フェスに参加していた人々に対し、ハマスの行ったことはひどすぎる。だからといって、イスラエルがガザ地区の一般人を殺してしまうことには賛成できない。この戦争のニュースを見ていると、先の大戦時における日本の一般市民を標的にした東京大空襲や日本各地での街への空襲、原子爆弾投下などについて東京裁判でも現在でもどの国からも批判されない不思議さも起こってくる。世界はどうなっているのかよくわからなくなってしまう。

 よく考えてみると、おそらく世界には共通の正義や基準はなく、国同士の繋がり、ひいては自国の利益によってのみ、判断や行動がなされているのだろう。

 各地で戦争が増え、世界を分断するような対立も際立ってきた。世界を巻き込んだ戦争が複数起きている。明らかに、ここ数十年に起きてきた個別の戦争とは性格も規模も異なる。今回も人類は終息に向けてかじを切れるだろうか。私には無理のように思われる。良い方法を考えてみたが、出てきそうで出てこないのである。

「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」は、相田みつを氏の言葉だ。日本人なら理解でき、実践しようと思えばできなくはないだろう。それは日本人が小学校において学校生活全体を通して教員から徹底的に道徳教育を受けてきているからだ(最近の教員や学校は甘く?なって、自己中の小学生や若者も結構出てきたが)。日本以外の国の人々はどうなのだろうか。どのような学校教育になっているのだろうか。宗教教育(偏った絶対的思想)や自己主張、議論(論破の方法?)などを学ぶのだろうか。もし世界中の人が(政治家も含め)、相田みつを氏のこの言葉を理解し納得し実践しようと思えば、世界も変わっていくのかもしれない。

 そう考えると、世界中の国の教育内容が重要で、そこを何とかしないといつまでも対立の火種はくすぶり続ける。すべて同じにする必要はない。歴史教育と道徳教育についてのみ、世界共通のルールを設け(例えば、「想像や妄想、恨み、一方の主張のみを教科書に書いてはいけない」「(個人主義をやめて)思いやりや助け合いを最優先にすることを身に付けさせる」など)、それを学校で教えていくように世界中がなれば、百年後には世界終末時計をかなり巻き戻せるだろう。

 しかし、国連などで世界中の国が最低限の共通の教育内容を決めるとしても、その決めるのは自己中(自国の利益)を基準に判断している現在の人達のだから、そもそも成立はしない。日本の政治家が自己保身のために議員定数削減などを行わないことと同じだ。

 世界でも国内でも、法律やルールの制定は政治を実際に行う政治家達が決めるのではなく、完全に独立した機関(例えば日本で言えば「日本学術会議」など)が行うように、政治行動における命令権や決定権を持つ政治家と分離したほうがよいのかもしれない。しかしこれを決めるのもまた政治家だ。永遠に戦争はなくならない。