報徳会(のちに中央報徳会)の機関誌。

 

明治39(1906)年4月23日創刊。

~昭和19(1944)年9月:第39編第9号休刊。

 

狭間茂(昭和3年)「町村自治に関し考慮を要する若干の問題(一)」23(8)。

狭間茂(昭和3年)「町村自治に関し考慮を要する若干の問題(ニ)」23(9)。

狭間茂(昭和3年)「町村自治に関し考慮を要する若干の問題(三)」23(10)。

狭間茂(昭和3年)「町村自治に関し考慮を要する若干の問題(四)」23(11)。

狭間茂(昭和3年)「町村自治に関し考慮を要する若干の問題(五)」23(12)。

 

関屋熊吉(昭和5年)「総動員の跡を顧みて」25(1)。

 

大島正徳(昭和8年)「国民更生運動の本議」28(1)。

田沢義鋪(昭和8年)「地方更生運動の根底」28(9)。

中島賢蔵(昭和8年)「大都市の区制概要」28(10)。

 

武若時一郎(昭和10年)「都市発展の原理(一)30(1)。

武若時一郎(昭和10年)「都市発展の原理(ニ)30(2)。

水野錬太郎(昭和10年)「選挙粛正と地方自治」30(8)。

松原一彦(昭和10年)「選挙粛正運動の実際を顧みて」30(10)。

 

武井群嗣(昭和11年)「水害の頻発と其の対策」

田沢義蒲(昭和11年)「自治振興三則(一)」31(10)。

田沢義蒲(昭和11年)「自治振興三則(ニ)」31(11)

田沢義蒲(昭和11年)「自治振興三則(三)」31(12)。

 

松井驥(昭和12年)「隣保団結と自治(上)」32(2)。

郡祐一(昭和12年)「防空に関する立法」32(3)。

山口亨(昭和12年)「地方制度の沿革を顧みて」32(3)。

松井驥(昭和12年)「隣保団結と自治(下)」32(3)。

一木喜徳郎(昭和12年)「選挙粛正に就いて」32(5)。

近衛文麿(昭和12年)「時局に処する国民の覚悟」32(10)。

馬場鍈一(昭和12年)「国民精神総動員運動」32(10)。

安井英二(昭和12年)「国民精神総動員に就て」32(10)。

田中重之(昭和12年)「国民精神総動員に就いて」32(10)。

小林千秋(昭和12年)「国民精神総動員運動の本質」32(10)。

持永義夫(昭和12年)「支那事変に当り銃後後援の為政府の執りたる措置」32(10)。

編輯部(昭和12年)「「国民精神総動員」運動の輪郭」32(10)。

一木喜徳郎(昭和12年)「国民精神総動員運動と本会の主張」32(11)。

有馬良橘(昭和12年)「国民精神総動員中央連盟の結成に際して」32(11)。

光延東洋(昭和12年)「支那事変の意義と国民の心構え」32(11)。

内ケ崎作三郎(昭和12年)「国民精神の発揚」32(11)。

松村光麿(昭和12年)「防空訓練の必要」32(11)。

 

香坂昌康(昭和13年)「国民精神総動員運動第二年に入りて」33(1)。

編輯部(昭和13年)「国民精神総動員彙報」33(1)。

清水芳一(昭和13年)「国民精神総動員の新展開」33(2)。

編輯部(昭和13年)「国民精神総動員彙報」33(3)。

末次信正(昭和13年)「自治制発布五十周年を迎えて」33(5)。

編輯部(昭和13年)「国民精神総動員彙報」33(6)。

編輯部(昭和13年)「国民精神総動員彙報」33(7)。

沢重民(昭和13年)「今次の水害に対する二三の考察」33(10)。

 

編輯部(昭和14年)「国民精神総動員彙報」34(2)。

永田秀次郎(昭和14年)「非常時の自治」34(5)。

筑紫熊七(昭和14年)「国民精神総動員の新展開」34(5)。

編輯部(昭和14年)「国民精神総動員彙報」34(8)。

編輯部(昭和14年)「国民精神総動員彙報」34(9)。

久下勝次(昭和14年)「家庭防空隣保組織に就て」34(10)。

編輯部(昭和14年)「国民精神総動員彙報」34(10)。

編輯部(昭和14年)「国民精神総動員彙報」34(11)。

編輯部(昭和14年)「国民精神総動員彙報」34(12)。

 

