日本国のまやかしの歴史⑭ 日米安保条約(新)はもともと軍事同盟であり憲法違反だったのでは? | 鳥頭三太郎の生活と意見と愚痴とぼやき及び鳥頭日記あるいはオポッサムの遠吠え且つ懺悔録または自己批判文及び居酒屋談義あるいは備忘録

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 私の日々思うことや、見た映画や読んだ本の感想や、ネットで見つけた情報なんかを皆様にお知らせしようと思います。
 なお、私のいうことにはいろいろ間違いもあると思いますので、100%信用してしまわないよう気を付けてください。

 1951年のサンフランシスコ講和条約は日米安保条約(旧)とセットで、それまで国際法上はソビエト連邦や中国なども含む連合国による占領だったのを、国際法的にも米国の単独占領へと切り替えたものではないかということを以前の記事で書きました。

 

 

 

 

 

 1951年以降、日本国憲法の上に日米安保条約-日米行政協定-日米合同委員会-駐留米軍(=占領軍)という謎のシステムが存在し、日本国は米国に主権を制限された一種のドミニオン(自治領植民地)のようなものになってしまっていたようです。

 

 

 

 

 

 ですので、日本は普通の国ではありませんし、マスメディアの報道が異常なのはそのためでしょう。

 

 

 

 

 1951年の旧安保条約は、実質米国の単独占領に国際法的正当性を与えて継続するためのものだったようですが、1960年に岸信介内閣の時に国会で強行採決された新安保条約も、「行政協定」が「地位協定」に名前が代わったくらいです。

 

 

 

 

 

 

 

 新安保条約で最大の問題は、第5条で「・・ 共通の危険に対処する ・・」とあることで、言葉の上ではこれ以上ないほどあいまいにしていますが、これは普通に考えると「集団的自衛権=軍事同盟」ということになるのではないかと思います。

 

 

 

 

 だとすると、1960年に調印・批准した時点ですでに安保条約自体が憲法違反だったのでは?

 

 

 

 

 1960年の安保反対闘争時にはその点が反対する理由だったのでしょうけど、当時の一般大衆層はよくわかってなかったようですし、長年の間に忘れられていたようです。

 

 

 

 

 まあ、第二次世界大戦中の軍事同盟を戦後も継続・整備したものであるUnited Nations(連合国≒国連)に1956年に加盟しているのも厳密にいえば憲法違反なのかもしれませんが・・・。

 

 

 

 

 

 

 このころまでには独立国はほぼ全部加盟してましたから、敵が消滅した段階で軍事同盟としては無意味化して「味方クラブ」になっていたようですので、問題にならなかったのでしょう。

 

 

 

 

 旧枢軸国は国連憲章上は敵国のままだったのですが・・・。

 

 

 

 

 

 また、条約の条文をよく読むと、米軍には日本国民を防衛する義務などはないことが明らかです。

 

 

 

 

 

 1960年以降は、実質的に日本国憲法第9条は「死文化」しており、実質的に「憲法停止状態」だったようなのですが、それをまやかし続け、長期間かけて時計の時針のように少しづつ事実に近づけていくという支配層の粘り強さには驚嘆します。

 

 

 

 

 政府とマスメディアが一体となって国民をまやかしてきたのは戦前からの伝統文化のようなのですが、長年そのようなことを続けてきた結果、にっちもさっちもいかなくなってパニックに陥っているような状態になっているようです。

 

 

 

 

 

 憲法に違反してまで1960年に対米従属軍事同盟(新安保条約)を締結し、1991年のソビエト連邦崩壊で対米従属度をほぼ100%まで引き上げてしまったため、21世紀以降に米国が次第に沈下しつつあるのに対応できなくなっています。

 

 

 

 

 日本のいわゆる知識人の中でもこのような長年にわたり形成された「多重まやかしシステム」の全貌はあまり理解されていないようで、比較的良心的な知識人でも日本が普通の独立国であるような的外れな議論に終始してしまうのはそのためのようです。

 

 

 

 

 「多重まやかしシステム」を運用している高級官僚等の上級国民自体、世代が代わっているので分からなくなっている危険性もあるのですが・・・。

 

 

 

 

                ありがとうございます