九代目七右衛門の徒然日記 -8875ページ目

すみあい塾 他郷阿部家の様子

さらに他郷阿部家の中と外を案内してもらいました。梁が見える空間と言うのは、開放感と安心感があります。
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壁には鋤や籠が並べてありました。
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風呂場です。木製の浴槽で、薪で沸かしているそうです。
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洗い場も木製でとても良い感じでした。
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洗面所です。ため息が出るくらい素敵な空間です。
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トイレです。トイレの下に敷いてあるタイルは、日本三代瓦の産地の一つである石州瓦の使用済みのものを砕いて敷いてあるそうです。
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トイレの洗面台です。
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下の屋根は板葺き、上の屋根は瓦葺きとなっていました。
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柴の横には、廃校になった学校から持ってきたという椅子が置いてありました。
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庭に並んでいるのもすべて木の机でした。どれも少しづつ形が違います。
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どこを見ても田舎そのものの空間です。
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風呂場とトイレを外から見たところです。
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中庭には梅の花が咲いていました。
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家の周りには土塀が廻らしてあります。
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こちらの井戸は使用しておらず、飾り物のようです。
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大工道具も沢山並んでいました。どう見てものこぎりですが、今の子供たちはこれは何と聞いてくるそうです。ここで、先日お会いしたぬまくま民家を守る会の藤原さんと少しお話をしました。雪が解けたら白馬に遊びに行かせてもらうよと言ってくださいました。
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もう一度家の中に入りました。縁側と廊下です。
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室内のトイレの洗面所です。
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土蔵の2階に上がらせてもらいました。
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寝室となっていました。
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天井には見事なアールを描いた梁がありました。こんな部屋で寝たら、さぞかしゆっくり寝れるでしょうね。
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2階から1階の空間を見たところです。
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ここには本が沢山並んでいました。
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座敷の床の間です。
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欄間も、壊れていたものを修復したそうです。
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座敷の奥から中庭をみたところです。
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ちょっとした備品にもすべて気遣いが感じられます。
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坪庭です。
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主屋へと続く廊下です。
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ここにある洗面所も凝っていました。
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廊下を逆側から見たところです。
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次の場所へ移動するとの事で、玄関に戻ってきました。
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玄関の上部もとても美しい空間でした。
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玄関の柱をつないであるのがわかります。出来る限り当時の柱をそのまま利用し、腐食したり虫に食われていた部分のみ更新したそうです。
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名残り惜しかったのですが、他郷阿部家を後にしました。
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すみあい塾 他郷阿部家での食事

他郷阿部家改修のスライドを見た後、みんなで食事となりました。
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裏山で拾った芝と薪を使って、竈(かまど)の火でご飯を炊いているそうです。松場さんが一番気に入っているのがこの台所だそうです。昔の仕事と言うのは、やってみると本当に素敵な仕事が多くて知恵が養われる、五感を使う暮らしであるという話を聞いて本当にその通りだと思いました。何もかもがブラックボックス化されて、スイッチを入れるとご飯が炊けて、電子レンジで均一に物が温まる時代に、火でご飯を炊くことを知らない世代の子供たちには絶対に味あわせてあげたい事だと思いました。
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社員の方が次々と料理を運んできてくれました。
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天井には太い梁が渡されており、フライファンがついていました。
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照明も和の空間にあった温かみのあるものでした。
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食事は、台所から座敷にかけて机が配置されていましたが、私は座敷の方に座りました。
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(かまど)で炊いたご飯に、山芋(とろろ芋)をかけて頂きましたが、とても美味しかったです。
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その他にもタラの芽の天ぷらや大根の煮付け、湯豆腐にシジミの味噌汁などなど、どれもとても美味しく、ご飯もおかわりして頂いてしまいました。
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昼食後は家の中を案内してもらいました。
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玄関上部の窓ガラスです。
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階段を上ってみました。
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女中部屋となっていました。
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ここは天井の梁をそのまま現わしていました。
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とても太い梁が渡っていました。
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階段の降り口から下を見たところです。
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台所の竈(かまど)です。
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台所には達磨ストーブがありました。実際に火が入っていました。
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すみあい塾 他郷阿部家 玄関~紹介ビデオ

