すみあい塾 他郷阿部家の様子
さらに他郷阿部家の中と外を案内してもらいました。梁が見える空間と言うのは、開放感と安心感があります。
トイレです。トイレの下に敷いてあるタイルは、日本三代瓦の産地の一つである石州瓦の使用済みのものを砕いて敷いてあるそうです。
柴の横には、廃校になった学校から持ってきたという椅子が置いてありました。
庭に並んでいるのもすべて木の机でした。どれも少しづつ形が違います。
大工道具も沢山並んでいました。どう見てものこぎりですが、今の子供たちはこれは何と聞いてくるそうです。ここで、先日お会いしたぬまくま民家を守る会の藤原さんと少しお話をしました。雪が解けたら白馬に遊びに行かせてもらうよと言ってくださいました。
天井には見事なアールを描いた梁がありました。こんな部屋で寝たら、さぞかしゆっくり寝れるでしょうね。
玄関の柱をつないであるのがわかります。出来る限り当時の柱をそのまま利用し、腐食したり虫に食われていた部分のみ更新したそうです。
すみあい塾 他郷阿部家での食事
他郷阿部家改修のスライドを見た後、みんなで食事となりました。
裏山で拾った芝と薪を使って、竈(かまど)の火でご飯を炊いているそうです。松場さんが一番気に入っているのがこの台所だそうです。昔の仕事と言うのは、やってみると本当に素敵な仕事が多くて知恵が養われる、五感を使う暮らしであるという話を聞いて本当にその通りだと思いました。何もかもがブラックボックス化されて、スイッチを入れるとご飯が炊けて、電子レンジで均一に物が温まる時代に、火でご飯を炊くことを知らない世代の子供たちには絶対に味あわせてあげたい事だと思いました。
天井には太い梁が渡されており、フライファンがついていました。
食事は、台所から座敷にかけて机が配置されていましたが、私は座敷の方に座りました。
竈(かまど)で炊いたご飯に、山芋(とろろ芋)をかけて頂きましたが、とても美味しかったです。
その他にもタラの芽の天ぷらや大根の煮付け、湯豆腐にシジミの味噌汁などなど、どれもとても美味しく、ご飯もおかわりして頂いてしまいました。
すみあい塾 他郷阿部家 玄関~紹介ビデオ
松場登美さんの講演会終了後、昼食を食べに松場さんの自宅である他郷阿部家へ向かいました。群言堂の本社から銀山川にかかる木の橋を渡った反対側に阿部家はありました。
阿部氏初代の清兵衛は甲斐の国(山梨県)出身で、慶長6年(1601)に初代奉行大久保石見守に銀山附地役人として召抱えられ、子孫は代々銀山支配に携わったそうです。
他郷阿部家は230年前に建てられた石見銀山代官所地役人の遺宅で、1998年に松場さんによって修繕と改築が行なわれたそうです。現在の松場登美さんの自宅でもあり、実際にここで生活をされているそうです。通常は一般公開されていない建物です。今、よく言われるスローライフ、エコロジー、ロハスといった言葉が、この家にはすべて内包されていると言っておられました。
主屋は左手から大戸口、玄関(式台)、上玄関(式台)が設けられ、左手には土塀を廻らし坪庭を設け、そこから上座敷に続いています。現存する武家屋敷の中では最大の建物だそうです。
講演でお話のあった階段箪笥です。子供の背比べの痕が残っていました。
最初に土蔵に案内され、他郷阿部家が出来るまでというスライドを見せて頂きました。
数十年間放置されていたこともあって、雨漏りなどでかなり傷んでいたものの、弧を描く太い梁など今では手に入らないほどの材が使われていて、素材の質を活かし、7年の年月をかけて一カ所づつ改修したとの事でした。
すみあい塾 鄙舎(ひなや)の内部と松場登美さんの講演
講演の時間になったので中に入りました。玄関を内部から撮ったところです。
造り付けの戸棚や、まわりにある装飾品も田舎そのものです。明かりは当然白熱球です。
12時20分にすみあい塾が始まりました。まず、日本民家再生リサイクル協会(JMRA)の稲積理事から御挨拶がありました。
続いて松場登美さんの講演が始まりました。松場さんは、1949年に三重県の安芸郡芸濃町に生まれ、1981年に夫(松場大吉さん)のふるさとであるここ大森町石見銀山に帰郷。実家松場呉服屋の片隅で布小物の販売を始めたが、1989年に築150年の古民家を修復し「ブラハウス」をオープン、以来6軒の古民家を修復し、生活文化交流の場として活用してきたそうです。
1993年から10年間は女性による女性のためのフォーラム「鄙のひなまつり」を主催。1996年には国土交通省の地域アドバイザーに就任。1998年に石見銀山生活文化研究所を設立して所長に就任。2003年、NPO法人「納川の会」を発足し理事に就任。同年内閣府の観光カリスマ百選の一員に任命された方だそうです。
築250年の茅葺きの家、鄙舎を移築した時には、こんなボロボロの家が本当に建つのかと思っていたが、基礎が出来て柱が立って、小舞竹が組まれてくるあたりから、癒される空間に変わってきた。茅が葺かれる頃には、その中に居ると本当に心が癒される空間となったと言っていました。この中に居ると本当にその気持ちがわかります。