編輯部(昭和15年)「国民精神総動員彙報」35(1)。

伊藤博(昭和15年)「紀元二千六百年の精動運動の重点」35(2)。

(昭和15年)「部落会町内会等組織体系図」35(10)。

安井英二(昭和15年)「部落会町内会等の整備に当りて」35(10)。

留岡幸男(昭和15年)「下から盛り上る力」35(10)。

村田五郎(昭和15年)「部落会町内会等の整備」35(10)。

柴田達夫(昭和15年)「部落会町内会等整備要領解説」35(10)。

今井時郎(昭和15年)「隣保組織の社会学的根拠」35(10)

児玉忠一(昭和15年)「部落会町内会等の普及整備の現況」35(10)。

岩永賢一(昭和15年)「総動員体制の強化」35(11)。

 

久下勝次(昭和17年)「防空の要諦」37(12)。

 

[金澤忠男(解説)(2001)『『斯民』目次総覧』不二出版。]

〓に昭和六年十一月開催せる第八回全国教化関係代表者大会において,東京府教化団体連合会より「都市ヲ中心トシテノ教化方法如何」の協議題が提出せられ,審議の末,その研究調査を本会の教化事業調査会に委託されたるをもって爾来同調査会にて研究調査の歩を進めて居たのであった。然るに,いまだその成案を得るに至らぬうち本年五月開催せる第十回全国教化連合団体代表者大会に愛知県教化事業協会より一都市ニオケル教化網組織ニ関スル件の協議題が提出せられ審議の末,これ亦その研究調査を教化事業調査会に委託さるゝに至った。彼といひ此といひ近年都市教化に対する世の関心漸く増大し,その方法施設を講究の要愈々緊切なるものあるを認めたるをもって本年八月宇治山田市において都市教化懇談会を開催したる際,教化事業調査会にて立案せる都市教化留意要項を提示し,参加者の意見を求め,その意見を参酌して補正を加へ,更に教化事業調査会の議にかけ慎重審議を重ねた末,決定したのがこの要項である。もとより複雑多様なる都市の留意事項として完璧とは言ひ難いが,教化事業調査会が過去三年に亘り研究調査を重ね且つ全国重要都市教化関係者の貴き体験に基く意見を参酌して作成したものであるから大体においてその要を得たるを確信し此度世に公にして都市教化の実際施設に資せんとするものである。

 

〓に本要項の作成については,教化事業調査会常任委員加藤咄堂氏,主としてその任に当られたることを附記しておく。

 

[中央教化団体連合会(1933)『都市教化留意要項』]

 『都市教化留意要項』

 

(1)

全国民の過半数を占むる都市生活者教化の重要性に鑑み,本調査会は先きに数次の協議に基き,其の留意要項を指摘したるが,更に去る昭和八年八月十八,九両日に亘り宇治山田市に開かれたる全国主要都市代表の会同たる都市教化懇談会の協議を参酌し,尚ほ多少の所見を加へ,暫く左の数項を挙ぐ。

 

国民教化の大目標に向っては素より都市と農村とを分つべきにあらざるも,両者頗る事情を異にし必しも一を以て他に及ぼし難きが故に,玆には全般的なるものを略し特に都市教化として留意すべき諸項を列挙す。其の項目頗る多般に亘るを免れざりしは都市は農村の如く一様ならず,各自発展過程を異にし,集団の性質も,産業の状態も,将た又環境に於ても,文化に於ても其の趣を異にし所謂政治都市あり,商業都市あり,工業都市あり,信仰都市あり,遊覧都市ありて,一様の教化施設を以て各都市に共通し難きを慮り,各自当該都市は其の現実状態に適応すべく取捨按排せられんことを望みつゝ,茲に広く各般の留意要項を網羅す。


[中央教化団体連合会(1933)『都市教化留意要項』]

上,都市教化の要領

一,都市教化の一般的綱領

 一,愛市心の養成

当該都市の地理的,歴史的又は産業的若くは文化的特徴に基き愛市の精神を涵養するを目的とし,主として左の事項を提唱す。

(2)

イ,史蹟名勝の愛護

市の新旧によりて其の趣を異にすると雖,当該都市の有する史蹟名勝又は天然記念物は特殊の感想を其の居住民に與ふるものなれば之れを愛護せしむることは愛市心養成の要件たり。

