台風の関係で岐阜羽島駅に新幹線が止まり、乗客が9時間近く車内に閉じ込められるという事案が発生した。「上層部の判断で駅のホームにお降りいただくことはできません」との車内アナウンスが流れたという。

 人の意に反して強制的に列車内に身柄を拘束する(車内から出られなくする)のは2時間までにしたほうがよい(乗っていたい人はそのままで構わない)。度が過ぎると、拷問や人権の話になってくる。

 鉄道会社は事前にあらゆる場面を想定し、降車したい乗客を2時間以上車内に拘束しないためのマニュアルやシステムを作る必要があるだろう。

 防衛省が中国人民解放軍のハッキンググループからサイバー攻撃を受けていたというニュースが「ワシントン・ポスト」紙で報じらた。 

 2020年と2021年に米政府関係者が来日して、防衛省や政府関係者に対して防衛省の機密情報網に中国軍が入り込んでいる事実を伝えたというが、しかるべき対応がなされていないという記事である。

 その頃の防衛大臣は誰だったのか調べてみて納得した。今のデジタル大臣も仕事ができずにマイナンバートラブルを起こしているが、やはり総理大臣と各省大臣はお飾りや血縁人事であってはならず、本当に実力のある人がならないと国民や国が大きな損害を被ることになる。

 アメリカにおける黒人に対する過去のことや現在の差別の状況を子供たちに伝え、差別はよくない、やめようと教える。その結果、その知識を生かしてからかうように冗談(遊び)で差別をする。それを繰り返しているうちに本物となる。冗談でも差別を口にしない子どもでも、心の中には「黒人は差別されてきた人なんだ」「黒人差別される対象なんだ」という知識は厳然と存在し、それは遠慮や警戒にもつながる。その知識や気持ちを理性や道徳心で押し殺し平然を装って黒人と付き合ったとしても、酔って理性を失ったり喧嘩で興奮してタガが外れた時などには、持っている知識を口にするだろう。

 もし人種差別の歴史や現在の状況の知識が全くない日本人の子どもが、白人と黒人の二人の子どもと学校生活を始めることになったとしたら、黒人に対して白人とは異なる意識や思いを持つだろうか。黒人だけ差別するだろうか。それは無理なことである。黒人に対するマイナスの知識がまったくないのだから。赤ちゃんは蛇を怖がらない。

 わずかな遠慮や不安(自分の悪い言動に対する不安)も全くなく、日本人や白人と同じように黒人と接することができるようにするためには、現実を見て考える時、方法は一つしかないだろう。もちろん例外の人もたくさんいるだろうが、割合を考えるとそう思うのである。

 日大アメフト部員が逮捕された事件で、大学が学内の対応を検証する調査委員会の設置を決めた。

 ジャニーズ事務所と同じ発想である。できればもみ消したい、被害を最小限にとどめたいと考える責任主体が身内で調査委員会を設置して自己弁護の、あるいは責任を軽くするような報告書を作り上げて、さらに悪事を働こうとする。やることが逆である。本当に真実を明らかにしたいのであれば、日大に関係がなく捜査権もある警察に任せればよいだろうが、それでは嫌なのか。

 7万人以上もいる普通の日大生や卒業生を守るために日大が今すぐやることは、身内の調査委員会によるごまかしではなく、理事長をはじめ今回の事件に関わった理事、過去や現在のアメフト部に関わりのある印象の悪い理事を含めすべての理事が、責任をとるために、今後の日大のために身を引くことだろう。新理事メンバーはすべて外部から集め(国立大の学長経験者や大企業トップなど)、新たな教育・研究機関としてスタートを切ったほうがよい。けじめをつけ、新しい大学に生まれ変わらなければ、今後いつまでもダークなイメージが付きまとってしまうだろう。

