大谷選手が、日本全国の小学校約2万校に約6万個のジュニア用グローブを寄贈するという。

 一方的に送られても、教育委員会や学校は、困らないだろうか。学習指導要領や教育内容、学校ごとの教育課程がある。いいのだろうか。

 誰かにもらったものだからといって、勝手に学校教育において使ってもよいものではないし、例えば休み時間に使わせるとしたらそれによって子どもたちの将来の職業への関心が野球に傾いてしまい、他のスポーツや日本における理化学・工学系分野が弱くなる可能性もでてくる。野球だけに偏って環境を作ったり指導したりすることは、学校としては不適切である。

 学校教育に関係のない全国の野球スポーツ少年団に寄贈したり、使いきれないほどのお金があり子供たちのためになれば何でもよければ文科省に寄付して各学校内のネットワークやICTを充実させることに使ってもらったりするのがよいと思う。日本の野球界の発展を望むなら、野球博物館のようなものを建ててもよいだろう。いずれにせよ、学校教育において日本の全ての子ども(将来の全ての日本人)を対象に、一個人が好き勝手に法的根拠のないことを強制的にやってはいけない。99パーセントないことだが、将来大谷選手が何か大問題を起こした場合、その人物の寄贈品で小学校時代を楽しんできたという思い出を残してしまう可能性だってなくはない。世間は大谷選手を「神」扱いしすぎている。

 文科省は、断るなら早いほうがよい。

 メリー氏や広報担当の白波氏などが活躍している時代の脅迫営業によって今の地位を得た中居氏が、現在ソフトバンクのCMで「ちちんぺいぺい」という歌と共にニヤニヤしながらふざけたようなダンスを踊っている。

 よく若者が「むかつく」という言葉を発するが、このCMをみて初めてこの「むかつく」という言葉のもつ感覚が分かったような気がする。

 ちなみにソフトバンクと聞くと時々社員が捕まるというイメージがあったが、きょうのニュースでも部長(逮捕前にやめさせたのか、「元部長」となっていたが、それこそ姑息である)が投資詐欺で逮捕されたというニュースが流れていた。

 社風にいろいろと問題ありなのかなあ。

 高畑裕太氏は2019年に芸能界に戻り、今月には東京芸術劇場で演劇公演があるという。

 彼は事件後(逮捕されたが大金を払って示談にした)、遺品整理の仕事や介護施設でヘルパー(3年間)をやり、その後に芸能界に復帰した。

 素朴な印象として、施設職員をみそぎの道具として利用しているようにみえ、これをやれば元の輝かしい芸能界に戻れるという考えや行動に、怒りがわいてくる。極楽とんぼでの山本圭一氏が寺修行(3か月で逃げ出した)を経て芸能界に復帰したことも思い出される。施設やお寺などは、不祥事を起こした芸能人からは、最短復帰のための道具(免罪符)として低く見られているのだろう。

 一般の会社員や公務員があのような事件を起こせば、事実上再び仕事に戻ることはない(道義や信頼、責任の点から)。しかし芸能人は数か月から数年程度待てば、麻薬であろうと当て逃げであろいうと、ほとんどの場合は再び輝かしい世界に戻れるようになっている(メディア業界全体で許している)。お笑い芸人に至っては、起こした事件をネタに金もうけができる。

 芸能人って、どこまで差別(優遇)されているのだろうか。メディア業界全体の慣習や思考が、今の時代や世界の流れから外れていると思う。

 

 テレビ放送のキー局、及びNHKの社員や職員の中で、自分たちの社会的責任を正しく認識し、それに基づいて仕事を行っている人はいるのだろうか。

 国民一人一人の考え(意見)を作り、世論を作るのに大きな役割を果たしているのが、情報を与える媒体であるテレビ局だ。そこでは、どのようなレベルや思考の人々が、どのような目的で番組をつくり、それを全国民に向けて発信しているのだろうか。そこには最低限の規制しかなく(差別用語や性的表現など)、意図的に操作された内容でも嘘(部分的な事実や妄想)でも人権無視でも非道徳な内容でも社会の秩序や規範を壊すような内容でも、OKとなっている。

