【連載12】

「あなたの人生に二択を準備したんだけど聞いてくれる?」私は彼から“逃げ”なかった

右足と脳機能を失っても、挑戦し続ければ道は開ける。
人生の目標を実現していく、夫婦の起死回生ストーリー。
ノンフィクション小説「逆境のトリセツ」


数日後、このことを話すことにした。

「私は、あなたの人生に二択を準備したんだけど聞いてくれる?」

「はい……」

なんだか緊張しているようすが見て取れた。

「一つは、私と別れて自由に暮らす選択。もう一つは、あなたの年金を全部私にあずけて、私が借金を肩代わりする。ただし、私の言うことは聞いてもらう。この二択」

勝算があったわけではない。素直な性格だから、できないことはマネジメントでなんとかなるかもしれない。言葉が出てこない彼に、

「私ってさ、男前だと思わない? あ、こういうことって同意を求めることじゃないか」

「ありがとう。年金をあずける。がんばってみるよ」

「じゃあ、この借用書を書いて」

私は、お金の管理ができないという恐ろしい状況を目の当たりにしながらもしっかりと、事実を受け止めた。ここから谷口正典のどん底人生のマネジメントがはじまった。こんな流れで、結婚式などできるはずもなく婚姻届を提出しただけだった。

結婚してから、夫の人生も背負うことにした私に楽しい時間もあった。それは、夫が所属する障がい者サッカー、アンプティサッカーチーム「アフィーレ広島AFC」の活動に参加することだった。

「おはようございます! きょうもいずみさん、参加しますよね」

チームのメンバーが私も仲間として扱ってくれたことが嬉しかった。ともに汗を流し、ゴールに向かって走る。本当に気持ちよかった。何度か練習に参加するうちに気がついた。全員がプレーをしているので、アフィーレ広島AFCの写真は集合写真しかなかったのだ。

「せっかく、かっこいいプレーがあるのに、写真がないのがもったいないよね」

そう夫に提案をした。

「確かに写真があったらいいよね」

「そうだよね! じゃ、一眼レフのカメラほしいから買うことにするね」

私は、アンプティサッカーを撮影するために一眼レフを購入した。それ以来、アンプティサッカーの練習や試合があるときは、本当はめちゃくちゃプレーに参加したいけど、カメラマンとして同行していた。写真を撮っていると、少しずつアンプティサッカーのルールやうまくなるコツにも詳しくなっていた。夫は、右足切断だけでなく、左足の粉砕骨折があり、さらに足首の動きが良くなかった。左足で蹴ったボールは、全く違う方向に飛ぶことが気になった私は、練習がない日に声をかけた。

「サッカーの自主練行くよ!」

「え? 今から?」

「だって、応援行っても、下手だったらつまんないもん」

「……、準備するよ」

連日のように、公園や空き地やスタジアムの補助グラウンドなどボールを蹴る場所を探しては、一緒に自主練をした。自主練の甲斐あってか、少しずつボールが身体の一部のようになっていった。

「まーさん、毎日ボール触ってるでしょ。なんか違うわ」

サッカー経験の豊富なコーチが言った。

「クラッチの使い方が変わったね。クラッチでヨコ歩きってどうやってやるん? 教えて」

身体を支える医療用のクラッチを器用に使いこなす姿が、選手の間でも話題になった。

 

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本連載は、突然の事故、右足切断、記憶障害、脳機能の低下。途方もない試練を乗り越える裏には、小さな気づきと大きな愛情があった。夢を見つけ夢を掴む姿を描いた、試行錯誤の記録。※本記事は、 谷口正典氏・益村泉月珠氏の書籍『逆境のトリセツ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。
 

 

 

 

 

 

 

 

【連載11】俺、自己破産したくない

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ノンフィクション小説「逆境のトリセツ」

 

 



その後、事故から起こったことをいろんな人に聞きながら、正典の過去を調べはじめた。届く郵便物は、すべて私が確認することにした。障がいを負ってから買ったという車検が切れた六百万円の高級車。ふだん乗っていた軽自動車。なぜか高級なマイホームも、すべて整理が必要だと考えて、すべて売却。相殺して残った借金は総額五百万円。年金も担保に入っている始末だった。