この建物は、来客を迎えるほか、社員の休憩所となっているそうですが、10年前に自転車旅行をしていた学生を泊めてあげたのがきっかけで、立命館大学の出前チンドンというグループが毎年合宿に来るようになったそうです。合宿中は毎日この家で練習をして、最後の日は縁側でコンサートを開いてくれるそうです。有名な演奏家の演奏会も開かれたりして、それを見ているときは本当に贅沢な気分になると言っていました。
松場さんのお話の中で、日本には都会にこそいいものがあると考え、田舎を離れる人が多いが、田舎には歴史ある景観や豊かな自然などいいものが沢山ある。人口が少ないからこそ出来ることもある。大森町では毎年、町どこかに皆で集まって集合写真を撮っている。田舎に暮らす事にこそ幸せがある。という言葉がとても印象に残りました。
すみあい塾 茅葺きの家 鄙舎(ひなや)
松場登美さんの講演まで少し時間があったので、茅葺きの家 鄙舎(ひなや)を見学させていただきました。
ここは9年前に、服飾雑貨の店などを経営する石見銀山生活文化研究所がこの家を買い取り、社員の休憩所に活用し、憩いの場として使用しているそうです。
鄙舎は江戸時代中期の270年前に建てられた豪農屋敷で、もともとは広島県世羅町(旧甲山町)にあった、広さ約100平米の平屋で、いろりの間や畳の間など6部屋があります。
新しい家に建て替えようとした以前の持ち主が、屋敷を壊すのはもったいないと甲山町を通じて移築先を募集したところ、松場さんが応じて、社屋の真正面に移築したとの事でした。移築するに当っては、まずあぜ道を造り、木の橋をかけ、U字溝を撤去して石を積んだ川を造ったそうです。
来客を鄙舎で迎えるほか、50人いる社員の休憩所となっており、昼休憩に社員がいろりを囲んで弁当を食べたり、和室でくつろいだり、縁側で食事をしたり、時には土間でもちつきもすると言っていました。
時折、鼓(つづみ)などの音楽演奏や芝居の上演、さらには地区の親子会の焼き肉パーティーの会場にもなるが、松場所長は「ごくたまにイベントで使うよりも、毎日、普段通りに使った方が家も喜ぶのでは」と強調されていました。
横にまわると通りから見える細木小屋です。実は30cmくらいのダーミーの竹が入れてあり、内部は本社の部屋となっていました。
すみあい塾 石見銀山生活文化研究所
日本民家再生リサイクル協会中国地区事務局主催の第6回すみあい塾の集合場所は、石見銀山生活文化研究所でした。集合時間の11時50分に近くまで行くと、事務局の松広さんが出迎えてくれました。この向こう側にある茅葺き屋根の建物が会場ですと案内していただきました。
細木小屋の向こう側が、石見銀山生活文化研究所の本社社屋のようです。
石見銀山生活文化研究所は今日講演をして頂く松場登美(まつばとみ)さんが所長を務める会社で、旦那さんのふるさと大森町石見銀山に根を下ろし「BURA HOUSE」ブランドと「群言堂」ブランドの商品を展開している会社だそうです。従業員は50人もいて、石見銀山の他に東京、千葉、横浜、大阪、西宮、松山、福岡などにもショップを展開しているそうです。帰ってからホームページを見ると、今月、広島、浦和、熊本にも新しいショップがオープンしていました。
近寄ってみると㈱石見銀山生活文化研究所事務所入口と書いてありました。
縁側で受付をしていました。今回で中国地区事務局主催のイベントは3回目なので、何人か知っている人がいらして、ご挨拶をしました。
石見銀山資料館(大森代官所跡)
国の史跡に指定されている大森代官所跡を使用しており、建物は1902年に建てられた役所だそうです。
入館料は500円。ここも撮影禁止との事で写真は撮れませんでしたが、銀山で実際に使っていた道具も展示されており、間歩から精錬方法まで石見銀山の歴史を紹介する資料館でした。とても勉強になりました。
この建物は、明治35年に建てられた邇摩郡役所をそのままに利用したもので、昭和51年に地元有志が資料館として開館したそうです。
庭には梅の花が綺麗に咲いていました。この庭には、百姓一揆などが起こった場合の代官の逃げ道と伝えられる「抜け穴」が二つあり、一つは隣の勝源寺に通じているそうです。
川を渡って石見銀山特産品センターから見た石見銀山資料館です。
11時半を過ぎていたので、すみあい塾の集合場所である石見銀山生活文化研究所に向かいました。
石見銀山 熊谷家住宅
1801年築、銀山経営や酒造などで富を築いた商人の屋敷で敷地面積は450坪だそうです。
残念ながらこの建物は撮影禁止との事で、写真を撮ることができませんでした。国の重要文化財に指定される建物物で、広い土間と台所、太い梁や高い天井が印象的な建物でした。
重要な物を保管したり、火災に備えるための地下蔵がありました。民家とは思えない広さ、調度品や二階部屋など見ごたえも十分ありました。しかも、途中でこたつでくつろいだり、台所のちゃぶ台でお茶まで出していただきました。築200年が過ぎ、建物の傷みがひどく、2001年~2005年の間、本格的な解体復元工事を行ったそうです。この復元工事には8億3000万円かかったようです。






































































































