“英語で答えてください”と言われた米コロンビア大大学院修了の小泉氏だったが、前夜の「ひろゆきと語る夜 #変われ自民党 日本の未来を語れ!自民党総裁選」の時と同様に日本語で対応。「昨日もひろゆきさんの番組で英語で答えろって振られたんですけど、正確にお伝えしたいのでゆっくりお話させていただきます」と答えたという記事があった。

英語で答えない理由は、「(日本語で)正確に伝えるため」ではなく、彼は日常会話程度の英会話ができないのだろう。誰にでもわかる嘘を、彼は平気でついてしまう。彼は、息を吐くように嘘をつく(ごまかしや詭弁を言える)。嘘つきは犯罪者(泥棒)の始まりだ。そのような人が首相になったら、国はどうなるのだろう。そもそも、コロンビア大大学院をどうやって修了したのだろうか。当時、父親は首相であった。父親の権力なのだろうか。まさか学歴詐称ではあるまい。首相になるのであれば、その前にチェックする必要があるだろう。

彼は、名前を聞いたことも無いような大学の出身だ。ただの無能な嘘つきボンボンである。国を左右する政治家や、ましてや首相等の器ではない。裸の王様になるのが目に見えている。

横綱豊昇龍が立ち合いで変化し、はたき込みで勝ち、千秋楽での優勝に望みをつないだ。横綱らしからぬ逃げの相撲で、観客もテレビで見ていた国民も、がっかりしたことだろう。

それについて、高田川審判部長は、「あっけない相撲だったが、最初から狙ったわけじゃなく・・・」と擁護した。審判部長以外は、誰もそう思っていない。こういう特別に能力のない人が選ばれて審判部長をやっていることが、とても残念である。個人的には、八百長、ハラスメント、いじめなど、大相撲のダークなイメージと一致する。

試合後、豊昇龍は「今日は勝ちに行きました」と正直に述べ、審判部長に赤っ恥をかかせていた。相撲協会の管理職は、元関取に限らなくてもよいだろう。管理・運営経験が全くない元関取たちが、相撲協会メンバーとしてすべてを仕切るには、荷が重すぎる。

先の東京世界陸上について、ジャマイカの名将が「これまで見てきた中で最悪の世界陸上だ」と、運営・環境面をバッサリ切って捨てた。サブトラックからのバス移動や、大型ホテルの一か所に選手や関係者を集めたために起きた大混雑など、複数の海外選手が、最悪の大会だったことを、自身のインスタなどで述べている。

日本がひどかったのは、運営・管理面だけではない。日本のメダル数は、銅メダル2個に終わった。100mリレーのバトンパスも、次の走者とかなりつまってしまい、いつも通り失敗していた。世界規模の大会で、日本チームがバトンを成功させた記憶が私にはない。選手に任せ過ぎである。国として取り組み、専門家などが選手を指導、管理したほうがよい。

最悪の運営、最悪の実力であった。誰が責任をもって、何をやっていたのだろうか。一から、組織のシステムや体制、選手の練習計画や管理の在り方を見直したほうがよい。

自民党総裁選に立候補した小泉氏が、会見において記者から「昨年は『知的レベルが低い』と、今年は『詐欺師』だというふうに、直接ご指摘を頂きましたが、今の論理で私を詐欺師というならば、今回の候補者も含めて全て当たってしまうのではないでしょうか」と反論した。

チンピラが速度違反で警察に止められた時、「俺だけじゃないだろう。他の車もオーバーしてるだろう」と開き直って逃れようとする。小泉氏の論理や思いつきは、小学生やチンピラと同じだ。彼の知的レベルは、まだ去年のままのようである。

彼は、経済も外交も防衛も専門的なことは何もわからない。具体的な議論になると、一般論と感情論で話をそらす。これが通用するのは、愚かな日本国民に対してのみであり、百戦錬磨の中国やアメリカ、ロシアなどと対等に話し合いなどできるはずもない。すべてを譲歩し、日本に戻ってから国民に対して、「利益を勝ち取った」と嘘を言うのが精いっぱいであろう。彼が首相になれば、今後数年間、派閥同士で仲良しごっこはできても、日本の政治はマイナスになる。停滞で済んでくれれば御の字であろう。

韓国に利用されるだけ利用され、中国に尖閣諸島を奪われ、ロシアから北方領土交渉を完全に打ち切られて実効支配され、アメリカにお金をすべて搾り取られるのが先か、あるいは彼が1年程で首相をやめて新しい首相が誕生するのが先か、日本にとっては厳しい期間となる。

