天皇皇后両陛下が、東京競馬場で天皇賞を観戦された。
私は競馬をしないが、競馬のニュースを見るたびに思い出されることがある。それは、研修などで指導主事が競馬を悪く言うことだ。競馬は賭け事で、「教師たるもの、競馬をやるものではない」と教育委員会では思っている。指導主事は、自らの発言に客観的正義があるならば、天皇陛下やイギリス国王の前でも、同じことを胸を張って堂々と話せるだろうか。
違法行為やマナー違反、他人に迷惑をかける行為以外は、教員であろうとだれであろうと何をやってもよいはずだ。デパートで、生活が苦しくなる程の買いものをしてしまう癖のある人がいるからといって、「デパートは悪い所」とはならない。指導主事は自分がやらないことについて、感覚的に毛嫌いして他人の合法的な楽しみを軽々しく否定するものではない。
指導主事のやることは、自らの偏見に基づいた価値観を教員たちに指導することではなく、もし保護者や世間にも指導主事のような偏見があるとしたら、それを解くことだろう。
最近の指導主事や教頭は若すぎる。普段はにこにこして腰が低い(ふりをしている)が、例えばたった一人のお局様教員に陰でいろいろと言い含められて洗脳されてしまうと、言い訳をしない誠実な教員を誤って指導しだし、職員室全体の人間関係を崩壊させてしまう若さがある。他にも、経験が浅いゆえに時々「あれっ」と思う判断や態度をみせる。当然の結果である。経験していないことについては、わかるはずもない。
人の上に立ち、指導できる権力を持つ教員は、百戦錬磨の教員でなければいけない。若くして指導主事や教頭になることはすごくて立派なことなのではなく、むちゃなことなのである。特に、体育系の若い張り切り教員は、教育委員会が勘違いして早く管理職に取り立ててしまう。教育委員会のメンバーも昔は年配の実力者がいて信頼できたが、最近は若い人が多くなり管理職養成所となってしまっている。
教員には、多種多様な多くの経験が重要であり、経験から得られることは伝言で学ぶことはできない。指導主事や教頭への任用条件を改善したほうがよいだろう(教員経験年数の引き上げなど)。