松場登美さんの講演会終了後、昼食を食べに松場さんの自宅である他郷阿部家へ向かいました。群言堂の本社から銀山川にかかる木の橋を渡った反対側に阿部家はありました。
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阿部氏初代の清兵衛は甲斐の国(山梨県)出身で、慶長6年(1601)に初代奉行大久保石見守に銀山附地役人として召抱えられ、子孫は代々銀山支配に携わったそうです。
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他郷阿部家は230年前に建てられた石見銀山代官所地役人の遺宅で、1998年に松場さんによって修繕と改築が行なわれたそうです。現在の松場登美さんの自宅でもあり、実際にここで生活をされているそうです。通常は一般公開されていない建物です。今、よく言われるスローライフ、エコロジー、ロハスといった言葉が、この家にはすべて内包されていると言っておられました。
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主屋は左手から大戸口、玄関(式台)、上玄関(式台)が設けられ、左手には土塀を廻らし坪庭を設け、そこから上座敷に続いています。現存する武家屋敷の中では最大の建物だそうです。
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入口には井戸がありました。
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実際にここで汲み上げた水を使っているそうです。
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消火栓も景観に配慮したものとなっていました。
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左が玄関、
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右は上玄関(式台)となっています。
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上玄関側から見たところです。
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玄関には藍染の暖簾がかかっていました。
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玄関を入ったところには納川(のうせん)の看板がありました。
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座敷です。
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既に昼食の準備が始まっていました。
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講演でお話のあった階段箪笥です。子供の背比べの痕が残っていました。
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最初に土蔵に案内され、他郷阿部家が出来るまでというスライドを見せて頂きました。
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数十年間放置されていたこともあって、雨漏りなどでかなり傷んでいたものの、弧を描く太い梁など今では手に入らないほどの材が使われていて、素材の質を活かし、7年の年月をかけて一カ所づつ改修したとの事でした。
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改修の苦労話がたくさんありました。
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中庭です。
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縁側です。
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すみあい塾 鄙舎(ひなや)の内部と松場登美さんの講演

講演の時間になったので中に入りました。玄関を内部から撮ったところです。
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天井は張ってなく、茅屋根の裏側をそのまま現していました。
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微妙に曲がった丸太の梁をうまく組み合わせてありました。
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玄関の上には竹が渡してありました。
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造り付けの戸棚や、まわりにある装飾品も田舎そのものです。明かりは当然白熱球です。
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皆さん座敷に集まってきたので、私も席に着きました。
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座敷の上を見上げたところです。
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12時20分にすみあい塾が始まりました。まず、日本民家再生リサイクル協会(JMRA)の稲積理事から御挨拶がありました。
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続いて松場登美さんの講演が始まりました。松場さんは、1949年に三重県の安芸郡芸濃町に生まれ、1981年に夫(松場大吉さん)のふるさとであるここ大森町石見銀山に帰郷。実家松場呉服屋の片隅で布小物の販売を始めたが、1989年に築150年の古民家を修復し「ブラハウス」をオープン、以来6軒の古民家を修復し、生活文化交流の場として活用してきたそうです。
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1993年から10年間は女性による女性のためのフォーラム「鄙のひなまつり」を主催。1996年には国土交通省の地域アドバイザーに就任。1998年に石見銀山生活文化研究所を設立して所長に就任。2003年、NPO法人「納川の会」を発足し理事に就任。同年内閣府の観光カリスマ百選の一員に任命された方だそうです。
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築250年の茅葺きの家、鄙舎を移築した時には、こんなボロボロの家が本当に建つのかと思っていたが、基礎が出来て柱が立って、小舞竹が組まれてくるあたりから、癒される空間に変わってきた。茅が葺かれる頃には、その中に居ると本当に心が癒される空間となったと言っていました。この中に居ると本当にその気持ちがわかります。
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この建物は、来客を迎えるほか、社員の休憩所となっているそうですが、10年前に自転車旅行をしていた学生を泊めてあげたのがきっかけで、立命館大学の出前チンドンというグループが毎年合宿に来るようになったそうです。合宿中は毎日この家で練習をして、最後の日は縁側でコンサートを開いてくれるそうです。有名な演奏家の演奏会も開かれたりして、それを見ているときは本当に贅沢な気分になると言っていました。
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松場さんのお話の中で、日本には都会にこそいいものがあると考え、田舎を離れる人が多いが、田舎には歴史ある景観や豊かな自然などいいものが沢山ある。人口が少ないからこそ出来ることもある。大森町では毎年、町どこかに皆で集まって集合写真を撮っている。田舎に暮らす事にこそ幸せがある。という言葉がとても印象に残りました。
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講演会終了後、トイレに行きましたが、トイレの洗面台がとてもお洒落だったので、写真を撮ってみました。
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すみあい塾 茅葺きの家 鄙舎(ひなや)

