すみあい塾 西性寺の鏝絵(こてえ)見学「鳳凰」 | 九代目七右衛門の徒然日記

すみあい塾 西性寺の鏝絵(こてえ)見学「鳳凰」

続いて鏝絵(こてえ)の見学で西性寺(さいしょうじ)に行きました。河島家、熊谷家と同じく渡辺孝幸氏の案内ですが、渡辺さんは、著書に「鏝なみはいけん」という本があって石州左官の歴史や鏝絵のうんちく、鏝絵めぐりについて書かれているそうです。
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石段を登って山門をくぐりました。
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西性寺は、1465年に建てられた浄土真宗の寺院で、
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現在の本堂は1845年に再建されたものだそうです。
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鏝絵についてのうんちくが書いてありました。
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山門(さんもん)をくぐって左手奥の経典(きょうてん)を納める蔵には、その4面の壁に鳳凰・牡丹・菊の鏝絵(こてえ)が描かれています。
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この鏝絵は、その名を全国に知られた仁摩町馬路出身の左官松浦栄吉が還暦を迎えた大正時代中ごろの作品だそうです。
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鳳凰の羽の端にはガラス玉が埋め込まれ、制作当時はキラキラと輝いていたといいます。
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松浦栄吉は。1858年に仁摩町馬路で生まれ、東京で左官として活躍していたとき、外務省の嘱託(しょくたく)として上海へ領事館建設のため派遣され、そこで、イギリスの新しい左官技術を修得したとの事です。
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また人間的な魅力もあって「左官の神様」と呼ばれていたそうです。
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壁の芸術ともいうべき鏝絵は、江戸時代に始まり、明治になってから国内で広く制作され、石見地方では寺院や民家にたくさんの鏝絵が残っているそうです。
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コーナーにも鏝絵が刻んでありました。
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お寺の鐘です。
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本堂も立派な建物でした。
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蔵の軒下には蜂の巣がありました。
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入口の上部です。
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家の所々にこのようなパイプが立ち上がっていたのですが、渡辺さんに「これは何ですか?」と聞くと、景観対策で電気、水道、ガス、テレビ、電話等の配線や配管をすべて地下に埋設して、このパイプから立ち上げる工事を進行中との事でした。さすが世界遺産の街です。
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ここで渡辺さんと別れて、最後の見学場所である群言堂本店に向かいました。
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