 どこからも指導も停止もされず、テレビ局は無責任に自由にやりたい放題できるしくみだ。意図的なのか、能力の劣る人が一生懸命やっているだけなのかわからないが、テレビ局員の無責任な行動によってストレートに被害を受けるのが自分達ではなく国民や社会とは、本当に残念な話である。

 

 フジテレビの「めざまし8」で、介護施設において職員が施設利用者から手を振り払われるなどの暴力や理不尽な暴言、ハラスメントを受けて大変だという内容を伝えていた。認知症になると妄想が多くなり怒りの感情もコントロールできなくなるので、このような症状は自然なものである。その症状を暴力とかハラスメントなどと、「悪」の概念を含む言葉で定義づけをするのはひどいと思う。フジテレビは、このことを世界に伝えられてもよいだろうか。認知症の症状が出ている利用者は好きでやっているのではない。ふと我に返った時に自分の症状に涙し、「暴力をふるってはダメだよ」と職員から注意されたことのある利用者は自分が暴力をふるったということを認識してかなりのショックを受けるだろう。高齢者は今後さらに増え、多くの人がこのようになる。日本は今後暴力をふるい暴言をはく悪い人でいっぱいになるという思考の人が、世論を作るテレビ局の責任ある地位にいることは許されないと思う。

 ちなみに「暴力」について厳密にいうと、「他者の身体や財産などに対する物理的な破壊力」や、「合法性や正当性を欠いた物理的な強制力」ということになっている。認知症の利用者が職員の手を振り払ったり足を軽くけったりする行為に破壊力はないし、合法性や正当性を欠いたものでもない(生物学的な脳のしくみで起きる症状である)。

 おそらくフジテレビの1~2人の素人が話し合って決めて、このような番組内容にしたのだろう。コメンテーターも、利用者のそのような行為は許されない旨の発言をしていたが、私は許されないのではなく利用者がかわいそうでならない。認知症の症状ができるだけ出ずに落ち着いて暮らせるように職員は対応の技量をもっともっと上げていかなければいけない。テレビ局において、全国に伝える内容の方向性を決定するような地位の人は、大学教授レベル以上の専門性や幅広い知識、思考力、判断力、客観性などが求められる。

 介護についていえば、認知症の人を相手にすることは、症状にもよるが一般の人が家庭で見るのはとても難しいレベルである。会話も成立せず、突然外出しようとするなどの行動をとるためにずっと見ていないといけない。家の中をふらふら歩くから手でささえてやると、バシッと振り払いながら「やめて~」と大声を出し、手を離すと転んで顔から床に倒れ、眼鏡が割れ顔面が腫れる。おそらく家族は2~3週間で耐えられなくなるだろう。だから、それを専門的に仕事としている施設にお金を出して依頼しているのである。施設の職員はそのような利用者を介護する仕事であり、基本的には普通の健康なお年寄りをお世話することはない。それを仕事にしておいて、「たたかれる」、「理不尽なことを言われる」などと文句を言うのはおかしなことだ。それを仕事にしたくないなら、職を変えればよい。当たり前の論理である。

 今後のことについていえば、介護職員のレベルを高くし(どのような利用者にもうまく的確に対応できるような訓練をうけて免許制にする。一級免許や二級免許など)、給料もそれに見合うように公務員程度まで上げ、簡単に採用されるからと安易な気持ちでやって来る人の採用を防ぐことが、施設職員やこれから増え続ける利用者のどちらにとってもベターであろう。

 ベストは、認知症の有効な予防薬や治療薬が早く開発されることだ。世界の研究者は、がんの治療薬と共に何とかできないものだろうか。 

 

