMAP絶賛してたよね。今はモーツァルトと比べて蔑む。炎上か、風見鶏か、ダブスタか知らないけど、芸術教養の前に品が無いなと感じます」と茂木を批判していたが、たしかにそれ以前の話。モーツァルト、ビートルズ、ボブ・マーリーという並べ方自体が頭悪そう。
音楽も系譜で聴いたほうが楽しいと思います。

 

 

このコラムを読み、まず「足元をすくわれる」という誤記に気づいた。

筆者が「足元をすくわれる」の誤記を本で初めて見かけたのは父方の実家の本棚にあった森一郎の『試験にでる英単語』だった。

『試験にでる英単語』の日本語の文章に「足をすくわれる」とすべきところを「足元」とする誤りがあり、「学習参考書でもこういった誤記はあるのだな」と当時10代だった筆者は軽く驚いた。

誤記の中には典型的というべきものがあり、「単刀直入」を「短刀直入」とする誤り、「掛けがえのない」を「欠けがえのない」とする誤りなどは見かける機会も少なくない。

 

「足をすくわれる」は「隙を突かれて失敗に追い込まれる」という意味の慣用句であり、「こんなようでは足をすくわれる!」と考えている書き手自身が日本語を正しく用いることに失敗しているという状況は何とも言えない印象を受ける。

 

適菜さんは「モーツァルト、ビートルズ、ボブ・マーリーという並べ方自体が頭悪そう」とも述べているが、モーツァルトはクラシック音楽家であり、ビートルズは世界的に有名なロックバンドである。これらを踏まえるなら、「モーツァルトやビートルズ、ボブ・マーリー」という箇所は「クラシックからロック、ポピュラーまで」と対応しているのかなと判断しうる。

 

もっと系譜にそって音楽家を列挙すべきだったというのは間違っていないが、ツイートには字数制限などもある。

レゲエはポピュラー音楽の一ジャンルと捉えうるが、ボブ・マーリーと聞いて直ちにポピュラー音楽を連想する人は多くないだろう。

ボブ・マーリーよりも、キング・オブ・ポップで知られるマイケル・ジャクソンなどの人物のほうが読み手にポピュラー音楽を連想させやすく無難だったように思う。