高岡市長が公務でアメリカに行く際に高額のビジネスクラスを利用したことについて市民から批判が上がっていたが、本日改めて「ご批判いただいた声と賛同いただいた声の両方、私は真摯に受け止めなければいけないと思っています。(中略)必ずや高岡市の市民の皆さんに今回の訪問を理解いただけるように努めてまいりたいと思っております」と会見で語った。ちなみに前回は同行者も含めて全員がエコノミーで、旅費は一人当たり今回の6分の1だった。

 賛否両方の声があるというが、重要なのはその割合である。両方とも真摯に受け止めるというなら、その割合を公表しなければいけない。仮に賛成が身内か部下の1人である場合、同等に受け止めることは不適切であろう。政治家は、市民や国民に対して煙に巻くような詭弁を語るのは禁止であったはずだ。

 節税感覚がなく高額な出張をしているという行動(事実)が不適切であり、市民の手本となるべく市長としてふさわしくないと市民は非難をしているのである。「必ずや・・・」というのは、私には市民に喧嘩を売っているようにしか聞こえないが、市民はどうなのだろうか。いづれにせよ、市長は何を言おうと事実は変わらない。

 エコノミーで行ったら仕事がきちんとできなくなるような健康状態や精神状態の人は、公的な仕事を行う職業には向いていないと思う(ちなみに到着当日は、空港での簡素なセレモニーだけであった)。また、エコノミーで行ったら相手から馬鹿にされるという考えであれば、それは愚かな発想で、「世界で最も貧しい大統領」として知られているウルグアイの大統領はバカにされず、世界から尊敬されている。エコノミーで行って堂々と対等に仕事をする姿勢を相手に見せつけ、相手の貧しい考えを変えて帰ってくるくらいの覚悟を持ってもらいたいものである。

 ニュースを見ていたら、今日も政治の世界では「閣議決定」なるもので何かを決めたようだが、「閣議決定」と「総理大臣の独断」と、実質的な違いはあるのだろうか。閣議に出席のメンバーを見ると、総理大臣の実質的な部下だけである。

 

 今晩、北関東の人気観光地の旅番組がある。見たい番組であるが、一応出演者を確認してみたら、やはりジャニタレが1人付く。とても残念ではあるが、私は見ないだろう。

 よく旅番組にジャニタレが1人くっついてくるが、どのジャニタレであっても旅の仲間に溶け込めず、うまい感想もいえず(当たり前の感想を短く言うだけ)、仲間に気を使わせて時々無理に話しかけてもらっている存在だ。

 見ている視聴者側も、ジャニタレがうまいコメントを言えるか、うまく仲間とコミュニケーションが取れるか、一番後ろからトボトボと寂しそうについていっていないかなど、とても気を使いハラハラさせられ、旅番組を心から楽しめない。

 なぜ、このような芸能人をあえてテレビ番組に出演させるのかというと、それは「ジャニタレだから」に他ならない。旅番組についてくるジャニタレ達がもし他の小さな芸能事務所であったら、魅力や表現力、才能面で、出演はできていなかったであろう。

 ドラマの主役でもニュースキャスターでも音楽祭の司会でも、「ジャニタレだから選ぶ」というのは、もう終わりにしよう。大きな事件が発覚した今変わらなければ、今後メディア業界における不公平・不公正体質(ジャニタレ優遇措置)は永遠に変わらない。

 各テレビ局は、午後や夕方の情報番組において、日大アメフト部事件の第三者委員会の調査結果を伝えていた。司会者やコメンテーター達は日大を非難していたが(当然のことではあるが)、テレビ局に日大を非難する資格があるのだろうか。何が恥かもわからないレベルの社員集団のようだ。採用方法を改めたほうがよいと思う。

 テレビ局は第三者委員会による調査・報告会見をかたくなに拒み、自分たちでほどほどに調査を行ってみせ、「重く受け止める」の一言で全てを終わりにしようしているが、日大はテレビ局とは真逆で第三者委員会に調査・提言を依頼しそれらの公表を行うなど真摯に反省し改善していこうという姿勢をとっている。

 テレビ局は、調査報告会見の映像を流したり報告書の中身だけを紹介し、テレビ局社員(アナウンサーや解説委員など)も雇ったコメンテーター達や専門家も一切感想や意見を言ってはいけない。日大に失礼だし、正義ぶる姿勢を国民に見せてはいけない。