この状況を解決するにはどうしたらいいんだろう。思いついたのは専門家に相談することだった。

「無料の弁護士相談があるから予約したよ」

「弁護士相談?」

「そう、少しでも解決方法があるかもしれないじゃん」

私は、勢いで無料の弁護士相談会場に引っ張っていった。

「いろいろなところに借金があって、整理したんですが、五百万円残ってて……」

「これは……」

「何か良い方法はありませんか?」

私が詰め寄っても、弁護士の表情は明るくならなかった。

「自己破産しかありませんね」

「え」

私は言葉を失った。

「利息を払えていませんからね」

他に方法があるかと思って弁護士に相談に行ったのに、まさかの最後通告を突きつけられた。会場を出たところでぽつりと、

「俺、自己破産はしたくない」

「したくないって、これまで自分がしたことじゃないの?」

「俺、よく覚えてなくて、なんでこうなったかわからないんだよね」

お金の管理はできない。時間の管理もできない。社会人として致命的だと思ってしまった。

「私に少し考える時間をちょうだい」

正直、この人といたら、大変なことしかない。結婚しているわけでもないから、いつでも離れられる。私は彼をサポートする義理はないはずだった。が、どうも人情だけはあるようで、良いのか、悪いのか、私の嫌いな言葉は「逃げる」だった。困っている人を放り出して、逃げていいのか。自問自答した。

本連載は、突然の事故、右足切断、記憶障害、脳機能の低下。途方もない試練を乗り越える裏には、小さな気づきと大きな愛情があった。夢を見つけ夢を掴む姿を描いた、試行錯誤の記録。※本記事は、 谷口正典氏・益村泉月珠氏の書籍『逆境のトリセツ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。
https://life.gentosha-go.com/articles/-/13274

 

 

 

 

 

 

 

 

【連載10】「どうしようもないどん底人生」を前に騒ぐアスリートの血。目指せてっぺん!

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ノンフィクション小説「逆境のトリセツ」

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さらに問題点が噴出した。届く郵便物を見て愕然とした。

「これ、税金の督促じゃない? これって何年も前の病院の請求書? 弁護士から届くってどういうこと?」

極めつけは、カード会社からの督促が、それも四通も届いた。内容を見て思わず叫んだ。

「カードローンの利息が十四%ってどういうこと?」

「毎月ちゃんと返している」

「返している人の利息が十四%って、毎月いくら返しているの?」

全部を広げて紙に書き出し計算してみた。

「一年間で利息分さえも返済できてないじゃない。借金が雪だるまのように膨らむってこういうことだよね」

いろいろと聞いても、のらりくらりで覚えていない。過去のことや事故のこと、問いただしても覚えていない。一体どうなっているんだろう。

「あなたは、自分の人生をどう考えているの?」

完全に説教だったが、私の説教にまともな回答は返ってこなかった。放り出そうにも、身体障がいがあり、手助けする人もいそうにない。すべてを調べて、解決方法を探してみるくらいはいいかなと思い、震える手を抑えながら、手伝うことにした。どうしようもないどん底人生としか思えなかった。

「どん底だから上がるしかないか。どん底をマネジメントして、てっぺんが見えたらどんなだろうね」

アスリートの血が騒ぎはじめた。


本連載は、突然の事故、右足切断、記憶障害、脳機能の低下。途方もない試練を乗り越える裏には、小さな気づきと大きな愛情があった。夢を見つけ夢を掴む姿を描いた、試行錯誤の記録。※本記事は、 谷口正典氏・益村泉月珠氏の書籍『逆境のトリセツ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。

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▼逆境のトリセツは、ノンフィクション小説です。

 ぜひ、全編ご覧ください!

