九代目七右衛門の徒然日記 -8874ページ目

白馬八方尾根スノーパーク好調「雪あります!滑れます!」

今日の毎日.jpに、しなの見聞録:八方尾根スノーパーク好調「雪あります!滑れます!」という記事が掲載されていました。

スノーボード用に設計されジャンプ台などを備えた滑走施設「八方尾根スノーパーク」(白馬村八方北尾根第3)が好調だ。オープンから2季目の今季の利用者は約1カ月間に、延べ約6万7000人。少雪に悩む地元では「雪はあります。上の方なら5月の連休くらいまでは滑れます」と全国に呼び掛けている。

◇利用者は今季1カ月で6万7000人■子供も大人も

スノーパークは、米オレゴン州で毎夏開かれる世界最大級の「ハイカスケードスノーボードキャンプ」が設計した日本初の施設。初・中級者向けの施設で、面積約5万平方メートル、標高1215メートルから同1100メートルまでの標高差115メートル、全長約500メートル、平均斜度約15度。高さの異なるジャンプ台6基、レールと呼ばれる長さ6~9メートルの滑走台が4基、配置されている。昨年3月8日~4月6日の全開設期間の利用者は延べ約7万1500人。今年は期間を2倍の1月31日~3月31日に拡大。認知度が高まり、電話での問い合わせの多さや、同村内の宿泊客の動向などから、利用者数はかなり伸びそうという。専任スタッフが常駐する託児所の設置など、集客への細かい配慮も影響しているとみられる。パークには施設整備や安全面を管理する「ディガーズ」と呼ばれるスタッフ7人が常駐する。ディガーズの小島アラブ一成さん(29)は「小学生から60歳代まで利用者は幅広く、今季は多い時で1日延べ約4500人が楽しんでいる。沖縄からもボーダーがやってきた」と話す。スキーでも滑走できるが、跳躍台のカーブがボード用に整備されており、スムーズにジャンプできるなどの点がボーダーの評判になっているという。

■ボードできます

しかし今季は少ない降雪量のため、八方尾根全体では利用者は伸び悩んでいる。さらに長野冬期五輪のジャンプやアルペン競技の会場でもあり、スキーが盛んな八方尾根ではボードは利用できないのでは、との先入観があるという。スノーパークを運営する八方尾根開発では「東京に営業に行った際、八方でボードができるのかと聞き返され、驚いた」と話す。八方尾根では、かつてアルペンスキー客との事故を避けるためスノーボードを数年間受け入れなかった時期がある。こうした事情も影響しているのでは、と話す地元関係者もいる。同社では「ボードもできます。雪もあります」と訴え、利用者の呼び込みに知恵を絞っている。スノーパークの滑走時間は10~12時と13~15時半。問い合わせは八方尾根開発0261-72-2715。

スキーグラフィック4月号

スキーグラフィックの4月号を購入しました。
九代目七右衛門の徒然日記

今回号の目玉は、ニューモデル全60台の試乗レポートです。3月1日に瑞穂ハイランドで行われた試乗会には間に合わなかったので、この試乗レポートがとても楽しみでした。どのメーカーも今シーズンモデルのコンセプトの説明と、ナショナルデモらによる詳細なレポートが掲載されておりとても参考になりました。

技術記事も全日本技術選の有力選手のインタビュー記事やショートターンレッスンなどためになるものでした。

また、付録のDVDは、第46回甲信越ブロックスキー技術選手権大会レポートや、岩渕隆二さん、竹節一夫さんのコブレッスンなど、付録とは思えないほどの映像がたくさん入っていました。

広告の中に、今年の技術選のビデオを予約すると、予約者全員に好きなDVDを1本プレゼントしてくれるという事で、早速申し込みました。プレゼントで頼んだDVDは昨年度の総合優勝者である井山敬介選手の「アグレッシブカービング」です。指導員の養成講習会で「古い滑り」とさんざん言われたので、このDVDを観て「今の滑り」をマスターしたいと思います。(笑)

でも、いつも思うのはスキーグラフィックもスキージャーナルも、西日本のスキー場の情報がほとんど掲載されていないことです。唯一載っていたのは女鹿平温泉めがひらスキー場で3月20日に行われるバッジテストの検定スケジュールと、瑞穂ハイランドの小賀坂ニューモデル試乗コーナーの事のみでした。どちらも白黒で数行だけ。西日本のスキー熱も熱いので、もっと掲載してほしいと思います