 早慶上理ICUのうち、都民が選ぶ「優秀な学生が多いと思う大学ランキング」なるものを目にした。それによると、慶応大学が1位となっている。

 私が「慶応大学」と聞いて思いつくのは、①時々逮捕者が出る、②高卒芸人が簡単に大学院に入れる、③有名人や金持ちの子どもが幼稚舎からエスカレートで入れる、④(慶応関係の)あやしげなコメンテーターが多い、といったものであるため、慶応大学は「学力が低く、合コンやナンパが好きで、癖のある人が多い大学」というイメージがある。あくまでも私個人のイメージである。もちろん、慶応大の学生全員がそうだということでもない。しかし、似たようなレベルの早稲田と比較すると、私が感じている上の①~④の傾向は、慶応のほうがはるかに強いということは誰もが認める所ではないだろうか。

 記憶力や親の年収(塾に行ける等)、生活環境(以前、親の仕事で外国に住んでいて自然に英語ができるなど)も関係する「偏差値」で選ぶのではなく、「優秀」という意味で私が選ぶとしたら、1位は理科大(一番「生み出せる」可能性が高い)、2位が早稲田、3位がICU、4位が慶応、5位が上智、だろうか。

 私と都民の多数とは、価値観がだいぶ違うようだ。

 

 京都の竹林で有名な道の映像をテレビやユーチューブで見ると、いつも電線が目立って残念に感じられる。調べてみたら、京都市は全体的に電線がむき出しになっているようだ。清水寺につながる優美な朱色の三重塔を見上げられる参道は、電線がクモの巣のように広がって視界を妨げているという。

 京都市は無電柱化事業が停滞しているようで、財政難が理由で整備計画が白紙化され着工のメドはたっていないとのことだ。

 せめて有名な観光地周辺だけは電線を地中に埋めたほうがよい。飽和状態なほど世界中から観光客が訪れ、飲食店や土産店などの商店、ホテル、交通機関、旅行会社、神社仏閣などでは、かなり利益が上がっているはずだ。市が財政難であれば、恩恵を受けている所から寄付をしてもらうとか増えた利益の数割を市が徴収するようにしてはどうだろうか。京都にある観光地のおかげで収入が莫大に増えているのだから、他人のふんどしで相撲をとっているようなものであろう。

 櫻坂46の新曲を聞いた。歌詞は、グループ内の負の実態を表したものになっている。平手氏がいなくなり、グループ名も変えたのだから、そのような歌詞からはもう離れ、自分たちとは全く関係のない歌詞のほうがよいと思う。誰も悲しい思いをしたくないだろう。特にファンであれば・・・。

 華原朋美氏や欅坂の衰退時もそうであったが、自分達の闇の状況を歌詞にしても、他人は聞きたくない部分なのだから売れるはずもなく、拒否反応しか生まれない。プロデューサーや作詞家などは、そのことを認識していないのだろうか。

 フェスに参加していた人々に対し、ハマスの行ったことはひどすぎる。だからといって、イスラエルがガザ地区の一般人を殺してしまうことには賛成できない。この戦争のニュースを見ていると、先の大戦時における日本の一般市民を標的にした東京大空襲や日本各地での街への空襲、原子爆弾投下などについて東京裁判でも現在でもどの国からも批判されない不思議さも起こってくる。世界はどうなっているのかよくわからなくなってしまう。

 よく考えてみると、おそらく世界には共通の正義や基準はなく、国同士の繋がり、ひいては自国の利益によってのみ、判断や行動がなされているのだろう。

 各地で戦争が増え、世界を分断するような対立も際立ってきた。世界を巻き込んだ戦争が複数起きている。明らかに、ここ数十年に起きてきた個別の戦争とは性格も規模も異なる。今回も人類は終息に向けてかじを切れるだろうか。私には無理のように思われる。良い方法を考えてみたが、出てきそうで出てこないのである。