 

 

 

 

 

 

 

 

【連載9】健常者スポーツと障がい者スポーツの違いって

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テニスでひたすら汗をかいた私は、自分自身のストレス発散に彼の時間を使ってしまったことに、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。でも、こんなに真剣にテニスができたのは、中学以来で本当に楽しかった。スポーツはだいたいなんでもできると自負していた私は、アンプティサッカーという聞いたこともない競技が気になった。純粋に見てみたいと思い、ついて行った。

選手は、足や手を切断しているか、足や手に麻痺がある人。スタッフは、理学療法士が多く、とても優しい人ばかりだった。私は、見学に行って驚いた。医療用の杖を使って、全速力で走っている人たちがいるのだ。

「医療用の杖ってそんな使い方するんですか?けが人が使うイメージだったので驚いてしまって」

「俺たち片足の健常者だから」

労らなければいけないのかと思っていたら、誰よりも速くボールを追いかけ、誰よりも強くボールを蹴ってゴールする。アンプティサッカーは、けが人のする競技じゃなくて、足を失った人がアクロバティックに競技する種目なのかな? 見ているうちに、楽しそうなサッカーだなと思うようになってきた。

「サッカー一緒にやる? まずはクラッチなしでもいいから」

観戦するより、プレーする方が好きなので、誘われれば断らない。このとき、アンプティサッカー選手と一緒にプレーしたことで、スポーツって足が二本あっても一本でも一緒だな、って思うようになっていった。

私は、シングルマザーで小学生の息子がいる会社員。生活も会社もアスリートとしての気質で取り組むから、なんでもがむしゃら。男性を見る視点も同じで、平凡な人では物足りないと思っていた。そんな私には、足を切断した彼が、それを乗り越えてパラスポーツに打ち込む姿は、とても魅力的に映っていた。

ただ……、彼には、少し残念なところがあった。アンプティサッカーチームの練習に参加したときにそれは起こった。

「遅刻するんじゃない?」

「大丈夫だよ」

と平然と集合時間を守らず、遅刻していたのだ。一回だけでなく何度も。

「アスリートとして……遅刻は絶対にダメだと思うよ」

彼よりも六歳も年上の私は、説教っぽくなったけど、大事なことだと思い言ってしまった。遊びに行くことになっても、迎えに来てくれると言った時間から一時間以上待たされることはざら。

「遅かったね。なんかあったの? 大丈夫?」

「いや、別に何もないけど」

理由を聞いてもよくわからなかった。時間を守れない以外は、素直で優しく、ポテンシャルがある人だと思っていた。一年経過した頃、結婚を前提に、彼が私の家に転がり込むことになった。
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本連載は、突然の事故、右足切断、記憶障害、脳機能の低下。途方もない試練を乗り越える裏には、小さな気づきと大きな愛情があった。夢を見つけ夢を掴む姿を描いた、試行錯誤の記録。※本記事は、 谷口正典氏・益村泉月珠氏の書籍『逆境のトリセツ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。

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【連載8】「どうしようもないどん底人生」を前に騒ぐアスリートの血。目指せてっぺん!


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ノンフィクション小説「逆境のトリセツ」

 

 

 




テニスの相手をしてもらったことがよほど嬉しかったのか、俺が所属するアンプティサッカーチームの練習を見に行くと言いはじめた。見学のつもりで参加していた彼女は、サッカーをする格好ではなかったが、コーチから、

「サッカー一緒にやる?」

「中学校の遊びでしかやったことないんですけど、大丈夫ですかね?」

と、次の瞬間には、柔軟体操をはじめていた。

初めて見学に来た日、誰よりも本気でサッカーボールを追いかけ、誰よりもゴールを狙うアスリートだった。まさかの三得点もあげて、

「よっしゃ!」

とガッツポーズをした。その姿を見たチーム全員が何者!? と思ったのは言うまでもない。

よく話を聞けば、軟式テニスも中学時代は県ランキングを持ち、フリースタイルスキーモーグル競技では、国体で入賞し、そのときの優勝者が上村愛子選手だったことが本人にとって一番の自慢だという。

それから彼女といろんなスポーツを一緒に経験し、アスリートとしての感性が似たもの同士だとわかった。そして存在が当たり前になり始めた頃、俺から付き合おうと告白した。今思えば、俺は直感で恋に落ちていたんだろう。この人を逃したらいけない! アスリートの直感だったんだなって思う。


本連載は、突然の事故、右足切断、記憶障害、脳機能の低下。途方もない試練を乗り越える裏には、小さな気づきと大きな愛情があった。夢を見つけ夢を掴む姿を描いた、試行錯誤の記録。※本記事は、 谷口正典氏・益村泉月珠氏の書籍『逆境のトリセツ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。
https://life.gentosha-go.com/articles/-/13161

