福岡県福津市津屋崎。

渡半島にある楯崎神社と波折神社の伝承は、高良大社のそれと繋げると神が浮かび上がる。

★以前書いた記事のまとめになります。

 

★目次

☆1 楯崎神社の大己貴命と宗像神と神功皇后

☆2 波折神社の三柱と神功皇后

☆3 高良大社の高良神と神功皇后

☆4 神の正体

☆5 祓いの神の異類退治

 

  楯崎神社の大己貴命と宗像神と神功皇后

 

楯崎神社には、三つの時代の伝承があった。

 

 

 

 

 

書かれていることはこの三つ。

 

☆大己貴命と宗像神が夷類を退治した。

宗像社記にもあるとの記述。

 

☆神功皇后が西征の折りにこの山に登って、神の助力を祈った。

☆西行法師が来た(これは今回省略)

 

以下、由緒書きを抜き出して要約。

 

世が未開で混沌として、草木が話していた時代のこと。
北海の浜に「夷の類」という狂暴な鬼神が攻めてきて、人民を殺略した。

 

その時、大己貴命と宗像姫が自ら神軍を率いて、稜威(いつ・畏れを感じるほどの力)を振るって、楯を立て、鼓を鳴らして、夷賊を防御して、遂には退治した。

楯崎、鼓石、伽羅船などの名はこれが由来。

 

(大国主命の項)

この大国主神(大己貴命)は、ちはやふる神を追い返して、初めて国を造った。

 

(宗像神の項)

宗像社記にはこう記されてある。
宗像大神が異賊に対して、最初の合戦地に御楯(砦か?)を築いた場所を楯崎とした。
その御楯は、石となって今もあり。
この神山(楯崎神社の山)の険しい峰の上、草木が盛んに生えている所に楯板あり、石となる。

 

勝ち鼓を打ったところを鼓島と呼ぶ。

その鼓、石と成りて今もある。

 

鼓島
 

社の後ろに神霊のおられる岩の窟がある。


薬師神社(左側が窟)

 

古老伝える。
昔、息長足姫尊(神功皇后)、将として三韓征伐の折り、 この山に登って神の助力を祈った。
船が泊まっていたところを、京泊という。
社殿の北、御手を洗った所を御手水の瀑布という。

(後は、周囲の地形、名称の謂れ)

「由緒書きより、概要」

 

 

(以下、由緒書きの原文も載せました)

 

 

大己貴命は大国主神。

その后は宗像三女神の一柱の田心姫とされる。

しかし宗像神は一柱の神。

 

その宗像神は異賊を退治してたと宗像社記にある。

大国主神は、ちはやふる神を追い返して、初めて国を造った。

 

では、この二柱で退治していたのだ。

これが楯崎神社の伝承が伝えることだ。

 

 

  波折神社の三柱と神功皇后

 

同じ津屋崎にある「波折神社」。

楯崎神社がある渡半島から車で5分。

ここには、瀬織津姫、住吉大神、志賀神と神功皇后の伝承があった。

 

ご祭神は、瀬織津大神、住吉大神、志賀大神。

 

 

神功皇后の新羅に遠征の時、鼓島で三神が現れた。

瀬織津姫と、住吉神と、志賀大神に、彼女が邂逅したという。

神であるはずの彼らと会っていた。

(詳細、以下)

 

これらを高良神の伝承と合わせる見えてくるものがある。

 

  高良大社の高良神と神功皇后

 

筑後国一之宮の高良大社の高良神。

 

大社に伝わる「高良玉垂宮神秘書」などから。

彼は、住吉神、志賀神、春日神、鹿島神、安曇磯良神と同神。

 

さらに物部氏が祀った物部の神、饒速日命と辿り着いている。

 

☆高良神と神功皇后は夫婦であり、共に異類退治をしていた。

 

 

 

 

  神の正体

 

そこで、先の二つの伝承が繋がる。

波折神社の住吉神、志賀神は、高良神と同神。

 

彼は物部の神である饒速日命。

 

では、楯崎神社の大己貴命とは。
由緒書きより。


大己貴神は素戔嗚の子。
大己貴命は、又の名を、大国主神、葦原醜男神、八千戈神、顕国玉神。
大三輪社(*1)に祀られる。
大物主神は、大倭神社に祭り、これを称して大国売神と言う。

この大国主神(大己貴命)は、ちはやふる神(*2)を追い返して、初めて国を造った。

その子、百八十一神。

後に、皇孫を避けて、日隈宮(*3)に隠れた。
すなわち、出雲国杵築大神(出雲大社)である。


*1 大三輪社。大神神社のこと。
*2 ちはやふる神。夷の類という狂暴な鬼神。
*3 日隈社。天日隈宮。出雲大社のこと

 

大己貴命は、大神神社の大物主神という事だ。

摂社の御炊社(みかしぎしゃ)の神、御膳津神(みけつかみ)は、豊受大神、ウカノミタマ神と同神。

 

饒速日命の后の「御炊屋姫」の名は、それを示唆するもの。

彼女の社は弁財天=市杵島姫命。

女神天照は、市杵島姫命=宗像神である。

 

御炊屋姫=豊受大神=天照=市杵島姫命=宗像神

 (詳細は下の☆7)

 

御炊屋姫が大神神社の豊受大神

➡大物主神である大己貴命は、夫の饒速日命となる。

 

高良神が饒速日命なので、大己貴命(大国主神)と同神

➡その后の神功皇后が御炊屋姫=宗像神。

 

女神天照は瀬織津姫。

その夫の饒速日命が男神の天照。

 

よって、楯崎神社の大己貴命と宗像神と神功皇后、

波折神社の三柱、住吉神、志賀神、瀬織津姫、神功皇后は、二柱に集約されることが分かる。

 

時代が違うはずの神代の神と神功皇后。

 

一方は別の時代、一方は鼓島で邂逅(同じ時代)にされていることになる。

 

大己貴命と宗像神の夷類退治。

高良神と神功皇后の異類退治。

 

彼らは同神であるので、それは同じ事柄であったのだ。

 

 

なお、大己貴命と宗像神の組み合わせは英彦山にもある。

後に天忍穂耳命に山を譲っているが、同神となる。

 

 

 

 これは、大神神社と宗像神社の社家は、元は同族であるからになる。

彼らは物部氏であり、祖神は饒速日命と御炊屋姫の夫婦神。

 

 

同じ物部が祀る高良大社の神と同じだということになる。

 

  祓いの神の異類退治

 

彼らは大己貴命と宗像神。

高良神であり、神功皇后。

それが二柱の天照、饒速日命と御炊屋姫。

 

高良神は住吉神であり、彼女は瀬織津姫。

 

その名は「祓いの神」。

 

ゆえに、楯崎神社に祀られる同神の大己貴命と宗像神も夷類退治をしていたのだ。

 

彼らの異類退治が、その名になったのであろう。

筑紫には、彼らが関わる「命尽くし神」の異類退治もある。

 

筑紫神社、二つのヒメコソ神社、大根地神社の「羽白熊鷲」は、高良大社の「異類」に繋がる。

 

 

神話のほとんどの神は彼らに集約される。

 

瀬織津姫と住吉神(祓いの神)

住吉神と神功皇后(神話、住吉大社の伝承)

高良神と神功皇后(高良大社)

瀬織津姫と饒速日命

饒速日命と御炊屋姫

天火明命と豊受大神(籠神社)

天照と豊受大神

ほか

 

パートナーが違うのは同神だからだ。

 

 

 

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