松場登美さんの講演まで少し時間があったので、茅葺きの家 鄙舎(ひなや)を見学させていただきました。
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ここは9年前に、服飾雑貨の店などを経営する石見銀山生活文化研究所がこの家を買い取り、社員の休憩所に活用し、憩いの場として使用しているそうです。
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鄙舎は江戸時代中期の270年前に建てられた豪農屋敷で、もともとは広島県世羅町(旧甲山町)にあった、広さ約100平米の平屋で、いろりの間や畳の間など6部屋があります。
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新しい家に建て替えようとした以前の持ち主が、屋敷を壊すのはもったいないと甲山町を通じて移築先を募集したところ、松場さんが応じて、社屋の真正面に移築したとの事でした。移築するに当っては、まずあぜ道を造り、木の橋をかけ、U字溝を撤去して石を積んだ川を造ったそうです。
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来客を鄙舎で迎えるほか、50人いる社員の休憩所となっており、昼休憩に社員がいろりを囲んで弁当を食べたり、和室でくつろいだり、縁側で食事をしたり、時には土間でもちつきもすると言っていました。
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時折、鼓(つづみ)などの音楽演奏や芝居の上演、さらには地区の親子会の焼き肉パーティーの会場にもなるが、松場所長は「ごくたまにイベントで使うよりも、毎日、普段通りに使った方が家も喜ぶのでは」と強調されていました。
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隣接した建物は、板葺きで屋根の上には石が乗せてありました。
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この建物はトイレとして使用していました。
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裏には薪が積んでありました。
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受付が終わった後の縁側です。
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障子には絵入りのガラスが入っていました。
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家の角には鉢()が置いてありました。
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横にまわると通りから見える細木小屋です。実は30cmくらいのダーミーの竹が入れてあり、内部は本社の部屋となっていました。
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干し物が田舎らしさを演出していました。
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茅葺き屋根の裏側です。茅と竹を縄で縛ってありました。
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すみあい塾 石見銀山生活文化研究所

日本民家再生リサイクル協会中国地区事務局主催の第6回すみあい塾の集合場所は、石見銀山生活文化研究所でした。集合時間の11時50分に近くまで行くと、事務局の松広さんが出迎えてくれました。この向こう側にある茅葺き屋根の建物が会場ですと案内していただきました。
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細木小屋の向こう側が、石見銀山生活文化研究所の本社社屋のようです。
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石見銀山生活文化研究所は今日講演をして頂く松場登美(まつばとみ)さんが所長を務める会社で、旦那さんのふるさと大森町石見銀山に根を下ろし「BURA HOUSE」ブランドと「群言堂」ブランドの商品を展開している会社だそうです。従業員は50人もいて、石見銀山の他に東京、千葉、横浜、大阪、西宮、松山、福岡などにもショップを展開しているそうです。帰ってからホームページを見ると、今月、広島、浦和、熊本にも新しいショップがオープンしていました。
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ぐるっと周っていくと、茅葺き屋根の建物が見えてきました。
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あぜ道の脇に小さな看板がありました。
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近寄ってみると㈱石見銀山生活文化研究所事務所入口と書いてありました。
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茅葺き屋根にぴったりのあぜ道を歩いていきます。
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木製の橋が架かっていました。


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近づくと、すでに沢山に人が集まっていました。
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縁側で受付をしていました。今回で中国地区事務局主催のイベントは3回目なので、何人か知っている人がいらして、ご挨拶をしました。
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道路側から見た細木小屋が本社建物になっていて、錆びたトタン板を張ってありました。
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松場さんのお話を聞くために茅葺きの家 鄙舎(ひなや)の中に入りました。
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石見銀山資料館(大森代官所跡)