 今日は終戦記念日である。

 78年前、アメリカは日本の一般市民や民家を標的にした東京大空襲や全国各都市への爆弾投下、広島・長﨑への原爆投下を行った。これは許される行為だったのだろうか。アメリカでは、そうしないと日本は降参せずにもっと亡くなる人が多くなったから正しい行ないだったと正当化している。

 それならば同じ論理で、ウクライナは絶対に降参しないから戦争を終わらせるために今のロシアも東京大空襲のようにキーウを爆弾で焼け野原にし、ウクライナのどこかの都市2か所に原爆を落として、多くの一般市民を殺し街を壊滅させても許されると、アメリカの政府や国民は考えるのだろうか。

 なぜ日本はアメリカと戦争を始めたのか(日本を追い込んだ原因)、戦勝国による東京裁判の判決は有効なのか、中国や韓国での歴史は真実なのか等々、本当に公平公正で客観的な歴史を残すのであれば第三者による証拠の分析と研究が必要であり、その結果を各国の歴史とするのが適切であろう。しかしどの国も政治的、又は経済的にどこかの国とつながっているため、地球上に第三者は存在しない。つまり、客観的に正しい歴史を作ることは不可能である。敗戦国が、他国の偏った一面的な歴史、嘘の歴史を次の戦争まで黙って受け入れるしかなくなる。

 ある程度の年月を経ると次第に国際関係が複雑になり、行き詰ってくる。そして定期的に大きな戦争が起きてガス抜きがされ、世界はリセットされる。それによって新たな国際関係や機関ができたり、国の立ち位置が交換されたりする。これの繰り返しである。うまくできている。

 逮捕された日大アメフト部の部員が「ほかの部員も大麻について知っていた」と供述していることがわかった。

 日大アメフト部は、すでに練習を始めている。誰が許可したのだろうか。理事長と学長と副学長の役職をすぐに解き、今すぐ練習をやめさせたほうがよい。このやり方では部員たちが無責任な大人になってしまう。部員達には、アメフトの練習よりも前に心の教育をすることが大事だ。

 旅番組や街ブラ番組には、8割以上の確率でジャニタレが一人くっついてくる。盛り上げるわけでも他の出演者とうまく会話をするわけでもなく、むしろ他の出演者に気を使わせて話しかけてもらったりいじってもらったりする立ち位置だ。そこまでしてテレビ局がジャニタレを使う理由は、テレビ局によるジャニーズ事務所への忖度以外、私には考えられない。昨日はさかなクンの漁港の旅があったが、今回はジャニタレが一人ではなく二人もついてきて、それでもあまり盛り上がらないから王林ちゃんも参加させての4人旅だった。テレビ局もよくわかってはいるようだ。

 大河ドラマも主役のジャニタレでは表情に乏しく演技も俳優並みではないので、主役以外の周りをすべてベテランの俳優で固めてジャニタレをサポートしている。

  日曜夕方のジャニタレの料理番組も、番組名はジャニタレの名がついているが、彼のサポート役として出演している二人の芸人だけのほうが番組が面白いと思う。

 バラエティはもちろん、ニュースから大河ドラマ、料理番組、歌謡祭の司会など、今やジャニタレはあらゆるジャンルのあらゆる番組に進出している。もちろん、最終決定権のあるテレビ局の意向や決定によるものである。なぜここまでみんながサポートしてまで、特徴や才能の乏しいジャニタレを使い続けるのだろうか。

 演技がうまいから主役を演じる、レポートがうまいからレポーターをする、見ている人にとって旅や街歩きをさらに魅力のある楽しい番組にできるから参加する、ではなく「ジャニタレだから無条件で出演する」となっていないだろうか。このようなテレビ局の姿勢は、公平、公正、視聴者ファースト(実力や魅力のある人を出演させる)という点から、許されるものではないと思うのだが・・・。

