結論から言うと、七夕の神は二柱の天照。

饒速日命と御炊屋姫。

彼女は市杵島姫命である宗像神。

 

彼らは籠神社の天火明命と豊受大神。

筑紫では、高良神と神功皇后。

筑紫の七夕神から、彼らに繋がる。

★前回の記事

 

★目次

☆1 宗像大社中津宮の七夕神

☆2 ひめこそ神社の織姫

☆3 二つの社は同神

☆4 姫古曽神社の織女神

☆5 異名同体

☆6 ひめこそ神社の饒速日命と高良神

☆7 気比神宮のツヌガアラシト

☆8 祭神の異類退治

☆9 織姫は御炊屋姫

 

  ☆1宗像大社中津宮の七夕神

 

宗像大社の沖津宮の側に七夕神が祀られている。

ここは七夕の発祥の地とされる。

 

この地の神、宗像神が七夕の神ゆえであった。

「発祥」は祭神の由緒を示している。

 

宗像大社*中津宮

 

宗像神は市杵島姫命(一柱の神)。

市杵島姫命は、籠神社の豊受大神であった。

☆絵馬の神は、基本祭神。

籠神のもう一柱は、天火明命であり、饒速日命。

(前回の記事、参照)

 

市杵島姫命は御炊屋姫に繋がった。

彼女が、宗像大社の中津宮の神であり、七夕神の織姫。

 

ゆえに、籠神のもう一柱の饒速日命が彦星となる。

彼らは夫婦なのである。

 

  ☆2ひめこそ神社の織姫

 

七夕神社が福岡の小郡市にある。

それは☆→媛社(ひめこそ)神社(リンク)の別名であった。

 

祭神が七夕神であるゆえになる。

 

七夕神社(媛社神社)

 

祭神は、栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのこみと)(織姫)
*天火明命 織姫の長男
*高皇産霊尊(たかみむすびのみこと) 織姫の父
*宗像神(むなかたのかみ)道主神 道の神様

(社の案内板より)

 

天火明命は、籠神社より、饒速日命。

彼女は、饒速日命の母と日本書紀にもある。

 

彦星と織姫の像

 

彼女が織姫ならば、彼が彦星。

しかし、母子で「七夕の神」はあり得ない。

 

呼称は祭神の由緒に繋がるはずであった。

では、栲幡千千姫は彼の母では無いということになる。

 

織姫という彼女は誰なのか。

それを解く鍵が、社の伝承にあった。

 

  ☆3二つの社は同神

 

ひめこそ神社は、佐賀の鳥栖にもあり、直線で4キロほどの距離にある。

そこが姫古曽神社。(西にある方)

 

図1 地図はGoogle map

(上の地図の左の1が媛社神社。2が姫古曽神社)

 

二つの社は同神と示唆する伝承があった。

 

媛社神社にある案内板

 

媛社神社の歴史は古く、その起源は1300年前に書かれた「肥前風土記」にさかのぼります。

(中略)
 

昔、姫社(今の鳥栖市姫方町付近)の地に悪い神がいて、旅する人を多く殺していた。

そこで土地の人が困って占ったところ、宗像(今の宗像市付近)に珂是古(かぜこ)と言う人がいて、その人に神の社を祀らせると良いと出た。

そこで珂是古は、幡を掲げ、その神がいるところに落ちるように祈祷して幡を飛ばした。

幡は風にしたがって飛んで行き、御原郡の姫社の社に落ちた。(基肄郡姫社郷の条)

(媛社神社の案内板より)

 

(彼らの)伝承は、神の由緒であり、言葉は暗号のように神に繋がる。

 

(*姫社とは、鳥栖の姫古曽神社。)

 

鳥栖の姫古曽に悪い鬼=鬼を退治した方の神(後述)

宗像の珂是古(かぜこ)=宗像の神

幡をかかげ=八幡神

幡を飛ばし落ちた地が(この小郡の)媛社

二つのひめこそ社の神は同神

 

伝承の、「社から社へと岩や幡が飛んできた」は、同神を意味する。

まずは、もう一つのひめこそ神社へ。

 

  ☆4姫古曽神社の織女神

 

二つのひめこそ社の神は同神。

では、もう一つの姫古曽神社の神は?