 

 

 

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【連載7】「足がなくて、義足なんだ」の告白に…拍子抜けした相手の言葉

右足と脳機能を失っても、挑戦し続ければ道は開ける。
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ノンフィクション小説「逆境のトリセツ」

 

 

 



二人の出会い
義足と言えなかった思い

ある日、LINEの整理をしていたところ、ほんの少しやりとりしたトークルームを見つけた。そういえば、スポーツの話をしたな。俺は、思い立ったように連絡してみることにした。

「元気ですか? 最近何していますか?」

久しぶりのトーク開始で返事があるとは思っていなかった俺は、あっさり数分後に返信が来たことに驚いた。

「相変わらず仕事が忙しいんだよね。そういえば、サッカー以外に、何か他のスポーツしてたの?」

タメ口……。会ったときに俺の方が年下ですね、って言ったことを思い出した。

「高校時代に結構本気でテニスを……」

「そうなんだ。私も中学時代に軟式テニスをしていて、最近、硬式テニスをはじめたの」

「いいですね」

「でも勝負テニスをやってたからかな、テニススクールのラリーがなんだか許せなくて」

彼女は、負けず嫌いで、通っているテニススクールのやる気のないラリーが気に入らないと話した。

「本気でテニスやっていたなら、相手をしてほしいんだけど」

俺は、義足を隠していたことを後悔した。いずれはわかることなんだから、言った方がいいよな。

でも、義足のことを言えば、きっとこんな会話もできないだろうし、テニスに行くことも諦めるかも。

「テニス、いいね。最近ちょっと忙しいから、また今度行こう」

なんとなく、義足であることを言えずに先延ばしにしてしまった。

しとしとと雨が降る中、いきつけのカフェで彼女とばったり再会した。パソコンを相変わらずバシバシとたたいている姿を見つけて、俺は声をかけた。

「やっぱり仕事しているんですね」

「あ、パソコンね。東京出張から戻ってきたんだけど、ここで少し仕事してから家に帰ろうと思って。息子がいるから、家で仕事ばかりしている姿を見せるのもどうかなと思って」

「息子さんがいるんですね」

「そう、バツイチ子持ちなの。あ、もうそろそろ息子が帰ってくる時間。帰らなきゃ」

「外、雨ですよ。送りましょうか」

「え! 車? それは嬉しい」

駐車場に向かうとき、義足と気づかれないか気になってしょうがなかった。

俺は、サッカーの道具が散らかっている車の中をささっと片付けた。

家の近くまで送ったところで、俺は本当のことを言うことにした。

「実は、俺、足ないんだ」

「足って、足?」

「そう、足がなくて、義足なんだ」

「どっちの足?」

「右足が義足」

まあ、これでテニスに行くのも諦めると思った、次の瞬間の言葉に拍子抜けした。

「? 今どうやって運転してたの?」

「左足」

一瞬、彼女の言葉が止まった。ただ、よくある可哀想に思っている感じではなく、運転していた足をのぞき込んだ。

「それって、すごいね! 私は、左足で運転無理だわ。ねえ、その義足ちょっと見せてよ」

「いいよ。こんな感じ」

「え!!!! かっこいいじゃん。アイアンマンみたい!!!」

「そう?」

「その義足は何ができるの? 走れるの? 跳べる?」

義足に興味津々のようすで、矢継ぎ早に飛んでくる質問に驚いた。

「走る義足じゃないから」

俺は、ここでテニス行きを断ろうと続けた。

「テニスのことだけど、義足でテニスに行っても、球出しくらいしかできないと思うから……」

「でもさ、今さっき歩いてたよね。できそうじゃない? 球出ししてくれるだけでいいよ。行こうよ」

この日、義足のことをカミングアウトしたものの、何も変わらず、彼女は、ただただ、テニスがうまくなりたい、と思っていたことがわかった。

しばらくして、

「テニスコートを予約したから行こう」

と連絡があった。一緒にテニスに行くことになった俺は、本当に義足のまま球出しをすることになったのだ。ボールを出せば、真剣に打ち返してくる。本当にテニスをしたかったんだ、とつくづく思った。