白馬村で全日本スキー技術選手権大会開幕

今日のYOMIURIONLINEに「名人戦」の舞台が雪不足という記事が掲載されていました。記事の内容は下記の通りです。
九代目七右衛門の徒然日記

全国のスキー指導員が滑りの優雅さ、巧みさを競う第46回全日本スキー技術選手権大会(通称 技術選)が10日、白馬村の白馬八方尾根スキー場で開幕した。今季は雪不足のため、直前にコースを大幅変更するなど、実行委員会は運営に四苦八苦している。大会は1964年にスタート。速さを競うアルペン競技や、技の難易度で得点を争うフリースタイル競技と異なり、コブ斜面や不整地の急斜面できれいな回転孤を描けるか、スキー板の性能を引き出せているかなどを競い、“スキー名人戦”とも称される。同スキー場での開催は、4年ぶり27回目。大会期間中は、選手や役員計約700人が滞在する。「宿泊施設の利用など、経済効果は大きい」と実行委の丸山宏充事務局長は話す。しかし、予想外の雪不足に、実行委は対応に苦慮。当初、9コースを使って14レースを行う予定だったが、10日の組織委員会で、9レースのコース変更と、1レースの中止を決めた。競技は11日からで、見所の一つが14日午前10時からの決勝。白馬ジャンプ競技場の着地斜面に、最大斜度37・5度、全長120メートルのコースを設ける。大勢の見物客も見込んでいるが、丸山浩之競技本部セクレタリーは「整備を進めているが、雨や高温の日が続けば厳しい」と気をもんでいる。との事でした。

当初レースコースに予定されていた名木山ゲレンデも所々茶色い地肌が見え、雪不足が深刻のようです。今日から明日にかけて雪の予報ですが、金曜日と土曜日は傘マーク()になっているのが気になります。なんとか全競技が無事に開催されてほしいと思います。

温泉津(ゆのつ)温泉 元湯「薬師の湯」

Café bar 路庵(ROAN)で、外湯に入りたいのですがと聞いたところ、元湯と薬師の湯の2軒があって、元湯の方はとても熱くてシャワーもないので薬師の湯のほうがお勧めですといわれたので、薬師の湯に行ってみました。路庵から歩いて5分ほどでした。薬師の湯は2005年9月付けで、日本温泉協会の新基準による審査の結果、全項目「オール5」の天然温泉として認定された温泉だそうです。「オール5」の評価の温泉は全国でわずか11箇所しかないそうです。

元湯よりはずいぶんと新しいということですが、それでも明治の頃からの歴史があるそうです。建物自体は、旧館から移設したということで、旧館は隣で喫茶店になっていました。
九代目七右衛門の徒然日記

入浴料は大人300円、小人150円で、シャンプーをするとプラス50円。備え付けのシャンプーリンスは無いので、200円で購入しました。泉質は含二酸化炭素-ナトリウム・カルシウム-塩化物泉、効能は神経痛、関節リウマチ、冷え性、糖尿病、など、設備は内湯のみとの事でした。
九代目七右衛門の徒然日記

更衣室です。
九代目七右衛門の徒然日記

浴室です。こじんまりとした空間に、楕円形の浴槽が1つありました。
九代目七右衛門の徒然日記

浴槽周りには、温泉成分がびっしり付いていました。
九代目七右衛門の徒然日記

そしてその浴槽には、白っぽい黄褐色のお湯がこんこんと流れていました。
九代目七右衛門の徒然日記

顔を洗った時になめた感じは、塩味が混ざっていてやや苦味がありました。「オール5」評価のお湯は抜群で、肌がひきしまる感じでした。
九代目七右衛門の徒然日記

新聞や雑誌にもいろいろ紹介されているようで、切り抜きがたくさん貼ってありました。
九代目七右衛門の徒然日記

風呂から出ると屋上に上がってみて下さい。町の明かりが綺麗ですよ。と言われたので上がってみました。2階建ての建物で、階段を上がると、2階と屋上で休憩ができるようになっていました。
九代目七右衛門の徒然日記

温泉街を見下ろせるロケーションがいい感じで古い町並みが情緒をかもしだしていました。
九代目七右衛門の徒然日記

すっかりいい気分になって、温泉津温泉を後にして自宅に戻りました。まるで別世界のような一日を楽しむ事が出来ました。

温泉津(ゆのつ)温泉 Café bar 路庵(ROAN)

すみあい塾が終わり皆さんと別れた後は、夕食をとりに温泉街としては初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された温泉津(ゆのつ)温泉に行ってみました。
九代目七右衛門の徒然日記