 

鳥栖の姫古曽神社

 

御祭神は、市杵島姫
     八幡大神、住吉大神、
     高良大神、菅原道真 

境内に案内板がある。

 


姫古曽神社の案内板

 

上の案内板より、概要
*****

☆1 当社の原初祭神は、織女姫 (たなばた姫)であった。
 このいわれは「肥前国風土記」姫神郷の段に詳しい。


☆2 時移りて弘仁二年(811)時の村長某が豊国宇佐八幡宮の分霊をここ姫方の地に勧請、先づ徳丸というところに行宮を建てて祀り、のち現霊地に社殿を建立して奉還、住吉大神、高良大神を合祀して八幡宮と稱(称)し、姫方村の氏神とした。

(中略)

☆3 この八幡宮勧請以後、本来の主神である織女神は疎外されていたが、明治の御一新に当たり村人は相はからって近くの「たなばた屋敷」におわした織女神を市杵島姫命の神名をもって主神の座に復し奉り、社名を姫古曽神社と改めた。

以後、たなばた祭が執り行われるに至った。

 

要点は、

1 当初の神は織女姫(たなばた神)。

2 宇佐の分霊を勧請

   住吉神と高良神を合祀して、八幡宮とした。

 

3 織女神は疎外されていたが、後に、織女神を市杵島姫命として、主神とし、姫古曽神社と改めた。

 

 

つまり、織女神は市杵島姫命。

彼女は一柱の神の宗像神であり、☆1より、宗像大社の中津宮の神。

そこは七夕発祥の地とされていた。

さらに、☆3の伝承より二つの社の神は同じなので、

 

栲幡千千姫命=織女神=市杵島姫命=宗像神となる。

 

 

  ☆5異名同体

 

2の「宇佐の分霊を勧請」とは、元々祀っていた織女神が宇佐の神と同じだから。

 

織女神は☆4より、宗像神(市杵島姫命)。

 

宗像大社の社家は「新撰姓氏録」より、大神氏であり、奈良の大神神社の大三輪氏と同族。

宇佐の社家の当初は大三輪氏。

 

同族の祖なので、宗像、宇佐、大神神社の神は同じということになる。

 

 

ゆえに、織女神である市杵島姫命(宗像神)は、宇佐の神。

 

宇佐の神を勧請したのに、

3の「織女神を市杵島姫命(宗像神)として」とは、両神が異名同体であることを意味している。

違う名だけど、同じ神だから祀ったということだ。

 

☆これはほとんどの社の配祀神にも言える。

(後の世の者を除く)

 

 

上記より、宇佐、宗像、大神神社の神は同じ。

 

大神神社の摂社に御炊社(みかしぎしゃ)があり、御炊屋姫の名は豊受大神(御膳津神・みけつかみ)を意味していた。

籠神社では、祭神の豊受大神を市杵島姫命としている。

☆1の宗像大社の神となる。

 

ゆえに、御炊屋姫=市杵島姫命=宗像神=豊受大神


大神神社、宇佐、宗像、籠神社に共通する神、宗像神=豊受大神=御炊屋姫が織姫なのだ。

 

籠神社のもう一柱は天火明命=饒速日命であった。

彼女は大神神社の神なので、彼は大物主神=大己貴命。

☆大抵の社には、夫婦で祀られている。

 

 

宇佐、宗像は、大神神社の社家と同じであった。

しかも配祀の神は同じなので、

 

宇佐の神の宗像三柱は、神功皇后となる。

 

 

つまり、神功皇后=宗像神=宇佐神=御炊屋姫。

 

彼女は饒速日命の后であるので、それらの社には、名を変えられた彼も祀られているということになる。

 

神功皇后は、高良大社の「高良玉垂宮神秘書」より、高良神と夫婦とあった。

高良神はその実、物部が祖神を祀った宮である。

 

高良神=饒速日命

神功皇后=御炊屋姫

 

 

2の「住吉神と高良神を合祀して、八幡宮とした」とは、高良大社に祀られる三神であった。

「神秘書」には、高良神は住吉神と同神とある。

 

ひめこそ神社の神の異名同体。

ゆえに「高良大社」の三柱を勧請したのだ。

 

  ☆6ひめこそ神社の饒速日命と高良神

 

ここで☆2の媛社神社の神に戻る。

 

祭神は天火明命=饒速日命であった。

二つのひめこそ社の神は同じなので、

 

