(101)

かくして五人組制度は,再び行政組織のなかに採択されんとする気運にむかって行った。すなはち,明治十年の司法省の刊行にかゝる全国慣例法集にはまだ「五人組合」の項目がのせられてゐなかったが,その十三年版になると,詳細にわたって記載されることゝなった。これによって,常時の隣保がいかなる実態にあったか,といふことがわかる。

 

(113)

あけて昭和十二年の秋,北支盧溝橋畔に於ける暴戻支那軍閥のはなった銃声一発から,みるみるうちに急展開を示した支那事変,これに即応するわが国内の国民精神総動員運動は,十月四日,いちはやくも大分県に,県常会・市町村常会・部落(町内)常会の結成を見,隣保班をして国民組織の最下部単位団体とする一試案が実施せられたのであった。さらに翌十三年四月五日,同県庁では総務・経済・警察各部長から次のごとき通牒を管下各市町村長へ宛てゝ指令されるにいたってゐる。

 

隣保班ノ組織活動二関スル件

(113)

時局ニ鑑ミ挙国一致体制ノ強化徹底ニ資スル為左記要項ニ依リ,県下全市町村内ニ最下級ノ実行単位トシテ隣保班ヲ組織シ,部落(区又ハ町内)常会等ノ運用ト相俟チテ政府ノ方針,県ノ施設,其ノ他市町村ノ自治,教化,産業,保健,防空,防火等各般ノ実行事項ヲ各家庭ニマデ徹底セシムルト共ニ併セテ古来伝承シ来レル隣保相扶ノ美風ヲ一層顕現セシメ度候條,貴管下内ノ実情ニ〓ヘ適切ナル指導誘掖ニ依リ之ガ組織活動ノ促進ニ格段ノ御配意ヲ致サレ度,此段依命及通牒候也。(中略)

 

隣保班組織活動要項

(114)

一,組織

(一)隣保班は地方ノ実情ニ応ジ相隣接スル五戸乃至二十戸位(十戸以内ガ実行力大)ヲ以て組織スルコト,但シ従来ノ講組其他之ニ準ズル小団体ヲ適宜改組強化スルモ可ナルコト

(二)隣保班ニ世話係ヲ置キ班員間ノ連絡ヲ密ニシテ実行事項ノ徹底ヲ図ルコト

二,活動

隣保班ハ市町村内ニ於ケル最下級ノ実行単位ニシテ常ニ密接ナル連絡ト隔意ナキ交諠トニヨリ鞏固ナル団結ヲ為シ,左記ノ如ク生活各般ニ亘リ隣保相扶ノ実ヲ挙グル様努ムルコト

(1) 冠婚葬祭其他生活ノ改善ニ力ヲ致スト共ニ相瓦之ガ手伝ニ遺憾ナカラシムルコト

(2) 各種扶助救済,職業斡旋,負債整理其他身上ニ関スル相談援助ニ協力スルコト

(3) 作業ノ手伝,共同化等ニ努メ生産力ノ保持拡充其他産業ノ振興ニ力ヲ致スコト

(4) 防空,防火其他非常ノ場合ニ於ケル相互援助ノ準備訓練ニ遺憾ナキヲ期スルコト

(5) 公租公課完納,選挙粛正,常会出席其他公民的生活ノ向上ニ相率キテ力ヲ致スコト

(6) 市町村更生振興計画其他常会等ニ於ケル決定事項ニ付相互ニ協力之ガ実効ヲ挙グル様努ムルコト

 

あたかも,この月の十七日は,自治制発布五十年式典が行はれ,畏くもこの式典に際しての勅語を下賜せられたので,このよき記念日を自治制改新の大契期として,「町会・部落会の整備実行」は全国的に急展開を示して行った。とくに東京市に於いては〓都七十周年にも相当してゐたので,「東京市町会整備要項」を発表し,同年度の実施項目の一つとして,

(116)

一,町会細分組織トシテノ「隣組」ノ設立町会内ノ隣保団結ヲ鞏固ニシ交隣協力ノ実ヲ挙グル為,町会細分組織トシテ連軒数戸ヲ単位トセル「隣組」ヲ結成セシム

と,明らかに「隣組」といふ新隣保の名称をもって,その全市地域への施行をはかるにいたってゐる。

 

かくして現代隣保は,めざましき飛躍的進展をとげ,いよいよ,わが国隣保の特長とする生活各般にわたる共同体としての本姿を,再現する領域へと突入するにいたったのであった。隣保がこの現段階にまで発展して来ることは,ときに詳見したわが隣保史が明白に指示する必然的過程であったとしても,この進展のために,多年の間粉骨された諸人士の意図と体験とはその偉大な推進力として特筆に値するに充分であると思ふ。

 

さうした急展開を示しつゝある隣保の状勢を指導しかつこれが全国的な拡充強化の責任をおびて発令せられたのは,いふまでもなく,(一)翌昭和十四年六月二十六日づけ,文部次官より各地方官に宛てゝ発せられた「常会ノ指導施設ニ関スル件」,(二)同年九月十一日づけ,内務大臣より各地方長官に宛てゝ訓令せられた「部落会町内会等整備要領」,および,(三)同年十月十五日文部次官より各地方長官に宛てゝ下令せられた「常会ノ社会教育的活用並ニ指導ニ関スル件」とであった。

 

正しく,今日に於ける隣組の強化整備にいたるまでには,かうした明治初年以降七十余年にわたる貴重な〓〓の体験にもとづくものであり,また昭和初頭以来の歩一歩の着実な発達途上の結実にほかならないのである。

 

[桑原三郎(1941.3.5)『隣保制度概説/隣組共助読本』二見書房]