「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」は、相田みつを氏の言葉だ。日本人なら理解でき、実践しようと思えばできなくはないだろう。それは日本人が小学校において学校生活全体を通して教員から徹底的に道徳教育を受けてきているからだ(最近の教員や学校は甘く?なって、自己中の小学生や若者も結構出てきたが)。日本以外の国の人々はどうなのだろうか。どのような学校教育になっているのだろうか。宗教教育(偏った絶対的思想)や自己主張、議論(論破の方法?)などを学ぶのだろうか。もし世界中の人が(政治家も含め)、相田みつを氏のこの言葉を理解し納得し実践しようと思えば、世界も変わっていくのかもしれない。

 そう考えると、世界中の国の教育内容が重要で、そこを何とかしないといつまでも対立の火種はくすぶり続ける。すべて同じにする必要はない。歴史教育と道徳教育についてのみ、世界共通のルールを設け(例えば、「想像や妄想、恨み、一方の主張のみを教科書に書いてはいけない」「(個人主義をやめて)思いやりや助け合いを最優先にすることを身に付けさせる」など)、それを学校で教えていくように世界中がなれば、百年後には世界終末時計をかなり巻き戻せるだろう。

 しかし、国連などで世界中の国が最低限の共通の教育内容を決めるとしても、その決めるのは自己中(自国の利益)を基準に判断している現在の人達のだから、そもそも成立はしない。日本の政治家が自己保身のために議員定数削減などを行わないことと同じだ。

 世界でも国内でも、法律やルールの制定は政治を実際に行う政治家達が決めるのではなく、完全に独立した機関(例えば日本で言えば「日本学術会議」など)が行うように、政治行動における命令権や決定権を持つ政治家と分離したほうがよいのかもしれない。しかしこれを決めるのもまた政治家だ。永遠に戦争はなくならない。

 今年の新語・流行語大賞にノミネートされた言葉が発表された。

 これまで、野球ファンだけが知っているような聞いたこともない言葉が大賞に選ばれることが多かったので、今年も国民のほとんどが知らないような野球関係の言葉がノミネートされないことを祈っていたが、「アレ」が入ってしまった。私は聞いたことがない言葉であったが、プロ野球の監督が発した言葉らしく、野球ファンのごく一部で盛り上がったらしい。

 このままでは、今年も審査員である野球ファンのやくみつる氏が、国民的な流行に関係なく「アレ」を選んでしまうではないか(これまでの審査員の顔ぶれを見ると、やく氏以外に野球の大ファンがいないので、選考過程でのやく氏の発言が優先的に通ってしまっている可能性が高い)。

 しかし、わずかな望みも残されている。野球関係で、もう一つノミネートされている。大谷翔平氏のWBCでの言葉「あこがれるのを・・・」である。これは、野球ファン以外の多くの国民も聞いたことがあるので、これが大賞なら国民も納得できるだろう。あとは、やくみつる氏の野球好きが国内の両リーグのチームに限ったことなのか、野球全般なら好きなのか、ということにかかっている。

 ちなみに、ノミネートの段階から審査員たちの意見が反映されているのだろうか。ウィキペディアで調べてみたら、過去にやく氏がノミネートの中に自分がある言葉をねじ込んだことを明かしたとある(事実関係は不明)。他にも、やく氏についてはいろいろと批判や問題が実際にあるようだ。そうであれば、このあたりで審査員全員を変えてみるか、あるいは数名の審査員だけで決めるのではなく電話アンケートなどで決めるようにしてもよいのではないか。年末の楽しみでやっているのだから、おかしな不正疑惑や問題がでるくらいなら、一新したほうがよい。

 

〈追記:2/1〉大賞が発表され、阪神の岡田監督の「アレ」に決まった。こんなのは茶番だ。やく氏が審査員をやめ、自身のSNSで個人的に発信していればよいだろう。一個人の好みが国の流行語大賞になる仕組みは、やめなければいけない。なぜ毎年年末の締めくくりに、国民全体がモヤモヤした気分にならなければいけないのだろうか。年の最後に不愉快にさせるのはやめてくれ。テレビ局が非難しないから、いつまでも続いているのである。