硬式テニスのボールは軟式テニスと違って、打ち方によってはホームラン級の返しとなる。彼女のテニスはずっとその状態が続くほど、ホームランテニスだった。

「押し出すように面を出してみて」

「やってみる」

さすがの運動神経で矯正してきた。そのうち、俺のそばにそれなりのスピードのボールが返ってくるようになってきた。良い位置にボールが来れば、打ち返せる。

「これはイケル!」

と思いっきり打ち返した。

「なーんだ。義足でもテニスできるじゃん」

彼女はどんどんと俺のそばにボールを返しはじめた。まさかのラリーが続くことになった。俺自身、義足だからと遠ざけてきたテニスができたことは、本当に嬉しかったし、

「義足でもできるじゃん」

と言う彼女の一言が自信になった。

球を打ち終えると、彼女は、球拾いも真剣にしていた。今考えると、何でも全力で向き合う女性だった。

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本連載は、突然の事故、右足切断、記憶障害、脳機能の低下。途方もない試練を乗り越える裏には、小さな気づきと大きな愛情があった。夢を見つけ夢を掴む姿を描いた、試行錯誤の記録。※本記事は、 谷口正典氏・益村泉月珠氏の書籍『逆境のトリセツ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。
https://life.gentosha-go.com/articles/-/13045

 

 

 

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【連載6】二人の出会い 義足と言えなかった思い

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二人の出会い 義足と言えなかった思い///

夏が終わり、秋の高い空を眺めながら入ったカフェ。

事故から十三年が経過していた。

アンプティサッカーをはじめて、健康的な障がい者生活を送り、仕事もしていて、社会になじんでいるかなと思っていた。店内は、コーヒーの香りで満たされ、至福のひとときを味わえるお気に入りの場所だった。

その日はたまたま、いつも俺のくつろいでいる場所で、パソコンに集中してバシバシとキーボードをたたいている一人の女性と相席になった。俺と同じ三十代くらいだろうか、肩にかかるくらいの髪を少しだけ茶色に染め、ビシっときまったスーツ姿で画面を見つめている姿からは、仕事熱心なようすが感じられた。義足の俺は、椅子に座る動作ひとつとってもぎこちない。コーヒーと一緒に置いた紙ナプキンがヒラリと女性の足下に落ちた。

「しまった……」

でも義足の俺は、簡単には拾えない。

「落ちましたよ。あ、拾いますね。足……大丈夫ですか?」

「大丈夫です」

俺の足のなんとなくぎこちない動きに気がついたようで、紙ナプキンを置きながら声をかけてくれた。

「けがですか? 何かスポーツされているんですか?」

俺の足から顔をあげながらそう言った。

「はい。サッカーを……。どうしてスポーツをしているってわかったんですか?」

「日に焼けているし、スポーツ体型だなと思って……。私も昔、スキーの選手をしていたので……、スポーツ選手のけがって大変ですよね」

俺は、とっさに義足のことを隠していた。義足がわからないようにダボダボのズボンを履いていたから、きっと気づかれていないと思っていた。しかし、スポーツの話で盛り上がっていけばいくほど、義足のことを隠していることに、嘘をついているような後ろめたさを感じていた。

「LINE交換してくれませんか?」

スポーツの話で盛り上がれる女性は珍しく、俺は、嬉しくなり、連絡先交換を切り出した。

「いいですよ」

しかし、このときは連絡先を交換したものの、義足のことを言わなくてはと思うと気がひけて、連絡を取らないまま数か月が経過していった。



本連載は、突然の事故、右足切断、記憶障害、脳機能の低下。途方もない試練を乗り越える裏には、小さな気づきと大きな愛情があった。夢を見つけ夢を掴む姿を描いた、試行錯誤の記録。※本記事は、 谷口正典氏・益村泉月珠氏の書籍『逆境のトリセツ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。
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【連載5】カフェで出会った女性に義足のことを隠してしまった理由とは…

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ノンフィクション小説「逆境のトリセツ」

 

 