ロ,郷土人物の顕揚

国史上に活躍せる人物は勿論当該都市に痕跡を印せる幾多の人物並に当該都市の出生者,自治功労者等を顕揚して愛市心養成の一助とす。

ハ,郷土名産の保護

当該都市の産業は古今変移あるを免れざるも其の都市の人為的若くは自然的に名物と呼ばれ名産と称せらるゝものを保護して其の都市の特徴を失はしめざるの類。

ニ,文化施設への留意

当該都市の文化的施設に於て他に優越せるものあるものは云ふまでもなく其の然らざるものも都市文化の発展,都市美の増進に留意せしめ其の都市に愛着の念を抱かしむるも亦一方法として算すべし。

 ニ,自治観念の発揮

都市は農村の如く定住者少くして移動甚しきを以て其の居住者をして自己居住の都市は即ち之れ自己の都市たることを充分に認識せしむるに於て特に自治観念を発揮せしむべく,左の諸点に留意するを要す。

イ,公民教育の普及徹底

自治観念の発揮は公民教育の普及徹底に待つを根本要件とするものなれば都市の如く人々自己の利害に腐心して他を顧みるに暇なき生活者に対しては此の教養を最も必要とす。

(3)

ロ,選挙の粛正

現代自治混乱の根源は選挙の軽視と不公正とに基くもの多きを以て各人をして選挙権の重要に目覚めしめ其の行使を公正ならしむるは自治促進の緊要事たり。

ハ,党弊の除去

国政に於ける政党の確執が自治体に混入して都市を惑乱するの弊は其の例に乏しからず,これを除去し市民は一団となり公心を以て公事に当るの美風を助長せざるべからず。

ニ,公民義務の覚醒

公権利は公義務を伴ふ,徒らに権利の主張にの専らにして義務の履行を怠らば何を以てか自治の発達を企図すべき,市民をして公義務に覚醒せしむるも亦教化の必要事なり。

ホ,市民連帯思想の教養

市民の生活は全体として利害相通ずる連帯的関係を有す,此の思想を徹底せしめて利己中心や階級中心若くは党派中心の部分的思想を一掃せしむるは自治観念発揮の精神的基礎を築く所以なり。

 三,公衆道徳の訓練

市民連帯思想の教養は自治観念養成の基調たるのみならず,都市の如き集団生活に於ては此思想は道徳訓練の根抵となり,公共生活覚醒の源泉となる,此根抵に立ちて道

徳的に留意すべき要点。

イ,集団道徳

都市生活者は講演,音楽其の他劇場映画場等集団の機会多きものあるを以て,此場合に於ける道徳は特に都市に於て範を示すを要す。

(4)

ロ,社交道徳

都市生活者は訪問,会合其の他未知の人と相会する機会も亦多きものなるを以て社交上の儀礼に於て特に教養する所なるべからず。

ハ,交通道徳

都市は交通の頻繁なるを普通とするが故に相互に交通道徳を尊重し乱雑無規律に流るゝなきの訓練を要す。

 四,公共生活の覚醒

都市生活は隣保相接せる集団生活にして一人の生活は直に他の生活に影響するを顧慮すると共に市民として共同の利害を感ずるものなるを自覚し左の諸点に注意せざるべからず。

イ,火気使用並に消防への留意

人家櫛比の都市に於て各自に此留意なくんば生活の安定期し難きを思念し相互に相警むると共に災害の拡大を防止するの訓練あるを要す。

ロ,公衆衛生への関心

清潔,予防其の他共同的なる衛生作業に協力すると共に伝染病隠蔽其の他自己中心の行動なきやう注意せざるべからず。

ハ,公共施設に対する理解

都市生活者は水道,電燈,瓦斯等公共的施設による便宜を享受するものなるを以て此公共的施設に対し濫費を避くるの必要を理解せしむるを要す。

(5)

ニ,公共営造物並に公園其の他の公共物に対する愛護

公会堂,公園,道路等すべて公共の経営に成る建築,土地等に対し自己の所有物に対する如き愛護の念を涵養せしむるを要す。

 五,迷信の勧絶と真信仰の顕揚

浮沈の甚しき都市生活者に於て最も盛なるは運命の予知たる卜占,其の伝換法たる祈祷,禁〓等にあるを以て之を〓絶し,勤勉努力,自力開運の風を鼓吹するを要す。

イ,淫祠の掃蕩

其の信仰の対象として風俗を破壊するものは勿論其の信仰形式に於て〓くも良風美俗を害し,且つ智識の進歩を妨ぐると認め得べきものに対しては之を掃蕩して都市の浄化を計るを要す。