石見銀山徹底ガイドというwebサイトで見た路庵(ROAN)という店が感じが良さそうだったので電話してみたところ、24時まで営業してますよというお返事だったので早速向かいました。温泉津は当時中世~近代に隆盛を誇った石見銀の輸出港でもあったそうです。そのため、港町は先ほど行った大森町とともに世界文化遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の登録を受けています。温泉津港から山側に伸びる温泉街は、賑やかな歓楽街などが見られず、鄙びた日本旅館が両側に立地する静かな街並みとなっていました。
九代目七右衛門の徒然日記

温泉街のほぼ中央にCafé bar 路庵(ROAN)はありました。Café barといっても定食もやっていました。
九代目七右衛門の徒然日記

かつて栄華を極めた温泉津温泉街と石見銀山遺跡に「色気」と「活気」をとりもどしたいと、築100年の古民家を改修して作られたというお店は、開放的でお洒落な空間でした。「先ほど電話したものです。」と言うと、若い女性が2名出迎えてくれました。
九代目七右衛門の徒然日記

地元温泉津で採れた新鮮な魚を使ったオリジナルメニューが有名との事で、おまかせ刺身の盛り合わせを注文しました。だるま(タイの一種)とさわらの盛り合わせでした。ぷりぷりしていてとても美味しかったです。
九代目七右衛門の徒然日記

バーカウンターです。日本酒がたくさん並んでいて落ち着いた雰囲気の店内です。
九代目七右衛門の徒然日記

ここはお酒も沢山あって、全国各地の美味しいお酒が豊富にありました。お勧めは、一般のお店ではお目にかかれない、地元の酒造り会による限定酒「亀五郎」と書いてありました。梅酒も沢山あり、数えたら24種類ありました。地元椿窯のお皿もよかったです。
九代目七右衛門の徒然日記

地産地消の食材を使っているそうです。
九代目七右衛門の徒然日記

2階もあり、大人数での宴会も出来るようでした。
九代目七右衛門の徒然日記

他にも焼き魚の定食やオムライスやチーズライスなどたくさんのメニューがありました。また来たいと思います。

すみあい塾 群言堂石見銀山本店

今回のすみあい塾最後の見学場所である群言堂本店に行きました。良く見ないと分らないほどの質素な看板がありました。
九代目七右衛門の徒然日記

午前中、五百羅漢から旧河島家に行く途中で見た感じの良い家が群言堂であったという事にこの時気づきました。
九代目七右衛門の徒然日記

この門は通用門ではなく、中に竹が植えてあり、見学者のための門のようでした。
九代目七右衛門の徒然日記

入口の手前にもこんな看板がありました。上に乗っているのは古いミシンのオブジェです。
九代目七右衛門の徒然日記

ショーウインドウの中は、とても懐かしい雰囲気がする空間でした。
九代目七右衛門の徒然日記

どの看板もとてもいい感じのものです。
九代目七右衛門の徒然日記

中に入ると手前が喫茶になっていました。机や椅子はなく、ここの畳に座って食べるようです。見学会の集団行動じゃなかったら、すぐにここでケーキセットでも注文しているところだったと思います。
九代目七右衛門の徒然日記