 お笑い芸人が、社会問題や政治問題、国際紛争等について、テレビやSNS等で個人の意見を発信する仕事をするようになった。

 お笑いが好きで、お笑いの才能があって、お笑い芸人になったのではないのだろうか。

 あまり学習に専念せず、ボランティア活動や社会活動に触れたり、国際紛争や世界経済、社会保障などについて調べ考えたりなどといったこととも無縁の限られたごくごく狭い範囲で生きてきた学生生活だった故に、幅広い知識も専門知識も客観性も判断力も一般人に比べて劣るお笑い芸人が、いきなり偏ったわずかな情報を基に社会問題について頭に浮かんだことを無責任に全国に発信して世論操作をする。何とも哀れではずかしい存在だ。

 エセ評論家に逃げず、お笑い一本でやっている芸人だけが、売れている、売れていないに関わらず、「真のお笑い芸人」と言えるだろう。

 第三者委員会の記者会見を受けて、林理事長が「再起できるよう誠心誠意努力して参ります」などとコメントを発表した。

 彼女は、まだ理事長を続けるつもりなのだろうか。委員会の調査結果も自分の都合のいいように解釈してしまったのだろうか。

 彼女は責任をとらないといけないだろうし、理事長や大学経営者としての能力や判断力、発言力の欠如も露呈した。彼女が今後も理事長でいる利点はないと思う。

 日大アメフト部事件に関する第三者委員会の会見が行われた。

 すべて見たが、全体的な印象としては、新聞記者たちによる第三者委員会への批判会見といった印象だった。

 新聞記者たちの低レベル化が進んでいる。質問だけすればよいのに、記者個人の自己主張も多かった。目的や姿勢が疑われる(自己アピールの場だと思っている)。

 天皇皇后両陛下が、東京競馬場で天皇賞を観戦された。

 私は競馬をしないが、競馬のニュースを見るたびに思い出されることがある。それは、研修などで指導主事が競馬を悪く言うことだ。競馬は賭け事で、「教師たるもの、競馬をやるものではない」と教育委員会では思っている。指導主事は、自らの発言に客観的正義があるならば、天皇陛下やイギリス国王の前でも、同じことを胸を張って堂々と話せるだろうか。

 違法行為やマナー違反、他人に迷惑をかける行為以外は、教員であろうとだれであろうと何をやってもよいはずだ。デパートで、生活が苦しくなる程の買いものをしてしまう癖のある人がいるからといって、「デパートは悪い所」とはならない。指導主事は自分がやらないことについて、感覚的に毛嫌いして他人の合法的な楽しみを軽々しく否定するものではない。

 指導主事のやることは、自らの偏見に基づいた価値観を教員たちに指導することではなく、もし保護者や世間にも指導主事のような偏見があるとしたら、それを解くことだろう。

 最近の指導主事や教頭は若すぎる。普段はにこにこして腰が低い(ふりをしている)が、例えばたった一人のお局様教員に陰でいろいろと言い含められて洗脳されてしまうと、言い訳をしない誠実な教員を誤って指導しだし、職員室全体の人間関係を崩壊させてしまう若さがある。他にも、経験が浅いゆえに時々「あれっ」と思う判断や態度をみせる。当然の結果である。経験していないことについては、わかるはずもない。

 人の上に立ち、指導できる権力を持つ教員は、百戦錬磨の教員でなければいけない。若くして指導主事や教頭になることはすごくて立派なことなのではなく、むちゃなことなのである。特に、体育系の若い張り切り教員は、教育委員会が勘違いして早く管理職に取り立ててしまう。教育委員会のメンバーも昔は年配の実力者がいて信頼できたが、最近は若い人が多くなり管理職養成所となってしまっている。

 教員には、多種多様な多くの経験が重要であり、経験から得られることは伝言で学ぶことはできない。指導主事や教頭への任用条件を改善したほうがよいだろう(教員経験年数の引き上げなど)。

 今日行われた全日本大学女子駅伝で、大阪芸大の選手が中継所手前で意識がもうろうとなり、何度も転倒したり四つんばいになって進んだりしながら、タスキをつないだ。

 例えば、ボクシングは殴り合い、相手を痛めつけたり顔に大けがをさせたりして弱めれば勝ちという競技だ。

 スポーツの目的ってなんなのだろうか。

 テレビ局が、元のジャニーズ忖度経営に戻りつつある。誰も何も言わないから、やりたい放題だ。政治か警察、公取委などが取り締まらない限り、テレビ局が改心することは絶対にない。

 メディア界の悪の根源は、一芸能事務所でも制作会社でも企業でもなく、私は公共の電波を私物化しているテレビ局だと思う。