ロ,投機的信仰の打破

投機的信仰は特に都市に於て多く,其の極国民の思想を強化するものなれば之を打破して自力発展の思想を鼓吹せざるへからず。

ハ,迷信風俗の除去

都市の伝統的習俗の中には往々迷信的なるものゝ残存を見ること少からず,之れを除去することは都市文化開展の上に於て軽視すべからざることたり。

ニ,健全なる人生観の把握

刹那の享楽に耽りて永遠の人生に考慮を運らさざるは変轉常なき都市生活者の免れ難き所なればこれを是正して健全なる人生観を把握せしむるを要す。

(6)

ホ,宗教情操の涵養

哲学的なる人生観は一般民衆の把握し難き所にして民衆をして社会観人生観に対して永遠にして且つ普遍なる意義を憧憬せしむるは宗教的情操の涵養に過ぎたるなし。

 六,勤検の美風奨励

都市生活者の農村生活者に比し特に其の差の外観的に顕著なるものは勤倹に於て欠如する点に存すれば此点に留意し先づ都市より質実剛健の美風を顕揚することを要す。

イ,遊蕩気分の排除

都市は農村に比し娯楽機関の整備し濫費に対する誘惑多きを以て動もすれば遊蕩に堕して健全なる生活を妨ぐるの慮あり,之を排除するも亦都市教化の一要件たり。

ロ,勤労尊重の挙揚

遊蕩気分の漲る都市に於ては自ら勤労軽賤の弊風を生じ,却て遊惰を羨望する傾向なしと云ふ能はず。之を一掃して勤労尊重の美風を鼓吹して初めて健全なる都市は建設せらるゝものなれば此の点の留意は最緊要事に属す。

ハ,奢侈の弊風打破

奢侈の弊風は常に下移の法則を辿り上流より下流へ,都市より農村へと傳播するものなれば都市に於ける上流生活者に格段の反省を促すと共に一般都市生活者も亦其の弊風打破に覚醒するを要す。

ニ,質実生活の鼓吹

質実なる生活は剛健なる精神に伴ひ剛健なる精神は国家興隆の大本なるに想到すれば都市に於ける質実生(7)活の鼓吹がやがて国民精神の基調なることに想ひを運ひを運らさざるべからず。

ホ,農村生活者との対比連想

都市生活者は常に農村生活者の質実と勤労とに対比連想して自己の生活を警覚し,動もすれば奢侈遊惰に流れんとするの弊風を矯むるを要す。

 七,都市発達への協力

都市は一国文化の表徴にして当該地方の文化も亦其の都市によって代表せらるゝものなれば不断の努力を以て其の向上発展を計らざるべからず。

イ,都市教育の発達

一切の発達は人を基調とす,人の発達向上は之れを教育に待つの外なければ都市の発達向上も当該地方の教育の発達を根本とし各般の教育的設備に協力せしむると共に特に社会の教育教化に留意して市民の全般的発達を計らざるべからず。

ロ,市民健康の増進

市民各自が衛生に留意すべきは云ふまでもなけれど都市は都市として市民の健康を増進せしむべき公共的設備を要す,而して此の設備の完成も亦市民の協力によりて達成せらるゝものなるを自覚せしめざるべからず。

ハ,都市経済の振興

都市の性質により産業其の他に種別ありと雖,都市生活の物的基礎たる経済の振興に対し市民各自に関心を有せしむるは都市発達の一要件たるを失はず。(8)

ニ,都市文化の向上

以上列挙したるもの悉く文化向上の要因なりと雖,更に広く全般的に文化不断の発展に留意せしめ市民の鑑賞眼を高め物質的には都市美を発達せしめ,精神的には品格の向上を計り卑野の弊風を掃蕩して清き明るき都市の実現に協力せしむるを要す。

 八,婦人覚醒の喚起

以上の各項悉く婦人の協力を待って初めて目的を達し得べきものにして都市は農村よりも智識階級の婦人に富むと共に,有閑階級の婦人も亦多くして其の無反省なる行動の累を都市生活に及ぼすもの少からざれば先づ智識階級婦人の起って婦人覚醒の先導となり以て是等婦人の覚醒を促し以て都市の健全なる発達に寄与せられんことを力説せざるを得ず,特に