「なんで足を切ったの? 事故? 病気?」

アンプティサッカーチームに参加して、みんなの会話に驚いた。

義足生活になってから感じていたのは、周囲から奇異の目で見られていたことだった。義足や切断した足を見て、見てはいけないモノを見てしまった、という顔をされ、目を背ける人もいた。それだけならまだしも、

「若いのに、可哀想に、これからの人生が大変ね」

と俺の人生が終わったかのような言葉をかけられたこともあった。要するに、切断した足のことを聞くのはタブーだと思っている人がとても多かったのだ。一方で、このアンプティサッカーチームは、足や手の切断や麻痺のある人ばかり。さらに、チームの代表をはじめスタッフは、理学療法士や義肢装具士といった医療従事者ばかりということもあって、足を切断した理由を聞くことは、自己紹介代わりだったのだ。

「どこから切ったの? いつ? どこで?」

「正面衝突事故で、開放骨折した箇所がMRSAという菌に感染して壊死してしまって……」

「それ、俺もだわ!」

「俺は、大学時代にバイク事故だったんだよね。幻肢痛ってなかった?」

「あ、ありました。切断してるのに、ない足が痛くなるやつですよね」

「そうそう、これって切ったことある人しかわかんないやつだよね。俺、結構長く続いて、いまだにあったりするんだけど、どう?」

「たまにあります。これまで、俺だけだと思っていました。足を切ったら、みんな幻肢痛ってあるんですね」

「俺は、骨肉腫。九歳で。でも幻肢痛はなかったな」

切断というレアな経験を普通に話す人たち。初対面の人たちとの会話は緊張したが、少しずつ気持ちが楽になっていった。

「きっと、健常者がこの会話を聞いたらぎょっとするよね」

俺の言葉に笑いがあがった。

アンプティサッカーを通して同じ競技を志す仲間。それ以上に、切断や麻痺という、希有な経験を持つ仲間ができて悩みを共有できたことは本当に有り難い時間だった。

ただ……、俺がこのとき、それよりももっといいなと思ったのは、切断した足を隠す必要がなかったことだった。

この日、医療用の杖でグラウンドを走って爽快な気持ちになった。そして、片方しかない足で、少しだけボールを蹴ることを教えてもらった。なんだか面白そうな競技だし、仲間がいるのがいいな。そんな安易な気持ちでその日のうちにチーム入りを決めたのだった。
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本連載は、突然の事故、右足切断、記憶障害、脳機能の低下。途方もない試練を乗り越える裏には、小さな気づきと大きな愛情があった。夢を見つけ夢を掴む姿を描いた、試行錯誤の記録。※本記事は、 谷口正典氏・益村泉月珠氏の書籍『逆境のトリセツ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。
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【連載4】右足を切断してから10年後…誘われたのは「アンプティサッカー」

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パラスポーツに誘われて体験したのはアンプティサッカー

事故から十年。障がい者雇用で仕事にも就くことができ、なんとなく安定した生活をしていた。義足はというと、定期的に、切断した足の形に合わせてメンテナンスをしていたが、ある日、義肢装具士の石見さんから突然の誘いがあった。

「谷口さん、スポーツをやっていたんだよね。サッカーやってみない?」

ごくごく軽いノリだった。

「? ……足がないけど、どうやってサッカーをやるんですか?」

「まあ、行ってみたらわかるよ。大丈夫。大丈夫」

俺は、足を切断して右足がない自分が、足を使う競技・サッカーに誘われた意味がよくわかっていなかった。

「できるかどうかわかりませんが、行ってみるだけ、行ってみます」

言われるままにチーム練習にこれまた軽い気持ちで参加した。オフシーズンというだけあって閑散としているピッチで、真冬の極寒の中、サッカーの練習に参加した。参加したのは、一般的なサッカーとは少し違っていた。石見さんが解説してくれた。