午前中の最後は石見銀山資料館に行きました。
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国の史跡に指定されている大森代官所跡を使用しており、建物は1902年に建てられた役所だそうです。
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入館料は500円。ここも撮影禁止との事で写真は撮れませんでしたが、銀山で実際に使っていた道具も展示されており、間歩から精錬方法まで石見銀山の歴史を紹介する資料館でした。とても勉強になりました。
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この建物は、明治35年に建てられた邇摩郡役所をそのままに利用したもので、昭和51年に地元有志が資料館として開館したそうです。
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庭には梅の花が綺麗に咲いていました。この庭には、百姓一揆などが起こった場合の代官の逃げ道と伝えられる「抜け穴」が二つあり、一つは隣の勝源寺に通じているそうです。
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川を渡って石見銀山特産品センターから見た石見銀山資料館です。
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11時半を過ぎていたので、すみあい塾の集合場所である石見銀山生活文化研究所に向かいました。

石見銀山 熊谷家住宅

続いて熊谷家住宅に行きました。
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1801年築、銀山経営や酒造などで富を築いた商人の屋敷で敷地面積は450坪だそうです。
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ここの入館料は500円でした。
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入口から撮った内部の様子です。
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残念ながらこの建物は撮影禁止との事で、写真を撮ることができませんでした。国の重要文化財に指定される建物物で、広い土間と台所、太い梁や高い天井が印象的な建物でした。
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重要な物を保管したり、火災に備えるための地下蔵がありました。民家とは思えない広さ、調度品や二階部屋など見ごたえも十分ありました。しかも、途中でこたつでくつろいだり、台所のちゃぶ台でお茶まで出していただきました。築200年が過ぎ、建物の傷みがひどく、2001年~2005年の間、本格的な解体復元工事を行ったそうです。この復元工事には8億3000万円かかったようです。

蔵は「ねずみ漆喰」といって、漆喰に墨を混ぜて塗ってあるそうで、白の漆喰より位が高いと説明してくれました。
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石見銀山 裁判所~郵便局~中村製パン店

旧河島家を出て、熊谷家住宅に向かう途中の町並みです。左手には旧大田区裁判所がありました。
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郵便局も景観に配慮した建物でした。ポストがないと郵便局だとわからないくらいの建物です。
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少し歩くと中村製パンと言うパン屋さんがありました。
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今日は昼食が13時半からなので、ここらへんで腹ごしらえしておこうと思い、代官いもパン(160円)を買って食べました。
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焼きたてのあつあつでとても美味しかったです。

石見銀山 旧河島家

五百羅漢の後は、旧河島家へ向かいました。マイカー進入禁止のため、車も通らない静かな通りが続いています。
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自動販売機も木枠で囲って、周辺の景観に合わせていました。
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すみあい塾の昼食場所である阿部家の前を通りました。
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河島家に到着しました。扉のない門の入口です。
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築200年、大森代官所に勤めた役人の武家屋敷だそうです。
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1990年に2年をかけて修復工事を行ったとの事でした。ここは入館料が200円でした。
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この建物は、代官所に勤務する銀山附地役人河島氏の居宅であったそうです。初代三郎右衛門は安芸国出身で慶長15年以来、8代にわたって銀山の支配に携わったと書いてありました。
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立派なお座敷です。
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床の間の横には短歌を書いた屏風がありました。
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鴨居の上には槍が置いてありました。
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調度品も当時のもののようです。
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縁側には糸巻きが置いてありました。
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二階へ上がる階段には、小物入れと引き戸がついていました。
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階段を上がった左手には、鎧兜が展示してありました。
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2階から見た庭の様子です。
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屋根裏を利用した2階部屋は「つし二階」と言われるようで、天井が低かったです。
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台所にはかまどがありました。
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天井板も磨いてあるのか、黒光りしていました。
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はしごの様な階段があるので上ってみると、
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女中部屋となっていました。
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天井は竹製でした。
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屋根の垂木は狭い間隔で並んでいました。
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