奥にはテーブルコーディネートがしてありました。
九代目七右衛門の徒然日記

家具と寝具の売り場です。
九代目七右衛門の徒然日記

一段下がったところに、「BURA HOUSE」ブランドと「群言堂」ブランドの商品が並んでいました。
九代目七右衛門の徒然日記

私は洋服よりもどうしても建物や建具に目が行ってしまいます。
九代目七右衛門の徒然日記

洋服を掛けてあるのは、釘抜きを壁に埋め込んだものでした。
九代目七右衛門の徒然日記

こちらは金槌です。
九代目七右衛門の徒然日記

店内はとても広々とした空間でした。
九代目七右衛門の徒然日記

こちらは良く見ると鎌の柄です。
九代目七右衛門の徒然日記

窓から見える中庭も、一間自然の林のように見えますが、よく手入れされていました。
九代目七右衛門の徒然日記

奥は布地のお店になっていました。右手には昔ながらの足踏み式のミシンが置いてありました。
九代目七右衛門の徒然日記

中庭のテーブルの中央にある草は、あぜ道の雑草を土ごと持ってきて入れたものだそうです。
九代目七右衛門の徒然日記

棚板の手前の木も、まがった丸太をそのまま利用したものでした。
九代目七右衛門の徒然日記

2階が休憩室になっているという事なので上がってみました。
九代目七右衛門の徒然日記

広々とした部屋にテーブルと座布団が置いてありました。
九代目七右衛門の徒然日記

窓からは外を見渡す事が出来ました。
九代目七右衛門の徒然日記

天井の小屋組みです。
九代目七右衛門の徒然日記

窓ガラスも歪んでおり、相当古いもののようです。
九代目七右衛門の徒然日記

階段の上から見たところです。
九代目七右衛門の徒然日記

ショップ内は下と商品ばかり気にしていたのですが、こちらも上を見上げると、立派な小屋組でした。
九代目七右衛門の徒然日記

ここで流れ解散のような形で、別れることになりました。ほとんどの方が石見銀山生活文化研究所に車を駐車されていたのですが、私は銀山公園に止めたので、一人反対方向に帰ることになりました。少しお腹もすいたし、せっかくだからここでお茶でもして帰ろうと思い、聞いてみたところCAFEの営業は午後5時までとの事で、ケーキセットを食べる事はできませんでした。残念でした。
九代目七右衛門の徒然日記

帰る途中で見かけた消防ポンプ小屋です。
九代目七右衛門の徒然日記

群言堂の向かいの社屋です。
九代目七右衛門の徒然日記

こちらの建物も群言堂のオフィスになっているようでした。
九代目七右衛門の徒然日記

銀山公園に戻ると、駐車場には私の車一台だけが残っていました。一番に来て帰るのは一番最後となってしまいました。まだまだみるところが沢山あった石見銀山です。今度は間歩(銀の鉱脈に行くための洞窟)にも行ってみたいと思います。日本民家再生リサイクル協会中国地区事務局のおかげで、大変有意義な時間を過ごす事が出来ました。銀山公園を出て、夕食を食べに温泉津(ゆのつ)温泉に向かいました。

すみあい塾 西性寺の鏝絵(こてえ)見学「鳳凰」

続いて鏝絵(こてえ)の見学で西性寺(さいしょうじ)に行きました。河島家、熊谷家と同じく渡辺孝幸氏の案内ですが、渡辺さんは、著書に「鏝なみはいけん」という本があって石州左官の歴史や鏝絵のうんちく、鏝絵めぐりについて書かれているそうです。
九代目七右衛門の徒然日記

石段を登って山門をくぐりました。
九代目七右衛門の徒然日記

西性寺は、1465年に建てられた浄土真宗の寺院で、
九代目七右衛門の徒然日記

現在の本堂は1845年に再建されたものだそうです。
九代目七右衛門の徒然日記

鏝絵についてのうんちくが書いてありました。
九代目七右衛門の徒然日記

山門(さんもん)をくぐって左手奥の経典(きょうてん)を納める蔵には、その4面の壁に鳳凰・牡丹・菊の鏝絵(こてえ)が描かれています。
九代目七右衛門の徒然日記

この鏝絵は、その名を全国に知られた仁摩町馬路出身の左官松浦栄吉が還暦を迎えた大正時代中ごろの作品だそうです。
九代目七右衛門の徒然日記

鳳凰の羽の端にはガラス玉が埋め込まれ、制作当時はキラキラと輝いていたといいます。
九代目七右衛門の徒然日記

松浦栄吉は。1858年に仁摩町馬路で生まれ、東京で左官として活躍していたとき、外務省の嘱託(しょくたく)として上海へ領事館建設のため派遣され、そこで、イギリスの新しい左官技術を修得したとの事です。
九代目七右衛門の徒然日記

また人間的な魅力もあって「左官の神様」と呼ばれていたそうです。
九代目七右衛門の徒然日記

壁の芸術ともいうべき鏝絵は、江戸時代に始まり、明治になってから国内で広く制作され、石見地方では寺院や民家にたくさんの鏝絵が残っているそうです。
九代目七右衛門の徒然日記

コーナーにも鏝絵が刻んでありました。
九代目七右衛門の徒然日記

お寺の鐘です。
九代目七右衛門の徒然日記

本堂も立派な建物でした。
九代目七右衛門の徒然日記

蔵の軒下には蜂の巣がありました。
九代目七右衛門の徒然日記

入口の上部です。
九代目七右衛門の徒然日記

家の所々にこのようなパイプが立ち上がっていたのですが、渡辺さんに「これは何ですか?」と聞くと、景観対策で電気、水道、ガス、テレビ、電話等の配線や配管をすべて地下に埋設して、このパイプから立ち上げる工事を進行中との事でした。さすが世界遺産の街です。
九代目七右衛門の徒然日記