饒速日命=天火明命=高良神

彼が彦星だ。

 

一見、不可解と思える伝承は、的確に神の正体を伝えていたことになる。

 

もう一柱の栲幡千千姫命は、彼の后の御炊屋姫。

 

栲幡千千姫命=市杵島姫命=宗像神=豊受大神=御炊屋姫。

彼女が織姫。

 

母子とされていたが、実は夫婦。

だからこその「七夕の神」であった。

 

 

さて、残った応神天皇。

彼は神功皇后の御子の応神天皇。

しかし、その実、応神天皇は二人いる。

 

彼らは二柱の天照なので、後の(おそらく)最初の天皇である応神を「天照の御子」と設定したのだ。

(実際には、150年以上開きがある)

*おそらく、後の世の者がそうした。

 

「新撰姓氏録」には、筆頭に「息長真人」の氏族があり、始祖は応神天皇とある。

神武天皇の名はどこにもない。

 

 

 

  ☆7気比神宮のツヌガアラシト

 

日本書紀では、ひめこそ神を追って新羅から日本にやってきたのがツヌガアラシト神であった。

天日矛と同神である。

 

更に気比神宮で、ツヌガアラシト神と応神天皇は名を変えていた。

二柱は同神と示唆するもの。

 

姫古曽神社の「高良神と住吉神を合祀して八幡神社とした」とは、同神ゆえとなる。

 

皇祖の「応神天皇」とは、別の者であろう。

 

 

前回の記事にも追記したが、神話の天照とスサノオ神の宇気比(誓約)とは、関わる神が気比神宮の神だと示唆するものである。

 

 

神功皇后=女神天照=御炊屋姫

ツヌガアラシト=饒速日命=男神天照=スサノオ=武内宿禰(高良神)=応神天皇

 

  ☆8祭神の異類退治

 

伝承の祭神が「悪い神」との表記。

 

彼ら、高良神と神功皇后、大己貴命と宗像神は、主に筑紫において異類退治をしていた。

 

これが祓いの神「住吉神と瀬織津姫」の所以となる。

 

筑紫には、彼らの異類退治の伝承がある。

名を変えられた彼らは、幾つもの地でそれらを退治していた。

 

 

そもそも、二つのひめこそ神社の地は、図1の場所。

 

その地に「悪い神」がいたのなら、他を通れば良い。

逃げ場がない場所ではなかった。

 

その一つは冷水峠。

(上の記事に詳細)

 

図2 地図はGoogle map

冷水峠は中心の6

 

ここでの異類退治が筑紫の「命尽くし神」伝承であり、ひめこそ社が示す「悪い神」がいた地となる。

逃げ場がない、峠であった。

 

「悪い神」とは、その由緒を意味している。

祭神は、悪い神を退治した神であったのだ。

 

  ☆9織姫は御炊屋姫

 

媛社神社の二の鳥居の扁額には「磐舩(いわふね)神社」と「棚織(たなばた)神社」と並んで刻まれている。
 

栲幡千千姫命の栲とはたえ。

こうぞなどの繊維で織った布のこととなる。

 

栲の神とは、一文字で織物の神を意味してた。

 

 

真鍋大覚氏の「儺の國の星 拾遺」の炊屋星(かしきやぼし)の項にある。

 

織女を雉鳥石星(かしわのほし)或は梶葉星(かぢばぼし)と言う。

舸子場(かしば)とは船著場のことである。
(中略)

織姫は自ら船を漕いで牽牛の許に赴くべきものと遠い祖先は考えていたのである。

(中略)
 昔は楮(こうぞ)と同じその皮を剥いで衣服の繊維を取っていたところから、この神話伝説が生まれた。
木の皮は細く裂いて水に晒す。

 

 

織姫は機(はた)を織る者、船を漕いで牽牛の許へ行く者との考えから、かしば=炊屋(かしきや)となったという。

 

炊屋が、織姫を意味していることになる。

 

また、☆5より、御炊社の神、豊受大神が御炊屋姫=織姫。


籠神の一柱であるので、天火明命=饒速日命(男神天照)が彦星となったと思われる。

 

神話の神は全て彼らであり、それの星神も彼らとなる。

 

 

 

配祀の神も伝承も、寄せ集めでは無く、意味がないものでも無い。

すべて彼らに繋がっている。

 

 

 

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