イ,風紀の粛正

ロ,生活の緊縮

ハ,博愛心の涵養

等に就て婦人を労すること頗る多きを考慮するを要す。

 

[中央教化団体連合会(1933)『都市教化留意要項』]

ニ,都市教化の特殊的要目

都市教化の特殊的要目は常に社会問題と関連して考察せらるゝを要す。蓋し社会問題惹起の要因たる貧富の懸隔は都市に於て其の顕著なるものを見,社会の欠陥も亦都市に以て最も多く暴露せらるゝものなれば都市の教化は常に社会政策並びに社会事業と連絡提携して其の実を挙ぐべき特殊の方面あることを知悉せざるべからず。

 一,商工経営考並に従事者に対する教化

(9)此の場合に於ては次に示すが如く(イ)(ロ)と分って教化するも一方法なれど,時に両者を一堂に会し教化を中心として連合の端を開くも亦有数なる一方法たり。

イ,経営者に対する教化

主として資本階級に属する商工経営者に労働尊重の意義を明にし其の自覚と反省とを促すは現代に於て必要なる教化事項たるを疑はず,しかも従来此方面に於て閑却せられたる点少からず,一段の留意を要す。

ロ,従事者に対する教化

主として労働階級に属する商店使用人,工場労働者に対して反抗的なる階級意識を一掃し共存共栄の真相を体得せしむるを要す。

 ニ,補習教育に対する施設

一般的なる補習教育は今暫く之れを別とし茲には左の如く定時的に教育を受け難き人々に対して補習教育を施すの設備も亦都市教化上必要なることに属す。

イ,商工徒弟講座

商工徒弟の為に夜間又は公休日を利用して連続的に補習教育を施し常識の発達と共に実務に対する教養訓練。

ロ,労働者補導学級

現に今日大都市に行はるゝ一定の期間短期講習の形式により労働者の余暇を利用しての教育施設。

ハ,家庭雇傭者に対する教化都市の家庭には商工従事者以外家事使用人を有するもの多きを以て是等雇傭者の為め短期講習等の形式を(10)取る俗に所謂子守学校,女中講習会等の開催。

 三,社会事業に関連する教化

都市生活は農村の如く固定的なるもの少く浮沈の伴ふもの多きが故に社会事業の設備は都市に於て特に重要性を加へ,其の物質的経済と相待って精神的教化の要も亦切なるものあり。

イ,「カード」階級生活者教化

社会施設に於てカード階級として留意せらるゝものは普通生活の水準以下に喘ぐ貧困者なれば物質的救護を計る防貧救貧の事業と提携して精神的教化を計らざるを得ず。

ロ,浮浪生活者教化

都市は常に浮浪生活者を発生せしめ又其の来集を受くるの悩みあり,是等所謂「ルンペン」者流れを包容せる無料宿泊所等に就て之れに職業を與ふる社会事業と提携し発奮努力の精神的教化を施すを要す。

ハ,〓寡孤独,〓疾,不具者等に対する教化

扶養者もなく労働の力もなき是等の人々に対し精神的慰安を與へ以て人間の情趣を体得せしむるも亦社会生活の必要事にして特に宗教家の奮起を望まざるを得ず。

ニ,人事相談と教化

都市の如く人事の錯綜せる地方に於て人事相談所の必要は言を待たず,其の相談の種目も亦多かるべしと雖,教化教導の之れに伴ふべきものたるを考慮し,こゝに教化の関与を提言せざるを得ず。

 四,司法保護事業に関連する教化

郷〓に入れられざる刑余の人も都市に来集するのみならず,都市生活に於ては多数の不良児を発生せしめ累を(11)市民生活に及ぼすこと少なからず,之れを保護し感化するも亦都市教化に於て最も留意すべき事項たり。

イ,不良少年感化

不良少年の放任は其の少年の前途を誤るのみならず,禍根を将来の社会に播種するに異らざるものなれば司法保護事業と協力して其の改過遷善に努むるを要す。

ロ,釈放人教化

一たび刑余の人となりたる釈放人は既に過去の清算せられたるものなるも社会の指弾を受けては罪を累ぬるの可能性に乏しからず,一方社会を教化して其の憎悪の眼を轉ぜしむると共に一方には本人を教化して善良なる市民としての生活に入らしむるを要す。