ここで渡辺さんと別れて、最後の見学場所である群言堂本店に向かいました。
九代目七右衛門の徒然日記

すみあい塾 河島家と熊谷家

ここからは、大森銀山 温泉津(ゆのつ)町並みアドバイザーの渡辺孝幸さんの案内で見学をしました。
九代目七右衛門の徒然日記

渡辺さんは、地元大田市役所の元建築課長で、大森地区の保存事業に長年従事されてきた方で、財団法人文化財建造物保存技術協会 旧熊谷家住宅設計管理事務所の所長を勤められていたそうです。まず、午前中に行った河島家に行きました。私は午前中見学したので外で待っていました。
九代目七右衛門の徒然日記

続いて熊谷家に向かいました。
九代目七右衛門の徒然日記

行く途中、雨樋の説明があったのですが、銅製の雨樋を使用しているので穴が開いてしまい、漏っているそうです。
九代目七右衛門の徒然日記

乗用車乗り入れ禁止となっているので、本当に静かな町並みです。
九代目七右衛門の徒然日記

やがて熊谷家に到着し、皆さん見学に入られました。私はまた外で待っていたのですが、なかなか出てこられないので、午前中の入場券を見せて再入場させてもらいました。
九代目七右衛門の徒然日記

台所ではまたお茶を頂きました。
九代目七右衛門の徒然日記

(かまど)です。
九代目七右衛門の徒然日記

渡辺さんから黒漆喰(鼠漆喰)の話を聞きながら外へ出ました。
九代目七右衛門の徒然日記

やはり漆喰に墨を混ぜて塗ってあるそうで、白の漆喰より格調が高いと説明してくれました。白壁に比べて均一に塗るのが難しいそうです。
九代目七右衛門の徒然日記

すみあい塾 石見銀山代官所同心遺宅 柳原家保存修復工事

続いて石見銀山代官所同心遺宅 柳原家保存修復工事の状況を見に行きました。大森銀山重要伝統的建造物群保存地区の街並みをみんなで歩いていきます。
九代目七右衛門の徒然日記

横を流れる側溝から見上げた町の景色です。
九代目七右衛門の徒然日記

まだ修復工事の最中で、
九代目七右衛門の徒然日記

家の周りには撤去した土や資材が並んでいました。
九代目七右衛門の徒然日記

室内の様子です。月末には完成予定との事でした。
九代目七右衛門の徒然日記

こちらも太い梁が使ってあります。配線は碍子となっていました。
九代目七右衛門の徒然日記

裏側です。
九代目七右衛門の徒然日記

外から見た感じよりとても広い室内でした。
九代目七右衛門の徒然日記

(かまど)が作ってありました。
九代目七右衛門の徒然日記

天井を見上げたところです。
九代目七右衛門の徒然日記

小屋組みが見える空間というのは本当に癒されます。
九代目七右衛門の徒然日記

隣には蔵が建っていました。こちらは少し前に完成したものだそうです。
九代目七右衛門の徒然日記

主屋から雨に濡れずに行くことができます。
九代目七右衛門の徒然日記

裏側から見たところです。
九代目七右衛門の徒然日記

上の方には寿のマークが入っていました。
九代目七右衛門の徒然日記

外壁は腰の高さまで杉の皮が張ってありました。
九代目七右衛門の徒然日記

こちらは杉の焼板の壁です。
九代目七右衛門の徒然日記

すみあい塾 無邪く庵(通称ろうそくの家)

他郷阿部家の後は無邪く庵(むじゃくあん)に行きました。無邪く庵は通称ろうそくの家と呼ばれ、文明の利器を排除した家にしようと、電気やガスをひいておらず、ろうそくの火と囲炉裏の明かりだけの家だそうです。「群言堂」というブランドの原点となった建物で、松葉さんが仲間を集めてお酒を飲むためだけに直した家だと言っていました。
九代目七右衛門の徒然日記

屋根は板葺きでした。
九代目七右衛門の徒然日記

中に入ると中央に囲炉裏があり、まわりにはたくさんのろうそくがありました。
九代目七右衛門の徒然日記

机は鉄製でしたが、古さを感じるものでした。
九代目七右衛門の徒然日記

天井は張ってなく、屋根裏がそのまま見えていました。
九代目七右衛門の徒然日記

窓にはすだれのように縄がかかっていました。
九代目七右衛門の徒然日記

窓側から玄関側を見たところです。
九代目七右衛門の徒然日記

隅にも小さな囲炉裏がありました。ここはお湯を沸かす専用のようです。
九代目七右衛門の徒然日記

囲炉裏の上には火棚がありました。
九代目七右衛門の徒然日記

外に出て裏側から見たところです。
九代目七右衛門の徒然日記

裏側から見た屋根です。
九代目七右衛門の徒然日記

外から見ると、あのようにろうそくと囲炉裏の火だけの空間があるとはとても思えません。
九代目七右衛門の徒然日記