知識も経験もリーダーシップも交渉力も、全てにおいて弱い小泉氏の実力は、外国には完全に見透かされているだろう。彼が首相の間に、中国やロシア、アメリカ、韓国などは、「今のうちに日本から取れるだけ取ってやれ」と、手ぐすねを引いて待っている。取れるのに取らないバカはいないのだ。

知識も経験もない首相は、官僚や派閥の長、党の実力者の言う通りに動くしかない。そうなれば、口のうまい選挙応援要員だった彼は、首相ではなく真の自民党のスポークスマンとなる。

麻生派の研修会において、麻生氏が「前倒しを要求する書面に署名し、提出する」、「党一丸となってまい進できる体制を整えるにはどうすればいいか。一人一人が判断してほしい」と訴えた。

この研修会が党内の意見交換の場ではなく、事実上、麻生氏が国会議員に対して強い指導権を発揮する場となっていることが明らかになった。研修会での発言内容や指示に従わなければならないという立場に立たされる議員たちは、まるで「俺様の言う通りに動け」と強制されているかのようだ。これは、民主的なプロセスや議論を経るべき政治の現場において、到底容認すべき事態ではない。

民主主義国家において、政治家はあくまで民意を代表する存在であり、その意思決定過程には十分な議論と透明性が求められる。しかし、麻生氏が権力を一手に握るこの研修会の状況は、まさに権力の偏重を示しており、民主主義を支える基本的な原則に反するものだ。このような状況において、政治家たちは個々の判断力や自主性を失い、指導者の意向に従うことを強いられる。それは、民意や自分の考えを無視することに他ならない。そして彼の地元民は、解散総選挙をしても彼を確実に当選させてくるだろう。日本の政治を悪くしているのは麻生氏なのか。

さらに、この問題を指摘するメディアの姿勢にも疑問を抱かざるを得ない。政治家たちの権力の行使を監視し、批判的な立場を取るべきはメディアの責任である。しかし、現在の日本のメディアはこの問題を十分に取り上げていない。報道の自由と責任が軽んじられ、政治家たちに「何でもできる」と思わせる温床となっているのではないか。

今後、政治家とメディアが自らの責任を再認識し、民主主義を守るために果たすべき役割を自覚することが求められる。特に、情報の取扱いに関しては、テレビ局やメディア各社が持つ役割を再定義し、バラエティ番組と権力監視の機能を担う番組の分別を含めた改革が必要である。

政治家たちが民意を無視して自己の権力を強化し、メディアがそれを黙認する現状は、いかなる民主国家にも許されるべきではない。今こそ、日本の政治とテレビ局における透明性と公平性を確保し、権力の監視とバランスを重視した社会を築くべき時であろう。

しかし、全てが小泉氏によるいつもの安易で感覚的発想によって砕かれた。それにやられる石破氏も、すでに弱っていたのだろうか。野党も再び多党化してきた。政治とは、前に進まず、自然と過去に回帰する。不思議である。何度繰り返したら、理解し学ぶのだろうか。

 

飛騨高山の美しい街並みがテレビにうつるたびに、この古き良き町並みから電線が消えれば、どれほど風情が増すだろうと思う。同様に、京都の竹林も、電線の存在がこの古都の静かで美しいい景観を損ねている。確かに、地中化が進んでいる場所もあるのだが、それでも電線が無造作に空を走る場所が目立つのが現実だ。

日本の伝統的な町並みや自然美には、無駄なものが介入することなく、風景そのものが持つ情緒や美しさが重要だと思う。電線や電信柱があることで、これらの景観が台無しになってしまうのは実に惜しい。都市や地域の特徴を際立たせ、観光資源としての価値を高めるためには、こうした景観改善が急務である。

自治体の観光担当者には、より高い感度を持ってその地域の景観に配慮してもらいたいものである。観光に訪れる人々が、ただの「観光地」ではなく、心から感動する風景に出会えるような工夫がなされてこそ、その土地の真の魅力を伝えることができるのだと思う。

日本は市街地に行くと電柱がこれでもかと立てられ、空を見上げるとクモの巣のように電線が張り巡らされている。前近代的な発展途上のアジアの一国という印象をぬぐえない。しかし、すでに日本全国に電線が張り巡らされているので、今更それらを地中化していくことは不可能に近い。そうであれば、せめて有名な観光地や風情の残る地域、道路が狭くて電柱があると危険な道だけでも地中化を考えてほしいものである。