 国連人権理事会は、日本のメディアやジャニーズ事務所をグレー、又はアウトと判断した。はっきりと世界(国連)で結論を出してもらうまでは、とりあえずテレビ局とジャニーズ事務所(ジャニタレ)は自粛をしたほうがよい。日大アメフト部員と同じく、ジャニタレのほとんどはおそらく犯罪行為を知っていたのに黙認していたと思われるのだから。さらに言えば、国連が述べたようにメディアもアウトなのだが、まさかテレビ局が自粛はできない。しかしジャニーズ事務所との関係はけじめがつくまで自粛はできるだろう。

 最近、「新しい学校のリーダーズ」というグループをNHKでよく見かける。NHKとの間で、何かあるのだろうか。氷川きよし氏の次はこのグループか。

 理由付けはどうあれ、家族の一家団らん中には見られないパフォーマンスだ。彼女らが出てくると、楽しかった家族の雰囲気が一変して気まずくなる。しかし、多くの家族にとってはそういうことはないから、NHKは彼女らを推しているのだろう。

 彼女らを見るたびに、本物なのかなあと思ってしまう。人気(芸能界)も社会問題も政治も、すべてマスコミによる報道のさじ加減ひとつで決まる状況は非常によくない。メディアが、世論を通して国を動かせることになってしまう。とんでもないことだ。

 なでしことスウェーデンの試合のニュースを見たら、試合後、なでしこ選手はみんな泣き崩れていた。

 負けて泣いている選手は、日本以外でいたのだろうか。なぜなでしこは泣くのだろう。考えてみた。私の個人的な印象であるが、なでしこは技能は高かったが意欲(積極性)が8割、他国は技能はなでしこより劣るが意欲が10割といった感じがした。なでしこが思ったりやったりする「全力、戦意」と他国のそれとは異なるように見えた。8割だから過度な緊張をする余裕もあった。仮の話だが、負けたほうの選手は懲役20年などとなっていたら、なでしこも最初から過度な緊張などしている暇もないために最初から実力を出せたであろうし、120%の闘志でプレーしたことだろう。後半20分で目が覚めても遅かった。

 泣くのは、甘えやそれをできる余裕がある人だと思う。命をかけて全力で戦って負けた人には泣く余裕も何も残らない。それこそ呆然となるだろう。泣き崩れるなでしこをスウェーデン選手が慰め、それを美しい姿だと各国のマスコミが取り上げる。弱い幼子が慰めてもらっているようで、恥ずかしく、みじめな姿だった。日本の代表として、負けても誇りと日本魂、侍魂はもち続け、自分自身に対する怒りを心の中で燃えたぎらせながら、堂々とグランドを去ってほしかった。すべてが甘い、と言ったら酷なのか。

 とにかく、様々な観点から今回負けた要因を詳細かつ正確に分析し、同じミスを繰り返さないことが重要である。

 テレビ番組での食レポで、味を詳しく解説する人もいれば、「おいしい」と一言だけ言うレポーターや芸人もいる。別に一言でも、感情をこめて「おいしい」と言ってくれれば、視聴者も感情移入ができて、「食べたい」と思い笑顔となる。

 しかし、自己満足で視聴者を困らせる感想を言うお笑い芸人がいる。「おいC~」、「まいう~」、「ウマベラス?」、「うまかいど~」などがそうだ。なぜ言うのかわからないが、もしかしたら視聴者を笑わせようというギャグなのかもしれない(テレビ局によってバックに集団の笑い声が後付けで挿入されることが多いから)。食べた感想と、使い古されたギャグ?はつながりがなく、視聴者の感情がバラバラになる。味や食感の説明、又は心を込めた「おいしい」という言葉に視聴者は感情移入ができて満足する。その場に関係のない同じ単語を何十回も聞かされて、うんざりしフラストレーションもたまるだけで、視聴者としては楽しさや嬉しさは残らない。視聴者は、出演者と一緒に食べた感じになりたいのである。最近では、芸人が食べた瞬間に「あの言葉を言わないでくれ~」と願うようになってしまった。

 芸人もテレビ局も自己満足ではなく、視聴者ありきでやってもらいたい。