 

[中央教化団体連合会(1933)『都市教化留意要項』]

(11)

三,都市教化の関連事項

都市教化の一般的並に特殊的留意事項上述の如くなるを以て之れに関連して教化者の研鑽を必要とする問題少からず,これに関心を払ふにあらずんば到底教化の徹底を期し難し,想ふに精神教化の要は各自の反省と努力とを慫慂するにありと雖,社会的環境其の宜しきを失へば其の教化も其の功を奏する能はざるものなるを以て教化に従事するの士は左の諸点に深甚の注意を払ふこと忘るべからず。

イ,学校教育との関連

社会教化は学校教育との連絡提携によって其の機能を充分に発揮すべきものなるを以て此連絡を欠くときは所謂九〓の功を一〓に欠くの〓なき能はず。

ロ,衛生並に防火問題

密集せる都市生活に於て衛生並に防火に各自の留意を要するは既にこれを挙げたり,従って其の公共的設(12)備の問題は教化者に於て等閑視し能はざる事項に属す。

ハ,交通問題

交通は頻繁は都市生活の特色にして其の道徳を守るべきは既に挙げたるも都市教化者として其の交通の系統並に其の種類に対して充分に注意するにあらざれば其の教化を無効ならしむるの傾あるを免れず。

ニ,国民警察の問題

我が日本の警察は至尊の警察たると共に又国民の警察なり,国民相頼って治安の保持に協力すべきの意識を会し其の命令の徹底若くは犯罪の捜査に於ても我等の警察として之れを助くるの精神を要す。

ホ,民衆娯楽の問題

民衆娯楽の諸芸術が都市に於て発達を遂ぐると共に卑野淫蕩の諸設備も亦都市によって伝播せらる,都市教化に従事する者は常に其の推移に留意し健全なる娯楽機能の発達に関心せざるべからず。

ヘ,風紀問題

都市の生活は多く未知の人々の間に営まるゝが故に,社会制裁微弱なると人間の弱点に投じての利己を計らんとするもの多きが故に,自然風紀頻廃を招くの傾向あり,之れを是正するにあらずんば到底健全なる都市の発達を期し難し,之れ教化に従事するものゝ最も留意すべき所。

ト,年中行事の問題

年中行事は当該地方の伝統的習俗の織り込まれたるものにして之れに教化的考察を加へ移風易俗して或は祭祀日に敬神崇祖を,盂蘭盆,彼岸等に信仰を鼓吹すべき等利用すべきもの少なからず。

チ,社会問題其の他

社会問題は前にも述べたる如く常に都市を中心として発生するもの多きを以て其の趨勢を考慮して教化対(13)策を講ずべきものとす。其の他時勢の推移に関する諸問題は悉く来って都市教化に関連することを看過するなきを要す。

 

[中央教化団体連合会(1933)『都市教化留意要項』]

(13)

下,都市教化の方法施設

一,教化綱領の提示

当該都市の実状に即し其の助長すべきものと矯正すべきものとを考慮し教化大綱を提示して市民をして当該都市の〓ふ所を知らしむる要す。

 一,市憲,市是の提示

山口県宇部市が市制実施と共に市憲を制定して市民の〓ふ所を知らしめ,町村には町村是を定めて町村民の自覚の〓となせる如く市に於いても市憲若くは市是を定むるを便なりとす。

 ニ,実行事項の協定

市憲,市是の如く永久性を帯ぶるものにあらざるも特に現時に於て実現を要すべき事項を協定して之れを市民に提示して其の実行をなさしむるも亦都市教化の一方法たり。

 三,教化資料の提供

当該都市の発展過程や其の現状を知悉せしむべく左の事項に着手し以て教化の参考資料たらしむることを要す。

イ 市史の編纂

(14)

ロ 市民読本の編纂

 四,市歌若くは市民歌の選定

当該都市を謳へる市歌若くは市民歌の如きものを〓定して市民の公私の会同に歌はしめ知らず識らず市民たるの協同的自覚を與ふるも亦頗る必要なる一方法たり。

 五,教化年中行事等の提示予め教化に関する諸種の会合等を協定し其の矛盾重複を避け之を年中行事とし又は教化月暦として提示するも教化を系統的たらしむるの便多しとす。

 

[中央教化団体連合会(1933)『都市教化留意要項』]

(101)