「日本政府は、パレスチナを国家として承認することを当面、見送る方向で最終調整に入った。」(朝日新聞)。アメリカとの関係を考慮した判断とみられるということだ。

日本は、アメリカの州のひとつなのか。到底、独立国家とはいえない。次の首相が小泉氏や茂木氏、高市氏になったら、トランプ氏と対等にやりあえるだろうか。へらへらしてすべて要求をのみ、逆に日本の国民には強気でその説明や言い訳を言うのだろう。強いものにはへいこらし、弱い者には強気にでる。日本の政治家の特徴である。

そう考えると、唯一林官房長官が少しはまともに交渉ができそうでもあるが、しかし彼も未知数だ。

総裁選に名乗りをあげた茂木氏が、地元に戻り、エプロンを身につけて焼きそばを焼いていた。

かつて東京都知事選で、元NHKニュースキャスターの磯村尚徳氏が銭湯でお客さんの背中を流すパフォーマンスをやっていたことが思い出された。

これが日本の政治家の感覚なのだろう。政治家としての経済や外交、社会制度などの能力に関係なく、国民に「あの人は、いい人だなあ」と思わせると、国民は投票してくれると思っている。程度の差はあれ、選挙活動になると立候補者はほぼ全員が、選挙区において、これまで見たことも無いような満面の笑顔を振りまきながら、頭を下げて願いと握手攻撃をする。「お願い」や握手で投票するはずもない。国民をバカにしすぎだ。

国会で、足を引っ張ってばかりいる自己中の麻生氏や高市氏が、いくら地元に帰って作り笑顔を振りまいてみても、当選しないではないか。あれっ、当選するのか・・・。

政治家は、狡猾で利益の匂いを嗅ぎつける能力に長けている。国民の心理を、本当に熟知している。

石破首相は、派閥政治と裏金問題にまみれた旧来型自民党の力によって、何の不正もないまま引きずり下ろされた。国民が否を突き付けたはずの派閥の論理が再び支配し、良識ある少数の議員は抗しきれなかった。

「党を分断させてはならない」、「自民党を一つにまとめねばならない」との言葉は美辞麗句に過ぎない。実態は、派閥政治を温存し、数の力で物事を決する古い自民党の姿への回帰にほかならない。本当に必要だったのは「党の分断」、すなわち派閥政治の解体であった。

政権交代を経ずして、自民党一党支配の腐敗政治を改め、二大政党制を根付かせることはできない。野党に政権を任せる不安はあろうとも、何事にも始まりはある。目先の利益に飛びつき、子や孫に再び旧来の政治を押し付けることは避けるべきだ。

石破首相は、裏金議員や派閥政治を担う当事者たちに責任を取らせた上で、思う存分に改革を断行し、その後に解散総選挙を行うべきだった。それこそが国民に判断を委ねる王道であっただろう。結果として派閥の残党が選ばれるのであれば、それは民意である。あとは、石破氏も、政治を浄化したいと考える国民も、深く関わらなければよい。

石破氏は最後の最後まで、自分の信念を貫くことが一度もできなかった。派閥議員たちの顔色をうかがいながら、全てが妥協であった。最後の解散総選挙も途中で萎えた。中途半端こそ最悪の結果をもたらすことを、彼は最後まで悟れなかった。

バレーボール男子世界選手権が行われ、日本は初戦から1セットもとることなく2連敗で、1次リーグ敗退が決定した。

日本がまずやることは、女子チームも男子チームも、重要な場面、流れを左右する場面で、高確率で相手に点数をやってしまうような選手を使わないことである。時々なら仕方のないことだが、相手チームのスパイなのかと思ってしまうほど、確実にミスをしたり、かんたんなボールをとれなかったり、トスを上げる人にうまく返せなかったり、まともにブロックを食らって自爆したりする選手がいる。

普通の場面では、ちょくちょく点数を取ることができるから採用されているのだと思うが、重要な場面では、高確率で失敗する。能力なのか、不器用なのか、心配性で精神的に不安定になるのか、あるいはそのすべてをもっているのか、いずれにしても結果的に足を引っ張る担当となっている。その選手が中心となってやっている間は、日本がメダルを取ることなどできない。流れを断ち切ることばかりしている国が勝てるほど、世界のレベルは低くない。

しかし、日本はこれまでずっとそのような選手を中心に据えて、自爆してきた。この選手がいなかったら勝っていたと思わせるような試合が多かった。協会や指導陣は、そろそろ気づき、学んだほうがよい。しかも、そのような選手をキャプテンにしてしまう。他の選手は不安であろうし、頼りにすることもできず、チームに安心感やまとまりを作ることができない。キャプテンには、実力とリーダーシップが必要である。向き、不向きがある。

男女の両キャプテンは、インタビューなどから自分のことをよく知っていると思われる。日本のために、自分の立ち位置や役割を自ら選ぶ勇気が求められている。