麻生派の研修会において、麻生氏が「前倒しを要求する書面に署名し、提出する」、「党一丸となってまい進できる体制を整えるにはどうすればいいか。一人一人が判断してほしい」と訴えた。

この研修会が党内の意見交換の場ではなく、事実上、麻生氏が国会議員に対して強い指導権を発揮する場となっていることが明らかになった。研修会での発言内容や指示に従わなければならないという立場に立たされる議員たちは、まるで「俺様の言う通りに動け」と強制されているかのようだ。これは、民主的なプロセスや議論を経るべき政治の現場において、到底容認すべき事態ではない。

民主主義国家において、政治家はあくまで民意を代表する存在であり、その意思決定過程には十分な議論と透明性が求められる。しかし、麻生氏が権力を一手に握るこの研修会の状況は、まさに権力の偏重を示しており、民主主義を支える基本的な原則に反するものだ。このような状況において、政治家たちは個々の判断力や自主性を失い、指導者の意向に従うことを強いられる。それは、民意や自分の考えを無視することに他ならない。そして彼の地元民は、解散総選挙をしても彼を確実に当選させてくるだろう。日本の政治を悪くしているのは麻生氏なのか。

さらに、この問題を指摘するメディアの姿勢にも疑問を抱かざるを得ない。政治家たちの権力の行使を監視し、批判的な立場を取るべきはメディアの責任である。しかし、現在の日本のメディアはこの問題を十分に取り上げていない。報道の自由と責任が軽んじられ、政治家たちに「何でもできる」と思わせる温床となっているのではないか。

今後、政治家とメディアが自らの責任を再認識し、民主主義を守るために果たすべき役割を自覚することが求められる。特に、情報の取扱いに関しては、テレビ局やメディア各社が持つ役割を再定義し、バラエティ番組と権力監視の機能を担う番組の分別を含めた改革が必要である。

政治家たちが民意を無視して自己の権力を強化し、メディアがそれを黙認する現状は、いかなる民主国家にも許されるべきではない。今こそ、日本の政治とテレビ局における透明性と公平性を確保し、権力の監視とバランスを重視した社会を築くべき時であろう。

しかし、全てが小泉氏によるいつもの安易で感覚的発想によって砕かれた。それにやられる石破氏も、すでに弱っていたのだろうか。野党も再び多党化してきた。政治とは、前に進まず、自然と過去に回帰する。不思議である。何度繰り返したら、理解し学ぶのだろうか。