かくして五人組制度は,再び行政組織のなかに採択されんとする気運にむかって行った。すなはち,明治十年の司法省の刊行にかゝる全国慣例法集にはまだ「五人組合」の項目がのせられてゐなかったが,その十三年版になると,詳細にわたって記載されることゝなった。これによって,常時の隣保がいかなる実態にあったか,といふことがわかる。

 

(113)

あけて昭和十二年の秋,北支盧溝橋畔に於ける暴戻支那軍閥のはなった銃声一発から,みるみるうちに急展開を示した支那事変,これに即応するわが国内の国民精神総動員運動は,十月四日,いちはやくも大分県に,県常会・市町村常会・部落(町内)常会の結成を見,隣保班をして国民組織の最下部単位団体とする一試案が実施せられたのであった。さらに翌十三年四月五日,同県庁では総務・経済・警察各部長から次のごとき通牒を管下各市町村長へ宛てゝ指令されるにいたってゐる。

 

隣保班ノ組織活動二関スル件

(113)

時局ニ鑑ミ挙国一致体制ノ強化徹底ニ資スル為左記要項ニ依リ,県下全市町村内ニ最下級ノ実行単位トシテ隣保班ヲ組織シ,部落(区又ハ町内)常会等ノ運用ト相俟チテ政府ノ方針,県ノ施設,其ノ他市町村ノ自治,教化,産業,保健,防空,防火等各般ノ実行事項ヲ各家庭ニマデ徹底セシムルト共ニ併セテ古来伝承シ来レル隣保相扶ノ美風ヲ一層顕現セシメ度候條,貴管下内ノ実情ニ〓ヘ適切ナル指導誘掖ニ依リ之ガ組織活動ノ促進ニ格段ノ御配意ヲ致サレ度,此段依命及通牒候也。(中略)

 

隣保班組織活動要項

(114)

一,組織

(一)隣保班は地方ノ実情ニ応ジ相隣接スル五戸乃至二十戸位(十戸以内ガ実行力大)ヲ以て組織スルコト,但シ従来ノ講組其他之ニ準ズル小団体ヲ適宜改組強化スルモ可ナルコト

(二)隣保班ニ世話係ヲ置キ班員間ノ連絡ヲ密ニシテ実行事項ノ徹底ヲ図ルコト

二,活動

隣保班ハ市町村内ニ於ケル最下級ノ実行単位ニシテ常ニ密接ナル連絡ト隔意ナキ交諠トニヨリ鞏固ナル団結ヲ為シ,左記ノ如ク生活各般ニ亘リ隣保相扶ノ実ヲ挙グル様努ムルコト

(1) 冠婚葬祭其他生活ノ改善ニ力ヲ致スト共ニ相瓦之ガ手伝ニ遺憾ナカラシムルコト

(2) 各種扶助救済,職業斡旋,負債整理其他身上ニ関スル相談援助ニ協力スルコト

(3) 作業ノ手伝,共同化等ニ努メ生産力ノ保持拡充其他産業ノ振興ニ力ヲ致スコト

(4) 防空,防火其他非常ノ場合ニ於ケル相互援助ノ準備訓練ニ遺憾ナキヲ期スルコト

(5) 公租公課完納,選挙粛正,常会出席其他公民的生活ノ向上ニ相率キテ力ヲ致スコト

(6) 市町村更生振興計画其他常会等ニ於ケル決定事項ニ付相互ニ協力之ガ実効ヲ挙グル様努ムルコト

 

あたかも,この月の十七日は,自治制発布五十年式典が行はれ,畏くもこの式典に際しての勅語を下賜せられたので,このよき記念日を自治制改新の大契期として,「町会・部落会の整備実行」は全国的に急展開を示して行った。とくに東京市に於いては〓都七十周年にも相当してゐたので,「東京市町会整備要項」を発表し,同年度の実施項目の一つとして,

(116)

一,町会細分組織トシテノ「隣組」ノ設立町会内ノ隣保団結ヲ鞏固ニシ交隣協力ノ実ヲ挙グル為,町会細分組織トシテ連軒数戸ヲ単位トセル「隣組」ヲ結成セシム

と,明らかに「隣組」といふ新隣保の名称をもって,その全市地域への施行をはかるにいたってゐる。

 