「このサッカーは、アンプティサッカーといって、足や腕を切断した人や麻痺がある人がプレーする障がい者サッカーなんだ」

「義足をつけたままサッカーをするんですか?」

「義足は外すんだよ。この医療用のロフストランドクラッチという杖を使ってサッカーをするから足がなくてもできるでしょ」

「俺は、入院中に車イスばかりだったし……、義足を作ってもらってから、歩行訓練ばっかだったし、ほとんど松葉杖も使ってないんですよ」

「大丈夫、大丈夫、できるよ。できるよ。やってみよう」

高校時代にテニスをしていた俺は、スポーツは得意な方だった。だが車イステニスの体験にも行ったものの、自分が思っていたスポーツと違うと思った。スポーツは、自分の足で風を切って走るものだと思っていた。ロフストランドクラッチという医療用杖を使うのも初めてだった俺には、その杖を使って歩く、走る、ボールを蹴る、と初めての経験ばかりの一日だった。

そして、かなり強引にその日のうちにアフィーレ広島AFCに加入することになった。義肢装具士の石見さんは、チームのまとめ役だった。

アンプティサッカーとは、一九八〇年代にアメリカで、足を切断した障がい者が偶然ボールを蹴ったことで思いつき、以降アメリカ軍負傷兵のリハビリの一環として普及が進んだものだった。

日本にも全国各地に十一のアンプティサッカーチームがあり、競技人口はおよそ百人。俺みたいに足を切断した人は、義足を外して、日常生活やリハビリで使っている杖で競技を行う。

アフィーレ広島AFCは、ちょうどこの頃できたばかりの、広島初のアンプティサッカーチームだった。チーム代表は、広島にチームを作りたいと東京から広島に移り住んだ理学療法士・坂光さん。身体的にも精神的にも落ち込んでいるかもしれない人を太陽の下に呼び出すことを目標にして、選手を探していたのだった。


本連載は、突然の事故、右足切断、記憶障害、脳機能の低下。途方もない試練を乗り越える裏には、小さな気づきと大きな愛情があった。夢を見つけ夢を掴む姿を描いた、試行錯誤の記録。※本記事は、 谷口正典氏・益村泉月珠氏の書籍『逆境のトリセツ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。
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これまでの詳細




【連載3】右足を切断してから10年後…誘われたのは「アンプティサッカー」

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義肢装具士との出会い

右足の手術に要した時間は、五時間。このときはまだ、俺は右足を切断した事実と直接向き合うことは少なかった。足の痛みがあったものの、まだ意識が朦朧としていたからだ。切断してないはずの右足が「痛い」と言い続けていた。

ないはずの右足を母はさすっていた。俺の右足をさすっているかのようにベッドをさすっていたのだ。俺が納得するまで……。

俺は、右足を切断した後に急に泣き出してしまうことがあった。気分が良いかと思ったら、落ち込んでしまったりとムラがあり、脳挫傷の影響が出ているのかもしれないと心配されていた。

粉砕骨折した左足は、治りが悪く、リハビリがはじまったのは、事故から二か月が過ぎてからだった。義足で歩くための筋力トレーニングがはじまり、前を向ける喜びをかみしめていた。いよいよ義足を作るため、義肢装具士が現れた。新人の石見いしみさんだった。

彼は、九歳で骨のがんになり、太ももから足を切断していて左足が義足の義肢装具士だった。石見さんが俺に会ったのは、その日が初めてではなかった。意識不明でICUにいる頃から、俺のことを見ていたのだそうだ。そのとき医師から、「この人の義足を作ってほしい」と依頼をされていたという。

全身包帯でぐるぐる巻きで、意識不明の重体のこの人は、本当に助かるんだろうかと思いながら見ていたと後から聞いた。初めて義足を装着して、歩く訓練がはじまった。

「これは、怖い……」

不安定な義足が……信用できず、義足にちゃんと体重をかけられない。俺はこのとき初めて、人間の膝のすごさを知った。義足の膝は歩行の複雑な動きを可能にする人間の膝と同じようには曲げられず、ただただ悩んだ。病院の手すりを持ち、毎日一歩ずつ歩行訓練を行った。

少しずつ義足にも慣れ、朝から晩まで病棟のフロア中を歩き回ることができるほどに回復した。事故から四か月、暑い夏の日に俺は退院した。


本連載は、突然の事故、右足切断、記憶障害、脳機能の低下。途方もない試練を乗り越える裏には、小さな気づきと大きな愛情があった。夢を見つけ夢を掴む姿を描いた、試行錯誤の記録。※本記事は、 谷口正典氏・益村泉月珠氏の書籍『逆境のトリセツ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。
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