かくして現代隣保は,めざましき飛躍的進展をとげ,いよいよ,わが国隣保の特長とする生活各般にわたる共同体としての本姿を,再現する領域へと突入するにいたったのであった。隣保がこの現段階にまで発展して来ることは,ときに詳見したわが隣保史が明白に指示する必然的過程であったとしても,この進展のために,多年の間粉骨された諸人士の意図と体験とはその偉大な推進力として特筆に値するに充分であると思ふ。

 

さうした急展開を示しつゝある隣保の状勢を指導しかつこれが全国的な拡充強化の責任をおびて発令せられたのは,いふまでもなく,(一)翌昭和十四年六月二十六日づけ,文部次官より各地方官に宛てゝ発せられた「常会ノ指導施設ニ関スル件」,(二)同年九月十一日づけ,内務大臣より各地方長官に宛てゝ訓令せられた「部落会町内会等整備要領」,および,(三)同年十月十五日文部次官より各地方長官に宛てゝ下令せられた「常会ノ社会教育的活用並ニ指導ニ関スル件」とであった。

 

正しく,今日に於ける隣組の強化整備にいたるまでには,かうした明治初年以降七十余年にわたる貴重な〓〓の体験にもとづくものであり,また昭和初頭以来の歩一歩の着実な発達途上の結実にほかならないのである。

 

[桑原三郎(1941.3.5)『隣保制度概説/隣組共助読本』二見書房]

(126)

かゝる市街地に於ける新たなる隣保の芽生えとしての隣組こそは,農漁村に遺存する近世の封建的感化をうけた五人組のうちにある弊風が,その隣保自体の衰頽とゝもにはなはだしく薄らいでゐるだけに,これらの陋習にとらはれることもないので,よく内外の進運に即応した新発達の隣保が急速に展開せられ,日本隣保史,否,世界隣保史上に輝かしき一頁をつづるであらうことを期待して止まないのである。
 

(127-130)

いま天文八年から明治五年までの約三百年間に於ける近世五人組が尊守した代表的重要事項を,約四百種の五人組帳から摘出すれば,左のごとくである。

 

敬神尊皇に関する規約

人倫に関する規約

勤倹貯蓄に関する規定

公益に関する規約

綱紀粛正・公正に関する規約

慈善博愛に関する規約

保安自治に関する規定

風紀矯正に関する規定

 

[桑原三郎(1941.3.5)『隣保制度概説/隣組共助読本』二見書房]

 

(132)

昭和十五年九月十一日,内務省から各府県庁へ送った「隣保強化に関する訓令」のなかには左のごとき隣組々織方法が指示されてゐる。

 

一,部落会及町内会ノ下ニ十戸内外ノ戸数ヨリ成ル隣保班(名称適宜)ヲ組織スルコト

二,隣組班ノ組織に当リテハ五人組,十人組等ノ旧慣行中,存重スベキモノハ成ルベク之ヲ取リ入ルルコト

 

このやうに内務省では,何故に隣組構成の標準を十戸内外としたか。わが隣組制度史の示すところでは,五保及び五人組は五戸構成を標準としてゐる。もちろんこのほかの場合として,豊臣秀吉の企画した伍什制度は「武士は五人組庶民は十人組」とさだめ,また,近世の隣保に於いても,五戸より九戸までとするもの,四戸を基礎とするもの,十戸より十五戸を以って構成されるものもあった。しかしながら,わが隣保史の組織法の代表的形態は五戸構成であった。しかるに今日に於いて標準とする根拠は,果して何渡邉にあるか。

 

(133)

われらはこの訓令を,第一に,「五人組より十人組へ」の史的必然的過程として全幅の賛意を表したい。といふのは,なるほど近世に於ける五人組構成の戸数の代表的一例をみると左のごとくであって,あくまでも当時の「町は家並み,在方は最寄次第に,地借人は店〓まで五軒宛組合すべし」といふ五戸標準の規定がものをいってゐる。

 

(137)

明治初年以降,この七十年の間,隣保の強化に関してはかへりみるものが極めてすくなく,それ故に近世隣保構成戸数の規定のごときも過ぎし日の物語と化し去り,わづかに約三分の一の全国諸町村に五人組・十人組の〓名を存ずるのみとなり,伍長・保頭・組頭なる名称も,たゞ数戸から百数十戸にいたる部落の長を意味することゝなりはてたのであった。

 

[桑原三郎(1941.3.5)『隣保制度概説/隣組共助読本』二見書房]